「……さて、ようやく出番が来たね」
「そのようですな」
軽い声と重い声が交互に響いた。
海の上。巨大な龍の頭に立つ二人。
「……君はやっぱり、部下たちの復讐をしたいのかい?」
軽い声は、軽い感じで言う。別に自分にとってはどうでもいいと考えているようだ。
「出来の悪い部下でしたが、部下は部下です」
「なるほどねえ。ま、僕の邪魔をしないのなら好きにしていいよ『悪しき者』」
「感謝します」
「ま、今回あいつと戦うかどうかはまだ分からないけどね。まずはあの箱庭を潰すのが先さ」
紅い瞳が、鈍く輝いた。
PLUS.93
嵐の前
calm before the storm
こうして、力ある者はセントラの地に集った。
バラム・ガーデンがセントラ遺跡につき、カインたちと、そしてハオラーンとを乗せる。
そのまま、ガーデンはハオラーンの指示で北へ向かった。
会議はすぐに始める予定だったが、その前に幾ばくかの時間が置かれた。新たにガーデンに乗り込んできた人物の部屋を用意したり、もしくはいまだ目覚めぬ最後の代表者サラを医務室で治療する時間が必要だった。
その間、カインはテラスに出ていた。
(不思議なものだ)
心が少し軽やかになっていた。リディアへの負い目、イリーナへの負い目がそれぞれなくなったせいか、この世界にやってきてようやく一息つけた感じがしていた。
(相変わらず風は感じないが)
どうしても風をつかむことができない。このまま永遠に竜騎士に戻ることはできないのだろうか。それを考えるとまた心が重くなる。
(考えない方がいい)
カインは風の中に身をたゆたえた。
(いつかは、風を思い出す)
カインの髪が風になびく。
せっかくの一人で休める時間なのだ。しばらくの間、こうしているのも悪くないだろう。
カインは目を閉じて、風を感じた。
「カイン」
が、すぐにその休憩は中断される。久しぶりに聞いた女性の声だ。
「ティナか」
振り返って、緑色の髪の少女を見つめる。
「はい。カインさんのおっしゃったとおりです」
カインは顔をしかめた。
「……また、会えました」
ああ、とカインは頷いた。
「会いたかったです」
「そうか」
カインにはなんとも答えることができなかった。
ティナの気持ちは分かっている。その気持ちに応えられないでいる自分。
(俺は、どうすればいいんだろうな)
正直カインにも分からない。
自分にはローザしかいない。そのことが分かっている。
「ティナ。俺は、答えなければいけない」
そして決断した。このまま曖昧にしておくわけにはいかない。
「俺は、」
「ローザさんのことを忘れられない、でしょう?」
答える前に、先に言われてしまった。
「……そういうことだ」
「残念です」
ティナは微笑むとカインの隣に立った。
そして一緒に地平線を見つめる。今まで旅してきた場所が、少しずつ遠ざかる。
「……この戦いが終わったら……」
ティナが静かに話し出す。
「私たちは、元の世界に帰るんですよね」
「そうだろうな」
「……カインさんは、元の世界に帰りたいですか?」
愚問だった。カインはそれを一番望んでいるはずなのだ。
「さあ、どうだろうな」
帰りたいのには違いない。
だが、まだ帰るわけにはいかない。帰ったとしても自分の居場所はあの世界にはない。
胸をはって、自分がセシルに会いに行けるまで。
「私は、カインさんと別れるくらいなら、元の世界には戻れなくてもいいです」
カインは答えられなかった。答える資格をもたないとも思った。
(……ここまで、人は一途になれるのか)
自分とは違う。自分は相手を手に入れたいと思ったら、奪ってでも手に入れたいと思った。
だが彼女は、ただ自分の願いだけを述べている。
「元の世界に戻ったら、もう会えないのでしょうか」
「会えるさ」
カインは何の疑問も抱かず答えた。
「一度目があったんだ。二度目がないという方がおかしい」
「……はい」
「それに……」
「それに?」
カインは、その先を言うのをためらった。
(俺は……何を考えているんだろうな)
苦笑する。どうも、この少女を相手にしているとやりにくい。
(この少女を守ってやりたいと思う。純粋で、無垢な少女……俺はどうもそういうのに弱いらしい)
惹かれているというよりは、保護欲を覚えるというところなのだろうか。
だが少なくとも、この世界で最も興味を惹く存在であることに違いはなかった。
(不思議なものだ)
ローザ以外の人物に興味を持つことなどないと思っていたが。
「私、カインさんには伝えておかなければならないことがあるんです」
いつまでたっても答のないカインに、ティナから話し掛けていく。
「なんだ?」
「私は半獣です」
それは今さら確認するまでもない。カインは、ああ、と答える。
「今は人間として生活するためにこの体を選んでいますが、私にはもう一つ、幻獣としての体も持ち合わせているんです」
「幻獣としての?」
「はい。この間、楽園でアセルスさんが妖魔化したのと同じです。トランス、といって私は幻獣化することができるんです」
嬉しそうに話しているのではないから、それをティナが嫌っていることは容易に推測できる。
「何故、俺に?」
ティナはしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「……嫌われたく、なかったから」
憂いを帯びた目に、近づいてきた海が映った。
「いつか、カインさんの目の前でトランスすることになるかもしれない。その時になって初めて私が『そういうもの』だったと知られるよりは……」
「何か、勘違いをしているな」
カインはゆっくりと答える。
「勘違い?」
「それは俺の言う台詞だ。嫌われたくない……俺は、自分の罪を贖うためにリーダーを『演じている』にすぎない」
「演じて?」
「ああ」
カインの瞳にもまた、海が映った。
「俺は全てを裏切った。国も、友も、愛する人も。俺が誰かを嫌う? そんな資格は俺にはない。君がどんなに呪われた存在だとしても、たとえカオスそのものだとしても、君が俺の仲間である限り、嫌うことなどない」
「でも」
「俺は、いつか……」
潮の香りがした。
「いつか、胸をはって友のもとへ帰りたいと思う……」
「……はい」
「だから、それまで好意的な返事はできない」
「はい?」
ティナは目をぱっちりと開けて、カインを見た。
「ローザのことを完全に吹っ切るまで、俺には何もできない。だから、俺が元の世界に帰って、そして気持ちに区切りがついたら、そのとき初めて俺は自分のことを考えられると思う。今は何も考えられない……そういうことだ」
「……はい、分かりました」
これは、待っていてくれという意思表示なのだろうか?
