ずっと、この悪夢が続くと思っていた。
 いつからか、悪夢は見なくなった。
 それなのに、また悪夢を見ている。
 どうしてだろう。
 この悪夢は、自らの手で摘み取ったのに。
 悪夢の元凶は、もうこの世にないはずなのに。












PLUS.91

幼き日の悪夢







she is dreaming a dream of a nightmare






「スコール、調子はどう?」
 話し掛けられた男は「ああ」とだけ答える。
 ガーデンのブリッジ。ここに来るのも久しぶりだった。
「迷惑をかけたな、キスティス」
「礼を言うならカインに言いなさいな。私は彼のサポートをしただけ。あなたがいたときとたいした変わりはなかったわ」
「そうか」
「まあ……多少は勝手が違ったけどね」
 ニーダの運転で、ラグナロクを追ってガーデンもセントラ遺跡へと向かっている。二時間後には到着するはずだ。
「ねえ、聞かせてくれる?……いやなら、かまわないけど」
 スコールは答えない。
 その話をどれほどしたくないかは分かっているつもりだ。だが、キスティスもその話をしないわけにはいかなかった。
 大切な仲間のことは。
「リノア……どうして」
「殺された。セフィロスに」
 何事もないかのように、言葉だけが返ってきた。
「リノアを殺され、クリスタルも奪われた」
「そう」
「詳しいことは分からない。俺はその場にいなかったから……ただ、死体だけが残っていた」
 首のない死体。
 何故、首だけがなかったのか。
 セフィロスが持っていったのだろうか。
「いずれにせよ、セフィロスを殺すだけだ」
 その目には何の意思も篭もっていない。
 事実だけを冷静に受け止めていた。
「……そう」
 以前のスコールとは、明らかに雰囲気が違っていた。
 誰かが死んだら、気が動転して、現実の死を認めることができずにただ苦しんでいた。
 今は、まるで違う。
(……スコールに、何があったのかしら)
 単に殺されただけなら、スコールが変わることはないはずだ。
 きっとスコールは、リノアが殺される以上の衝撃をこの旅の中で受けたに違いない。
(それは何? 希望? それとも、絶望?)
 少なくとも。この復讐のことしか考えていないスコールの雰囲気からは、希望であるとは到底思えなかった。






「いろいろと聞きたいことがある、吟遊詩人」
 カインは一呼吸の後、質問を開始した。だが、ハオラーンは首を横に振るばかりだ。
「残念ながら、私は質問に答えることはできません」
「何故だ」
「私は詩人。私はただ、歌うだけです」
「それにしては、随分といろいろ動き回っているようだな」
 カインはリディアやキスティスからの話を聞いているうちに、この詩人の正体を気にするようになっていた。
 ──この吟遊詩人の目的は何だ?
 彼が口で言うように、ただその場の事実を知り歌いつぐだけの存在であるとはカインは露ほども思っていなかった。
 歌うだけならば、自分たちの前に現れる必要はない。
「私が歌うだけの存在であることは、それこそユリアンやモニカに聞いてみるといいでしょう。私は常に彼らと同行し、彼らの歌を歌いついだ。今はこの世界でカインや他の人々の歌をつむぐために目の前に現れているにすぎません」
「だとしても、俺たちが知らないことをお前はあまりに多く知りすぎている」
 カインは追及を緩める気はない。
「お前の知っていることを、全て教えろ」
「私の知っていることは、全て歌でしか伝えられません」
「その歌詞もあいまいで理解できかねる。歌詞の解説が必要だ」
 吟遊詩人はしばし言葉を止めてじっとカインを見た。
「なるほど」
 やおらそのように納得され、カインは逆に顔をしかめる。
「あの詞では分からなかったと、何を歌っているのか理解できなかったというわけですか」
「そう言っている」
「そうでしたか……それは誤算でした」
 カインはレノと目を見合す。
「何を納得している?」
「いえ、私はあの歌で充分あなたたちに理解していただけると思っていたのです」
 改めて、詩人は竪琴を鳴らした。


 絶望と希望が合わさり、月の姫が大地に降つる
 武器は主を求め、海は自らの使命を果たす
 修正者は力及ばず、過ちの場が世界を覆う
 星は太陽を見ることかなわず流れ落ち、異界の姫は守られる
 許す者は眠りから覚め、空は一つ目の罪を許される
 邪と時が庭を取り替え、無が天へと導く
 そして代表者たちは、約束の場を目指す


