サタンの力は強力である。それは戦闘に参加しないエアリスに一つの決断をさせた。
 みんなで生き残るために。
(ここは、星の力を感じない。多分、星という空間から切り離されているんだと思う)
 星の声が聞こえない。全くといっていいほど。
 だから、ここで星の力を使えば、それは自分の体に大きな負担をかける。
『自分の体は大切にしろよ、と』
 あの不器用なタークスがそう言っていたのを覚えている。
 だが、これも仕方のないことだ。
(私の命で、みんなが助かるのなら)
 最後に。
 あの竜騎士にもう一度会いたかった。












PLUS.124

堕天使







dragon type






「回避!」
 ブルーの声が真剣味を強く帯びるようになった。
 すぐに竜型サタンからの高温ガスが迫る。特に一番傍にいたティナとファリスは迅速に行動して、その攻撃を受けないように退く。
「迂闊に近寄るな! 離れていても油断するな! 人型の時の倍以上早い!」
『三倍、だ』
 赤い鱗に覆われた竜型サタンが、一瞬でジェラールの背後を取る。
「な」
 そして、その鋭い爪が、ジェラールの体に落ちる──

『星の守護!』

 だが、そこにエアリスのリミット技、全ての攻撃を無力化する魔法が飛んだ。その守護の力の前には、さしものサタンの爪すらも弾き飛ばされる。
『ぬう!?』
「効果は長続きしないから、今のうちに!」
 エアリスが弱々しい声で全員に声をかける。
(こんな裏技があったなんてね)
 ブルーはその守護の下、行動を開始する。
(作戦通りに、頼むぞ)
 竜型サタン──これさえ倒すことができれば、後はどうにでもなる。
 とどめの一撃をブルーが放つ。レミニッセンスを超える、超裏技だ。
『術者自身を危険に晒す』この魔法を放つことは、生き残ることを優先する今の自分にとっては禁呪といっていい。だが、地獄の君主の強さは折り紙つきだ。これでなければ倒せないだろう。
 あとはそのために、全員がサタンの注意をひきつけてくれなければならない。あの神速を誇るサタンの懐に入らなければならないのだ。それに、敵も自分のことを警戒している。そうやすやすと倒させてくれるとは思えない。
 それでも、やるのだ。
「召喚獣!」
 リディアと、そしてティナが同時に呪を唱える。
「アフラ・マズダ!」
「マディン!」
 戦場に現れる光の鳥と戦士。その力に属性はなく、あらゆる無効化を防ぐことができる。対魔法の力が格段に強いサタンにとってもこの攻撃は有効に働く。
 スパークが魔竜を包む。もちろん、その程度で倒れてくれるような可愛げのある敵ではない。その光の中から、一直線に──ファリスに迫る。
『不用意に近づかないことだ』
 ブルーの言葉が彼女の頭をよぎる。無論、こんなバケモノと剣を交える気など、ファリスにはない。自分の役割はあくまでも注意を引くという一点にある。
 魔竜の主な攻撃方法は、ブレスと爪。
 後ろに引けばブレスを放たれ、横に飛べば爪が舞う。
 最善の方策は──
『正気か? 小娘!』
 ファリスは前進した。いくらエアリスの『星の守護』を受けているからといって、彼女の力とて万能ではない。
「ばぁか、策ってのはどんなときでも必ず一つはあるんだよっ」
 魔竜の爪がうなりをあげる。
 だが、その先にいたファリスの姿が、突如消えた。
『ぬう!?』
 爪が空を切り、改めてファリスの体が浮かび上がる。
「そら、隙だらけだぜ!」
 それとタイミングを合わせて、サイファーとジェラールも切りかかってきた。
「ラフディバイド!」
 サイファーの下からの切り上げが、魔竜の鱗を何枚か剥ぐ。
「流し斬り!」
 ジェラールの兄譲りの秘剣が魔竜の顔に傷をつける。
「魔法剣、ファイガ!」
 そして、至近にいたファリスが鱗の合間から剣を突き刺し、体内で炎を放つ。
『甘い』
 だが、もう片方の前足が大きく振るわれる。その先にいたのは、ジェラール。
 星の守護は──既に一度、彼は使っている。当然、強度は二度目の方が、薄い。
「ジェラール!」
 守護の力を突き破った爪が、ジェラールの胸に傷跡を残す。
 おびただしい鮮血が大地に落ちた。
 だが、かつての皇帝はその程度では怯まない。致命傷に近い傷を受けながら、ジェラールは反撃の魔法を放つ。
「ライトボール!」
 ダメージなど期待していない。期待したのは、その光による『目くらまし』だ。
「いまだ!」
 ブルーが駆ける。
 内に溜め込んだ魔力を放つために、敵の懐に飛び込むために。
『甘い、わ!』
 だが、たとえ目が見えなくとも魔竜にはその魔力の動きが感じられた。
 最も巨大な魔力を持つ者が、自分に近づいてくるブルーに他ならない。
 そう、ブルーの狙いはあのレミニッセンスを上回るほどの魔力を使う禁呪。それは魔竜もよく分かっていた。だからこそ警戒していた。
 その警戒は、たとえ目が見えなくても、その魔力を感知するだけで──
「ブルー!」
 ファリスが叫ぶ。だが、それよりも早く魔竜は口から高温ガスを放った。
 灼熱の炎が、

