「ゼロ……」
涙が止まらない。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
ゼロが命をかけてくれたからには、自分は成さねばならないことがある。
「きっと、ハリードはそれでも、私を殺しに来る」
PLUSへの道を開かせるくらいならば、たとえ自分を殺してでも止めに来るだろう。
世界を守るために。
「でも、世界を守るためには、道は開かなければならない」
道を開けば、この世界は滅びる。
道を開かずとも、この世界は滅びる。
では、いったいどうすれば、この世界は救われるのだろう──?
PLUS.110
過去の縛
grave crime
モニカを連れたユリアンたちが帰ってきたとき、それを出迎えたのは同じ故郷からやってきていた代表者、サラ・カーソンであった。
アビスとの決戦の中で、王族であったモニカはシノンの民であったユリアンやサラを率いて戦いに臨み、アビスの封印に成功した。
その旅の中で、モニカにとって唯一心を開くことができたのはサラ一人であった。ユリアンは確かに頼れる人物だった。だが、王族としての身分を忘れ、気兼ねなく話し合うことができるという意味では、サラほど話しやすかった者は他にない。カタリナやユリアンよりもだ。
「サラ」
その姿を見たとき、モニカは心からの笑みを浮かべた。
サラを助けるために、世界をこえて助けに来た。
ユリアンを巻き添えにしてしまったが、モニカは後悔しているわけではなかった。
このか弱い女性を守ることが、自分の役割だと信じて疑わなかったから。
「モニカ」
姫、という呼称をつけずにモニカを呼ぶものはいない。
サラにとっても、モニカという存在はかけがえのない友人である。
ユリアンや姉には自分の正体を知られたくなかった。
300年に一度の聖蝕の日に生まれた子供。
アビスとの戦いを生まれながらに宿命づけられた子供。
サラは全てを知っていた。自分がどうするべきなのか、何をするべきなのか。
そして彼女に課せられたものは孤独。
それは、同じように孤独を生きてきたゼロという協力者を得てからも変わることはなかった。
世界に二人だけの、アビスと戦うことを宿命づけられた子供。
二人の中だけで世界は閉じてしまっていた。二人で全てを成し遂げようと考えていた。
モニカは、そんな二人の唯一の理解者だった。
王族という身分を捨ててまで、彼女はサラを助けようと必死になった。
それは自分の境遇を哀れんだからではない。すべて、友人を助けるというその意識だけだ。
『モニカは私がピンチの時は助けてくれる?』
『ええ、もちろんよ』
その言葉にどれほどの重みがあったことか。
その時は自分の正体がまだモニカに知られていないときのことだった。だから、その言葉をサラは鵜呑みにしたわけではない。
だが、正体がモニカに知られてからも、モニカの態度は変わることがなかった。
モニカは実行した。アビスに戦いに挑む時は自ら剣をもって戦いに来た。代表者としてこちらの世界に送り込まれてからは追いかけて来てまで自分を守ってくれる。
お互いがかけがえのないたった一人の友人であるという意識を、二人は共有していた。
それはある意味、モニカにとってはサラがユリアンよりも、サラにとってはモニカがゼロよりも、大切な相手なのだといっても少しも疑うことはない。
世界で一番、大切な相手。
それが、目の前にいる。
「心配しました」
モニカはゆっくりと近づいてサラを抱きしめる。
「よかった、無事で」
「モニカも」
サラも顔をうずめて抱きつく。
「まるで恋人同士みたいだな〜」
そんな二人にラグナがにやにやしながら話しかける。
「ラグナ様。このたびは何度もお世話になりまして、ありがとうございます」
「いいってことよ。ま、これでようやくこっちの問題もかたづい──」
そのとき、ガーデンが揺れた。いや、震えた。
地震──なわけがない。ガーデンは今航行中なのだ。
「なんだ!?」
ラグナが尋ねると、キロスがコンピュータを見て腕を組んだ。
「中庭だな。異常なエネルギーが存在している」
中庭──バスケットコート。
ふと昔のことを思い出したセルフィがキロスの後ろからコンピュータを見る。
「スコール?」
内部のカメラが中庭の様子を映し出している。
そこに、スコールとリディアの姿があった。
「あいつ」
ラグナが顔をしかめる。
「やべえな。ちょっと行ってくる!」
「あたしも!」
セルフィがすぐに声を上げる。そして、二人は駆け出した。
「やれやれ」
