守りたいという気持ちがある。
 苦しみ、誰にも頼らずに一人で生きていこうとする人。
 私では、彼の力にはなれないのかもしれない。
 でも。
 守りたい。
 その気持ちだけで、私は、強くなれる。












PLUS.102

惨劇の続き







broken lance






 背中から突き出た黒と赤の刃。
 床からかすかに浮き上がった足。
 痙攣する両腕。
「あがっ……」
 苦痛とともに吐き出される血。
 もう一度、その右腕の剣が振り上げられて、振り下ろす。その動きに従って、ゼルの体も上に持ち上げられ、そして大地に投げ捨てられた。
「ゼルーッ!」
 カインは叫んだ。だが、仰向けになったゼルの口からは、ただ血だけが吐き出された。
 致命傷だ。
 誰が見ても、疑いの余地はない。
「意外ですね」
 マラコーダは薄ら笑いを浮かべた。
「これほど手こずった相手が、倒してみれば一瞬の出来事ですか……まあ、やわな体をしている人間たちのことですから、当然といえば当然なのでしょうが」
「貴様……」
 カインが再び槍を構えた。
 もはや、戦える人間は限られた。自分とイリーナ。二人だけだ。シュウとニーダはガーデンを浮上・移動させるのに全力を尽くしているし、エアリスに戦闘能力はない。
 ゼルよりもはるかに力の劣る自分とイリーナとでこの局面を打開しなければならない。
(ゼル……)
 決して、ゼルは弱くなどない。その力がどれくらいのものかは見ただけで分かる。全盛期の自分と五分、とまではいかなくてもいい勝負にはなるだろう。
 そのゼルをたやすく倒したマラコーダという男、勝ち目のあるはずもない。
「さて、これで勝敗は決しましたね、カイン。あなたの頼みの綱は失われた。そしてもはや、あなたを守る盾はありません。さあ、あと三人です」
 マラコーダが狙っているのは代表者でも変革者でもない、イリーナ、シュウ、ニーダの三人。
 自分が戦いに出たからといって、逃げ切れるような相手ではないことは分かりきっている。
 ならば、奇襲で一撃でたたきのめすしかない。
(イリーナ)
(はい)
(俺の動きにあわせられるか)
(な、なんとか。今カイン、不調だし)
 余計なことは言わなくていい、とカインは思う。
(あとは……)
 視線を送り、合図をする。
(うまく、決まってくれることを願うだけだ)
 たとえ力はなくとも、いや力がないからこそ、全力を尽くさなければならない。
「作戦は決まりましたか?」
 かたや、余裕の表情のマラコーダ。
 相手には余裕はあるが、慢心はない。徹底的にこちらを叩きのめすという意識しかないのだ。
「お前を倒すくらいのことはできるだろう」
 カインは自信を持って答える。その自信に、マラコーダは驚愕の表情を隠さない。
 驚愕を隠すことがないというのは追い詰められた者のすることではない。意外性を楽しむ強者のやることだ。
「行くぞ」
 カインは槍を構えて突進する。
 イリーナは円を描いて回り込むように動く。
 マラコーダの意図はわかっている。カインなどどうでもいいのだ。奴はイリーナを殺し、カインをいたぶることができればいい。
 だとすれば、相手がどう動いてくるかは分かる。
「かあっ!」
 マラコーダは、イリーナに向かって突進してきた。
 瞬時に詰まる距離。そして振り上げられる右腕の剣。
 だが『悪しき者』の動きは途中で止まった。
 その二人の間に、エアリスが飛び込んでいたのだ。
「しまっ……」
 エアリスを殺すわけにはいかない。それは先ほどからマラコーダ本人が言っていた通り。
 だからこそ、カインはエアリスを囮とする作戦を考えたのだ。
 完全に動きが止まるその隙をついて、イリーナがエアリスの後ろから魔法を放った。
「サンダガ!」
 稲妻がマラコーダを焼く。そして、マラコーダの背後からカインがとどめの一撃を放った。
 だが。
「甘い」
 マラコーダは背中に目でもついているのか、半歩横にずれて回避し、脇で完全に槍を押さえ込んだ。
