僕にもできることはある。
 今回の戦いが始まった、そのときからずっと考えていた。
 そして、それが現実になるときがきた。
 後悔はない。
 僕には、これくらいしかできないのだから。













PLUS.103









garden






 根元から別れた腕と体。
 痙攣して、びくんと一度はねた後。
 主を失った右腕は、完全に動きを止めた。
「ああああああああああああああああああああああっ!」
 ティナの絶叫が部屋を支配する。
 カインはそれを見ていることしかできなかった。
 無力だ。
 あまりにも自分は無力だ。
(……セシル)
 彼なら、きっとこんなふうにはならないだろう。
 暗黒騎士であることを捨て、新しい力を手に入れようとした友人。
 だが、自分は。
 竜騎士であることを捨てるなど、考えることもできない。
 風を失った、今でさえも。
「さあ、次は……左腕もいただきましょうか」
「なんだと」
「言ったはずですよ。動けば、両腕、両足を失うと。あなたはそれを破りました」
「……」
 カインの中に芽生えたもの。
 怒りは当然のこと。
 だが、その対象はマラコーダではない。
 自分の大切なものを守ることすらできない、無力な自分。
「ティナだけは……」
 カインは立ち上がった。
 何かが吹っ切れたかのように、静かに瞳の奥に闘志を燃やしている。
「ティナだけは、守る」
「できるのですか、あなたに」
「やってみせる!」
 カインは突進した。
 その途中に、何があるのかを確認した上で。
「だ、だめ……」
 弱々しい声でティナが呟く。
(その剣を拾っては、駄目)
 アルテマウェポン。
 半獣であるティナだからこそ使える霊剣。
 それを普通の人間が持ったら、どういうことになるか。
 それはジェラールの時に既に判明している。
「駄目!」
 かすれた声でティナが制止するが、かまわずにカインは剣を握った。
 そして手に、闇色の剣が生まれる。
(な、なに……)
 ティナは自分に襲う激痛すら一瞬忘れ、その禍禍しい輝きを帯びた自分の愛剣を見つめた。
(あんな色の剣……)
 アルテマウェポンは、その装備者の状態に応じて形を変える。
 万全の体制ならば長剣に、怪我をしているのなら短剣に。
 だが、装備者が違えばどうなるのか。
 カインの持つアルテマウェポン。それは彼の『負の感情』を目一杯吸い込んだ、まさに究極の『魔剣』として成長した。
 カインの『負の感情』には限界がない。
 だから──カインは、ジェラールのように意識を失うことはなかった。
 彼にとってみれば、この『負の感情』は自分の拠って立つところ。
 全ての光を吸い込み、闇として顕現する。
 だが。
「竜騎士のあなたが、剣を使うのですか?」
 鼻でマラコーダは笑った。
「返り討ちですよ。勝負にもなりません」
 楽しそうに、マラコーダはティナを突き飛ばすと、カインを迎撃しようと構える。
 だが、カインのスピードとパワーは、マラコーダの推測を桁違いに上回った。
 構えた瞬間、既にカインは目の前に迫っていた。そしてアルテマウェポンを鋭く振り下ろしてくる。さきほど槍を繰り出した人物とはとうてい同一に思えないほどのスピード。
 そして、右腕剣ごとマラコーダの鎧を完全に切り裂く。恐るべきパワー。
「……な?」
 自分が斬られた、ということをマラコーダは瞬時に判断できなかった。
 重傷を負ったということが分かった。
「何故、これほどの力を……?」
 力をなくした竜騎士に、どうしてこのような力があるというのか?
「とどめだ!」
 第二撃をカインは繰り出す。
 だが、マラコーダはその場から飛び上がると、左手で天井の柱をつかんでぶら下がった。
「驚きましたよ、カイン。それほどの力を持っているとは。今日のところはここまでです。私も自分の命をかけてまであなたと戦うつもりはありませんので。それでは」
「待て!」
「最終的には、あなたの仲間は残らず私が屠ってさしあげますので。覚悟をしておいてください」
 来たときと同じように、マラコーダは風となって消えた。
 逃がした。
 だが、これでよかったのかもしれない。全力でぶつかれば、自分の方が倒されていたかもしれない相手だ。
 とにかくこれで、ティナだけでも治療をすることができる。
「ニーダ! ガーデンの状況は!」
 倒れたティナに駆け寄り、止血用の布をあてる。一瞬で真っ赤に染まった布はあっさりと使い物にならなくなった。
(殺すつもりがないだと……こんな状態で助けられるものか!)
 毒づきたくなるのも仕方がない。このまま放置すれば出血多量で死ぬのは目に見えている。
「げ、現在最下層が浸水中。避難状況は99%」
「民間人は全部逃げ出したのだな?」
「はい」
「なら、放送だ。全員退去。全力で岸に引き返せ、と」
「は、はい──」
 が、その瞬間だった。
『そいつは、ちょぉっと待ってくれねえかな』
 通信スピーカーから、どこかで聞いたことのある声が流れる。
「ニーダ」
「は、はい。お待ちください!」
 その通信の発信先を確認する。
『随分ひどいことになってるじゃねえか。駆けつけて正解だったな』
「こ、この発信源は……」

