心残りはない、と思う。
 故郷でやり残してきたことはない。皇帝としての仕事は全て次代に託してきた。
 ただ、もし一人だけでも自分を追いかけてくる人がいれば、と思っていた。
(キャット)
 ふと、最愛だった女性の名前が心に浮かぶ。
 まあ、あの気まぐれな女性が自分一人のために、世界を渡ってくるとは思えなかったが。












PLUS.125

約束の行為







angel type






 ぼんやりとした意識が、徐々に冷めていく。
 体内に流れ込んでくる癒しの力が自分を覚醒させていく。
(生きている)
 全ての生命力を使ったはずなのに。
『お前は無駄死にとなる』
 死ぬはずだったのに。
 生き残ることはできないはずだったのに。
 それなのに、どうして今の自分は、こんなにも万全の体調なのか。
「生きている」
 ブルーは、目覚めた。






 戦場に異変が生じていた。
 全員の力が満タンに回復している。致命の一撃を受けていたジェラールやファリス、生命力が尽きたブルー、そしてティナ、リディア、サイファー。全員が全回復していた。
 それが、エアリスの力。
 星の加護を受けた彼女だけが使える、極限の癒し。
 それが、地上を優しく照らしている。
 持続時間は短い。その間は、いかなる攻撃も彼らを受け付けることはない。
「態勢を立て直す!」
 サタンを倒すことができるほどの時間は与えられない。おそらくは数秒。その間に、サタンの射程の外に一度全員が引く。
 サタンからの魔力球が全員に襲いかかったが、それはエアリスの力で全てが弾かれた。
 そこで、力尽きた。
 がくり、と落ちるエアリスをサラが抱きとめる。
(ありがとう、エアリス)
 ブルーはサタンを見ながら心の中で感謝をささげる。
(あとは、僕たちの番だ)
 堕天使サタンの攻撃方法は既に彼らの頭の中にインプットされた。あの衝撃波を起こす剣と、一撃で死にいたらしめる魔力球。その二つが最大の攻撃方法だ。
 もちろん、それだけではないだろう。だが、相手の攻撃方法を少しでも多く知っているということは、それだけ勝機が増す。
 衝撃波は地面と平行に直進してくる。回避は可能だ。
 そして魔力球の軌道から、おそらく指向性がある。対象にぶつかるまで追いかけてくるタイプだ。おそらくこちらの方がやっかいだ。回避するのではなく、防御するしかない。
 さて、どうする。
「決まってる。力押ししかねえだろ」
 サイファーがこちらの意図を汲み取ったかのように言う。
「そうだな」
 ここまで来て、小細工の通じる相手ではない。こちらの全力を全て注ぎこむ。それで倒せなければアウトだ。
 だが、その賭けを行う前に確認はしなければならない。
「みんな、聞いてくれ」
 ブルーはサタンに聞こえないように仲間たちに伝える。
「僕たちは、これから一つの目的を達するために動く。その目的だけは見間違えないでくれ」
 手早く説明された内容に、全員が頷く。サイファーだけが一人、不満げであったが。
「行くぞ」
 これで決着をつける。
 六人が一斉に動き出す。それにあわせてサタンも動いた。
 衝撃波がパーティに襲い掛かる。散じて回避すると、それぞれ攻撃の型を整える。
