自分がほしかったもの。
 それは恋人ではなく。
 それは母親ではなく。
 それは兄弟ではなく。
 それは親友ではなく。

 それは──戦友。












PLUS.86

ただ一人の戦友







We share the same destiny






 トラビア遺跡は以前、オーディンという召喚獣がいた場所だ。
 そのオーディンがスコールを守護するためにこの地を離れ、それ以後この遺跡は何者もすまなくなっていた。
「見事なまでに何もねえとこだな」
 サイファーがそのように呟くのも問題はない。
「でも、ここには何かがある」
 スコールが断言する。
「お前に何かわかるのか?」
 遺跡自体には何もなかった。
 最上階に行っても誰かがいるわけでもなく、何かがあるわけでもなかった。
 遺跡の周辺を見て回ってみても、特別不思議なところがあるわけでもない。
「日が暮れてきたな」
 サイファーは何も答えないスコールを無視して会話を変えた。
「今日はここで一泊されますか?」
 リディアの質問に「そうだな」とスコールが答える。
 と、そのとき。
「ねえ、スコール。こっち!」
 少し離れたところにいたリノアが三人に声をかける。
「どうした」
「見つけた、見つけたよ!」
 リノアは嬉しそうにはしゃいでいる。何を見つけたのか、スコールは小走りに近づいていく。
「これは……」
「隠し階段。地下への入口だよ」
 草むらの中に巧妙に隠されていた階段を見つけたリノアは上機嫌だった。
「よく見つけたな、こんなもん」
 サイファーが逆に呆れて言う。
「何か、音が聞こえたような気がしたから」
「どうしますか、スコールさん」
「もちろん、行くさ」
 スコールはリノアの肩をぽんと叩いてから、階段を降りた。
「もう、待ってよスコール!」
 リノアがそれを追い、リディアとサイファーも後から続いた。
 地下は地上の熱気はまったく入り込んでおらず、冷たい風が流れていた。
「……水の音が聞こえるな」
「地下水脈があるのだと思います。近くに山地がありますから」
「にしても、下は案外広いな」
 階段を降りると、そこは広い空間だった。
 サイファーが驚きを隠せないほどに。そう、これほどの空間があれば、地上で召喚などしたときには陥没するのではないかと思わせるくらいに。
「ここにはかつて、高度な文明があった。その名残だな」
 百年前のセントラ文明の破壊は、月の涙が起こしたものだった。
 その百年前のモンスターがこの大陸にはまだ生き残っているのだ。
(エスタは……大丈夫だろうか)
 ふとそんなことを思う。
 この短期間に二度の月の涙を経験したエスタが滅びない保証はない。
 エスタ市内は今はなんとか守られているが、その市内にモンスターが入り込んできたのはつい最近のことだ。
(……今は考えても仕方がないか)
 とにかくこの迷宮を抜けて、最奥に待つものを見つけることが先だ。
 スコールは歩く速度を緩めずにダンジョンを下りていく。
「スコールさん」
 ふと、リディアが声をかけてきた。
「どうした」
「今、スコールさんと初めて会ったときのことを思い出してました」
 唐突にそんなことを言い始めたので、理由も分からずに顔をしかめる。
「あのときはカインがいたからあまり話はできませんでしたけど、そのあとすぐにテラスで話をすることができました」
「ああ」
「どこへ行きたいのか……ずっと私は探してました。ガーデンを離れて、幻獣界に行って、そしてここに帰ってきてからもずっと」
 リディアはちらりとリノアを見る。まともに視線があって、リノアが少したじろぐような仕草をした。
「私は……」
 ポロン、と竪琴の音が聞こえた。
 四人がいっせいに音のした方を振り向く。
「……眠れる土地の、目覚めの時」
 そこにいたのは、吟遊詩人。竪琴を手にした一人の男。
(こんなところに、人が?)
 当然、こんな状況で普通の人が生活できるはずがない。四人は警戒してそれぞれ武器に手をかける。
「あなたは?」
「私はハオラーン。世界の趨勢を歌う者」
 ハオラーンは再び、竪琴を鳴らした。
「二人の代表者。一人の変革者。そして修正する者。各々、自分の役割を果たしていると見える」
