あれは、月の地下渓谷。
ほんの一年ほど前の記憶なのに、ひどく遠く感じる。もう何百年も経ったかのような。
今はもう、お前の声も遠い。
『お前がいてくれてよかった』
あの言葉が、最後の最後で俺を救った。
あの言葉があったからこそ、俺はここまでやってこれた。
お前の言葉にすがって、頼って。
だから。
俺は、お前に追いつきたい。
お前と同じところまで行きたい。
今は、そう思う。
いつまでも追いつかないと思っていた。
お前の姿が全く見えなくなっていた。
だが。
今は──もう、お前の姿が見える。
追いつける距離にいる。
そう。
俺は、お前に──言わなければならないことがある。
PLUS.117
変革者
I am...
竜騎士が宙から鋭く舞い降りてくる。バックステップで回避するが、続けざまに槍を繰り出してくる。回避しきれず、左肩を槍がかすめていく。
なるほど、確かに強い。
自分が弱いだなどと思ったことは一度もない。だが、こうして体面してみるとその強さがよく分かる。自分を客観的に見るなどという機会はそうそうあるものではない。
相手の背後に回りこむスピード。高くジャンプして、降下しながら繰り出す攻撃。手足のようにしなって攻撃してくる槍。
どれも、かつての自分が得意としていた攻撃。今の自分にはできない攻撃。
自分は、この剣で戦うしかない。
だが、自分は剣での戦い方を知らないのだ。
(セシルはその点、楽でよかったな)
もともと暗黒騎士から聖騎士になったところで、剣を使うという点では変わりない。どのように剣を扱うかということでは悩むまい。
だが、今の自分には剣の軌跡が全く見えない。どう振ればいいのか、どう構えればいいのか、どう操ればいいのか、何も分からない。
もっとも、その方が今までの自分から完全に脱皮するにはよいのかもしれないが。
「負けられないな」
間合いを取って一息つく。
こうして常に冷静な環境に自分をおいて戦うのは今までの戦法だ。
これからは変えなければいけない。
冷静さを失わず、常に戦い続ける。
それが剣を持った者の使命だ。
常に先頭に立ち、仲間の様子と敵の様子を全て把握し、なおかつ戦う。
(さすがだな、セシル。そんなことをお前は普通にこなしていた)
もっとも、カインの知らない事実もある。
セシルは戦うとき、常にカインの援護を受けて戦っていた。
信頼できる仲間が後ろにいるときの安心感。
それがあったからこそ、セシルは冷静に戦えたのだ。
カインがいたときといなかったときとで、セシルの戦い方は大きく違った。
それだけ、カインは親友から信頼されていたのだ。
──それを知ることは、ついにカインにはなかったのだが。
カインは突進した。
遠い間合いは相手のペースになる。自分が苦手としているのは接近戦だ。これ以上ないくらいに近づかれて、それこそヤンと手合わせしたときのように、ゼロ距離で打撃で攻撃されるのが一番やっかいだった。
だから相手に余裕を与えず、常に先手を取って攻め続けることが肝要だ。さいわい現状で、守らなければならない仲間がいるわけではない。
竜騎士がジャンプしようとした瞬間を狙って剣を振り下ろす。竜騎士は横に回避して、逆に槍で薙ぎ払ってくる。
だが、その弱点も知っている。相手のゼロ距離に入ってしまえば槍の攻撃はできない。少なくとも自分には攻撃できなかった。
懐まで入り込んで、カインは相手の顔面に肘を入れた。
そして槍を取り上げるために天竜の牙で相手の右手を打つ。
だが、竜騎士は素早く槍を左手に持ちかえて間合いを取り直そうとする。もちろん逃がさない。カインは決して離れずに竜騎士を追い詰めていく。
(そういえば──)
こんな戦い方を、以前誰かからやられたような気がする。
(そうだ。セシルだ)
セシルは自分のことをよく知っていた。
セシルが自分と戦ったときに、こう戦ってきたのだ。
(それに対して、自分は──)
まずい、と判断して間合いを取り直そうとする。
が、遅い。
竜騎士は左手一本で槍を逆に持ちかえた。
そして、槍の柄で自分の右目を狙ってきた。
回避した。だが、気づくのが遅かった。完全に回避しきれず、こめかみから鮮血が飛ぶ。
