「ジェラール。よく聞け……今からお前に、ソウルスティールの見切り方を継承する」
「父上!」
傷自体はひどくない。それなのに、生命力が完全に失われている。
助かる見込みがないことは、一目瞭然であった。
父親から譲られた力。
光の術法、剣技、そして、魂奪いの術の見切り方。
そして、敵と戦うにあたっての、揺ぎない意思。
「父上……アバロンはお任せください」
そう誓ったことも、今は遠い昔のこと。
PLUS.83
死の息吹
transform
温かな音色が聞こえたような気がした。
優しいその歌声に導かれるように、ブルーはようやく視界を取り戻す。
(この光は……)
淡いエメラルドグリーン。発光の源にいるのは──
(ティナ、なのか)
もはや、以前の面影は残っていない。そもそも『肉体』という器すら、彼女には希薄であった。
長かった緑色の髪は、短く逆立っている。
着ていた服はどこにもない。肉体すらない。
幻獣。
彼女の中に巡る『獣』の血がまさに解放されていた。
その姿は幼子。
大きさは以前のティナより二回りは小さい。二の腕から先はなく、足も膝下は存在していなかった。
そして燐光を発して浮遊している。
(これが君の本当の姿……)
いや、それが『本当』というわけではない。
これはティナの幻獣としての姿。人間としての姿とこの姿、二つの姿を持っているにすぎない。
彼女は半人半獣。両方の血を継ぐ者。
(アセルスと同じか……)
普段は人の姿で人と共に暮らし、非常時には人以上の力を使うために自分の姿を変化させる。
半妖であれば『妖魔化』。
半獣であれば『トランス』。
そして、二人とも共通しているのは。
(僕たちを助けようとして)
仲間を助けるためには、自分のもう一つの姿をさらすこともためらわない。おそらくティナはこの姿を自分たちには見られたくなかっただろう。だがその意識を振り切ってでも自分たちを守ろうとしてくれている。
(アセルスも……人間に戻りたがっているからな)
ブルーは頭を振った。ようやく頭が働き出していた。
「僕もそろそろ、活躍しておかないとな」
普段のブルーであれば、そんなことは言わなかっただろう。
だが、このティナの姿が、彼に『協力する』という意思を植え付けていた。
(アセルス、彼女を守ってくれ)
守りたい。
彼女と同じ、『血』という宿命にしばられている女性を。
「クリムゾンフレア!」
ブルーが放った魔法が、クラーケンに直撃する。
「ぐふっ!」
完全に隙をつかれた格好となり、クラーケンの足が緩む。
幻獣『ティナ』がその間に足から抜け出すと、短い右腕をアルテマウェポンに向ける。
子供の姿だというのに、その姿は神々しさすら感じさせられる。
巨大なカオスを目の前にしているというのに、ティナは一歩も引く様子がない。
むしろ堂々として、この不埒者を成敗しようかという意気込みさえ感じられる。
『私は守る』
アルテマウェポンがティナの体の中に吸い込まれていく。そしてますます彼女の燐光は輝きを増す。
『守る!』
ティナの短い左腕から魔法の光線がクラーケンに向かって放たれる。それはクラーケンの体を貫いて、神殿の壁に当たって霧散する。
「すごい」
ブルーはクラーケンの体からどす黒い体液が落ちるのを見ながらうめいた。
この力はまさに異質だ。
自分やルージュがどれほど力を高めても、これほどにはならない。それはアセルスが妖魔化したときも同じことを感じた。
だが、これならカオスと五分以上の戦いができる。
ブルーは勇んで、次の魔法を唱えた。
『引け』
ティナはブルーに命令を下した。
『私の邪魔をしたくなくば、引け』
ブルーは身動きが取れなくなった。
それは人ならざる者が発した警告であった。
(君は……)
それはもう、人の『ティナ』ではない。
明らかに幻獣としての『ティナ』であった。
『さあ、カオスよ。お前のいるべき混沌に戻るがいい』
今度はティナが形を変化させていく。
そして、一直線にクラーケンの体に突進するための武器と化した。
ティナ自身が、光の槍と化したのだ。