「そういやワグナスとかいう翼を生やした男が言ってたな」
 サイファーは剣を抜いた。
「ハオラーンに気をつけろってよ」
「彼は私を憎んでいる。そう言うのも不思議はない」
「待て、サイファー。それよりも聞きたいことがある」
 スコールが止めた。そして目の前の実体感の薄い吟遊詩人を見つめる。
「ここに、何がある?」
 ここに住んでいるのかどうかは知らないが、こんな場所にいるくらいだ、ここがどういう場所なのかはわかっているのだろう。
「大地の核」
「核?」
「クリスタル、とも言う。陸の騎士。大地のクリスタルはあなたを待っている」
「クリスタルがここに」
 反応したのはリディアだった。
(では、スコールさんが伝説の三騎士……)
 ガーデンで最後に仕入れた情報。三騎士がクリスタルを持って、世界を救う。
 その役目に、スコールが選ばれていたというのか。
(……最初から、逃げられる戦いではなかったんですね)
 リディアは目を伏せた。
 守りたいと思うものほど、危険な場所にいる。
 いつも、その繰り返しだった。
 今度はせめて、戦いから一番遠いところにいてほしかったのに。
「なるほど……」
 スコールは頷いた。
 クリスタルという言葉は地竜から聞いている。大地のクリスタルを起動させよ。その先に道は開けるだろう。
 そして、地竜の爪を手にするときにあの『声』はこう言った。
『願いはかなう』と。
『願い以外の全てを差し出さなければならない』とも。
「クリスタルを俺が起動させればいいのだな」
「然り。あなた以外の誰にも、大地のクリスタルを起動させることはできない」
「どこにある?」
「このさらに地下に。ここから先は一人で行くがいい。モンスターはいない。逆に仲間を連れていくと、クリスタルの力で仲間を犠牲にするおそれがある」
 この男は信用できない。
 スコールは直感的に判断した。自分の勘は戦闘で鍛えぬかれたもの。決して間違っているとは思わない。
 だが、嘘をついているわけでもない。
(何が目的だ……?)
 サイファーもハオラーンに気をつけろと誰かから釘を刺されていたとのことだ。決して安心して背中を預けられるわけではない。
(……だが、やむをえないな)
 そのクリスタルを手にしないことにはどうしようもない。
 地竜もクリスタルを手にしてから道は開けると言った。
 ならば、行くしかない。
「三人とも、待っていてくれ」
「スコール」
「大丈夫だリノア。恐らく、危険はない」
 そしてサイファーと目が合う。サイファーは、ふん、という様子で別に何も声をかけるというわけではなかった。
 リディアは寂しげにスコールを見つめたが「どうかご無事で」と一声かけるにとどまった。
 ハオラーンが最後にポロンと竪琴を鳴らすと、壁の一箇所が開いて通路となった。
「その先の階段を降りたところがクリスタルルームです」
「あんたはクリスタルの番人といったところか」
「いえ。単にこの場所が気に入ったので使わせてもらっているだけです」
 ハオラーンが本気かどうか分からないことを言う。スコールは肩を竦めてその先に入っていった。
「大丈夫かな、スコール」
「彼は大丈夫です。あの先に敵はいませんから。それより……」
 ハオラーンは振り返って三人を見つめる。
「代表者リディア。あなたに会わせたい人がいる」
「私に?」
「ええ。あなたの知人です」
 ハオラーンはそう言うと、別の通路を歩き出した。
 リディアはちらりとリノア、サイファーを見てからその後を追った。サイファーは「面倒だ」という感じでその場に座ったが、リノアはリディアの後をついてきた。
「……ねえ、リディア」
「はい」
「うーんと、聞きたいことがあるんだ」
「はい」
 横に立って歩くリノアに視線を向ける。彼女は真剣な表情でリディアを見つめていた。
「スコールのこと、好き?」
「はい?」
 何を尋ねられたのか、よく分からなかったが、とりあえず頭の中で考えてから返答する。
「そうですね……スコールさんとはいろいろお話させてもらってますけど、考え方が似ていますね。話していて、疲れることがありません」
「うーんと、そうじゃなくて」
 リノアはどう聞けばいいのか、と頭をひねる。
「つまり、男性として好きかどうかってこと」
