早く、会いたい。
その気持ちばかりが募っていく。
彼がこの世界にいる。
この世界のどこかに。
早く。
早く。
早く。
「あなたは、どこ」
灰色の空は、何も答えない。
だが、同じ空の下に、彼は必ずいる。
「今から、行きます」
PLUS.131
罪人の魂
salvation
「マシンマスターか」
カインは話を聞き、置かれた地図を見ながら考える。
ここ、古ゴート王国からマシンマスターの館があると目される場所までは、カインの足でもおよそ三十日ほどの旅程となる。行くとなれば大変な作業になる。
「カオスの居場所が分からないのなら、手がかりが必要だな」
どのみちやることも行くべき場所も見当たらない。だとすれば、行くしかないというものだろう。
幸い、もう少し北に行けば海岸に出る。海沿いに進んでいけば迷うこともなさそうだ。
「ま、待て」
男がそのカインを止める。
「まさか、マシンマスターを倒しに行くとかいうんじゃないだろうな」
「それ以外の意味に聞こえたのか?」
逆に尋ね返す。堂々とした態度に男は逆に言葉を失う。
「問題はそこに行くまでだな。食糧と水、それを三十日分か」
だいたい、そこにたどりついたとしても、そこに食糧や何かがあるとは限らない。
「旅をするというのも、こうなると命がけだな」
「そうだ。だからそんな無謀なことをするものじゃない」
「だが、だったらここにいればカオスに会えるのか?」
カインの言葉に誰も反論はできない。そう、いずれにしてもこの場所に留まってどうこうできるというものではないのだ。
(天竜──どうにか、ならないのか)
心の中で呼びかけるが、竜は何も答えない。自分からの呼びかけには決して答えないものだ。
(結局、一人でどうにかするしかないということか)
頼りにできる仲間もなく、この世界でどうすればいいというのか。
「お兄ちゃん」
目の前にいたサラが心配そうに覗き込んでくる。
(お兄ちゃん、か)
ふと、前の世界で自分をそう呼んだ少女のことを思い出した。
「行くしかないな。もし可能なら、何日か分の食糧を譲ってもらえると助かるが」
「それはかまわないが、本気なのか」
「本気だ。どちらにしても、いつかはマシンマスターもマジックマスターも倒さなければならないのだろう。だったら早くても遅くても同じだ」
それとも自分は焦っているのだろうか。一人しかいないという現実に。
(アセルス。お前はどこに行った)
共にこの世界に来た、たった一人の仲間。自分は随分と彼女をアテにしているのだということがこうなってみるとよく分かる。
「た、大変だ!」
すると、一人の男がまたこの屋敷に入ってくる。
「どうした」
「スパイダーの群れが、ここを目指してきてやがる!」
村人たちの顔色が変わった。自分の膝に座るサラも、かたかたと震えている。
だが、その中で一人カインだけが冷静であった。
「お前たちは隠れていろ」
サラを男に託し、天竜の牙を持ったカインが戦士の表情で立ち上がる。
「だ、だが」
「何度も言っている。そのスパイダーとやらが狙っているのは俺だ。おそらく、先ほどの一体が俺を捜索に来たのだろう。場所が判明したから総力をあげてきているだけのことだ」
「だったらなおさらのこと、あんたを一人で戦わせるわけにはいかない! あんたは、カオスを──」
「お前たち程度の腕でスパイダーには勝てん。邪魔だから下がっていろと言っている」
全員を隠れ場所に追い込み、最後に男とサラが残った。
「どうした。さっさと避難しろ」
「あんたに、一言だけ言いたい」
「なんだ」
「生きてくれ。あんたは、娘の恩人だ」
それを聞いたカインは、幼い少女をじっと見つめる。
「お兄ちゃん」
その声に、カインは優しく微笑んだ。
「サラ。ちょっと行ってくる。いい子にしてるんだぞ」
こくん、と頷く。それを見てからカインは外へ飛び出した。
そして街の外へと移動する。
そこには──
「……随分、激しい歓迎だな」
ざっと五十は下らない蜘蛛型の群れに、さすがのカインにも汗がにじんだ。
(一体ずつならば何も問題のない敵だがな)
簡単に倒すことはできないだろう。ならば、先手必勝。
カインが足を一歩踏み込んだ、その時であった。
『ググ……キ、キ、キ、キタ、カ、ヘンカクシャ……』
どこからか、機械で合成された声が聞こえてきた。
「何者だ?」
『カ、カ、カ、カオ、カオ、カオス、カオス、カオス……ワレハ、カオス、ナリ』
──カオス!
