一万年、という時が長かったのか、短かったのか。
 もう誰も、あの時の戦いのことなど覚えていないだろう。かくいう自分も、もう遠い過去の出来事としか思い出すことはできない。
 命をかけて戦った相手。
 もう、顔も思い出すことができなくなってしまっている。
(あの頃のことを覚えているのは、竜の一族と妖精の一族だけか)
 世界の命運をかけた戦いがいよいよ始まろうとしている。
 その戦いで、懐かしい顔を見ることが、もしかしたらできるのだろうか。
「陛下」
 自分に呼びかける声が聞こえてくる。
「異世界の方が到着なさいました」
「よし、通してくれ」
 待ち望んでいた相手。
 ようやく、会うことができるのだ。












PLUS.129

機械と魔法と







He is the world's greatest magician






 もちろん捨てろと言われて捨てるほどカインも人が良いわけではない。それに、目の前の男たちはいずれも彼より小柄で、武器の扱いも素人とは言わないが、彼の剣にすら及ばないのは目に見えている。それこそ、昨日の蜘蛛型の方がはるかに強いのは明らかだ。
 彼が何も答えないでいると、三人は徐々に彼を囲むように配置をずらしてきた。どうやらこちらに戦う気があるかはともかく、危険人物であると判断しているのだろう。
「どうした、さっさと武器を捨てろ」
 真ん中に陣取ったリーダー格の男が警告を発する。だが、彼は口元を緩めて苦笑するだけだ。それが相手の反感を買うことを承知で。
「仕方ない、やれっ」
 リーダー格の男が命令すると、左右の二人が一気に間合いを詰めた。
 だが、彼は剣を抜くことすらなく、その二人の槍を回避すると、体術だけで二人を簡単に叩きのめす。みぞおちにそれぞれ一撃ずつ叩き込むと、二人は全く動けなくなった。
「こ、この、カオスめっ!」
 リーダー格の男が槍で突いてくる。だが体を捌いてかわし、その槍の柄を握って取り上げる。
「槍とはこう使うものだ」
 右手で器用に槍を回して握りなおし、鋭く突き出す。その男の鼻先一センチでぴたりと止まった。
 素人が相手ならばこれくらいのことは軽い。もとは竜騎士なのだ。体は覚えていなくとも、頭では槍の使い方は覚えているのだ。
「そこには入るな。そこには誰もいない」
「と言われてもな。そこまで否定されたならば逆にそこには誰かがいるということを証明しているようなものだぞ?」
「いないものはいないっ!」
 槍を払いのけて男は突進してきたが、当然そんな行動に怯む彼ではない。その腕を取ってひねりあげる。
「殺せ!」
「殺すわけにはいかないな。ようやく捕まえた手がかりだ」
「やっぱり、貴様はカオスの手下なんだな!?」
「そんなことも確かめずに襲い掛かってきたのか。やれやれ、計画も慎重さも足りないな」
 そもそも、守るものが他にあるのだとしたら、無闇に死を選んだりしてはいけない。最後の最後まで打開策を考えて守り続けなければならない。
 もっとも、彼がそう考えられるようになったのは、彼がパラディンとなり、セシルの考えを少しずつ理解しはじめていたからにすぎないが。
「カオスとは敵対しているようだな」
「くそ、離せ! 俺たちはカオスには屈しない!」
「それならば話は早い。俺は敵ではない」
 カインは拘束を解くと、若干距離を置いた。男が立ち上がって警戒しながら値踏みするように見てくる。
「どういうことだ」
「どうもこうもない。カオスを倒しに来た。だが、この場所が全く分からないのでな。このPLUSについて説明してくれると助かる」
 男は信じられないという顔をして言う。
「カオスを倒すだって? あのカオスの手下の機械どもですら俺たちは手を焼いてるっていうのに」
「機械? 蜘蛛型のことか? それならば昨日も一体倒したが」
 その言葉が、さらに男を驚かせた。
「嘘だ。あの機械、スパイダーを倒せるはずがない。よしんば倒したとしても、スパイダーは爆破して相手を道連れにする。助かるはずが──」
「どうやらその蜘蛛型で間違いないようだな。お前がどう思うのも勝手だが、俺はそいつを倒した。爆破についても間違いないな。蜘蛛型の中で何かが光ったような気がしたから避けたが」
 男は驚愕の目でカインを見つめてきた。
「あ、あんた、いったい何者だ……メシアか?」
 救世主、とはまたすさまじい言われようだ。少なくとも自分はそんな大それた代物ではない。
「それは言いすぎだな。俺の名はカイン。まだこの世界に来たばかりでよくこちらの事情が分からない。色々と教えてもらえると助かる」
「わ、分かった。あんたを信用する。あんたは異世界からカオスを倒すために現れた戦士。それでいいんだな?」
「ああ。違いはない」
「では、失礼をわびる。突然襲いかかったりして申し訳ない」
「かまわんさ。それより──」
「待て」
 男が突然手を上げてカインを制する。そして壁にはりつき、窓からそっと外を覗き見る。
「スパイダーだ」
 カインも反対側の壁に張り付き、その蜘蛛型を見た。
「奴らは俺たちを一網打尽にしようとしている。だから、人間が隠れているところを探しに、こうして滅びた町にまでやってきて人間の姿を探すんだ」
「なるほどな。音感センサーはついていないのか?」
「ない、と思う。それにここからならよほど騒がない限りは大丈夫だろう。温度センサーもないはずだ。基本的に視認センサーだけしかない。全く、力だけはずば抜けているが、そういうほうには無頓着らしい」
「違うな」
 カインは相手の言葉を否定した。
「音感、温度センサーをつければ人間など簡単に発見できる。そうしないのは、生き残った人間たちをじわじわと追い詰めていくためだ」
 男が愕然となってカインを見つめる。
「お、俺たちをいたぶって楽しんでるってのか、カオスは……」
「そう考えるのが妥当だろう」
 視線を蜘蛛型から逸らさずに答える。
 昨日の戦闘からも倒すことはできる。だが、ここであの蜘蛛型を倒してしまうと、ここでほそぼそと生きている人たちに迷惑がかかる。
 ここは、あの蜘蛛型がいなくなるのを待つべきか、とカインが考えた時である。
「おい」
「どうした」
「あそこに子供がいる」
「なに?」
 カインに示されて男が蜘蛛型の先を見る。
 そこには、まだ四、五歳ほどの女の子の姿。
 色のない町に、緑色の髪がよく生えていた。
「サラ」
 ぐ、と男の拳が握り締められる。
「この村の子か?」
「俺の娘だ」
 蜘蛛型が、女の子を視認した。獲物を見つけた喜びで、八本足のうちの一番前の二本が激しく上下に動く。
「助けないのか?」
「無理だ。あの蜘蛛型には誰もかなわなかった。それに、この廃墟に他に人が住んでいることを悟られたくはない。残念だが」
「ならば、引っ込んでいろ。俺が助ける」
「や、やめろ!」
「知らないな。俺は俺の思った通りに行動する。誰一人として犠牲など出さない」
 窓から外に出て、剣を手にして走り出す。
 蜘蛛型は突如現れた男の方を危険視したのか、素早くカインに向き直って迫ってくる。
「もはや貴様の攻撃などお見通しだ」
 鋭く振り上げられた二本の前足。だがそれを天竜の牙で前足の付け根から紙でも切っているかのように一閃する。
 武器の力に頼った攻撃はよくないのは分かっている。だが、今の自分の剣士としての力量では頼らざるを得ないのが実情だ。
 蜘蛛型の頭を二つに裂き、すぐに離れる。
 直後に、蜘蛛型は爆発した。
 慣れてしまえばそれほどたいした敵というわけでもない。もっとも、おそらくカオスにとってはこれが最弱の機械兵なのだろうが。
「大丈夫だったか?」
 がくがくと震えている幼子を見たとき、ふとどこか遠いデジャヴュを感じた。
(ああ、そうか)
 いてもたってもいられなくなり飛び出したのは──この子供が、かつて自分が犯した罪を思い起こさせたからだ。
「もう大丈夫だ。大丈夫だよ」
 セシルはすぐに彼女と打ち解けていた。それは、彼女を思いやっていたからに他ならない。子供はそういうところは非常に敏感だ。
 だから、自分もそうしなければならない。
「名前は言えるかい?」
 おずおずと、少女は警戒を解く。
「……サラ」
「サラか。いい名前だな。俺はカイン。もしサラを苛めるような奴がいたら、全部俺に言え。絶対に俺が助けてやるから」
「……うん」
 子供も自分が助けられたと分かったのだろうか、少しずつ近づいてきて、まっすぐに自分を見つめてくる。無邪気な、穢れのない瞳だ。自分とは違う。
「もう大丈夫だ」
 子供を優しく抱きしめて、その頭をなでる。すると、ようやく緊張が解けてきたのか、安心して泣き出してしまった。
 その頭を、カインはずっとなでていた。この子の不安が、少しでもなくなるようにと祈りながら。