「あ、あ、あ……」
これがティナの力。
自らを、自らの望む形に変化させる力。
だからこそ、アルテマウェポンはティナにしか使えないのか。
そして、光が輝く。
燐光を撒き散らしながら、クラーケンの体に大きな穴を開ける。
クラーケンの口から、血が吐き出された。
「ティナ!」
水のカオスの向こう側で、うずくまる『人間の』ティナの姿があった。
一糸まとわず、もとの姿のままのティナの姿は、今にも倒れそうなほど衰弱していた。
呼吸が荒い。全身に汗をかいている。両手を床につけているにも関わらず、その体はふらふらと揺れていた。
ブルーは駆け寄ると、何も身にまとっていなかった彼女の体に自分の服をかける。そして、彼女の前に立ってクラーケンの次の行動を待った。
(今のは、かなり効果的だったはず)
あとは自分の力でも倒せる。
「フラッシュ・ファイア!」
光の洪水を起こして、クラーケンの体を一気に押し流そうとする。が、それでもクラーケンの体力の方がまだ上回っていた。
「我は、負けぬ」
クラーケンの体が動き始めた。こちらに向かってゆっくりと動き出す。
(押しつぶされるのはまずい)
後ろにはティナがいる。まだ彼女を動かすことはできない。守るためには、自分に注意をひきつけて、進路を変えさせなければならない。
「こっちだ、カオス!」
ブルーは動いた。
魔力の塊を打ち込みながら、ジェラールからも、ティナからも遠ざけられるように攻撃を続けていく。
「代表者よ……」
クラーケンはその動きにのった。
「汝の勇気には敬意を表しよう」
残っていた五本の足で、ゆっくりと近づいてくるクラーケン。
(僕が、カオスと戦う)
ある程度、前から考えていたことではある。だが自分には魔力の高さ以外に誇れるものはない。
だとしたら、自分の魔法で敵を倒すことを考えなければならない。
(ルージュとの戦いではナイフを使ったが、この相手にはそんなもの通用しない)
だから、純粋に自分の力を試されているということになる。
(これが僕の、全力)
この魔法を使うのは、これで二度目になる。
前に使ったのは、あのマジックキングダムで戦った、地獄の君主。
この魔法で、あの時は倒すことができた。
「くらえ……っ!」
ブルーは全魔法力を自分の手に集中させる。
そしてクラーケンが目の前に迫ったそのとき、魔力を全て解放した。
「レミニッセンス!」
闇色の魔力がほとばしる。
そして、クラーケンの体が闇色に染まっていく。
「これで、終わりだ」
水のカオスの体に電流が流れる。
闇の、崩壊の電流が。
「がああああああああああああああああああああっ!」
大王イカの体が徐々に機能を低下させ、次第に動きが鈍くなっていく。
そして、全身からこげついたような煙が吹き上がった。
それが、終わりだった。
カオスは、完全に活動を停止していた。
「終わったか」
やはりこの魔法はよく効く。
どんな相手でも完全にその生命機能を停止させることができる。ブルーの最終奥義だ。
ただ、この魔法は自分の全エネルギーを使用してしまうため、これ以後は全く魔法を唱えられなくなるところが少々難点だ。
自分の魔力が全くないというのは、翼をもぎとられたかのような不自由さと不安さがある。
まあそれも、生き残っているからこそ言えることではあるが。
ブルーは立ち上がり、落ちていたティナの服を取ると、まだ起き上がれないでいる彼女のところに運び、彼女のすぐ傍に置いた。
そしてジェラールの下へ行く。もちろん死んではいない。単にエネルギーを全部吸い取られているだけのことだ。
「大丈夫か、ジェラール」
彼に肩を貸して立ち上がらせる。それで彼も気がついて、ゆっくりと目を覚ます。
「あ、ああ……すまない。また役に立てなかった」
「気にするな。僕ら代表者がいるのは一番に戦うためというわけじゃない」
まだ足取りがおぼつかないジェラールを壁ぎわまで連れていき、そこに座らせる。
「少し休んだらセルフィの後を追う。それまでゆっくり──」
そのときだった。
「だ、い、ひょうしゃ……」
