「早く……」
カインは、ゆっくりと近づいて来る救助艇を、愛しい少女を抱きかかえながら待った。
「早く、来てくれ……」
冷たくなっていく体。
微弱な呼吸。
「彼女を、助けてくれ……っ!」
PLUS.104
喪失の日
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大音響が、肌寒い海風の中を疾走する。
ボートの上に投げ出された人々は、様々な思いでその様子を見つめていた。
「あれならキングベヒモスも形無しだね」
アセルスがボートの上で素直に喜ぶ。ファリスも『やれやれだな』という感じで肩を竦める。
「けっ。あいつは俺が倒す予定だったんだがな」
「まるで太刀打ちできなかったやつが何言ってるんだか」
ファリスがサイファーに絡み、にらみ合いになる。どうもこの二人はウマが合っているのか合っていないのか、傍から見ているアセルスには分からない。
(喧嘩するほど仲がいいってことかな)
素直にそう思っておくことにした。
そしてアセルスは、途中からキングベヒモス戦に参加した二人を見つめる。
スコールとリディア。
二人は声もなく、ガーデンが炎上し、そして海の中に消えていくのを見守っていた。
「スコール……」
スコールは自分の髪を掴み、険しい表情を見せる。
リーダーであった彼は知っている。
自爆したガーデンで、誰が犠牲になったのかを。
(ニーダ……!)
魔女戦の最中、このガーデンが占領されてしまったとしたら、この操縦席でガーデンを自爆させることができると、リーダーであるスコールだけに教えられた。
そして、起爆スイッチを押した直後にガーデンは崩壊するので、スイッチを押したものが助かる可能性は万に一つもない、とも。
それはキスティスやシュウすら知らない、自分とニーダの間だけで交わされた秘密。
『もしものときは、俺がこのガーデンを自爆させる』
彼は言った。
『愛着があるんだよ。自分以外のヤツにこのガーデンを破壊されるなんて真っ平だ。ガーデンを動かす男としてはな。ガーデンがなくなるときに自分も一緒になくならなきゃ嘘ってもんだろ』
最後は冗談半分だった。そして、そんな日が来ない方がいいという願いでもあった。
それが、現実のものとなった。
(ニーダ!)
また、過去形で話さなければならないのか。
──そして、彼らはまだ、ゼルが死亡していたことを知らない。
「脱出した住民の95%まで救助完了!」
「OK! 残りの連中も頼むぜ!」
「南側に向かってボートを動かしているものが、まだ何艘かいます!」
「そっちはセルフィに頼んでラグナロクを使わせてもらってくれ! あの爆発したガーデンを迂回するだけで時間がかかっちまう」
「エルオーネ嬢をお連れしました!」
「エル?」
忙しく指示を出しつづけていたラグナのもとに、愛しの娘が訪れた。
「エル! 元気だったか?」
「うん。それより下、カインとティナを助けて。あの二人、怪我をしてる」
分かっている、とラグナは再び外を見る。カインのボートまで、あと三十秒。
「世界の代表者の命に関わるからな! 医療班は全力を注いで助けるんだ!」
トラビアガーデンが水面ぎりぎりまで下降する。
移動中であるにもかかわらず、入口が開く。
「こちらへ!」
大きな入り口で三人の生徒がカインたちに呼びかける。
水面すれすれまで降下したガーデンの、最下層の入り口だった。それでもカインの背の高さほどの位置だ。カインは残りの力を振り絞って、ティナの体を持ち上げる。
生徒たちはカインからティナを預かってガーデンに確保する。
それを見て、カインは安堵のため一瞬気を失いそうになった。
だが、ここで全員に迷惑をかけるわけにはいかない。
カインは自力で、その入口に飛び乗った。
入口が閉まる。
ティナが連れられていった方向には、被った波の雫だけが後に残っていた。
「ティナを、どうか……」
「安心しなさい」
気配もせず、声だけがかけられた。
いつの間に近づいていたのか、自分の背後にガーデンの副リーダーがいた。
「キスティス」
「あの娘は強いもの。死ぬことはないわ」
これは自分を励ましているのだろうか、と思う。
「そうだな」
「それより、事後処理が多くなるわよ。操縦室までいらっしゃい」
「……了解」
休む暇もない。
カインは失いかけている意識に檄を飛ばし、大統領に会うために足を動かした。
あまりに辛そうにしていたのか、途中、見かねて腕をとった男がいた。
(セシル?)
