サイファーはトラビア・ガーデンの中を歩いていた。
途中、すれ違うガーデン生が、仇でも見るかのようにこちらに視線を向けてくる。いや、実際仇には違いない。
彼が先の魔女戦で何をしてきたのか、誰もが知っていることだった。
「ちっ」
サイファーは鋭く舌打ちした。
PLUS.107
混乱の庭
arcana
ガラス窓の外側から、そっと保健室の中を見る。
横になっている男性と、片腕を失くした少女。
その様子を見て、エアリスはため息をついた。
もう自分の入り込む余地は完全になくなってしまっていた。
正直、羨ましいと思う。
自分が好きになる男性は、必ず決まって別の女性に振り向いてしまう。
カインという男性がどういう人物かは、会話の端々から推察することができた。
過去に負い目を持っていて、自分のことを許すことができない哀れな人。
自分がその罪を癒してあげたかった。
だが、どうやらその役目は、彼女のものになってしまったらしい。
(……ザックス……クラウド……)
過去に好きだった人の名前を心の中で呼んでみる。
だが、もう特別な感情はわいてこなかった。
(カイン)
胸が、しめつけられる。
今までの誰より、傍にいたい人。
傍にいてほしい人。
でも、もう、その余地はない。
突然、ぽん、と肩をたたかれた。
「きゃっ……」
思わず大声で叫びそうになるのをこらえた。
そこにいたのは、イリーナだった。
「い、い、イリーナ」
「どもです」
ひょい、とガラス窓の向こうの二人をイリーナが確認する。
「うーん、ラブラブですねー。いいなあティナ、あんな素敵な人が傍にいてくれて。エアリスもそう思うよね」
「え、あ、えっと」
「というわけで、フラレ者同士、一杯いきますか」
ワイングラスを傾けるしぐさをする。
「え?」
「レノさんがこのトラビアガーデンの廃墟から無事なワインを発掘したんです。で、エアリスを連れてこいって私に命令しやがったんですよ」
「あ、あのときの……」
気晴らしならつきあう。
彼は確かにそう言っていた。
(そっか、心配してくれてたんだ……)
彼も他の男たちと同じように、優しさをあらわすことが苦手な男だった。
「うん、いいよ。行こう、イリーナ」
「はいな。今レノさんが用意してくれてますから。こっちです」
そう言ってイリーナはエアリスの手を引いていった。
セルフィがラグナロクで中庭に帰還したのを待っていたのは、なんとサイファーであった。
「おりょりょ、サイファー?」
セルフィは目を丸くして出迎えの人物を見つめる。まさかこの男が使い走りでこんなところに来るとは思えなかった。
「遅いぞ、伝令の女。待ちくたびれたじゃねえか」
「そんな〜。こっちは全力で救出作業したんだよ〜」
「知るか。とにかくさっさと来い。どうにもこうにも、お前がいなけりゃ始まらねえ」
「ほえ?」
いったい何事なのか、とさすがにセルフィも緊張した。
先を歩くサイファーが突然立ち止まったのは、通路に入ってすぐのことだった。
「チキン野郎と操縦者が死んだ」
セルフィの顔が険しくなる。
「ゼルと、ニーダが……嘘」
「本当だ。今頃は死体も海の底だ」
だが、セルフィはその感情をこらえた。
突然のことで、悲しいのか苦しいのか、それすらもよく分からない。ただ、胸が痛い。
「……それが、来てくれた理由?」
「いや。もっと深刻な理由だ」
セルフィは次に何が来るのかと、身構えた。
「暴動だ」
「ぼうどう?」
「トラビア生の一部が、バラムの連中をガーデンに乗せるのは反対だと言ってきかない。やつらは別の建物の中に立てこもっている」
「ほええええ……レッドの件で不平不満は全部出尽くしたと思ってたけど」
「この件について知っているのはまだ多くねえ。だが同じガーデン内だからな。時間の問題だ。その前にカタをつけたい」
「うんうん。それでアタシの出番なんだね。ここの出身だから」
「そういうことだ。だが気をつけろ。やつらは人質をとった」
「人質? 誰?」
はあ、とサイファーはため息をついた。
「姫さんだ」
