『未来なんか欲しくない。今が……ずっと続いて欲しい』
 そう願い続けていた女性。
 ただ自分の愛だけを求めていた女性。
 その束縛を、最初は鬱陶しいと思った。
 だが、彼女が眠りについたとき、自分はその束縛がなくなったことに戸惑った。
 それは自分が、彼女のことを──












PLUS.108

契約の証







unperishing






 動いているガーデンの中庭。
 ひび割れたバスケットコートに、曲がったゴール。折れたフェンス。崩れた資材。
 トラビアガーデン生の二度目の暴走で、このあたりにはほとんど誰もいなかった。
 復興が進まないトラビアガーデン。生徒たちの復興への意欲も、何から手をつけたらいいのか分からないというこの現状が、少しずつ活気を奪っていった。
 今はこのトラビアが正常に機能するように、生命力あふれるラグナがトラビアを支えてはいるものの、こうした場所の整備まではなかなかうまくいかない。
(バラムだったら、あなたの居場所はすぐに分かったのに)
 折れ曲がったフェンスの影に隠れるようにして膝を抱えているスコールの姿を見て、リディアはようやく安堵の息をついた。
 ニーダ、ゼル、それに異世界から来た者たち。
 また、彼の傍から知人が消えていった。
 そのたびに彼はこうして傷つき、自分の心を痛めていく。
 傷つきやすいガラスのハート。
 このガーデンの中にいる人物の中で、誰よりも死を純粋に受け止め、そこから逃げることをせず、泣きながらも立ち向かう。
 どれほど傷つきやすいとしても、彼ほど高潔で、しかも死と戦うことができる強さを持った人間が他にいるだろうか。
 カインにしろラグナにしろ、目の前の死について受け流す術を知っている。無論、自分にしてもそうだ。
 だが彼は、死を受け流すことなどできない。
 死の重みをそのまま受け入れてしまう。
 何故そうまでして、自分を苦しめるのだろう。
 考えないようにすればいい。傷つかないようにすればいい。大人になるということは、自分の感情を殺す術を学ぶということだ。
 だが、彼にはそれができない。
 いつまでも子供のまま、自分の感情の赴くままに生きる。
 死も、彼にとっては現実の出来事ではない。一つの感情なのだ。
(私は、この人を助けられるのだろうか)
 目の前で、彼が傷つくところを何度も見てきた。
 アーヴァインの死。
 リノアの死。
 ゼルの死。
 ずっと彼と共に行動してきた仲間たちの死。そのたびに彼は言いようのない苦しみと恐怖とをその身に受ける。
 死の天使が、彼の周りを取り囲んでいる。
(見えるような気がする)
 既に亡くなった仲間たちが、スコールを呼んでいるような気がする。
 だが、それだけはさせない。
 たとえ他の誰を失おうとも。それこそ、代表者たちやカイン、自分の大切な仲間たちを残さず失おうとも。
 自分には、この人が必要なのだから……。
「スコール」
「来るな」
 うずくまり、うつむいたままの体勢で彼は言った。
「俺はあんたに慰められるような資格のある人間じゃない」
 カインと同じようなことを言うのだな、とリディアは思った。
 そして彼女はゆっくりとスコールに近づき、その肩を優しく抱きとめた。一瞬、体が拒否しようと跳ねるが、結局行動に変わることはなかった。
「……それは私の台詞だね」
 愛しさをこめて、彼の頭を胸に抱く。
「私はあなたにこんなことをする資格はない。リノアさんの気持ちをあれだけ知っているのに、私はあなたを求めてしまっているから」
「リディア……」
「人を愛することは、罪なの?」
 顔を上げたスコールに、リディアは慈愛をもって応える。
「私には分からない。今まで誰かを愛したことなんてなかった。リノアさんが死んだ今になって初めて気づいた。私が求めていたもの、いいえ、誰もが求めているもの、それは、心安らげる場所なんだわ。そして、私にとってそれはスコールだったというだけ。たとえリノアさんがどのような気持ちだったとしても。それが罪だというのなら、私はその罪を負う。私はあなたとなら、一緒にその罪を背負えると思っている……スコールは、どう思う?」