 蜘蛛型を倒したとはいえ、問題は残ってしまった。蜘蛛型を倒したということが分かれば、この村に人がいることが伝わり、一大攻勢をかけてくる可能性がある。村人がそう騒いだのだ。
「五分五分、といったところだろうな」
 すっかりカインの膝の上が指定席となったサラをあやしながら、カインが言う。
「相手は機械だ。人間と違って一台足りないからといって気がつかれるようなものではないかもしれない。もっとも、破壊されたことが相手に伝わるのなら攻勢の可能性もあるだろうがな。だが、それならもう一つ別の理由で大丈夫だろう。もし蜘蛛型が破壊されたが相手に伝わるなら、俺は昨日蜘蛛型を一体倒している。今日の奴はそれを追いかけてきた、ということになるだろう。つまり……」
「あんたがいなければ大丈夫、ということか?」
「平たく言うとな。まあどのみちいつまでもこの村にいるつもりもない。教えてもらうことを教えてもらえば、今日のうちにでもいなくなるさ」
 すると、話している内容を理解したらしいサラが、泣きそうな目でカインを見つめてきた。
「サラ。お兄ちゃんはな、サラたちを苦しめている元凶を倒しに来たんだ。だから、この村でおとなしく待っていてくれ。必ずカオスは俺が倒してくるから」
 そう言って髪をなでると、泣きそうな目のまま、コクリ、と頷く。
「さて、それじゃあ教えてもらおうか。この世界の真実を」