モニカが捕らえられたという事件は、救助活動で手一杯だったラグナの頭を悩ませることになったのは当然のこと、その他膨大な作業がいっそう遅れることにもつながる。
バラムガーデンから移乗してきた者たちがどこで暮らすのか、部屋割り、食料の補給、やることは無限にある。
その活動の全てをストップさせたのがこの事件だった。
「正直、困ったことになっちまったぜ」
とりあえず集まったメンバーを見てラグナは言う。
補佐のキロスとエルオーネ、そしてガーデン側からはキスティス、セルフィ、サイファー、ヴァルツといった面々。そしてモニカと同郷のユリアン。サラは一度目覚めたものの、疲労からすぐにまた眠りについている。
「状況はどうなってんだ?」
「まあこっちを見てくれ」
ラグナがコンピュータで表示させたのは、トラビアガーデンの一画だった。
「ガーデン二階のF区画が完全に制圧されている。あの区画はエレベーター前の通路から一直線に行くしかない。当然、待ち構えられているだろうな」
「そんなことないよ」
メンバーに加わったセルフィが口をはさむ。
「セルフィ、それはどういう意味?」
キスティスが尋ねる。
「へっへ〜。抜け道王セルフィちゃんに行けないところはこのトラビアガーデンの中にはないのだ!」
セルフィの指示で、三箇所の抜け道が図示される。
「んーとね、こことここは生徒の間でも有名だけど、ここの通風孔は他に知ってる人いないと思うよ〜」
「なんでンなこと知ってんだよ……」
サイファーがあきれたように言う。
「では僕が行きます」
ユリアンが身を乗り出した。
「モニカ姫は僕が助けないと」
「まーそりゃそうだな。だいたいお前がついていながら、どうしてさらわれたりしたんだ、あ?」
「……サラを寝かせるときの、ほんのわずかな時間だったんだよ」
ユリアンはさびしげにサイファーを見つめる。言い合ってはいるが、この二人はどうも仲がよいようだ。
「アタシも行く」
セルフィも真剣な表情で言った。
「ここはアタシの故郷だし、いろいろ役に立つと思うから」
「そうだな。その方がいいだろ」
ラグナもセルフィについては問題なしと判断して許可を出す。
「キロス、俺のマシンガン取ってくれ」
「……まさか、君も行くつもりか」
「ああ。やっぱこういう時は大将が自ら行くもんだろ」
違う、と全員が一致した意見を持ったが、当の大将はどこ吹く風だ。
「ま、ちっとばかし歳いってるかもしんねえけどよ。相手が普通の人間なら銃を使えるやつがバックアップした方がいいんだぜ」
その通りだ。セルフィはそのことをよく知っている。
先の魔女戦、自分たちが心おきなく全力で戦えたのは、後ろにアーヴァインがいてくれたからだ。的確なバックアップのおかげで、自分たちは大きな怪我を何度も防ぐことができた。
『ま、これが僕の仕事だからね〜』
決しておごらず、黙々と自分の任務をこなす男。
スコールもそんな彼を信頼していた。
そして自分も……。
「ラグナ様」
セルフィは、あのころのような頼もしさを覚えていた。
「お願いします」
「任せときな。ばっちり決めてやるからよ」
ラグナとしても、アーヴァインのことはよく知っている。その役割がどういうものだったのかも。
セルフィもユリアンも、前が見えずに闇雲に突っ走るだろう。後ろで支える役割が必要になる。
「全く、君という男はいつも我々の期待をいい意味で裏切るな」
キロスがマシンガンを手渡す。手入れは怠っていないらしく、いつでも使用可能な状態だ。
「よっしゃ。それじゃここはキロスとキスティスに任せるぜ。それじゃ、ちっと行ってくらあ」
こうして、ラグナ、セルフィ、ユリアンという変則パーティが結成された。
同時刻。ユリアンが寝かしつけたサラであったが、すぐに目が覚めていた。
そして、分かった。
「……私、起きてる」
自分が起きているということは、自分の中に封じ込めたアビスがいなくなったということを意味している。
そして、アビスを封じ込めることができるのは自分の他にもう一人だけ。
「ゼロ……」
誰もいない部屋。