(リコレクションが通じるような相手じゃないか)
 通じるのかもしれないが、それで倒せるかとなると正直不安が残る。
(この戦い、最後まで意識を保ち続けることが優先だな)
 倒せない戦いをいつまでも続けるほどブルーは楽観的な人間ではない。
 まずは、相手の戦力を分析する。攻撃力が破格なのはもう確認した。おそらく防御力も体力も桁違いなのだろう。
 ティナがアルテマウェポンで斬りつける。サタンは巨体ゆえにその剣を回避することはない。剣で受けるか、直接ダメージを受けるかだ。
 実のところ、剣で受けてくれた方がいい。というのは、相手がダメージにかまわずカウンターで攻撃してくるようなら、攻撃したものの命が危ないのだ。
 アルテマウェポンがサタンの左足に刺さる。サタンは左手を振ってティナを弾き飛ばし、さらにファリス・サイファーの第二陣を迎え撃った。
「魔法剣!」
 ファリスが走りながら剣に魔法を込める。
「ホーリー!」
 堕天使相手に、これほどの効果のある魔法もない。どれだけ強いとしてもサタンは堕天使である。聖属性の攻撃が唯一の弱点といってもいい。
「それを受けるわけにはいかんな」
 ファリスの剣を、巨大な黒き剣で受ける。
 そこへ──
「黄竜剣!」
 ジェラールが高く飛び上がり、強烈な光と共に衝撃波をサタンに放つ。受け止めたサタンの左手から黒煙が上がる。
「なかなかやるではないか。こうでなくてはな」
 そこにサイファーの攻撃が続く。
「ブラスティングゾーン!」
 その黄竜剣の光の向こうから、サイファーが突進した。その剣がサタンの左手に刺さり、黒煙が上がる。
「まずい、引け!」
 ブルーの叫びにサイファーが退く。そこに魔力球が飛んできた。
「マジックチェーン!」
 最初から、ブルーは攻撃に参加するつもりはなかった。彼の仕事はただ一つ。味方を守り、戦いを援護することだけだ。
 ブルーの魔力でサタンは倒せない。だが、放たれた魔力球には限界がある。マジックチェーンで絡め取られた魔力球は徐々に力をなくし、サイファーに到達する前に消滅する。
(攻め手がない、か)
 仕方の無いことだ。それだけ、相手の力は人外に達している。
 もしもここに、スコールの最強剣があれば。
(いや)
 ないものねだりをしても仕方がない。手持ちのカードだけで戦う他に方法はないのだから。
「ブルー」
 ジェラールが声をかけてくる。
「僕が隙を作る。後はうまく、なんとかしてくれ」
「だが」
「危険は承知しているよ。でも、死中に見出す他に、勝ち目はないと思う。大丈夫、簡単に死にはしないよ」
 にこやかにジェラールが微笑む。
「分かった。期待する」
「期待されるよ」
 そしてジェラールが特攻をかける。正真正銘、真正面からの攻撃だ。
(おそらく、機会は一度きり)
 気高く優しい皇帝の命をかけた一撃が、自分たちに一度限りのチャンスをくれる。
「その覚悟は買おう」
 サタンは突進するジェラールに狙いを定める。
「だが、無謀であったな」
 黒き剣が真っ直ぐにジェラールに向かって伸びる。
 狙いはただ一点、彼の心臓。
「ジェラールっ!」
 すまない、とブルーは心の中で謝る。
 直後、彼の予測は現実となった。
 剣に貫かれた、皇帝の体──