いや、そんな言葉で相手を縛ろうなどとはカインは考えないだろう。
でもこの言葉は、明らかに自分を嫌っていたり、敬遠したりするというものではない。
嬉しかった。
涙があふれてきた。
テラスにカインがいるだろうとは思っていた。
だから来てみたのだが、先客がいるのを見てため息をついた。
(負けたかな、これは)
エアリスは、うん、と伸びをすると心臓にチクリと刺す痛みを覚えた。
(ま、仕方がないよね。ティナは可愛いし……)
何度か一緒に話す仲になっていたティナだ。相手の純粋さは自分もよく分かっている。
カインの闇を癒すことができるのは自分ではなくてティナの方が適任だということも。
(あのとき)
天竜が去っていったあのとき。
カインは、自分の声にまるで反応しなかった。
それは、カインにとって自分はまるで必要のない人間だからだ。
それを思い知った。思い知らされた。
(やっぱり……)
うっすらとエアリスの目に涙が滲んだ。
(やっぱり、駄目なのかな)
一度死んだ自分には、救いはないのかもしれない。
欲しいと思うものは、決して手に入らないのかもしれない。
ズキン、と胸が痛んだ。
「痛い……」
両手で胸を押さえる。
「痛いよ、カイン……」
いたたまれなくなって、エアリスはテラスからそっと離れた。
あの日。
花畑に落ちてきたカインと出会ったあの日。
自分に、神様がプレゼントしてくれたものだと思った。
今度こそ、自分の愛する人が目の前に現れたのだと思った。
あのソルジャーと同じように、空から花畑に落ちてきた男性。
こんな偶然があるだろうか!
偶然ではない、と信じた。
こんな偶然があるはずがない、と信じた。
だが。
それは全て、幻想だったというのだろうか?
どん、と正面から誰かにぶつかった。
「ご、ごめ……」
「きちんと前を見て歩けよ、と」
癖のある話し方。知っている人物だった。
「レノ……」
「よ。久しぶりだぞ、と」
ガーデンに帰ってきたという話は聞いていた。この後、会議で顔を合わせるだろうことも。
「あ、うん。レノは今まで──」
「無理して喋る必要はないぞ、と」
「あ……」
どうやら、自分が無理をしていることは完全にばれてしまっているようだ。さすがは抜け目のない男だ。
「そんなことより」
レノは鋭い視線で尋ねてきた。
「どうなんだ?」
「どう……って?」
エアリスは首を傾げる。
「隠さなくても分かるぞ、と。タークスを甘く見るなよ、と」
「……」
エアリスは、はーっ、とため息をついた。
「分かっちゃう?」
「商売柄仕方ないぞ、と」
「そうかあ……いつごろから?」
「最初に会ったときには気付いてたぞ、と」
「すごいね、レノは」
レノは肩を竦めた。
「あとね、半年くらい」
「そうか」
「うん。それまでにこの戦い終わらせて、早く元の世界に戻りたいね」
「思ってもないことを言うなよ、と」
「?」
エアリスはまた首を傾げた。
「あの二人の間に割って入るつもりはないんだろ?」
「……」
図星だった。あの二人=クラウドとティファ。あの二人の間に割って入るなど、そんなつもりは毛頭ない。
それどころか自分はもうクラウドのことなど、ほとんど気にとめてもいない。
今気になるのは、たった一人だ。
自分では手が届かない人だけだ。
「気晴らしなら付き合うぞ、と」
レノはワイングラスを持つ素振りを見せた。
「レノ?」
「俺もずっと子守りをしつづけてたから、憂さ晴らしがしたいところだぞ、と」
エルオーネのことを言っているのだとしたら、随分な言い様である。
「うん。それじゃあ、今夜にでも」
「了解したぞ、と」
レノはそう言って去っていった。
(レノ……力づけてくれたのかな)
案外優しいところがある男である。行動に一貫性を欠くところはあるが、基本的に悪い人間ではない。
(そうだね。たまには気晴らしをしようか)
その気晴らしが随分先のことになるとは、このときのエアリスはまだ気付くはずもなかった。
94.歪み
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