 彼の綺麗な瞳から、涙が一筋流れた。
 それを隠そうともせず、くしゃくしゃに顔がゆがむ。
「きづいて……いたんだ」
 震える、か弱い声。
「あのとき、自分が、誰を好きなのかということを……」
 セフィロスの血塗れた剣を見たときに、自分は気づいてしまった。
 目の前の男が、誰かを殺してきた。それは分かった。
 そのとき、自分が真っ先に思い浮かんだ人物。
『まさか、リ──』
 その言葉が口をつきそうになって、気づいて止めた。
『まさか、』
 自分の思い描いた人物は、好きだと思っていた黒髪の美少女ではなかった。
『リディアを』
 常に前を向き、ひたむきに行動する緑色の髪の少女だった。
 誰よりも先に、リディアの身を案じていた。
 裏を返せば、それは自分にとって最も大切な人物がリディアだということを意味していた。
 そう、自分はあのとき確かに思った。
 自分にとって、一番大切な者が誰なのか。
 それが、自分には分かってしまった。
「俺もだ……」
 スコールは泣きながら言う。
「俺も、あんたとなら、罪を背負っていける……」
 それを口にすることは、リノアに対する裏切りだっただろうか。
 自分は魔女の騎士。常にリノアの傍にいて、リノアを守ることが任務だった。
 そして自分はリノアのことを好きだった。好きだと思っていた。
 だが。
「俺は、リノアのことが好きじゃなかった」
 気づいてしまった。
 最初から、リノアに対する感情は恋愛などではない。単なる依頼人とSeeD、それだけだった。
 ただ、あの魔女戦争のとき、突然目の前からリノアの存在がなくなった。
 いつも自分にかまいつづけてきた彼女。
 それがいなくなることに対する違和感。
 彼女に対する気持ちが何だったのか、今なら分かる。
 それは、仲間に対する親愛の情だ。
 それを失ったことに対して、自分は恋愛感情を抱いたのだと勘違いをした。
 だから、全てが終わったあと、自分にとってリノアという存在は──
「嫌だったんだ……」
 今なら分かる。
 自分にとってリノアは、安らげる存在などではない。
 常に戦場へ自分を導く『魔女』なのだと。
「リノアが俺に近づいてくるのが嫌だった。リノアが俺を束縛しようとするのが嫌だった。俺がリノアのことを好きでいなければならないことが嫌だった……!」
 そう。
 分かっていたのだ。自分にも。
 セフィロスが言った通りだ。
『分かっているはずだ。あの娘の存在について、な。お前がどのようにあの娘を思い、考えていたのか、よく思い出してみるがいい』
 好きだなど、まやかしだった。
 そんな感情に気づきたくなかったから、分からないふりをしていた。
 そんな感情に気づきたくなかったから、冷静に判断することをやめた。
 自分が最初から求めていたもの。
 それは、安らげる場所。
“何を願う?”
 あの『声』は確かに言った。
 欲していたものは幸せ。安らげる場所。
 それが手に入ると言った。
 そう、自分は手に入れることができるのだ。
 そこはもう、目の前にある。
「リディア……」
 泣きながら、彼は言う。
「俺に、人を愛する資格なんてないのかもしれない。だが……君に傍にいてほしい。君が近くにいるだけで、俺は安らげる」
「スコールさん」
「俺は、君のことが──」
 そこまで言いかけて、彼の目が驚愕で見開く。
「あ、あ、あ……」
 突然様子が変わった彼に、いったい何事かとリディアはスコールの視線を追う。
 自分の背後。
 そこに『ありえないもの』があった。
「うそ」
『それ』は自分の背後からこちらを見ていた。
 宙に浮いた『それ』は、上下に少し揺れて近づいてきていた。
「い、嫌だ……」
 彼の体が震えだした。