「それがあなたの限界です、カイン」
 槍がきしむ。
「……私は、幻獣の力を超える『悪しき者』」
 亀裂が走る。
「このような武器で私を倒すことはできません」
 そして、折れた。
 今まで、この世界に来る前からずっと苦楽をともにしてきた自分の唯一の得物が、真っ二つに折れた。
「ばかな……」
「ここまでですね」
 マラコーダは裏拳でカインを壁際まで弾き飛ばす。口の中が切れて、血の味が広がる。
「さて」
 そしてマラコーダは目の前の女性二人に目を向けた。
「なかなか度胸がありますね。まさか振り下ろしてくる剣の軌跡に飛び込んでくるとは思いもしませんでした。ですが、そこまでです」
 左手でエアリスの右手をつかむと、マラコーダは力任せに放り投げた。
「キャアアアアアッ!」
「エアリス!」
 だが、彼女の心配をしている暇などない。
 マラコーダの標的は、あくまでイリーナなのだ。
「さあ、これでおしまいです」
「やめろ、マラコーダ!」
 カインは立ち上がって拳を握り、突進する。
「哀れですね。もはや戦う方法もないというのに」
 ゼルですら、格闘ではかなわなかったのだ。ましてやカインが立ち向かったところで傷一つ負わせられるはずもない。
 だが、カインはそんなことをつゆほども考えなかった。
 イリーナを助ける。
 自分のことを兄と呼んで慕ってくれたかわいい妹。
 今、カインが自分以外で唯一心を許せる相手。
 失うわけにはいかない。
 殺させるわけにはいかない。
「マラコーダ!」
「無駄、です」
 カインの渾身の右ストレートを軽々と受け止め、マラコーダは手をひねった。
「ぐあっ!」
「カイン!」
 そのまま力任せにねじられ、カインは力なく床に崩れ落ちる。
「力のないものというのは惨めですね。これで私の仲間たちが敗れたというのが信じられません」
「ぐっ……」
 せめて、この体さえ自由に動かすことができたなら。
 この男を倒すことはできなくとも、仲間を守るくらいのことはできたはずだ。
 無力だ。
 こんなにも、俺は無力だ。
「さて、茶番はここまでです」
 カインをひれ伏させたまま、マラコーダはイリーナを見る。
「私は復讐者……恨むなら、そこの男をお恨みなさい」
 マラコーダはカインを放り投げると、イリーナまでの距離を一瞬で詰めた。
 イリーナは、死んだ、と思った。
 自分を助けてくれる人はどこにもいない、と思った。
 だが、諦めたりはしない、とマラコーダを睨みつけた。
 魂で屈するようなことは絶対にしない、と最後まで気迫をこめた。
「ああああああああっ!」
 甲高い声。
 それが発せられたのは、イリーナでもエアリスでもシュウでもなかった。
 緑色の髪の乙女。
「なっ」
 突如、横から飛び掛ってきたのはティナだった。
 ティナは長さを最大にしたアルテマウェポンで斬りかかった。
 マラコーダは自分の身を守るために右腕の剣を合わせる。
 が、ティナのアルテマウェポンはその右腕を斬り落とした。
 切断面から、紫色の血が噴き出した。
「ファイガ!」
 そして、至近距離でマラコーダに魔法を浴びせる。衝撃でティナ自身、後方へ弾き飛ばされてしまう。
 だが、マラコーダにもしっかりとダメージを与えている。
「ティナ」
 起き上がったカインが彼女の傍に駆け寄った。
「何故戻ってきた」
 彼女もすぐに起き上がり、敵の様子を見ながら答える。
「……カインが、心配だったから」
「ティナ」
 ティナの視線が倒れているゼルに向けられる。
「よくも……」
 守りきれなかった。
 大切な仲間たちを。
 だが、もうこれ以上仲間をなくすつもりはない。
 自分がこの男を止める。
「許さない」
「それはこちらの台詞ですよ。代表者のお嬢さん」
 マラコーダの漆黒の顔に怒りがこもっている。切断された右腕は一向に復元していない。
 幾ばくかのダメージがあったと考えるべきか。
「私は代表者を殺すつもりはありません。ですが、代表者は『生きて』さえいればかまわないんですよ」
 ぞくり、とカインの背筋に悪寒が走る。
