『前に我が牙を手にしたは守護者』
天竜は、ぶるり、と体を振るわせた。
全ての始まりであった前回の戦いから早一万年が過ぎようとしていた。竜の寿命で一万年など、たいした長さではない。それまでの戦いの日々に比べてなんと短いことか。
『次に我が牙を手にするは変革者』
現在を守る者と、現在を変える者。
全く違う二つの属性をそれぞれ主とする自分は、ある意味では幸福なのかもしれない。か弱い人間が竜以上の力を見せ付けてくれる、数少ない機会にめぐりあえるのだから。
『来ましたね──我が主』
天竜は優しく呼びかけた。
PLUS.116
天騎士
What am I?
崩れ落ちた下の階もまた、広大な空間になっていた──いや、何か今までとは雰囲気が違った。
同じ天空城内とは思えないほどの、無機質な空間。
色のない、光も闇もない、ただの『空間』がそこにあった。
(どういうことだ?)
見上げても、落ちてきた穴すらそこにはない。
以前リッチに白い空間へと誘われたり、イリーナの精神世界で黒い空間に侵入したが、あれらに似ている。
色のない空間。
(では、ここは天空城ではない、亜空間ということか)
瞬時にカインは判断する。
立っている床も、よく見るとそこは床ではない。ただの空間の上に立っていた。しっかりと床を踏みしめているのに、下に何もないというのは多少不安な気持ちになる。
問題は、この空間は誰の手によるものなのかということだ。もしもティアマットならば、このままなぶり殺しにされるのを待つしかないということになる。
だが、そうではないらしい。
彼は正面を見据える。その向こうに巨大な竜。
──ここに、いたのか。
彼は歩み寄り、その竜と対面する。
『久しぶりですね、我が主』
天竜は、厳かに話しかけてきた。
「探していたんだ」
挨拶もせずに、カインは天竜を真っ直ぐに見詰める。彼にしては珍しく興奮していた、というべきだろう。こんな何の前置きもなく本題に入るほど、気が急くこと自体が少ない。
「お前の言う通りだ、天竜。俺は甘えていた。風を奪われたくない、それだけは残しておいてほしい。そんな俺の気持ちは甘えだ」
(そのことに気づけただけでも成長です)
天竜は嬉しそうに体を揺すった。うなずいて、さらに彼が言う。
「だが、それでもあえてお前に頼みたい。俺の力、風を感じる力を俺にくれ。俺自身のためではなく、俺の大切な仲間たちを守るためにその力がほしい」
(なりません)
だが意外にも天竜の答は、拒否、であった。彼としてはもう完全に武器が手に入るものだと思っていた。だが、それが認められないというのはどういうことだろう。
(あなたにはまだ私の牙を預けるわけにはいきません)
「何故だ?」
さすがにカインも驚いて尋ね返す。
「俺は罪を負う。どのようなことでも。それが仲間を守ることにつながるのなら、俺はどんな罪でも負おう。風を返してほしいという気持ちはあることは否定しない。だが、その力がなければ俺は戦うことはできないんだ」
(本当に?)
だが、本気で言った台詞すら、たった一言で一蹴された。
(あなたに風を返すわけにはいきません。あなたは仲間を守ると言いましたが、私はあなたにそのようなことを求めているわけではありません)
「何だと?」
(あなたは守護者ではありません。あなたは変革者なのです)
彼は一瞬閉口した。世界の用語を使われたところで意味は分からない。
「どういうことだ?」
(あなたは守ると言った。それは守護者の役割です。守護者は全てのものを守る。世界も、仲間も、そして自分自身もです)
「自分自身も?」
(そうです。あなたが守りたいと思っている限り、成長は止まります。成長するということは変化するということです。あなたは変革者にならない限り、今ある自分を完全に捨てない限り、完全な成長を遂げることはできません。そうならない限り、変革者としては認められません)
「ならば、俺はどうすればいい?」
(分かりませんか?)