 この星は南と北、二つの大陸から成り立っている。
 南北いずれもカオスによって支配されてしまっているが、いずれも抵抗勢力は微量ながら存在する。
 南の【機械大陸】には機械兵たちが大陸中を歩き回っており、もはや抵抗勢力も本当に生き延びるのが精一杯で、抵抗する気力すら失われている。
 北の【魔法大陸】はカオスの手下の魔法使いたちが各地を支配し、人間の住む場所を焼き払い、あるいは氷付けにするなどしている。
 だが、その中でも唯一カオスに抵抗する王国が残っている。
 それが都市国家エウレカである。
 エウレカは古代の言葉で【禁断の地】という意味が残っている。その言葉を使用した理由に特別なものはない。あえていうならば、名は体を現すというが、その名がこの地に相応しかったから、という理由らしい。
 エウレカを治めるのはこの世界で最強の魔術師。
 国王らしい服装を一切せず、一介の魔術師という立場を決して譲らない。赤黒のローブを着て、エウレカを一人で支えている。

「それが、あなたですか」
 対照的な青いローブを着た魔術師=ブルーが、目の前で玉座に座っている赤黒のローブの男性に尋ねる。
「その通りだ、少年。我が名はヴァリナー」
 青年の姿をしたその格好は、王というよりはどこにでもいるただの一青年にしか見えなかった。
「質問はそれだけかな」
「いえ。色々とあります。まず、どうして王は私の意見を聞いてくださったのかということ」
「簡単なことだ。私自身が、かつて変革者として、世界の守護者と戦ったことがあるからだ。変革者の使命も、そして汝ら代表者が道を開き、ここまで来たことも全て理解している。というより、カオスを倒すことができる汝らを待っていたというべきだな。カオスがサタンを使ってこの世界への道を全て塞いだことは分かっていた。道をつなげるのは代表者の行為だ。この日が来るのを私はずっと待っていた」
「過去にそういう経験がおありですか」
 ふ、とヴァリナーは笑った。
「私は何歳に見える?」
「そうですね。ざっと、三十前かと」
「私は既に、一万年の時を生きている」
 その数字を聞いて、さすがにブルーも驚く。当然桁違いの数字を生きているのは予測済みだったが、まさか三つも桁が違うとは思わなかった。
「かつて私が守護者と戦った世界はこのPLUSではない、別の世界だった。そして、その世界での戦いが終わり、いざ世界を渡る時に協力を求めたのがその世界の代表者だ。その者も一緒にこの世界へ渡ってきたのだが」
 さすがに一万年では、既に亡くなっているということなのだろう。
「私はもう、この世界を支えていることしかできない。既にこの広大な宇宙の全てはカオスの手の中だ。夜になれば分かるが、見上げる夜空には星の瞬きはひとつもない。その理由は、予想できるかな」
「既にカオスが滅ぼした後だと」
「そうだ。この宇宙に存在する全ての銀河系は消滅した。灰色の太陽の下、この星系は広大な宇宙空間の中に残された最後の星なのだ」
 そして、組織的な抵抗を続けているのは唯一この王国だけ。ということは、この都市国家エウレカこそ、まさにこの世界最後の希望ということだ。
「とんでもないところへ僕たちはやってきたというわけですね」
「だが、間に合った。持ちこたえてよかった。感謝する、代表者たち」
「僕たちはまだ何もしていません。カオスを倒すのはこれからです」
「その通りだ。だが、一万年の間この玉座にいて、一千年の間カオスと戦い続けて、ようやく汝らが現れてくれたのだ。私の感激もひとしおだということを分かってほしい」
「もちろんです。そして、期待には応えます。どうぞご安心を、王」
「うむ」
 恭しく礼をして、ブルーは国王の前から退出する。
 そしてほっと一息ついた。
 運が良かった、としか言いようがない。
 この世界のどこに飛ばされるか分からない状況において、唯一自分たちの味方がいる場所に降り立つことができた。
 カインやスコールがどこにいるのかは分からない。だが、ここにいれば情報も集めやすいし、居場所さえ分かるならこちらから迎えに行ってもいいのだ。
 ただ一つ、問題がある。
 彼は、仲間たちが待つ部屋の前で一呼吸し、少し覚悟を決めてから扉を開いた。
「お疲れ様でした」
 すぐに出迎えてくれたのは、片腕の少女、ティナであった。
「容態は?」
「今は治まっています」
 ティナが険しい表情を見せる。一方、視線を移すとリディアが疲れたように俯いている。
「でも、またいつ発作が起こるかは分かりません」
 リディアの言葉に、ブルーの表情も歪んだ。






 ベッドの上に横たわっているのは、エアリス・ゲインズブール。
 彼女は、病んでいた。






130.禁断の地

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