「セルフィ、ちょっとだけいい?」
 決戦前夜、ティナから尋ねられたこと。
 たいしたことじゃなかった。あたしにしてみれば、ごく当たり前のこと。
「その、セフィロスさんのこと、好きなの?」
 なんと答えればよかったのだろうか。
 好きというのはあるけれど、それだけでは説明できないこの感情。
 この感情をなんというのかは分からない。
 でも、今の状況なら説明できる。
「あたし、セフィロスに飢えてるから」
 それが多分、何より正確な表現。












PLUS.81

海底神殿







ocean floor






 セントラクレーター。かつてここに落ちた月の涙のために、セントラの地は不毛の大地と化した。クレーターの南部はかつてヨーン山脈と呼ばれた、セントラ二番目の大山脈が連なっている。北西部はただ荒野だけが広がっている、セレンゲッティ平原。
 そしてその先、セントラの最北に位置するのがネクタル半島である。
 月の涙の被害が起こったのは今から百年以上も昔。かつてはセントラ文明という名前が残っているように、あらゆる文化の発祥地であり、エスタや神聖ドール帝国はこのセントラから移住した人々が建国した国である。
 現在はもうほとんど定住者はいない。決してゼロというわけではない。月の涙直撃後、生き残った人々が移動可能なシェルターで避難し、セントラ大陸のあちこちに居住地区を設けている。無論国からの庇護などというものはない。国自体がないのだから。そうした人々は自分たちが暮らしていけるだけの食糧を海から手に入れたり、かろうじて耕作できる土地を見つけてほそぼそと暮らしている。
 だがそれも、時代が進むごとに少しずつ別の大陸へ移住するようになり、今では本当にごく少数の定住者だけが存在している。
 そうした定住者はセントラクレーターから離れた南の、レナーン平原やロレスターン平原にいることが多い。まだ緑が生き残っているからだ。不毛の大地であるクレーター周辺に住むものはほとんどいない。
 だからこそ、彼はここにいるのだろうか。
「本当にここでいいのか?」
 ブルーが尋ねる。セルフィはしっかりと頷いた。
 約束どおり、連れてきたのは三人。ブルー、ジェラール、そしてティナ。代表者たちを集める形となった。これは相談によって決まったというよりも、セルフィとブルーの強い要望によるものだった。ゼルやヴァルツはいい顔をしなかったが特別文句はなかった。面倒なことはブルーに任せようというのがその理由なのかもしれない。
 ハオラーンと詩のことはセルフィから伝えられていた。完全に正確に伝わっているわけではないが、ほぼ間違いのない内容であった。

  絶望と希望が合わさり、月の姫が大地に降つる
  武器は主を求め、海は自らの使命を果たす
  修正者は力及ばず、過ちの場が世界を覆う
  星は太陽を見ることかなわず流れ落ち、異界の姫は守られる
  許す者は眠りから覚め、空は一つ目の罪を許される
  邪と時が庭を取り替え、無が天へと導く
  そして代表者たちは、約束の場を目指す