全く分からない。だからこそ尋ねている。
(あなたは変わらなければいけないのです。いいえ、あなたは変わったことを自分で認めなければいけないのです)
「認める?」
(ええ、あなたは既に『生まれ変わって』いるのですよ、カイン)
その意味は分かった。確かに自分は一度死んでいる。
「それは一度俺が死んでいるということか」
(その意味もあります。ですが、気づきませんか? あなたが死ぬ前と生まれ変わった後とで、何が異なっているのか)
それはもう、よく分かっている。風を感じなくなった。そして戦う力を失った。
(あのとき、あなたは自分の殻から少しだけ、足を踏み出したのです。思い出してみなさい、あの精神世界であなたが何を考えたか──)
天竜の言葉に、ふとあの精神世界のことを思い返す。
思い出されるのは、愛しい女性の姿だけだった。
『あなたも、幸せに──』
ローザがそう言ったときに、自分はその言葉を信じてみようかと思った。
それまで自分は絶対に幸せになれないと思っていたのに。
ローザの言葉だから、信じてみようと思った。
(違います)
だが、天竜はそれを押しとどめる。
(愛しい女性の幻影を作り出したのは、あなたの心です。あなたの心の中にある唯一の正の感情、愛が生み出した幻影です)
「……?」
(つまり、あなたはもう心の奥底では気づいていたのです。自分が幸せになってもいいのだということを。ですが、あなたは自分の理性でそれを封じ込めていた。幸せになってはいけないと自分に言い聞かせていた。だから、あなたは愛しい女性の姿を借りて自分に言わせた。あの言葉は、あなた自身の言葉なのです)
「だが」
彼は抵抗したかった。だが、できなかった。
天竜の言葉を否定したいのに、心の奥底で認めてしまっている自分がいる。
(あなたは信じられないかもしれませんが、あなたは分かっているのです。変わろうとする意思が少しずつ芽生えてきているのです。あなたは以前のままの自分が気に入っているにすぎません。風を感じていられれば、あなたは幸せでいられたから)
「ああ」
(ですがもう、その幸せは手に入りません。あなたは風を失ったから。変わることを少しでも認めてしまったから)
「では、俺が風を失ったのは」
(そうです。あなた自身の意思です。変わろうとする心と、変わりたくないという心。その不安定な心が、あなたの力を奪っていたのです)
確かに、思い当たる節はある。
生まれ変わってから、自分はブルーの進言でリーダーとなることを受け入れた。おそらく以前の自分であればリーダーなどという地位は絶対に断っていただろう。
エアリスやアセルス、ブルー。リーダーという地位を口実にして、彼らを少しでも助けてやれないかと苦心していた。
いずれも今までの自分では考えられない行動だった。
そんなに自分は変わりたかったのだろうか。
その気持ちは確かにある。だが、同時に変わりたくないという気持ちがあるのも確かだ。
(変革者になるためには、自分が成長しなければなりません。変わりたくないという気持ちは成長に歯止めをかけます。成長することは変化すること。今ある自分を全てなくすことです)
「怖いな」
成長が怖い。変化が怖い。
それは、今の自分が死ぬ、ということと等しい。
(ですが、あなたは選ばなければなりません。あなたの心に意識化された今、あなたは選ぶ力を手に入れました)
「選ぶ?」
(そうです。今までどおり変わらずにいるか、自分が変わることで世界を救うか)
「変わらなかったとしたらどうなる?」
(もちろん、あなたは世界を救うことはできません)
「変わったら、今の俺はどうなる?」
(なくなり、新しいあなたになります)
どちらも選ぶことは難しいように思えた。
だが、自分は既に全てを受け入れていた。
どのような罰でも受ける、ということを。
それは、心地よい今の自分を失うことすらためらわないのだということを。
「いいだろう」
カインは断言した。
(変わることを受け入れるのですか?)
「それが俺にくだされた罰だというのなら」
カインは力強く答えた。
「お前の望む通り、俺は変革者となろう」
(いいでしょう。あなたに私の牙を授けます。ですが、あなたに風を返すことはできません)
「風なしで戦うのか。それも俺への罰だというのなら、やむをえないが」
カインは手を伸ばして、近づいてくる長い天竜の牙を掴んだ。
その瞬間、牙が武器に変わる──
「これは?」
(それがあなたの武器です、カイン)
カインが手にした武器。
それは、剣、だった。
「待て、天竜」
さすがにカインは戸惑った。
「俺は竜騎士だ。剣は使えない」
(変革者になることを認めたのではないのですか?)