モニカをここまで送り届けたジェラールがため息をついた。
「なかなか物事は、先に進まないものだね。僕も行ってくるよ」
ジェラールはそう言って二人の後を追った。
「あれは……」
サラがスコールの背後にあるものを見て呟く。
「何か、すごい邪悪……」
無論、サラはまだリノアという存在を知っているわけではなかった。
ファリスにとって、トラビアガーデンは思い出の土地だ。
トラビアガーデンはもはやガーデンとしての機能をほとんど果たすことができていない。セルフィの暴走で新校舎も崩れてしまったため、残っている建物は一番古い本部校舎のみとなってしまった。
ラグナや他のみんなはその本部校舎の中で活動を行っている。
そして、ガーデン正門から見て本部校舎の右手。
そこに一人、ファリスはたたずんでいた。
周りにはたくさんの墓。
その墓の中に、彼女の命の恩人の墓がある。
(久しぶりだな)
最初にたどりついたこの地で乱闘騒ぎを起こし、それをアーヴァインという青年が拾い上げてくれた。
そのアーヴァインは彼女の命を助け、その命を助けた。遺体すら残らなかった。
自分を追いかけてきたエクスデス。その悪霊に命をかけて挑んだ彼。
何を思って戦ったのか。
使命感か。
確かに使命感は人一倍強い男だったと思う。
「人を助けておいて、死ぬんじゃねえよ。バカ」
意識を失っていたファリスは、アーヴァインがどうやって『あの』状態になったのか、何も知らない。
四肢がばらばらになり、頭がこげついて判別することも困難だった彼。
自分を助けるためだけに、命をかけたとは思わない。
だが。
「俺な、お前のこと結構気に入ってたんだぜ」
飄々として、それでいて懐の深さを感じさせる男。
だが、その男の意識はどこか別のところにあって。
(入り込む余地なんてなかったのは分かりきってたんだけどな)
その辺りはさすがに『女の勘』とでもいうべきだろうか。彼は自分を女だと認識していて、それでいて自分に全く関心を示さなかった。
彼の心には、別の人間が既に住んでいたから。
「あーあ」
その場に座り込み、小さな墓をぽんぽんと叩く。
SeeDたちと行動しているのは楽しかった。全員の任務遂行能力が高く、意思が統一されていて速やかに活動できる。かつてヴァルツには一国を制することも不可能じゃないだろうともちかけたことがあるが、それは決して誇張ではない。
アセルスやサイファー、セルフィ、カインといった面々も決して嫌いというわけではない。だが、このトラビアで戦った数日間は、やけにリアルに覚えている。
確かにアーヴァインのことは気に入っていたが、それ以上にこのトラビアでの戦いは『楽しかった』というのが本音だ。
突然異郷に放り込まれて、誰も味方するものがなく逮捕され、そんな中でようやく手に入れた自分の立場。
ヴァルツが自分を含めて計画を立案してくれたことが、何よりも嬉しかった。
自分を仲間と認めてくれることが一番に嬉しかった。
だから、このトラビアガーデンはファリスにとって大切な思い出の場所なのだ。
「こんなところで何してんだ?」
突然、後ろから声がかかって首だけ振り向く。
そこにいたのはやんちゃ坊主という言葉が誰よりも似合う男だった。
「お前にこんなところが似合うとは思わなかったぜ、サイファー」
「こっちの台詞だ。この世界の人間でもねえ奴が、なんで墓なんかにいやがる」
白いコートの男は、けっ、と不満を表す。
「なんか嫌なことでもあったのか?」
「ああ。ちっとばかり、ダチの面倒見てきた」
「お前がか?」
正直、ファリスは驚いていた。サイファーに友人がいるなど、とても信じられない。
「悪いかよ。ったく、世話のやける奴らばかりだぜ」
横柄な態度に、思わずファリスも苦笑する。
この男は、自分が海賊をしていたころの荒くれ者たちに似ている。
「で、こんなところで何してんだ?」
改めて尋ねてくるサイファーに不信感を抱く。
「ここにいちゃ悪いのか?」
「ああ。邪魔だからな」
その横柄な態度に苛立ちを覚える。
「じゃ、なおさらここにいなきゃならないな。それでお前の邪魔をしてやるさ」
「ふん」
サイファーは鼻を鳴らすと墓場の中央まで歩いていった。
いったい何をするつもりなのやら、としばらくその背を見つめる。
中央で立ち止まったサイファーは、何をするでもない、ただしばらくじっと黙ってたたずんでいた。
様子がおかしいのは明らかだった。
(なんだってんだよ)
いつまでも動かない後姿は、彼らしくもなくどこか震えているようで。
(なんでこんなところに来るんだ?)