「騙されたね、サタン!」

 リディアを、狙った。
 そう。この段階において、魔力が最も高い者はブルーではない。リディアだ。
 サタンはそれを見誤った。いや、見誤っているに違いない。だからこそ、この奇策は通じるとブルーは信じた。
 そして、リディアはその高温ガスを、
「シヴァ!」
 彼女にとって最大の友人である氷の女王が吹き飛ばす。
『ぐぬぅ?』
 その冷気に押されたサタンの懐に。
「さあ、懺悔の時だ、サタン!」
 ブルーが到達した。
 その両掌をぴたりとサタンの右前足につけ、禁呪を発動する。
『ぐううううっ!』
 サタンはその右前足からブルーを振り払おうとしたが、金縛りにあったかのように右前足だけが動かない。それは既に、ブルーの魔力がサタンの体内に送り込まれていることを意味した。
「オーバーロード。我が体内にある全ての力をここに注ぐ。我が血は全てのマナの源」
 この呪を唱えることは、自分が死ぬことに等しい。
 だが、これしか倒す方法はない。はじめから、レミニッセンス程度の魔法でどうにかなるとは思っていない。あれは敵がまだ不完全だったからこそ通じた技だ。
 完全形態の竜型サタンに対して自分が放つことができる技は、これしかない──!
(アセルス、ごめん)
 一瞬、大切な半妖の姿を思い浮かべる。
 だが、躊躇はない。迷いもない。
 全てをこの一撃に、かける!
『ブルー、きさまああっ!!』
「我が血の全てはマナと化し、凶暴な光とならん──!」
 レミニッセンスと対を成す魔法。
 レミニッセンスが体内にある全ての魔力をつぎ込む『明確な記憶』の魔法ならば、こちらは全ての生命力をつぎ込む『おぼろなる記憶』の魔法──
「リコレクション!」
 体内から力が急激に抜けていく。
 五感が急速に閉じ、意識までもが失われていく。

『よいか、ブルー。この魔法を使う時は、必ず一撃で相手を倒すことだ。さもなくば、お前は無駄死にとなる』

 そう。
 この魔法を使えば死は確定していたこと。
 そのかわり、世界の礎となれるのならば、これほど安い買い物はない──
 ただ。
 自分の死を知ったときの、彼女の嘆きだけが、唯一の心残りだった。