 TRABIA GARDEN

「トラビアです! トラビアガーデンが浮上航行中! 真っ直ぐこちらに向かってきています!」
「トラビアが……?」
 いったい何故、ここに。
 理由は分からない。だが、これは沈もうとしているバラムガーデンにとっては天の助けだ。
『随分と厳しい状態みたいだな。こっちはトラビアのラグナだ』
「何故、ここに」
『説明はあとだろ? まずは救助活動に入るから、全部終わってからにしようぜ』
「感謝する」
『なあに、お互い様だ』
 続いて別の通信がガーデンに入る。
『もしも〜し! こちら、ラグナロクのセルフィ!』
「セルフィ。無事か」
『うん、たった今トラビアガーデンについたところ』
「あとどれくらいでここに着く?」
『うん、もうすぐ。こっちからはバラムガーデンが見えてるよ。あと数分ってとこかな〜』
「助かる。すぐに救助を頼む」
『りょーかいですっ!』
「ニーダ、船内、船外に緊急連絡。北からトラビアガーデン迫る。全員、北を目指せと」
「了解しました!」
 血があふれてくるティナを抱えて、カインは立ち上がった。
「もう少しの辛抱だ、ティナ。すぐに手当てをしてやる」
「か、かいん……」
 既に意識が朦朧としている。危険な状態だ。
「トラビアガーデンに連絡。重傷者有り、輸血準備を整えておいてほしい、と」
「了解しました」
「シュウ、立てるか」
「あ、ああ」
「よし、脱出だ。全員ブリッジ脇の脱出ポッドから出るぞ。シュウ、ニーダ。行くぞ」
「ま、待って」
 シュウは倒れているゼルを見た。
「もう息をしていない」
「だが!」
「あいつが命をかけてくれたおかげで俺たちは生きのびている。あいつの死を無駄にするつもりか?」
 シュウは唇を噛みしめた。正論だ。
「SeeDなら命令に従え。脱出だ」
「りょう……かい」
 シュウは苦しげに声をかけた。
(この方がいい)
 ゼルを見捨てたということで己自身を責めるより、自分が命令したことでカインを恨むようになってくれた方が、苦しみは紛れる。
「僕は少し後から脱出します」
 ニーダが声をかけた。
「何故だ」
「まだスコールたちが戦っています。全員の脱出を見届けるまでは、ガーデンを制御します。大丈夫です、脱出可能なぎりぎりの時間まで、みんなの役に立ってみせますよ」
「バカな、お前一人で制御ができるものか」
 ニーダとシュウの二人がかりでどうにか制御ができていたのだ。舵を取るニーダと、コンピュータで修正を行うシュウ。二人がいなければガーデンの通常航行は不可能なのだ。
「ならば、私も残る」
「シュウ」
「大丈夫……ゼルのことはともかく、冷静さを失ったりはしない。それよりもカインは早く。彼女の意識があるうちに」
 既にSeeDとしての自分を取り戻していたシュウの目を見て、カインは頷く。
「死ぬなよ」
「もちろんだ。すぐに後を追う」
「よし」
 そうしてカインは脱出を計った。
 シュウはそれを見送ると、端末の前に移動する。
「私はどうすればいい、ニーダ」
「……どうもこうも」
 やれやれ、とニーダはため息をついた。
「あと数分でトラビアが来ますから、それまで浸水をせき止めます。最下層ブロックを封鎖してください。それで充分です」
「分かった。みんなは?」
「ええと、エアリスさんとイリーナさんは脱出完了。スコールたちは現在サイファーのところに合流して、そのまま避難に移ったみたいです。、キスティス教官のグループも避難に入っています。あとはカインたちが脱出してくれれば、このガーデンに残っているのは僕とシュウ先輩の二人だけです」
「よし。そうと分かれば脱出だ」
「はい。先に行っててください。僕は後から行きますから」
 シュウは顔をしかめた。
「どういうことだ?」
「全員が脱出するのを見届ける、と僕は言いました。それはシュウ先輩も同じです」
「時間の無駄だ。ガーデンと心中するつもりか?」
「そのガーデンを有効利用しようとしているんです、僕は」
 ニーダは舵の傍にある端末にカタカタと打ち込む。
「それは?」
「自爆装置です。お約束でしょう?」
 シュウの目が険しくなる。
「本気で、ガーデンと……」
 心中するつもりなのか、と言いかけたがニーダは慌てて手を振った。
「だから、心中するつもりなんてないですって。この自爆装置は作動させたら一分でガーデンが爆発する仕組みなんです」
「一分だったらここから逃げることは不可能だろう!」
「できるんですよ、一人だけなら。緊急の脱出装置がこの操縦室にはあるんです。もちろん、自爆装置を起動させたときだけ使える、本当に緊急の脱出装置です。安全性はこの際、置いておきましょう。でも、これを使えば、今ガーデンの中にいる二体の魔獣、キングベヒモスとシーサーペントを倒すことはできる。今後、僕たちの障害になるかもしれないのなら、この二体の魔獣はここで倒しておくべきです。どうせ沈むガーデンなら、有効に利用しましょう」