一瞬、その力強さにいるはずのない友人の姿を思い浮かべる。
が、そこにいたのは自分よりも歳若いガーデンの本来のリーダーだった。
「大丈夫か」
「スコールか。無事でよかった」
「こっちは何とかな……それより、死者が出ている。カタリナと、ゼロだ」
「そうか……」
カインは俯いた。
「……もう一つ、訃報がある」
カインの声に、スコールが顔をしかめた。
「ゼルが死んだ。敵と戦って」
「……」
それを聞いたときのスコールは、明らかに顔色が変わっていた。
「嘘だ……」
「すまない。俺たちをかばって、敵の手に倒れた」
「……!」
声にならない声を上げて、スコールはカインから手を離して駆け去っていく。
「それは、本当なの?」
すぐ近くに控えていたキスティスが尋ねる。
「本当のことだ」
「そう……」
キスティスも表情を曇らせた。
「……みんな、死んでいくわね」
「キスティス」
「はじめはアーヴァイン、次にリノア、そして今度はゼル……今度は私の番かしらね」
キスティスは苦笑した。
「今度、だと?」
「ええ。先の魔女戦を戦ったメンバーのうち、もう半分が亡くなった……運命を感じるわね」
「そんなことは俺がさせない」
カインはキスティスを睨みつける。
「これ以上、誰かが死ぬなどまっぴらだ。もう誰も殺させない。お前も、死ぬなどという言葉を軽々しく口にするな」
目の前で失われていった仲間。
自分の仲間を殺すと宣言した悪鬼。
もう、誰も殺させない。自分のせいで、もう誰も死なせない。
罪悪感というよりもむしろ、強い使命感がカインを支配していた。
「そうね」
キスティスにとってゼルを失ったというのは、正直辛い。
アーヴァインのときも、リノアのときもそうだった。
共に死戦をくぐりぬけてきた仲間たち。
一人ずつこの地上から消えていくたびに、自分の身がどれだけの幸運の下で生かされているのかということに気づく。
そして。
二度ともう、亡くした仲間たちに会えないのだということに気づく。
(この戦いが始まる前には、みんないたというのにね)
たった一月ほどの間に、なんと運命が変わってしまったのだろう。
そしてあと残っているのは自分の他、スコールとセルフィのみ。
(……もう、誰も死なせるわけにはいかない)
そう、彼の言うとおりだ。
誰も死なせない。世界も崩壊させない。
そうしなければならないのだ、自分たちは。
少なくともそのために命をかけた僚友たちの想いに応えるためにも。
「カイン」
と、そのとき。通路の向こうから一人の少女がやってきた。
「リディア。無事だったか」
「私はなんとか。ゼルさんのこと、聞いたわ」
「そうか」
「カイン。あまり、スコールを苛めないで」
カインは意表をつかれた。何を言われたのか理解ができなかったのだ。
「どういうことだ?」
「ゼルさんが亡くなられたことで、スコールはショックを受けている。もちろん隠し通せることではないけれど……でも、彼は事実をいきなり知らされて耐えられるほど強い人じゃないから」
ずいぶんとスコールのことを知ったような話し方だった。
(ああ、なるほど。そうか……)
彼女は見つけたのだ。
彼女自身のパートナーを。
自分では応えることができなかった役目にふさわしい相手を。
「キスティス」
キスティスは『了解』とでも答えるかのように先に歩いていった。気をきかせてくれたのだ。
「リディアはパートナーを見つけたんだな」
「ええ。リノアさんには申し訳ないけれど、スコールに私の命を預けることにした」
「そうか。あいつは信頼に足る人物だ。命をかけてお前を守ってくれるだろう」
「そうね。でも本当は、カインにその相手になってほしかった。今さら、だけど」
本当に今さらだ。それに、カインにはその気はなかったのだからどうしようもない。
「カインは、ローザのことを吹っ切れそう?」
「さあ」
だが。
今、自分の心の中にある葛藤。
