ティナはカインと別れて、もう一人会わなければならない人間の元へ来ていた。
新しく部屋をあてがわれた男。
ある意味、カインよりもはるかに緊張する相手だった。
二度、扉を叩く。瞬間、室内から大声で吼える犬の声があった。
「開いている」
中から小さく答える声。ティナはそっと扉を開けて中を見つめた。
カーテンが締め切られていて、薄暗い室内。その中に溶け込むようにして壁際に立っている黒装束の男。その足元には犬が一匹。
シャドウ。
いや……クライド、と呼んだ方がいいのだろうか?
PLUS.94
歪み
fatalistic collaboration
「久しぶり……シャドウ」
黒装束の中から、漆黒の光が漏れた。
「何の用だ」
「話したかったから……じゃ、駄目?」
「好きにしろ」
「うん、好きにする」
ティナは室内に入るとベッドに腰かけた。
微動だにしない男の目を見上げる格好となったが、彼の方は自分を見ているようではなかった。じっとただ黙っている。
「生きてたんだね」
「ああ」
「どうして、あの時」
「さてな」
答えてくれるとは思っていなかった。ティナは小さく息をつく。
シャドウは、あのケフカとの最終決戦のとき、脱出しなかった。自らあの場に残ったのだ。
ときどき、シャドウが夜にうなされていたのをティナは知っている。もしかしたら仲間たちも知っていたかもしれない。
だが、彼はその悩みを打ち明けることなく、自分たちの前から姿を消した。
シャドウを助けることができなかったというのは、自分の心の中に負い目として残っている。
「どうしてこっちの世界に?」
「気がついたらここにいた。それ以上は分からん」
「そう」
「だが、やるべきことは分かっている」
ティナはじっと相手を見つめた。
「それは?」
「悪霊を倒すこと」
言っている意味が分からない。だが、それは彼にとって非常に重要なことなのだということは理解した。
「俺が生き長らえたのは、その悪霊を倒すためだ。そう思っている」
「……よく分からないけど、分かった」
ティナは答えて立ち上がった。
今のシャドウには生きる目的がある。
それなら今度こそ自分たちの前からいなくなったりはしないだろう。
「一つだけ」
「ああ」
「私たちは今でも、仲間だよね?」
自分はシャドウを信じていた。
仲間だからといって、全てのことを話し合う相手になろうとは思っていない。それは相手に対して失礼だ。自分だって隠しておきたいこと、話したくないことの一つや二つはある。
シャドウが話したくないというのならそれで構わない。
だが自分がシャドウを信じるためには、相手からも信じてもらわなければ無理なのだ。
「ああ」
シャドウはそっけなく答えた。
「目的を達成するまでは、お前たちの仲間だ。それまでは死ぬつもりもないし、裏切るつもりもない」
「うん。ありがとう」
ティナはにっこりと答えた。
あの当時、シャドウと親睦があった仲間は少ない。ロック、エドガー、マッシュ、全員がシャドウを毛嫌いしていた。
彼のことを心から仲間だと思っていたのは、自分とリルムくらいではなかろうか。
「私、信じてるから」
「ああ」
「それじゃ」
「待て」
だが、立ち去ろうとするティナを呼び止める。
「なに?」
「ここはもうすぐ、戦いになる」
ティナは目を見張った。
「どういうこと?」
「分からん。だが、戦いの匂いがする」
「いつ?」
「それも分からん」
「近い?」
「おそらくは」
知らせなくては。
だが、それをカインやブルーに言ってどうなる?
「今は、このままにしておいた方がいい」
シャドウはそう言った。
「どうして?」
「あの吟遊詩人が北に行けというのなら、それにはおそらく意味がある。今はその指示通りに動いていた方がいい」
「随分、信用してるのね」
ティナが驚いたように答えた。だがシャドウは首を振った。
「あいつは信用できない」
「え?」
「ああいうタイプは自分の目的のために他人を利用する。だが、目的が違っても方向性が同じなら我々の不利になるようなことはしない。そういうことだ」
「北に向かうのは、私たちにとって有利?」
「だろうな。奴の考えは読めないが」
ティナは頷いた。
「分かった。一応、カインの耳にだけは入れておく」
「ああ」
ティナがそう言って部屋を出ていった。
あとに残されたシャドウの足元で、インターセプターがクゥンと鳴いた。
一方、ティナが去った後のテラスにはイリーナがやってきていた。
隣でひたすら話をしつづけるイリーナの話を半分聞きながしながら、カインは物思いにふけっていた。
(……これからのことを考えなければならない)
放棄したい任務だったが、思考を止めることはできなかった。思考をやめてしまえば、それは今までの自分と同じだ。
(ハオラーンに話を聞いて……その後はどうする?)