はっとしてブルーが振り返る。
「だれか、ひとり……」
その矛先が向けられているのは、まだ立ち上がることができていない、ティナ。
「しまった!」
急いで魔法を唱える。だが、既に魔力がつきているブルーには止めることができない。
「くうっ」
ジェラールが苦痛にあえぎながらも必死に立ち上がる。そして剣を構えて突進した。
「ジェラール、待て!」
ブルーが止めようとするが、ジェラールはそれでも突進していく。
しかし、間に合わない。
クラーケンはティナに向かって魔法を唱えた。
「これが、つちのかおすの、とくいわざ……」
ティナも異変に気付いて、なんとか顔を上げる。
目の前で、死が覗き込んでいた。
「デス!」
魔法が発動されて、ティナの周囲にあった『死』が色をつけていく。
「これで、ひがんが、なる……」
「クラーケン!」
遅れてジェラールが攻撃した。
「流し斬り!」
剣の一閃が、クラーケンにとどめをさした。
クラーケンの姿が消失し、場に静寂が戻る。
「ティナ!」
ブルーは叫んだ。即死魔法。その正体がいかなるものであるかはよく分かっていた。
だが、闇色の死が姿を消したとき、ティナの姿は先ほどと変わらずそこにあった。
無論、きちんと息をして。
「ティナ……よかった」
ブルーはほっと一安心してティナにかけよろうとして、やめた。
まだ彼女は、服を着ていなかったからだ。
彼女が遅い動作ながらも服を着終えると、ようやく無事を喜び合うことができた。
「とにかく、無事でよかった」
自分がこんなことを言うとは、随分丸くなったものだと思う。
「私も、驚きました」
ティナは素直に答える。
「何故か、あの魔法の正体が見えたんです。今まで一度も見たことがない魔法だったのに、どうやって防げばいいのか、はっきりと分かったんです」
「多分、継承したんだ」
ジェラールが言う。
「継承?」
「うん。あれは魂を一瞬で奪ってしまう魔法だろう? 僕はその見切り方を知っている。多分、アルテマウェポンに僕の力が全て吸収されたとき、僕の能力も一緒に継承されたんだと思う」
ソウルスティール──魂奪い。
その見切り方を知っていたからこそ、ジェラールは前の世界で七英雄の一人を倒すことができた。そしてその見切り方が、アルテマウェポンを通じてティナに継承された。
(だが、問題が残る)
ジェラールは顔をしかめていた。
(僕は生きている。それなのに、継承は起こった。それとも、継承法の力は、生者の間でもかわすことができるものなのか。それとも)
そう。
最悪の場合、そのことも考えられる。
(継承法の力そのものが、ティナに移ってしまった、ということもありうる)
つまり、七英雄を倒すための力の全てが、自分からティナに移ってしまったということだ。
そうなると、今後七英雄は自分ではなくティナを狙ってくることすらありうる。
(……まだ確証があるわけじゃない。今は、この話はしない方がいい)
ジェラールは自分の胸にそのことをしまっておいた。
「……すみません、ブルーさん。お願いがあります」
ティナが急に話を変えてきた。
「なんだい」
「先ほど見たことは……」
「ああ、大丈夫。心配しなくていい」
ティナはほっと安堵の笑みを浮かべた。
やはり、あの幻獣の姿をティナは見られたくないと思っていた。いや、自分たちにならまだいいのかもしれない。
多分彼女が一番に見られたくないと思っている相手は──
「でも、一つだけ忠告をしておくよ」
ブルーは言った。
「僕はアセルスの正体を知っている。でも僕は彼女を嫌ったりしていない。多分カインも同じだと思う。あまり、思い悩む必要はないと思う」
ティナは意表をつかれたかのように、目をぱっちりと開いた。
「……ありがとう」
そして、今までの中でも一番綺麗な笑みを浮かべた。
(やはり、女性は好きな人を思い描いているときが一番輝いている)
純粋に、ブルーはそう思った。
84.再会と別離
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