「もうこれ以上、俺につきまとうな、リノア!」

『それ』は、リノアの首だった。
 あのセントラ遺跡のダンジョンで、彼女は首なしの死体となってそこに倒れていた。
 そうだ。確かに首はどこにもなかった。
 首はどこへ持ち去られてしまったのか、誰が持ち去ったのか。
 そんなことは誰も考えなかった。
 リノアが死んだという事実。それだけで自分たちには十分だったからだ。
『す、こー、る』
 その首が、ゆっくりと話し出した。
 機械の合成音のようで、いつものリノアの声とは全く違っていた。
『ご、め、ん、ね』
 その首は泣いていた。
『そ、ばに、いら、れ、な、くて、ご、め、ん、ね』
 長い黒髪が揺れる。
 そしてさらに、リノアが近づいてくる。
「ディオ!」
 リディアが咄嗟に自分の守り役を呼び出す。緑色の炎が現れ、リノアの前に立ちふさがる。
「よう、リディ……って、なんだ、こいつは」
 ディオニュソスは自分の目の前に浮くリノアの首を見てさすがに動揺していた。
「分からない。前に死んでしまった人の首なんだけど、どうしてこうなってしまったのか……」
「ふうん。ただの怨念ってわけじゃなさそうだな。魔力の匂いを感じるぜ」
『す、こー、る』
 じわじわと近づいてくる首に、スコールは完全にパニックに陥っている。騒ぎ出さないでいてくれるのがせめてもの救いだ。
「なるほど」
 ディオニュソスは納得したようにうなずいた。
「何が起きているか、分かる?」
「ああ。こいつはとんでもねえな。不死の秘術だ。人間にゃ使えねえ荒業なんだがな」
「不死?」
「なんつったらいいかな、あんたの仲間にジェラールってやつがいるだろ。あいつの継承法みたいなもんだ。致死ダメージを受けたら、自分の能力を他人に譲るまで死ぬことができない。こういうときは普通、誰か別のやつに力を受け継がせるんだが、本人にその意思が微塵もない。こりゃやっかいだぜ」
「魔女の力……」
 魔女の力は継承される。継承されない限り、苦しみながら生き続けなければならない──
「リ、リノアさんは、生きているの……」
 首だけになりながら。
「ああ、脳細胞が死にながら再生してやがる。たとえ燃やしても意識だけは残るぜ。そうなったらもっとやっかいだな」
 怨念と化す。そうディオニュソスは言うのだ。
「どうすれば──」
 その方法はただ一つ。
 リノアから誰かに、魔女の力を継承させるしかない。
「……ねえ、ディオ」
「なんだ」
「私でも、魔女の力は継承できる?」
「無理だな。魔女の力は素質のある者を選ぶ。あんたにゃ無理だよ、リディ」
「そう」
 なら、この相手をどうにかしなければならない。
 首が実体のものだというのなら、捕らえて、どこかに閉じ込めておくか。
 だが相手は魔女。その気になれば瞬間移動くらい平気でしてくるかもしれない。
「リノアさん」
 スコールの前に立ちはだかり、リディアはリノアを説得しようとした。
『り、でぃ、あ』
「覚えていてくれましたか。ありがとうございます。でもリノアさん、もうスコールを許してあげてください」
『ゆる、す?』
「あなたはもう、亡くなっているんです。今のあなたは、スコールに罪悪感しか与えることができない。彼のために、どうかここはお引き取りください」
『なく、なる』
 生首は不気味に笑った。
『そ、う。きら、れた、の、わた、し。こ、ん、な、ふう、に』
 首が斜めに傾き、床に落ちる。
 落ちた生首が、まだリディアをにらんでいた。
『な、んで、た、す、けて、く、れな、か、った、の、す、こー、る』
「やめろ……」
『た、す、けて、ほし、か、った、のに』
「やめてくれっ!」
 スコールが立ち上がって逃げようとする。
 だが、それより早く生首が動いた。
 リディアが何かするより早く、振り向いたスコールの背からリノアの生首が体内に吸い込まれていく。
 そして、完全にスコールの体内に生首が吸収された。

(これで、一緒だよ……)

 その声を、リディアは確かに聞いた。
 そして、

「があああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 咆哮が、スコールの口からあふれ出た。






109.疑惑の答

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