意地悪そうに、天竜は苦笑して言う。
「確かにそうだが」
(あなたは誰よりもこの剣を手にする資格があります。考えてみてください。あなたは今現状で槍を使えますか?)
「槍を?」
(あなたが槍を手にしたとして、本当に使いこなすことができますか?)
今までの戦いを思い返してみても、確かにそうとは言い切れない。
アセルスやファリスとの訓練、ティナとの腕試し、そしてマラコーダとの戦い。
自分の槍は、全く通じなかった。
(まだ、分かりませんか?)
何を言われているのかすら分からない。
(あなたは一度死んだとき、既に竜騎士ではなくなっているのです)
「なに?」
(あのリッチとの戦いで、あなたは一度死にました。そのとき、竜騎士としての力の全てをなくしています。あなたは本当の意味で生まれ変わったのです)
「だが、それなら俺はどう戦えばいい?」
(あなたがそれに気づくかどうかが問題です。ですが、あなたの目の前にあるその剣を見れば少しは分かるのではありませんか?)
剣。
そう、自分が手にしたのは槍ではない。剣なのだ。
「何故剣なんだ?」
(それが今のあなただからです。分かりませんか?)
「だから、何がだ!」
(マラコーダと戦ったとき、あなたはアルテマウェポンを手にした。あれは、持ち主の精神を投影する武器。あなたが剣の形にしたのなら、あなたは剣を使う素質があるということです)
「……」
突然そんなことを言われても、今まで剣など訓練では握ったことはあれど、実戦で使ったためしなどない。常に槍を手にし、空を駆けてきた自分にとって、剣を振ることなど考えられない。
これも、自分に課された罰だということか。
(それに、もう一つ)
カインは唾を飲み込む。
(不思議に思いませんでしたか? いえ、あなたは思わなかったでしょうね。おそらく気づいていたからこそ、あなたは意識しようとしなかった。回りの人たちはあれだけ不思議がっていたのに)
「天竜。はっきりと言ってくれ」
胸の奥がチリチリする。
何か、とんでもないことに自分は気がついていて、それをあえて無視している。
(ティナを治したのは、誰だと考えましたか?)
「誰?」
(そうです。誰かが彼女を治癒したのです。魔法で。ですが、彼女はずっと『あなたと』一緒にいた。怪我をしてからずっと一緒だったのです。あなたの目の届かないところに行ったのはトラビアに着いてから。ですが、そのとき既に彼女の出血は止まっていたのです)
全身から、感覚が全て奪われたような気がした。
その言葉の意味することは、たった一つだった。
「俺が治したというのか」
(そうです。あなたが無意識のうちに回復魔法をかけていたのです。あなたの新しい力で)
「まさか」
(そのまさかです、カイン)
天竜は、ついにその言葉を告げた。
(あなたは、パラディンとなったのです)
パラディン。
かつて、セシルがその道をたどった。暗黒騎士として力を磨いた彼は、新たな力を得るためにそれまでの自分を全て失い、暗黒騎士の力を捨ててパラディンへと変化を遂げた。
その変化がまぶしかった。
自分は変わることができない。だが、成長し、変わっていく親友。自分はそれをずっと見ていた。
そう。自分が決定的に彼にかなわないと思うのは、その『自分を変えられる』強さだった。
そして気づいていた。
その力を手にしない限り、自分は彼の下に戻ることはできないのだということを。
自分がパラディンになる。
変わる。
セシルのように、自分が生まれ変わる。
「俺がパラディンとして、セシルのように……」
力強く、天竜の牙を握る。
その瞬間、自分の体内に力が宿ったような気がした。
(あなたはこれで、正式な変革者となりました)
天竜は厳かに伝える。
(ですが、あなたにはこれからその資格を満たすために、一つの試練を受けなければいけません)
「試練?」
(そうです。あなたの友人と同じように、過去の自分と訣別する必要があります。それをもって初めてあなたは真のパラディンとなれるでしょう)
そこまで言うと、天竜の姿が消える。
そして現れたのは──
「これは、俺か」
槍を握っている竜騎士の姿。
それはまぎれもない、今までの自分の姿だった。
(あなたは過去の自分を倒さなければいけません。お分かりかとは思いますが……)
竜騎士が動いた。
(強いですよ?)
そして、竜騎士は高く飛び上がった。
117.変革者
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