 そして、サタンは爆ぜた。






 倒した。
 周りで見ていた仲間たちはそう確信した。魔竜は体内から爆ぜた。爆風で様子は分からないが、あの状況で倒せないはずがない。魔竜の姿形はどこにも残らず、はれて閂を外す作業に取り掛かれるに違いない。
 だが。
 その希望は、徐々に高まる不安の波にかき消されていく。
 あれだけのダメージを負ったというのに、いまだにサタンの禍々しい気は損なわれていない。いや、むしろ徐々にその力を増しているかのような、そんな雰囲気すらある。
「ふざ、けんなよ……」
 ファリスがつぶやく。
 重傷を負ったジェラールはまるで回復する気配がない。
 サイファーは構える剣を解かず、ティナもリディアも、じっとその爆心地を見る。

 そこに、翼を背にした天使の姿があった。

「あれは」
 リディアが震える。
 あの姿は、幻獣界の外で見た、あの四天使の姿にあまりに似てはいないだろうか?
 四天使の長である、天使長ミカエル。
 あの神々しさを禍々しさに変え、右手にしていた剣を左手に持ちかえただけではないのか?
 無論、そんなことはない。
 あそこにいるのはまぎれもない。
 ただ、誰もその確認をしたくなかっただけのこと。
「サタン──」
 それが、サタンの真の姿。
 禍々しい黒き十二枚の翼、漆黒の長髪、そして左手の黒き剣。
「あれが、あいつの本性ってわけか」
 傍若無人なサイファーですら、一瞬その禍々しい気に怯む。
「余もこの姿で戦うとはな。はたして、いつ以来のことか」
 生まれ落ちてからどれほどの月日がたったことか。。
 戦いなど、何十万年に一度しかないこの地獄で。
 ただ、戦うことだけを望み。
 ただ、天に挑むことだけを願った。
「手加減は、できぬかもしれんぞ?」
 その黒き剣を振りかぶり、その場で一閃する。
 その、衝撃。
「がはっ!」
 それだけで、ファリスとサイファーの胸に裂傷が走る。
(こいつは)
 サイファーが膝をつく。ファリスは既に致命の一撃だった。
(やべえな)
 さらにサタンが右手にこめた魔力球を放つ。その一撃で、ティナとリディアが吹き飛ばされる。
 これで、戦える者はいなくなった。
「なんだ、あまりにも不甲斐ではないか、人間よ」
 サタンはさらにその魔気を凝縮していく。
「余にこの姿を見せるほどの力を持っているのだろう。さあ、もっと余を楽しませるがいい」
 堕天使の翼がはためく。その十二枚の翼が、赤い大地に闇の帳を落とす。
「フォール・ダウン!」
 闇の中から、闇のエネルギーがほとばしる。
 幾条もの槍が、人間たちに降り注ぐ。
 それは、彼ら六人の人間たち全ての心臓を、正確に貫いていた──






 勝てない。
 サラとエアリスはその光景を見て思った。
 戦闘に参加していない彼女たちであったが、六人が全て倒れてしまえばサタンが次に狙うのは自分たちだ。
 それに、自分たちには閂を開けるという役割がある。
 特にその役目を果たさなければならないサイファーを死なせるわけにはいかない。
(仕方がない、か)
 エアリスは覚悟を決めた。
 まだ、間に合う。
 死に行く者たちならば、それを引き止めることが彼女にはできる。
 だが、既に自分は『星の守護』を使ってしまった。リミット技は連発ができるものではない。
 使えば、確実に寿命を縮める。
 それでも使わなければならない。
 この世界を守るために。
 約束の地へ、行くために──
(リミッター、解除)
 自分の力を最大限に放出する。
 この技を使わなければ、全員が死ぬ。
 だから使う。
 たとえ、自分の命がなくなったとしても。

 最後に。
 あの竜騎士に、もう一度会いたかった。

『大いなる福音!』

 赤い大地に、優しい緑の光があふれた。






125.約束の行為

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