「絶望と希望が合わさり、月の姫が大地に降つる」
 何を意味しているのかは彼らには分からない。
 だが、その時こそ海底神殿への道が開かれるというわけだ。
「海は自らの使命を果たす、か。極めて……暗示的だ」
 ブルーが言い、ジェラールが頷く。
「海騎士のことだね」
「ああ。ハオラーンはセフィロスがいるところへセルフィを連れていくと言った。その場所が海底神殿。そして海が使命を果たすということは……ガーデンで話したとおり、セフィロスという人物が海騎士である可能性が高い」
「理論的ではないけどね」
「全くだ。何も証拠がない、推測しているだけだ」
 だが推理するということ、思考するということ。それを止めてしまっては先を開くことができない。
「言葉は詞、だと思います」
 ティナが言う。ブルーとジェラールが理解できないという様子で尋ね返す。
「どういう意味だ?」
「ハオラーンさんはセルフィに『修正者』と呼びかけています。詩の中にも修正者という詞があります。それはセルフィのことではないでしょうか」
 なるほど、と頷いたのはジェラール。何も言わずに頷いたのはブルーだ。彼はもうそのことには気がついていた。
 絶望と希望。月の姫。武器。主。海。修正者。過ちの場。星。太陽。異界の姫。許す者。空。邪と時。庭。無。天。代表者。約束の場。
「だとすれば、いくつか詞があてはまるところがあるね」
 ジェラールが言うと、ブルーは頷いて答えた。
「海=セフィロス、修正者=セルフィ、空=カイン、庭=ガーデン、代表者は僕たちのことかな」
「陸がないね。まだしばらく舞台には現れないということかな」
「かもしれない。なにしろこれは『第三幕』らしいからな」
 何幕まであるのかは分からないが、未来を詩うなど、やっかいなことをする相手である。
「そろそろ、正午ですね」
 ティナが空を見上げた。
「ディスペアとホープか」
 ブルーの言葉にジェラールが不思議そうな顔をする。
「いや、絶望っていう言葉には『あきらめる』っていう意味が含まれているんだよ、少なくとも僕たちの世界ではね」
「あきらめたら、希望なんてない」
 ずっと黙っていたセルフィが言い出した。
「それならあたしは、絶対に絶望しない」
 ティナはセルフィを見た。
 確かに以前の彼女とは違う。明るくムードメーカーだった彼女。でも今は、自分にとって一番大切なもののために突き進んでいる。
(応援してるから、セルフィ)
 ティナはそっと、セルフィの手を取った。
 目が合う。二人は同時に微笑んだ。
『時は満ちた』
 空から声が降ってきた。四人が一斉に天を見上げる。
「ハオラーン!」
 セルフィが叫ぶ。その空に、一人の吟遊詩人が浮かんでいる。緑色のローブと銀色の竪琴。
「絶望と希望は合わさった。今こそ、海底神殿への道が開く」
「待て、ハオラーン」
 ブルーが割って入る。
「聞きたいことが山ほどある。“楽園”での詩、そして一昨日セルフィに歌った詩、お前は何を知っている、僕たちが何をすればいいのか知っているのか」
「答える時間はない。もう、道は目の前に開かれる」
 竪琴がかきならされる。
「見て!」
 ティナが海面を指さす。その先。
「何、これ……」
 海の中に、一筋の光が見える。赤褐色に真っ直ぐ。
「これが海の道。急ぎなさい。長い間、この道を通ることはできない」
「だが」
「質問に答える日はやがてきます。ですが、海底神殿に行くことができるのは今だけです」
 すう、とハオラーンは再び天空へ舞い上がる。
「ハオラーン!」
 消え去ろうとするハオラーンにセルフィが声をかけた。
「ありがとう」
 彼は、にっこりと笑った。
「さあ、行きなさい」
 セルフィは頷くと海の中へと走り出した。
 不思議と、水の中に入ったはずなのに全く変化がなかった。確かに水があることは目に見える。魚も泳いでいる。だが、通りぬける。光のラインの周りだけ、トンネルができているみたいに。
「不思議」
 声も出る。
「ハオラーンの魔力だろうか。それとも」
 ジェラールが手を伸ばす。その先に水に触れた感触があった。
「半径二メートル。直径四メートルの円筒といったところだな」
 ブルーも確認する。
「それより急ぎましょう。あまり長い間、この道は保たないはずです」
 ティナの言葉に三人が頷いて、走り出した。
 できるだけ光の真上を四人は縦一列になって駆けた。先頭は無論セルフィ。そしてブルー、ジェラールと続いて、最後尾はティナだ。
 そのティナから見て、右前方。
 一際巨大な生物がはるか遠くに見えた。
「あれを見て!」
 ティナがその生物を指さす。
 巨大な魚。いや違う、蛇のように体が長い。海の魔王として名高いシーサーペントだろうか。いや、違う。
「龍……」
 ブルーが言う。あれは邪龍族に近い。
 近いが、異なるものだ。
「海竜……?」
 ジェラールのうわ言のような呟きが、おそらくは正鵠を射ているのだろうとブルーは思う。
 だとしたら。
「セフィロスが、近くに……」
 セフィロスが海騎士なのだとしたら、海騎士は海竜を従えるのだ。
「セフィロス!」