 セルフィに歌って聞かせたという歌だ。内容は当然カインもキスティスから報告を受けている。
「そうだ。まるで意味が分からない」
「まるで……と言っても、ほとんどがそのままの言葉なのですが。それとも、あなたがたがあまり自分の宿星を考えていないということなのでしょうか」
「宿星?」
「そうです。誰しもその身にはいくつもの宿星……言い換えれば、業、を背負っているのです」
「業……」
「例えばカイン、あなたであれば『変革者』であり『裏切者』でもある。また以前は『竜騎士』でもありました。そして今はクリスタルを起動させることができる『天騎士』でもある。天は『空』と読み返ることもできます。さらにもっと広くとれば、あなたは『異世界の人物』でもあります。こうした言葉全てがあなたを意味する、ということなのですよ」
「なるほど。俺はともかく、今のお前の歌、どの言葉が何を意味しているのか、では一つずつ教えてもらいたい」
「それでしたら一向に構いません。ですが、できるならば時と場所と、そして何人か別に同席していただきたい」
「何故?」
「説明を二度繰り返さなくてもすむように、です」
 平然とハオラーンは言ってのける。
「宿星というものを理解していないのはあなただけではないのでしょう。全て説明してさしあげます。あなたがたの旅を見届けるためにも、あなたがたにはしっかりと理解をしていただかなければならない。ですが、今はそれより先にやることがおありでしょう」
 ハオラーンはそう言って視線をベッドに移した。
 カインとレノも続けてそこに眠る女性に目を移した。
「イリーナ」
 レノが声をかけるが、目覚める様子はない。
 カインもまたベッドの傍まで歩みよるが、その目が開きそうな気配は全くない。
「……すまない」
 カインがぽつりともらす。
「どうすれば起きる?」
 レノは無駄な感傷にひたるつもりは毛頭ない。それは仕事の効率を落とすだけのことだからだ。
 イリーナを助ける。それさえ見失わなければ何も問題はないのだ。
「精神世界に行き、彼女の魂を救うことができれば目覚めるでしょう。彼女が眠っているのは精神に負荷がかかりすぎたためです。まさに、壊れる寸前といってもいい。完全に失われるか、それとも回復するか、半々の確率ですが」
「このまま放っておいて起きる可能性は?」
「十年もすれば目覚めるかもしれません」
「それじゃ話にならないぞ、と」
 レノはイリーナの左手を握った。
「いつでもOKだぞ、と」
 そう言ってカインを見る。カインは頷くとイリーナの右手を握った。
「……必ず助ける」

『カインさんって、私のお兄さんに似てるんです』

 自分に妹などいない。
 だが、何の理由もなくそこまで慕ってくれた女性を、それも自分のせいで、見殺しになどできるはずがない。
(それが償いになるのなら)
 そして、ハオラーンの詠唱が始まった。
「χζαεσ……」
 聞きなれない言語で語りかける。そして、
「還魂」
 二人の意識が、闇の中に溶け込んでいった。






 ここは?
 ここは、どこだ?
 白い闇がカインの魂を包んでいる。上下左右、四方八方、どこを見てもただ白。
(白……空白、無……今のイリーナの状態、か)
 カインの精神世界については自分が一番よくわかっている。あの世界には逆に黒しかなかった。どす黒い負の感情、嫉妬、欲望、後悔、憎悪……そうした感情に支配されているのが自分だ。
 だがイリーナの世界にはそうしたものはかけらも見当たらない。いや、あるには違いないのだろうが、現状のイリーナにはそれがない。
 それほどの衝撃を受けてしまったということなのだろうか。
 いや、そうではない。たとえ粉々になった魂であっても、その片鱗は残る。欲望のかけら、後悔のかけら、そうしたものは必ず残る。
 だがここにはそうした感情が初めから何も存在しなかったかのように、ただ白しかない。
(無垢な赤子のように)
 そう思った瞬間、彼の耳に声が聞こえてきた。
 泣き声だ。
「……ひっ、ひっく、う、うう……」
 声を押し殺して泣いている少女の声。
 声の主を探して辺りを見回すが、誰もいない。
 やがて、白い世界に一つの黒い点が生まれた。
 その点が動くとともに、それは線になっていく。
 次第に、その白い世界に黒い線で絵が描かれていく。
 人の絵だ。
 幼子の絵だ。
「イリーナ」
 色の無い世界に、黒い輪郭線だけのイリーナが現れる。しかもそれは、幼子の姿だった。
「ひっく、ひっく」
 イリーナは泣いていた。
 子供の頃の姿で、ただ声を押し殺して泣いていた。
「……俺が泣かせたのか?」
 カインはそっと手を伸ばす。
 その線に触れた瞬間、イリーナの絵は消えてなくなった。
「イリーナ」
「ひく、うう……」
 すぐ背後で泣き声。振り返ると、イリーナの絵はそこに移動していた。
(どういうことだ?)
 とにかく泣いている子供には何を言っても通用するものではない。泣き止ませることが必要だ。
 だが自分にできるだろうか。ともすれば、彼女を泣かせてしまっている原因となっている人間だというのに。
「……イリーナ。目を開けて、俺を見てくれ」
 イリーナの絵は、両手で目を押さえたまま、肩を震わせている。
「俺はお前を助けにきた。お前を傷つけてしまったから、それを謝りに来た。せめて俺に、謝らせてほしい」
『あたしは、カインさんっていう人に傍にいてほしいだけなんですから』
「あの言葉を聞いたとき、俺はその言葉を一番言ってほしい人からのものではないことに苛立ちを覚えた。だが……嬉しかったんだ。たとえ大切な人からの言葉でなかったとしても、俺はお前のその言葉がほしくて仕方なかったんだ。あのときは意固地になってお前を傷つけてしまったが」
 今度は優しく、そっと手を指しのばす。
「だから、もう一度還ってきてくれ。今度こそ俺の傍にいてくれ。お前は俺ともっと話がしたいと言った。俺もだ。俺も、お前と話しているのは楽しい」
 少女が泣き止む素振りはない。
 当然だ。自分だってあのとき、そんな簡単に生き返ることを承諾することはなかったのだ。
 根気が必要だ、とカインは判断する。
「俺のことを兄のようだと言ってくれたな。俺に妹はいないが、お前のような妹がいてくれたら楽しいと思う」
 その言葉は、イリーナの中核にどうやら触れたようであった。
 ゆっくりとイリーナの顔が上がる。
 子供のイリーナ。
 その顔が泣き顔から、笑顔に変わった。
「お兄ちゃん」
 イリーナがとてとてと近づいてくる。
「お兄ちゃん」
 その右手が、カインに触れた。
「──!」
 瞬間、世界が白から黒に変わった。






92.一つ目の赦し

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