 それこそ、リディアはきょとんとした。
「……は?」
「いやだって、スコール、リディアと一緒にいるときの方が楽しそうだし、リディアもスコールと一緒にいるのが楽しそうなんだもん」
「確かに楽しいですけど、でも、そういう感情にはならないですよ。スコールさんにはリノアさんがいますし、それに私はそういう感情をスコールさんに持ったことはありません」
「正直に言うとね、私、リディアにヤキモチ焼いてるの」
「……ヤキモチですか」
「うん。憎くて憎くて、こう首をね、キュッ、て締めたくなるくらい」
 リノアは白い手をリディアの首にかけた。リディアは別に何も止めたりはしなかった。
「でもね、それがスコールの選んだことなら……私、やっぱり、駄目、なのかなあ」
 そのままリノアはリディアに抱きついてきた。
「リノアさん……」
「スコールはね、きっとリディアのことが好きになったんだよ」
「そんなことありません」
「そんなことあるの。だって私、ずっとスコールの傍にいたんだもん。ずっとスコールのこと見てたんだもん。スコールが一番嬉しそうなとき、一番一生懸命なとき、全部傍で見てた。リディアと再会したときのスコール、これ以上ないくらいに喜んでた」
「そんな……」
「私はスコールのことが好き。ずっとスコールの傍にいたいと思った。でも……」
「スコールさんは、リノアさんのことが好きです」
 リディアもまた、リノアの背に腕を回した。
「スコールさんは、あなたのことだけは守りたいと考えている。だから危険なことから遠ざけようと」
「違うよ。それにたとえそうだとしても、私はそんなこと求めたことは一度もない。私はスコールと一緒なら死んだっていい。ずっと一緒にいることが望みなんだから。でも、違う……違うの、そうじゃないの。スコールが私を傍に置こうとしないのは……」
 ぎゅ、と力が入った。
「スコールが、私を邪魔に思っているから」
「そんなこと……」
「分かるもん。スコールのことなら。スコール、冷たい目で私を見る。邪魔に思ってる。もう、私、傍にいられないかもしれない……」
 嗚咽が漏れた。
 リディアはただリノアの背をさすり、優しく、ぽん、ぽんと叩く。
「……考えすぎです。リノアさん」
「だって」
「スコールさんはリノアさんのことが好きですよ。本当に邪魔に思っているのなら、たった二人で旅をしたりはしません。本当に疎ましく思っているのなら、気づかったりなんかしません」
「でも」
「もしリノアさんがスコールさんの前からいなくなったら、絶対にスコールさんは傷つきます」
「……」
「スコールさんは、リノアさんを大切に思っていますし、失いたくないと思っています。間違いありません」
 リノアが黙り込んだので、リディアはその背をぽんぽんと叩いた。
 相手が泣いているのが分かった。
 ずっと悩んでいたのだろう。スコールにとって自分がどれだけ必要とされているのか、信じることができずに、ずっとただ一人で悩みつづけて。
(スコールさんは、そこまで気が回るような方ではないから……)
 やがてリノアは体を離して、へへっ、と笑った。
「ごめんね。こんな大切なときに」
 リディアは首を振った。
「私でよければ、いつでも相談にのります」
「うん。またいろいろ話聞いてもらおっかな」
 二人はようやく歩き始めた。
 既にハオラーンの姿はなく、ただ洞窟の奥へと進んでいく二人。
(……スコールさん、か)
 歩きながら、リディアは先ほどの話を思い返す。
 自分にとって、スコールという存在はいったいどういうものなのだろう。
『スコールのこと、好き?』
 異性として、恋愛の対象としてなど見たことは一度もなかった。
 彼は自分と似ている、とは最初に話したときからずっと感じていた。
 そして、理不尽な任務を与えられている彼を救いたいと思ったことも事実だ。
(……私は、見つけたのかもしれない)
 自分が欲しかったもの。行きたかった場所。
 それは、自分が信頼し、自分を信頼してくれるパートナー。
 盟友、と言ってもよい。
 戦うときに自分が命をかけて信じられる相手。
(私にとってスコールさんは、きっとそうなんだ)
 アセルスという少女を見たとき、自分は正直ショックを受けた。