自分は天騎士だ。
当然ながら、空のクリスタルを起動させなければならない。
そして、天竜と再び会わなければならない。だが、
(会ってどうする?)
リーダーとなって、自分がこの世界、ひいては八つの世界を救う。
聞こえはいい。だが、そんな役割を望んでいたわけではない。
わだかまりがある。
何故、自分なのだ?
自分の罪は、世界を救うことでしか贖うことはできないというのか?
「か〜い〜んっ!」
イリーナが膨れて自分を見ていた。
「もう、カインはあたしの話なんて聞いてくれないんですから。ずっと前に船で一緒だったときも、ほっとんど聞き流してましたよね!」
いつの間にか『さん』づけがなくなっている。別に悪い気はしないが、まだ彼女から『カイン』と呼ばれるのには慣れない。
「カインはエアリスのことが好きなんだと思ってました」
「……?」
突然話が変わって、カインも面食らう。
「どうしてそういう話になるんだ?」
「だって、船でエアリスと仲良さそうだったし」
「決して悪くはないと思うが」
「そうじゃなくて、恋人同士みたいってことです」
これにはさすがに苦笑せざるをえない。
「それは冗談にしては気がきいていないな」
「悪いけど本気。正直、エアリスにカインを渡すのは癪だったんですけど、あたしあの子のこと知ってるから、それでもいいかなって思ってたんです」
「おいおい」
女に興味を示さない兄を心配する妹。どうやらイリーナは本気で自分のことを心配してくれているらしい。言葉をかえればそれは、おせっかい、というものだが。
「俺が……人を愛する資格をもたないことを、お前は知っているはずだ」
イリーナは自分の精神に触れた。自分が過去にどんなことをしたのかも、既に知っている。
「なんのことですか?」
「俺は友人を裏切った。俺のせいで何人もの罪のない人間が殺された。許されることではない」
「そんなの、別にカインだけじゃないです」
ごく平然と彼女は答えた。
「この世界に人を騙し、仲間を裏切り、平気で生きている人がどれくらいいます? 大事なのは繰り返さないことで、そうしたくないと思っているカインは立派だと思います」
「おだてるな。俺は褒めてもらいたいわけでも許されたいわけでもない」
「はっきり言いますけど、カインの考え方はみんなに失礼です」
ぷん、と怒りながら『妹』は言う。
「みんなカインのことが好きなのに、カインがそれを拒絶したらあたしたちの気持ちはどうすればいいんですか?」
「おいおい」
勝手にそんな気持ちを抱かれるのも困るし、そんな気持ちを抱かれるような人間じゃないことに早く気付いてほしいと本気で思うカインである。
「あたしは! カインのことが好きです! これだけは譲りませんからね!」
指さして宣言される。そうしてから赤くなって、う〜、と唸る。
「本当に、見ていてもどかしいんです。カインが少しだけ心を開いてくれればすむ話なのに、カインにはそんな気持ちが少しもないから」
「そうかな。お前に対しては、少しは心を開いたと思っている」
カインは正直に答えた。
「お前は大切な妹だからな」
「だったら少しくらい我儘を聞いてほしいんですけど」
「いくら兄妹だからって、できることとできないことがあるぞ、イリーナ」
カインの目も、イリーナを見るときは他の人物を相手にしているときより幾分優しいものであった。
「とにかく俺の中で、過去の事象にケリがつくまでは無理だ。そしてそれは他人に言われて決着がつくものではない。俺自身が決着をつけないことにはな」
はあああ、とイリーナは大きくため息をついた。
「これだもの、エアリスもティナも苦労するなあ……」
カインのことを想う二人の女性に、イリーナは心から合掌した。
「やっぱり、こちらでしたか」
リディアがやってきたのは訓練施設の最奥、秘密の場所。前にスコールが教えてくれた場所だった。
「部屋に行ってもいらっしゃらなかったので、ここかなと思ったのですが」
「ああ」
スコールは不機嫌そうに答えた。
「ここなら誰も邪魔しに来ない」
「もうすぐ、会議が始まりますよ?」
「俺には関係ない。俺はもうリーダーじゃない」
「弱虫」
ぴくり、とスコールが反応した。
「なんだと」
「弱虫、と言いました。確かにスコールさんはもうリーダーじゃありません。ですが現状を確認しようとせず、リノアさんの死を思いつづけて何も行動しないというのであれば、それは現実に妥協しているにすぎません。あなたは戦うことを選んだのです。他人に言われたのではなく、自分で選んだのです。それを放棄するのですか? だとしたら私はあなたを軽蔑します」
強い口調だった。正直、リディアは半分怒っていた。
自分がこの世界に戻ってきたのは、スコールという存在を守りたかったからだ。