「別に、片腕や片足がなくても、生きてはいけるでしょう」
 その宣告に、ティナの額にも汗がにじむ。
 この悪鬼は本気でそれを言っている。それを変えようとしたりはしない。
 カインはそれを判断すると、標的がこちらになっている間にイリーナに視線を送った。
(逃げろ)
 イリーナの存在は足かせになる。シュウやニーダもそれを言うのなら同じことだが、彼らにはガーデンを最後まで運航させる任務がある。
 だが、イリーナはがんとして動かない。ならば、とエアリスを見た。エアリスにイリーナを連れ出してもらおうと。
 エアリスは頷いて動く。マラコーダの背後を通り抜け、抵抗するイリーナの手を引いて強引にここから脱出する。
 それを知っているはずなのに、全く止めようとしなかったマラコーダがなおのこと不気味だった。
「あの二人を見逃したことがそんなに不思議ですか、カイン」
 マラコーダは酷薄な笑みを浮かべる。
「私の復讐はもう、今日のところはほとんど果たされているのですよ。ガーデンが落ち、仲間の一人は死んだ。あなたに与える衝撃は大きかった。ならば、あとはこれを繰り返せばいい。一度に何人も死ぬより、時間をおいて次々に命を奪っていく方が、あなたに対しては効果的なんです」
 計算の上、ということか。
「殺させはしないわ」
 ティナはアルテマウェポンを握る手に力をこめた。
「あなたには私を倒すことはできません」
「やってみなければ!」
 ティナは突進した。待て、とカインが声をかける間すらなかった。
 あの右腕剣は、先ほど『伸びた』のだ。
 ティナの目の前で、右腕剣が瞬時に復元する。
 罠にはめられた、とティナが思ったときにはもう遅かった。
 アルテマウェポンは弾きとばされ、マラコーダの左手が彼女の右腕を捕らえ、捻り上げられたのだ。
「きゃあああああああっ!」
「ティナッ!」
 先ほどのカイン同様、ティナの膝が床につく。
 迂闊だった。
 ティナがこれほど激情するなど、考えてもいなかった。
 普段はあれほどおとなしいのに、こと仲間の命となると突然無鉄砲になる。
 そこまで、カインはティナのことを見極められていなかった。
「さて……それでは、有言実行といきましょうか」
「させるか!」
「おっと、動かないでいただきたい。右腕だけではなく、両腕、両足、全てをなくしたくないのでしたらね」
「そんなおどしに……」
「試してみますか?」
 右腕剣が、ティナの右肩に置かれる。
「やめろ!」
 カインは動くこともできずに事態を見守ることしかできない。
 だが、音もなく行動していたのは──
「!」
 マラコーダが首だけ振り返る。
 そこには、シュウがいた。
 ガーデンを浮上させつづけるという業務を放棄して、マラコーダに襲い掛かっていた。
 彼女にしてみれば、目の前で仲間を殺され、さらにはこの旅が始まったときから一緒にいたティナまでもが傷つけられようとしているのだ。
 許せるはずがなかった。
 だが。
「あなたは後です」
 マラコーダの目が光ると、シュウの体が衝撃波で弾き飛ばされる。
「シュウ!」
 完全に吹き飛ばされ、起き上がることすらままならずにいる。
「ガーデン、着水します!」
 シュウが業務から離れたために、浮上能力が一気にダウンし、ぎりぎり海面上で保っていた浮力が完全に失われる。
 そして、ガーデンが大きく揺らいだ。
 マラコーダは楽しそうに喉の奥で笑う。
「さて……と」
 右腕剣が、少しずつティナの肩を裂いていく。
「ああああああっ!」
「やめろ!」
 カインが思わず駆け出そうとする。だが、それは衝撃波によって弾かれてしまった。
「カインさん!」
「人の心配をしている場合ですか?」
 さらに深く、剣が入る。
 少しずつ切断面が深くなり、鎧の切れ目から血の雫が落ちる。
「これで……第一の儀式の完成です」
 鮮血が落ちた。






103.庭

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