ここはいったいどこなのだろう。
一度目が覚めたときは、周りに人がいた。それは覚えている。医者と、それから黄色の服を着た少女。
でも今は、誰もいない。
アビスはどうなってしまったのか。
ゼロは、無事でいるのか。
何も分からない。
プシュッ、という空気音と共に扉が開く。
びくっ、と少女は体をすくませた。
「ああ、目覚めたんだね。よかった」
入ってきたのは、優しそうな男性だった。
「お腹はすいてないかい? どこか具合が悪いということは?」
「だい、じょうぶ……です」
おどおどしながらサラは答える。
「大丈夫だよ。取って食べたりはしないから。僕の名前はジェラール」
「ジェラール、さん」
「うん。サラさんでいいんだよね」
「はい」
「僕のことが、分かる?」
サラは顔をしかめた。いったい何を言いたいのか、分からなかった。
だが。
次第に、自分の目には『別の物』が映り始めていた。
表現が難しいのだが、金色のオーラのようなものが体を取り巻いている。
自分と、同じ──
「あなたは……」
「やっぱり『分かる』みたいだね。よかった。僕は『代表者』。君と同じ、世界に愛されている者だよ。突然説明されても分からないかもしれないけど」
ジェラールはサイドテーブルに置かれていた水をグラスに注いで手渡す。
「すみません。事態がよくのみこめていないんです」
「うん。きっと最初から説明しなきゃいけないと思って、それで僕が来たんだ。今、ユリアンとモニカ姫はちょっと手が離せないから」
「ユリアンとモニカが、ここに?」
「ああ。君を守るために、ここまで来たんだ」
「私を……」
表情にかげりが出る。
「ここは、どこなんですか?」
「うん。そのことなんだけど、ここがまずサラのいた世界とは別の世界、異世界なんだっていうことは分かっているのかな」
「異世界……はい、分かります」
「そうか。君がこの世界にどうやって来たのかは分からないけど、僕たちはこの世界も自分たちの世界も、全ての世界を守るために戦わなければならないんだ」
戦う。
その意味がサラには分からない。世界を守るとはどういうことなのか。そして何故自分がその戦いを行わなければならないのか。それはアビスの力のせいなのか。
アビス──そうだ。
「……ゼロは、どうなったんですか」
自分が目覚めているということは、ゼロは眠っていることになるはず。
「……彼は、死んだ」
しばらく、思考が停止していた。
その間、呼吸すら止まっていた。
たっぷり一分もたってからか、ようやく彼女はゆっくりと息を吐き出した。
「……私を助けるためですか」
「それもある。でも、彼もこの世界を守ろうとして戦い、そして亡くなった……僕とユリアンとで看取った」
「ゼロが、アビスを連れていってくれたんですね」
そう。自分を殺せばアビスも死ぬ。少なくともアビスは生きている体を使って動くことはできても、死んでいる体、眠っている体を使って動くことはできない。あくまでもその思考回路を制圧するだけ。
だからアビスを封じるためには自らの体内にアビスそのものを取り込み、眠るか、死ぬか、そうするしかなかった。
だがそれは消極的な手段だ。だからゼロには他の方法がないか探してもらうことにした。
そして自分は眠りについた。
「……ハリードは、まだ私の命を狙っているんですか」
自分がアビスを封じたなら、彼は自分の命を狙うはずだ。
世界を守るために。
アビスを消すために。
「そういう話だったみたいだけど、今はどうしているか分からない。僕も直接会ったわけではないから、何とも言えないよ」
「そうですか」
サラは目を閉じた。
これからどうするべきなのか……まず、自分に何ができるのか。
それを考える時間が必要だった。
そしてそのために、情報が必要だった。
「ジェラールさん。私に、全ての情報を教えてください」
はっきりとした口調で、サラは言った。
108.契約の証
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