 ティナが海のトンネルにへばりついた。
 海竜の、頭の上。
 光がほとんど届かないのでかすかにしか見えないが、確かにそこに人の姿がある。
「セフィロス!」
「無駄だ、ここからでは声は届かない」
 ブルーが彼女の肩に手をかける。
「おそらくは海底神殿へ向かっているはずだ。我々も急がなければ彼には会えない」
 その言葉でセルフィは瞬間的に冷めた。
 そして、全力で駆け出した。
「セルフィ!」
 そんなことをしても息切れしてしまうだけなのに。
 彼女にとって、それほどセフィロスという人物は重要なウェイトをしめているのか。
「急ごう」
 ブルーが走り出す。ジェラールとティナも駆け出す。
 だが、ずっと先を行ったセルフィに追いつくことはなかった。
「ブルー」
 走りながらジェラールが尋ねる。
「海底神殿には何があるんだ?」
「分からない」
「推理では?」
 ブルーはしばし口を閉ざした。
「海は自らの使命を果たす」
 ティナの声が後ろから響く。
 ブルーは頷いた。
「おそらくは、海底神殿にクリスタルがあるんだ」
「そうか、海に眠る核か」
「セフィロスという人物は、自分が成すべきことをすると言ってセルフィの前から姿を消した」
「自らの使命を果たす?」
「そうなるな……だが海騎士として戦うというのなら、セルフィと別れる必要はない。ウォードを殺す必要もないはずだ」
「だとすると」
「そう。彼は非常に恐ろしいことを企てているのかもしれない」
 その先を口にするのは幾分ためらわれた。
 続きは、ティナが口にした。
「クリスタルを、破壊する……」
 もしそうなったなら、どうなるのだろう。
 空と海と陸。全てが一つになる。空間が一つになる。それはもう世界とは言えない。この世界の崩壊とまったく同義だ。
「止めなければ」
「そうだな」
 さらに三人は急いだ。セルフィの姿はまだ見えない。
 海底深く、一行は進んでいく。光はもはや深海に届かない。ダークグレーの海の中に、巨大なサメのような生き物があちこちを泳ぎ回っている。
「そんなに深くまで降りてきているのかな……」
「だいたい海面から一キロは降りているはずだ」
「そんなに」
「斜面がだいたい平均二十度。走っている時間と距離、それを計算するとだいたいそれくらいかな……」
 体を使っているときはあまり頭は使いたくない。
「千メートル底でこんなに暗くなるのか」
「……どうやら、目的地が見えてきたようだ」
 彼らの行く先に、ようやく建物が見えてきた。
 暗くてよく見えないが、光の先に小さな建物がある。色はもうほとんど分からない。
「あれが神殿?」
「随分小さいな」
 感想はみな同じようだった。確かに小さい。それ以外に表現しようがない。せいぜい小さな小屋程度だ。民家ほどもない。
 しかし造りはしっかりとしている。白い石で作られた柱と壁。おそらく中は小魚たちの住処と化しているだろう。
「セルフィは中か?」
 三人は扉のついていない入口から中に入る。
 小屋の中には、中央に一本の柱があるだけだった。そして赤褐色の光がその柱に当たっている。
「おそ〜い!」
 息すら切らせていないセルフィがかんかんになって三人を出迎えた。
「ここはいったいなんなんだ、セルフィ」
 ブルーがその柱に触れると、柱全体が褐色の光を放った。回りで戯れていた魚たちが一斉に動きだす。
『チカヘ、オリル、タメニハ、ヨンメイ、ヒツヨウデス』
 機械的な音声が耳に届く。
「なるほど、だから四人か」
 柱をよく見ると、体を固定するためのベルトが備わっている。
『カラダヲ、コテイ、シテクダサイ』
「行こう!」
 セルフィが言って、四人はその柱に背をつけ、ベルトでしっかりと体を固定する。
『コテイ、カンリョウ。チカ、四千メートルマデ、三十ビョウ、デス』
「四千?」
 ブルーが呟いた直後、四人は体重を失った。
 柱ごと、地下へ自由落下が始まったのだ。
「わっ」
「喋るな、舌を噛むぞ」
 歯を噛みあわせたまま、ブルーがセルフィに声をかける。
 二十秒の浮遊感の後、下からおさえつけられるかのような圧迫感を受ける。
(エレベーターか、機械仕掛けだな。それも四キロの長さ。随分高度な技術だ)
 ようやく地下四キロ、海面から五キロ下の地点に降り立ち、固定が外される。ティナとセルフィは足が震えて、その場に膝をつく。ジェラールも膝が笑っている。唯一平気だったのはブルーだけだった。
「こわ、かったぁ……」
 セルフィの震える声に、ティナが大きく頷いていた。
「ここが海底神殿か」
 ブルーはいち早く回りの状況を確認する。
 広い部屋。百メートル四方はあるだろう。高さは十メートルはあるだろうか。部屋というより、直方体の空間という感じがする。そして左右には壮大なレリーフ。右手には海竜の絵、左手にはおそらく、海騎士の絵。正面には高さ三メートルほどの両開きの扉。
『シンデンヘ、ヨウコソ』
 機械音が、四人の来訪を歓迎した。






82.二度目の戦い

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