 無駄死にはできない。

 先ほどの攻撃を受けたジェラールは、命が永らえたときにまずそう思った。
 魔竜の爪で切り裂かれた体は、エアリスの技で全回復している。だが、このまま堕天使サタンと戦い続ければ、間違いなく全滅する。
 だから、敵の四肢か武器か、何か一つでも敵から奪い上げることができれば、この敵の攻撃手段が少なくなる。
 自分一人と敵の攻撃一つならば、等価交換だろう。
(案外、脱落するのも早かったな)
 黒き剣に貫かれながら、ジェラールは剣を取りこぼした。
 そのまま、両手をその剣にあてる。
 引き抜かれる前に、この剣を。
 ──破壊する。

「活殺破邪法!」

 渾身の力をその拳に込める。
 ぎし、という鈍い音とともに、剣に皹が入っていく。
 そして、剣が砕けた。
 彼の、命と共に。






「今だ!」
 ブルーは仲間たちに号令をかける。この隙を逃すわけにはいかない。ここで倒せなければジェラールは無駄死にだ。
 ティナとファリス、サイファーが一気に間合いを詰め、急所に攻撃をあてていく。
 そして──
「セラフィム!」
 リディアの召喚魔法が完成した。同時にティナたちは一斉にその場を飛びのく。
 四方を司る大天使たちが、堕天使サタンを囲むようにして具現化し、自が武器を構える。
「ミカエルか」
 サタンはその中の一体を見て動きを止める。
 だが、ミカエルは何も言葉にすることなく、その刃を持って敵に突進した。
 四方からの極大攻撃がサタンの体に降り注ぐ。
 激しいスパークと共に、爆風が生じた。
「くっ」
 ブルーは何とかその爆風をこらえながら立ちとどまる。
(どうなったんだ?)
 腕で顔を覆いながらも、爆心地の様子をただじっと見つめる。
「まさか、四天使と契約を結ぶ召喚士がいたとはな。貴様よりよほど優秀ではないか、ブルー」
 そんな。
 あの攻撃を受けて、まだ息があるというのか。
 風が収まる。そして、全身に傷を受けたサタンがその場に残っていた。
「さすがに余も無事というわけにはいかなかったようだな。ふふ、これほど楽しい戦いはまさに何億年ぶりだ。楽しい、楽しいぞ」
 傷口から黒煙が噴き上がっている。あれは血液と同じだ。流れ出るものが液体ではなく気体なだけだ。確実にダメージを与えている。
 だが、決定打にはならない。
「このバケモンがっ!」
 たたみかけるように、ファリスが突進した。
「焦るな、ファリス!」
 剣のない傷ついたサタンにならば攻撃も通じると考えたのか、ファリスが力強く剣を振るう。だが、たとえ傷ついていてもサタンはサタンに他ならない。地獄の君主の名は伊達ではない。
 サタンの右足を、ファリスの剣が切り裂く。
 だが、そのかわりにサタンの右手に生まれた魔力球がファリスを直撃した。
「がはっ!」
 三メートルほど吹き飛んだ彼女の方にサタンが向き直る。
「邪魔だ」
 そして、堕天使の翼がはためく。
 さきほど、パーティを全滅に陥れた『フォール・ダウン』。
 それが、ただ一人、ファリスだけを狙っていた。
「馬鹿野郎、逃げろっ!」
 サイファーの声が飛ぶ。
 だが、魔力球の一撃で完全に力を失っていたファリスには、動く力すら残っていなかった。
「フォール・ダウン!」
 闇が降り、闇のエネルギーが放たれる。その数、十二。
 それが全てただ一人、ファリスを狙っていた。
 ファリスは、死を覚悟した。
(ここまでか。あっけなかったな)
 まだ体は動かない。麻痺効果を受けてしまっているようだった。
 ジェラールのように少しでも相手の戦力をダウンさせられればよかったのだが、それすらもかなわないようだった。
「ファリースッ!」
 叫びと、轟音は同時であった。
(……おい)
 ファリスは、目の前に一つの影が飛び込んできたのを見た。
 その影は彼女を突き飛ばし、そして──
「なに、しやがる……」
 突き飛ばしたサイファーが身代わりとなって、その十二条の闇をその身に受けていた。
 体中が穴だらけになり、こふっ、と吐き出した血も微量しか残っていない。
「ばぁか、目の前で女に死なれるのは寝覚めが悪いんだよ」
 振り返りざま、サイファーは飛び上がった。そんな力もないはずなのに。
 そして、
「フレア!」
 得意の火魔法を相手に叩きつける。その魔法の衝撃だけで、サイファーの体は軽く吹き飛ばされてしまった。
「このような魔法で、余にダメージを与えられるとでも思ったのか」
 だが、サタンは全くといっていいほどその火の魔法ではダメージを受けていなかった。これがサタンの対魔力であった。
「阿呆。オレの狙いは、てめえにダメージを与えるわけじゃねえよ」
 吹き飛ばされたサイファーはそのまま宙を舞い、後ろに大きくそびえ立つ『門』にたたきつけられる。
「む」
 サタンの顔に動揺が走る。
「これで詰みだ……砕けろ! エンドオブハート!」
 今度こそ、サイファー最後の、渾身の力を込めて。
 その閂を、粉々に破壊した。






126.闇より深く

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