 協調ではなく、支配という方法を使って戦う少女。
 その力に自分が適わなかったということも衝撃の一つだが、何より彼女の気性。
 たった一人の盟友を助けるために異世界まで来るその純粋さ。
 ──自分は、それに憧れたのかもしれない。
 恋愛でも、ましてや損得勘定でもない。
 自分がたった一人、命をかけられる『戦友』を、自分は求めていたのかもしれない。
 ずっと、そんな相手はいなかった。
 セシルは戦友ではなく、兄だった。
 ローザは戦友ではなく、姉だった。
 エッジは戦友ではなく、恋人未満だった。
 そしてカインは。
(カインとなら……戦友になれるのかと思った)
 だが、カインは拒否した。
 カインは自分を戦友とは見てくれなかった。
 だから、自分はショックを受けたのだ。
 アセルスを見たときに、支配という方法を使って戦う彼女が戦友を持っていることに、いいようのないショックを受けたのだ。
 そしてその『戦友』という観念は、まさに召喚士と召喚獣の『協調』という考え方に見事に合致するのだ。
 自分の心の底には、人間と『協調』を結びたいという強い願望がある。
 ずっと、探していた。
 自分が『協調』を結べる相手を。
 自分の『戦友』を。
 そして、見つけた。
 自分がいるべき場所。それは。
(戦友の背)
 自分が背中を預け、安心して戦える場所。
 それが自分にとっての『安らげる場所』なのだ。
「遅かったですね」
 考え事がちょうど終わったころ、二人は洞窟の最奥についた。
 そこには少し大きめのベッドが一つあるだけで、他には何もないただの空間だった。
「彼女をご存知でしょう、リディア」
 ハオラーンの声に導かれ、リディアはゆっくりとそのベッドで眠る人物に近づく。
 目を閉じ、規則正しく呼吸する女性。
 レモン色の髪が、とても鮮やかで印象的だった。
「……イリーナ、さん……」
 驚いた。
 代表者エアリスを連れてきてもらうために雇った女性。
 そしてカインの精神世界で重傷を負った女性。
「何故彼女がここに……」
「海で溺れかかっていたところを私が助けました」
「まさか……」
 リディアはハオラーンを睨みつけた。
「そうです。カインの精神世界に彼女を送り込んだのは私です」
「何故!」
「彼女がそれを望んだからです。カインが死んだ。だがまだ生き返る見込みがある。それを告げたら彼女は一も二もなく精神世界へ行く方法を尋ねてきました」
「そんな危険なことを」
「危険は承知の上、と彼女も言っておりました。その結果が、これです」
 悪ければ死。
 よくても、植物人間。
 あのとき、消滅したイリーナを見て自分はそう思った。
「……イリーナさんは、このままでは目覚めることができない」
「そうです。彼女の精神が癒されないうちは、目覚めることはできないでしょう」
 イリーナを傷つけたのは、カイン。
 だとすれば、その傷を癒すことができるのもまた、カインのみ。
「カインを連れてくればいいのね」
「そういうことになります。現在ガーデンは海を真っ直ぐセントラ大陸に向けて直進しています。あと二日もすればイデアの家にたどりつくでしょう」
「あと二日」
 それはあと二日『も』あるのか、それともあと二日『しか』ないのか。
「このままにしておいていいはずがありません。カインを連れてこられるのは、あなたくらいでしょう。そして、イリーナの精神世界に彼を連れていくことができるのも、また」
「あなたは?」
「私は彼女の精神に傷を与えたもの。私が干渉しては今度こそ彼女は亡くなってしまうでしょう」
 それは一理ある。
「……分かりました。ではスコールさんが戻り次第、再びイデアの家へ向かいましょう」
「そうしてくださるのが一番ですね……さて」
 ハオラーンは椅子に座ると、竪琴を一度鳴らした。
「……陸騎士が戻るには少し時間があります。しばらく待ちましょう」
 リノアが頷いて空いている椅子に座り、リディアも腰かけようとした。
 そのときである。
「リノア、リディア、逃げろーっ!」
 サイファーの声が響いた。






87.果たせぬ誓い

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