墓場に何をしに来るか。
そんなものは決まっている。自分を顧みれば明らかだ。
(まさか)
ファリスは立ち上がった。そして、走る。
じっとたたずんでいる彼の肩を掴んで強引に振り向かせた。
「何しやがる!」
突然肩を掴まれ、当然のようにサイファーは怒鳴り散らす。
「お前……」
彼の表情にはいささかの変化も見られない。
だが。
誰かが、言っていなかっただろうか。
彼は、人相が悪くとも、やることがいい加減ででたらめでも、優しい心の持ち主だと。
「ちっ」
ファリスを払いのけて、サイファーは墓場を後にする。
そうだ。
彼はかつて、バラムやトラビアと敵対していた。
彼のために、たくさんの血が流れた。
彼がここに来たのは。
(自分の非を詫びるため……なのか?)
自分の感情表現が下手な男が、唯一できること。
それは、誰にも見られないように、墓場で心の中だけで詫びること。
(……不器用な奴)
ファリスは苦笑した。
スコールの体から魔女の力が溢れる。
魔女の騎士である彼の中に魔女がいる。
彼の体は宙に浮き、金縛りにあったかのように背を反らして硬直したまま動かない。
(リノアさん)
まだリノアが生きていたということも驚愕に値するが、それ以上に彼を想う一途な気持ち。
どうしてあれほど、一人の男性を想い続けられるのか。
正直、勝てない、と思う。
だが、あんな愛し方はしたくない。
自分が死んだとしても、相手に取り付いてでも、相手を自分のものにしてしまう独善的な愛。
いや。
(それも、愛、なのかもしれない)
もともと愛というのは独善的なものだ。
自分の望む通りの相手を求め、自分にとっての最善を求める。
相手の都合ばかり考えるのは、相手に迷惑をかけたくないという気持ち。
だが、そればかりでは自分が満たされるわけがない。
理性を失い、本能そのままの存在となったリノアが相手のことを考えるはずがない。
今のリノアには、スコールを自分のものにするというその一念のみ。
それが、たった一つの、最高の望みだったから。
(勝てない)
それほどに人を愛することを、彼女は知らない。
知らないことが枷になっているということを自覚している。
そして、なにより。
(リノアさんに、私は負い目がある)
スコールという人物が次第に自分の中で大きくなっていくことに気づいた。
リノアという存在が、自分の気持ちにブレーキをかけていた。
でも、自分はどこかで既にもう気づいていた。
スコールが愛しくて、守りたくて、守られたくて、そればかりを考えていた。
だが、自分以上にスコールを愛して、守ろうとして、守られようとしている人物の存在を自分は知っていた。
それが分かっていたから、スコールに接近することを無意識に避けていた。
そしてリノアがいなくなってから、枷がなくなったかのようにスコールに近づいた。
それが負い目。
卑怯な自分。
リノアと戦うことを避け、傷ついた彼に近づいた自分。
「り、り、りの……」
スコールが苦しそうに声を出す。
『もう離さない。私だけのスコール』
スコールが苦しんでいるのに。
スコールはリノアから逃げたがっているのに。
彼女への負い目が、自分を動かせずにいる。
(私は、弱い)
強くなったつもりでいた。
だが、その強さは何からきていたのか。
彼を守りたいから強くなったのではないのか。
(どうすればいいの)
リディアの目に涙が滲んだ。
111.終焉の時
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