それは、自分のことを命をかけて愛してくれる人の傍にいたい、というもの。
リーダーとしての役目を持つ今の自分には、あまりにも難しい。
「ティナさんは大丈夫」
リディアが先に答えた。
「さっき医務室に運ばれる前に彼女の怪我の具合を見たけれど、これ以上の失血がなければ問題なかった。それに……」
「それに?」
反芻して聞き返すが、リディアは「ううん」と首を振った。
「ちょっと確認取れてないから、後でまた医務室に行って確認してからにする」
何のことだかカインには分からない。だが、命に別状ないというのは彼女の表情からは明らかだった。
「もしかして、リディアは俺にそれを伝えるために来てくれたのか?」
彼女は苦笑した。
「言ったでしょ。故郷からたった二人しか来てないんだからって」
「そうだったな」
「私のパートナーはスコールだけど、同じ故郷を持つカインとの絆を失くすつもりなんてないから」
「俺は」
「そこまでよ、カイン。カインにはその資格も権利もあるの。私にそう思われている以上、カインがそれに応えるのは義務。そして、後悔してはならないっていう罰を与えたんだからね」
強くなった、とカインは正直に思う。
幻獣界に還る前の彼女とは本当に別人だ。強くなって帰ってきた。本当に頼もしいかぎりだ。
「ああ。頼らせてもらう、リディア」
「ええ。任せておいて──それじゃあ、また後で。カインの分もティナさんの看病、しておくから」
「ありがとう」
そうしてリディアを見送ると、カインは再び重い足取りで操縦室へ向かった。
そこには既にキスティスが到着しており、親指で中に入れと指示をしてくる。
自動扉が開き、中に入る。
そこにいたのは、ラグナとキロス、そしてエルオーネの三人だった。
「助けてくれて感謝する。現在ガーデンのリーダーを代行しているカインだ」
「ああ。直接会うのはこれが初めてだったな。俺はラグナ。ま、なんつーか成り行きでここのリーダーをやらせてもらってる。そしてこいつはキロス。俺の相棒だ」
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
疲労は濃かったが、とにかく今後の方針について簡単にでもまとめておかない限り休むわけにはいかない。
「最初にいくつか聞きたいことがあるんだが、どうしてこうも都合よくトラビアガーデンが助けに現れたんだ? 少なくともトラビアからでは、戦いが始まってすぐに駆けつけるということもできなかったと思うんだが」
「おう、それなんだがよ」
ラグナはカインの身を思いやってか、簡単に説明を始めた。
「とにかくガーデンの再建っつったって、資材もなければ人材もないわけだ。そのくせ問題ばかりはあっちこっちでおきやがる。そんな折、そういやこのガーデンもバラムみたいに浮かないのかな〜と思って調べてみると、なんとこの機能がまだ生きてやがってな」
「そこで資材と人材の提供をバラムガーデンに求めるためにわざわざガーデンごと移動してきたというわけか」
偶然の産物というわけだ。ラグナという男がトラビアに残ったことも、そして図ったかのようなタイミングでこの戦場にかけつけたことも。
いや、偶然ではないのかもしれない。
(ハオラーンは、北を目指せと言っていたな)
まずガーデンは北を目指せと。
それは、トラビアガーデンが近づいていることが分かっていたからなのだろう。
(『庭を取りかえる』という表現が確か予言にあったな)
この結果は全て予見されていたということだろうか。
仲間の死という現実まで。
カインは軽く息をつくと話を進めた。
「残念だが、物資は全て海の底だ。申し訳ないが」
「ああ、そりゃかまわねえぜ。物資資材はいくらでも集めることはできるんだ。金はあるからよ。でも人手ばっかりは足りねえからなあ。ちょうどバラムの全員がこっちに移ってもらったことだし、全員で新しいバラム・トラビア合同ガーデンを作ればちょうどいいんじゃねえか」