(くっ)
あれは自分の防衛方法だ。追い詰められているように見せかけて逆転を狙っている。
やはり、強い。
もっとも、カインの知らない事実もある。
セシルはカインと戦ったときに、そうしてカインを追い詰めようとした。
そのときに何を狙っていたのか。
彼は、カインの武器を取り上げようとしたのだ。だから接近して攻撃をしてきたのだ。
そうでなければ、いくらでもやりようはあったのだ。リディアもエッジもいたのだから、魔法や忍術で自分を攻撃することはできたはずだ。
それなのに自ら攻撃してきたのは、なんとかカインを取り押さえて説得しようとしたからに他ならない。
それだけ、カインは親友から信頼されていたのだ。
──それを知ることは、ついにカインにはなかったのだが。
(お前は偉大だな、セシル)
考えれば考えるほど、セシルという男の偉大さが身に染みて分かる。
自分にはできないことを、彼は克服困難にも関わらず必ず実行しようとする。
決して逃げず、諦めず、戦い続ける。
自分など見捨てればよかったのだ。さっさと殺してしまえばよかったのだ。
だが、その結果として結局自分を助けたのだから、彼の信念の結果というものだろう。
それだけの信念が自分に持てるだろうか。
(あいつは、昔の自分と訣別した)
だがそれは、昔の自分を否定したわけではない。
受け入れ、そして新たな自分へと変わろうとしたのだ。
(俺とあいつとでは、根本的なスタートラインが違う)
自分は父親の跡をついで、自ら竜騎士となることを選んだ。
だがあいつは、主君のために意にそわない暗黒騎士となることを選んだ。
自分の職業に後悔している者と満足している者。
どちらが吹っ切れやすいかなど、言うまでもない。
セシルは暗黒騎士であることを捨て、聖騎士となった。聖騎士となることでローザと結ばれる道を選んだ。
だが自分は、竜騎士であることを捨てたくはないのだ。覚悟を決めた今ですら、未練が残る。
それを振り払わなければならない。
竜騎士であったことを自分でしっかりと受け止め、その上で新たに聖騎士となることを選らばなければならない。
もっとも、カインの知らない事実もある。
セシルは決して楽をして聖騎士となったわけではない。
カインと同じように過去と訣別し、過去を受け入れた上で聖騎士となったのだ。
暗黒の力で全てを傷つけ、破壊するのではなく。
パラディンとして全ての者を守り、導くために。
父親と戦い、その中で力を手に入れた。
──それを知ることは、ついにカインにはなかったのだが。
(自分が竜騎士であったということを)
しっかりと受け止める。
竜騎士が構える。
(いいだろう)
聖騎士には聖騎士としての戦い方がある。
仲間をかばい、敵をも救う、それだけの信念を持って活動する、という。
「来い」
カインの声に導かれるように、竜騎士は飛び上がった。
この攻撃を、耐え切る。
回避するのでもない、迎撃するのでもない。
耐えるのだ。
竜騎士が急降下してくる。
槍が、目前に迫る。
「プロテス!」
カインが魔法を唱える。
一度、槍が魔法の壁で勢いを失うが、そのままの勢いでカインの胸に刺さる。
(耐える)
だが、その槍は決してカインを貫くことはない。
カインの表皮をかすかに傷つけただけであった。
「これが聖騎士の戦い」
空いた手で、槍を逆に握る。
「俺は勝ったぞ!」
そのまま足で蹴りつける。竜騎士が倒れ、カインの手に槍が残った。
「お前は、昔の俺だ」
竜騎士は体勢を立て直そうとするが、それより先にカインがその前に立った。
「俺はお前を受け入れる。昔の俺は、臆病で弱かった。その自分を受け入れる。そして」
カインはその竜騎士の頭に手を置いた。
「俺は、生まれ変わるんだ」
その瞬間、光が世界を満たした。
(素晴らしい)
天竜の声が、最後に聞こえた気がした。
(私は牙の所持者には恵まれているようです。かつて、一度も私の期待を裏切った者はおりません)
それは俺には関係のないことだ、とカインは思った。
だが、評価されるのは悪いことではない。
(おいきなさい。そして世界の運命を)
「分かっているさ」
カインは微笑んだ。