ルナに精神攻撃をしかけられたとき。
心の中に浮かんだ顔はスコールだったのだ。
「戦わないのなら、最初から戦わずに逃げていればよかったのです。そうすればリノアさんも死ぬことはなかったでしょうに」
これはスコールの禁忌に触れた。
たとえそれがリディアであっても、許されない禁忌だ。
「許さない」
「臆病者に殺されるほど、私は弱くありません」
「許さない!」
激昂して、スコールは思わず剣を抜きかかった。だが相手が丸腰で、しかも女であることを思い出すと動作が止まる。
「躊躇っているようでは私を倒すことなどできません!」
リディアのブリザガが、スコールを弾き飛ばした。
強烈無比、まるで手加減なしの一撃だった。
普通の人間なら間違いなく即死だろう。だがジャンクションをしているスコールならば軽傷ですむ。
そこまで見越してのリディアの攻撃だった。
「く……」
「スコールさん」
倒れたスコールの傍に、リディアは片膝をついた。
「悲しいのも、悔しいのも、みんな同じなんです。私もリノアさんを助けられなかった。短い間だったけど、交わした言葉も少ないけど、私はリノアさんが好きでした。スコールさんとお似合いの二人だとずっと思っていました」
リディアは泣いていた。
そう、自分も好きだったのだ。リノアという存在、呪われた魔女、それでいて純粋一途な女性。
彼女がいるからこそ、スコールに対してこんな気持ちは抱かずにすんだ。
だが、彼女がいなくなったいま。
自分の中に、どす黒い欲望が生まれたのを、リディアは感じている。
リノアがいない今。
『スコールを自分のものにできる』
そういう気持ちが芽生えていることを、決して否定できない。
もちろん、そんなことを言葉にするつもりは毛頭ない。自分はあくまで、この人を自分の一番信頼できる仲間だと思いたいのだ。
安心して背中を預けられる存在になりたいのだ。
「仇を討ちたいのは、私も同じです」
「リディア……」
「だから、スコールさん。あの遺跡で言えなかったことを、今、言います」
リディアは大きく息を吸い込んだ。
「私が欲しかったのは、安心して背中を預けられるパートナーなんです」
「パートナー?」
「はい。私が魔法を唱えているときは私の命を守り、相手が危機のときには私が命がけで守る。お互いにお互いを思いやり、お互いの目的のために全てを与えあう、そういう存在です。秘密も隠し事も二人の間にはない、そんな、自分の全てを相手に任せることができて、それでいて自立しあっている存在。私はそうなりたかった。誰かに私の全てを知ってもらいたかった。誰かの全てを私が知りたかった」
リディアは熱を帯びた口調で言う。
「スコールさんが、その相手になってほしかったんです」
「俺が」
「はい。命をかけられるパートナーに。スコールさんの傍だと、安心できるんです。スコールさんが私を守ってくれる。だから私は何も心配することなく、呪文を詠唱することができる」
「俺は君を守る騎士になればいいのか?」
「はい」
「……騎士、か」
そうだ。
自分は、魔女の騎士。
自分は、リノアの騎士だったのだ。
それなのに、自分は守りきれなかった。
「今度は、私がリノアさんのかわりになります」
それを見透かすかのように、リディアが言う。
「今度こそ、守ってください」
スコールは決心した。
守ることで贖罪となるのなら、自分はそれに従おう。
「いいだろう」
「ありがとうございます」
リディアは微笑むと、下唇を噛んだ。そのまま、噛み切る。
「リディア?」
「契約を、結ばせてください」
唇から血がにじんでいる。
(ああ……なるほど)
彼女が何をしたいのか、スコールは理解した。そして立ち上がると同じように下唇を噛み切る。
「スコールさん。私はどんなことがあってもあなたを信頼します。そしてあなたを失わないために、私の命を投げ出すことを誓います」
スコールは頷いた。
「俺は……必ず、君を守る。命に代えても、俺の命以上にお前の命を守る」
二人の距離が近づき、唇が重なる。
互いの血が絡み合い、口の中に鉄の味が広がった。
(私は……スコールさんを騙している)
この状況を、自分は喜んでいる。
(パートナーになる以上のことを自分は望んでいる)
でも、それは決して口に出してはならない願いだ。
契約を結んだ以上、契約外のことを望むことは禁じられるのだ。
(でも……)
リディアは、自分の腕をスコールの背に回した。
(今は、もう少し……)
目を閉じたリディアの目尻から、涙が滲んでいた。
95.ファイナルファンタジー
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