あっけらかんと言う男だ。カインは苦笑した。だが確かにそのとおりだ。もうバラムガーデンは存在しない。だとすればバラムのメンバーも新しいガーデンを作るにせよ何にせよ、しばらくはここにいることが必要になってくるのだ。
「状況は理解した。では次にバラム側の収容状況はどうなっている?」
「もう完結するぜ。点呼も随時取ってるしな。報告があったゼル、カタリナ、ゼロ、ニーダの四人以外は全員収容済みだ」
「……? ニーダ? ニーダがどうしたって?」
ラグナは顔をしかめた。知らなかったのか、と後悔するような表情だ。
「ラグナくん、私から説明しよう。カインくん、つまりはこういうことだ。あのガーデンの自爆装置を起動するには、操縦席からでないとならない。だが、それを起動させたが最後、すぐにガーデンが爆発してしまうので、起動スイッチを押した者は絶対に助からないのだ」
「そうか……あの爆発はニーダの命がけの行為か」
「ああ。最後にニーダから通信があった……悪かったな、止められなかった」
「いや、あなたの責任ではない。全てはニーダが選択した結果だ」
ふう、とカインは息をつく。
「最後に、このガーデンの今後の動きだが」
「おう。それを先に相談しておかねえとな。で、どうすればいい?」
「そうだな。もう行き先は決まっている。天国に一番近い島と、地獄に一番近い島だ。まずはF・Hに向かってくれ。そこで二手に分かれる」
「了解だ。うぉっし、それじゃあカインは休んでくれていいぜ。後は俺たちでなんとかすっからよ」
「すまない。疲労のピークに来ているようだ。遠慮なく休ませてもらう。だが、何かあったらすぐに呼んでくれ」
「おお。じゃ、ゆっくり休んでくれ」
「ああ」
カインはそうしてその場を辞そうと部屋から出ようとした。
が、先に扉が開いて、一人の女性が中に駆け込んでくる。
「シュウ! 無事だったのね」
キスティスがほっとしたような笑みを浮かべる。シュウも「ええ」と応えた。
「ラグナ大統領閣下。わざわざバラムガーデンの窮地を救ってくださいまして、ありがとうございました」
「なあに、こっちもこれから再建を手伝ってもらうんだからお互い様だぜ」
ラグナはそう言ってからキロスを見た。キロスはうなずくと、エルオーネとキスティスを連れて部屋を出る。
(ニーダの件か……)
こういう場合は、ラグナのような男の方が伝える相手としてはいいだろう。カインもそう判断して部屋を出た。
一人取り残されたシュウは、いったい何が起こっているのか、すぐには理解できないようだった。
「なにか……ございましたでしょうか」
「いやな、シュウ。その、なんだ」
ラグナがさすがに言いよどむ。
「……ニーダが死んだ」
シュウは怪訝そうな顔をした。
「……どういう意味でしょうか」
「言葉どおりだ。ガーデンを自爆させた人間は、脱出することができねえんだ。最後に俺んとこにニーダから連絡があった。あんたに伝えてほしいことがあると」
「……」
「騙してしまってすみません、ってな……悪い、俺が止められていれば」
「嘘」
シュウは自分の心の中に、強烈な怒りを覚えた。
「ニーダは言いました。必ず脱出すると。生きてまた会えたら乾杯すると……」
ラグナは何も言わなかった。言葉が無意味であるということを知っていたからだ。
そして、ニーダの死が事実であるということを、シュウは悟った。
「馬鹿だ……」
がくり、とシュウはその場に膝をついた。
「馬鹿だ。あいつの覚悟を読み取ることができなかったなんて……私は馬鹿だ。私はいったい、何を……」
拳で床を打ち付ける。
「あいつが命がけで私を助けようとしていたなんて、何故気づかなかった! シュウ!」
うあああああああああああっ!
彼女の泣き叫ぶ声が、その部屋の中に響いていた。
105.救済の日
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