「ニーダ、お前……」
「だから、シュウ先輩がいると脱出できないんです。なにしろ一人用ですから。だから、先に逃げてください」
「……必ず、脱出するんだな?」
「僕は自分の命が大切ですから」
 その言葉に嘘はないと、シュウは判断した。
「分かった。すぐに来い」
「了解です。それから、シュウ先輩」
「どうした?」
「無事に生きのびたら、あとで乾杯しましょう」
 ふっ、とシュウは笑った。
「死ぬなよ」
「先輩も」
 シュウは急いで脱出を計った。
 ふうー、とようやくニーダは大きく息を吐いた。
 ディスプレイの表示を見る。仲間たちのほとんどが既に脱出済みであることを確認する。今このガーデン内に活動している生命体は六つ。カインとティナ、自分、シュウ、そしてシーサーペントとキングベヒモス──今、カインとティナが脱出した。
 代表者たちですら倒せなかった魔獣を、ただの一SeeDにすぎない自分が倒す。
 それ自体は、非常に名誉なことだ。
 だがそれには少々、自分にはなくすものが大きかった、と言わざるをえまい。
「脱出装置なんてないんですよ、シュウ先輩」
 諦めたように、ニーダは笑った。
 このガーデンが航行不能になったときから、半ば覚悟はしていた。そして代表者たちが魔獣を倒せないと分かったとき、倒すことができるのはこのガーデンと一緒に心中することだけだろう、とうすうす考えていた。
 例えゼルが倒れ、ティナの腕が切り落とされても自分が動くわけにはいかなかった。
 このガーデンを爆破し、敵の数を少なくするという使命があればこそ、だ。
 自分の命が大切だということは嘘ではない。
 だがそれ以上に、自分には大切なものがあった。
「……シュウ先輩」
 端末に何か、打ち込む。
「死んだあとまで覚えていてほしいなんて、あなたに対して呪いをかけているみたいで申し訳ないですけど、せめてあなたには僕のことを覚えておいてもらいたいんです。自分がいたという証に」
 それは通信装置だった。音声だけが先方とつながる。
『こちらトラビアガーデンのラグナだ。どうした?』
 大統領が直接通信とは、と驚くが一番話をしやすい相手でもあった。
「こちらバラムガーデンのニーダ。ただいまシュウ先輩が最後に脱出をいたしますので、確保をお願いします」
『オーケー。お前も早く脱出するんだ、ニーダ』
「いえ、僕にはやることがありますから」
『何をするつもりだ?』
 声色が変わる。
「ガーデンを爆破させます。そうすれば、ここにいる二体の魔獣は倒せます」
『やめろ。お前も知っているだろ。その自爆装置は──』
「ええ。脱出ができないことは分かっています。でも、僕ができるのはこれだけですから。それで、お願いがあるんです」
『ニーダ』
「シュウ先輩に、あなたを騙してしまってすみません、と。それだけお伝えください。それでは、失礼いたします」
『ニーダ、おいニー』
 一方的に通信を切る。
「……本当は」
 伝えたかった気持ちがある。
 でもそれを伝えたとしたら、それは彼女の心に大きな負担を強いるだろう。
 だから、この気持ちは誰にも打ち明けることなく。
 ただ、嘘をついたことだけ謝るという形で。
 こんな不器用な人間がいたことを覚えておいてほしい。
「怖い……」
 死にたくはない。
 だが、このボタンを押せば、自分には死しかなくなる。

 戦場で、多くの死を見てきた。
 死と隣り合わせの戦場では、人間に生きる意味があるのだ、などというのが幻想であることがよく分かる。
 死は全ての終焉だ。
 ただその人間の意識と時間が止まるだけ。
 そう、たったそれだけ。
 自分がいなくなっても、世界はまだ続くし、仲間たちも生きていく。
 そしていつか、自分が存在したということも忘れ去られてしまう。

「過去形で語られるのは嫌だ、か……」
 自分たちのリーダー、スコールが魔女戦のときにそう言ったというのは、結構有名な話だ。
 それは全く同感だった。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない……」
 震える指を、起爆スイッチに添える。
 シュウの脱出は完了した。あとは、安全圏まで脱出するのを待つばかり。
「せめて、僕の命が、世界を救うための架け橋の一つにならんことを」

 体の震えが止まる。
 安全圏、確認。

「さよなら」

 ニーダは指に力をこめた。






104.喪失の日

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