床に叩きつけられてカインは目を覚ます。
天空城の内部。どうやらまだ、上の階から落ちてきただけの時間にすぎなかったらしい。
だが、自分の手の中には天竜の牙が残っている。
(やはり異空間だったのか)
不思議な出来事には違いない。だがそのようなことをいくら考えても仕方のないことなのだろう。
それよりも今は、やらなければならないことがある。
天上に別の穴が空き、悲鳴と共に緑色の髪の少女が落ちてくる。それをカインは受け止めた。
「大丈夫か、アセルス」
「いたたた……あ、無事だったか、カイン」
「なんとかな」
その新たにできた穴から、風をまとった黒髪の少年がゆっくりと降りてくる。
『やれやれ……急所を外してしまったか』
その言葉に、彼はアセルスが怪我をしていることに気づいた。
「やられたのか」
「まあね。あいつ、かなり強い」
「待っていろ」
怪我をしているのは腹部だった。その傷口に手をかざす。
「ケアル」
まだ魔法はうまく使えない。だが、全く使えないというわけではない。
「まだ使い始めたばかりでうまくはないが、傷口はふさがっただろう」
アセルスが信じられないというような目でカインを見る。
少なくともアセルスが知る限り、カインは魔法が全く使えなかったはずなのだ。
「どうして?」
「さあな」
説明する時間がないことを感じて、彼はアセルスをその場に横たわらせた。
「どうする気だ?」
「倒すさ。今の俺なら、カオスを倒せる」
それは自信だ。
戦いをくぐりぬけ、新しい力を手に入れた自分への。
『倒すだと?』
そうとも。今の自分なら倒せるのだ。
この、天竜の牙を持った自分なら。
『武器を変えたくらいで倒せると思ったならば大間違いだ』
「試してみるんだな」
カインは剣を握って力をためる。
『エアロガ!』
ティアマットは風の魔法を連射する。
だが、カインには通じない。確かに今のカインには風を感じることはできない。
カインは確かに竜騎士としての力は失った。だが、過去に学んだ知識までなくなることはない。
風の軌道は、はっきりと読み取れた。
三つの風の魔法を、無傷でカインはすり抜けていく。
そして、その風を切り裂く。
『な』
ティアマットは驚愕の声を上げた。
「カオスに還るがいい。この世界はお前たちが好きなようにできるものではない」
この剣を握っていると、力が見えてくる。
まだ剣を使ったことは少ないはずなのに、剣の軌跡が見える。
少年の体の上に、どのラインで剣を振ればいいのかが全て浮かんでいる。
自分は、その通りに剣を振るだけだ。
「超究武神覇斬!!」
無数の剣閃が、ティアマットの少年の体を切り刻んでいく。
何十もの線が、少年の体に浮かぶ。
そして、徐々にその体が崩れていく。
ゆっくりと崩れたティアマットの体は、やがて風に溶けて消えた。
完全に、消滅したのだ。
「つ、強い……」
アセルスは唖然としてその光景を見た。
これほどの力を、カインは秘めていたのだ。
「確かに強いな」
カインは頷いた。正直、これほどの力を自分が持つことになるとは思わなかった。
「だが、この力は世界を守るためのものじゃない」
「え?」
アセルスは尋ね返した。
「この力は、世界が滅亡するという未来を変えるためのものだ」
「ええっと?」
アセルスは立ち上がって首をかしげる。
「どう違うんだい?」
「俺は今の世界を守りたいんじゃないんだ。未来を変えることが俺の目的だ。それが結果的に守ることになるのかもしれない。だが、それが本当の目的じゃない。俺は、全てのものを変える変革者となる。そして、カオスを倒す」
「カオス……」
「そのためにも、クリスタルルームへ急ごう」
今までのカインとは何かが違った。いつも後ろ向きで、後悔ばかりしていたカインとは全く違った。
(リーダー……)
ブルーが本能で悟った、リーダーとしての素質。
それが今、芽吹こうとしていた。
「行くぞ」
「ああ、そうだね」
二人は頷きあうと、さらに奥の部屋へと向かって走り出していった。
118.火花散る戦闘
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