「お前がカオスか」
『ソウ、ダ、トガビト、ヨ、マッテイタ』
(待っていた、だと?)
その不気味な雰囲気に、カインは次の言葉を待つ。
『タ、タ、タ、マシイ、オマエノ、クロイ、ツミニ、ヨゴレタ、ホシイ、ホシイ、ホシイ』
(こいつは)
カオスが狙っているもの。それは──
「俺、なのか」
罪深き自分は、どうやらゼロムスだけではなく、カオスにまで魅入られているらしい。
『オマエ、ガ、スベテ、ヲ……』
そこで、声が途切れる。
と、同時に、一斉にスパイダーの前足が上がった。
「──ふん、はじめからそうしていろ」
カインは今のカオスの言葉を無視し、迫るスパイダーの前足を切り飛ばす。そして、乱戦の中央に飛び込んだ。
集中さえしっかりとしていれば、町を背にするのも乱戦の中にいるのも変わりはない。むしろ、全包囲に常に集中している分、油断をすることがない。
とにかくこの蜘蛛型は前足からの攻撃が全てだ。大きく振り上げ、たたきつけてくる。
その動きは決して速くない。だから、蜘蛛の前足が動いた瞬間に懐に入り、その付け根から切り飛ばす。
止めを刺している暇はない。次から次へと襲い来る敵をひたすら倒さなければならないのだ。攻撃力を奪ったら、止めは後でもかまわない。
「くらえっ!」
敵の攻撃が一瞬緩んだ隙を狙い、スパイダーの頭に天竜の牙を突き刺す。
そして、動きの止まった蜘蛛型を力任せに群の中に放り込んだ。
爆発。そして、連鎖。
味方の蜘蛛型の爆発に巻き込まれて、近くにいた蜘蛛型が次々に爆発を起こしていく。
やはり、力的には大したことがない。
マシンなど、結局のところはその性能を超える動きなどできない。プログラムで動くものなら、そのプログラムを読んで攻撃すればいいだけのこと。
このようなマシンで自分を止めることはできない。
一瞬、頭の片隅にセフィロスの顔がよぎる。
──そう、自分を止めることができるのは、セフィロスのような自分の意思を持って動いている者だけ。
下っ端のマシン程度で倒されるほど、おちぶれてはいない。
「うおおおおおおっ!」
スパイダーの首を一つ潰した、その時だった。
(な、に!?)
突如襲い来る、強烈な脱力感。
足に力が入らなくなって、その場に崩れ落ちる。
(何が起こった?)
敵は何もしていない。ただ、自分の力が急激に失われている。
何故。
(まさか)
カインは手にした天竜の牙を見つめる。
竜の力が備わった、何よりも強い武器。
(これを振るうたびに、莫大な体力を使用していたのか)
それでも、スパイダーの前足を気力で切り飛ばす。だが、次の瞬間、さらに力が抜けていく。
(一振りごとに力が失われている)
今までは何ともなかったが、どうやら自分の体力がそれを持ちこたえさせていたらしい。
だが、だとすれば限界が見えた今、自分がまだ剣を振ることができる回数は一度か二度。
残る五体満足のスパイダーは、まだ二十はいる。
(これは、つまらないことになったな)
早いうちから連鎖攻撃をしていればよかったのだ。そうすれば自分の体力の限界につかまらなかったものを。
だが、知らなかったのならどうしようもない。
もちろん、潔く諦めることなど、もってのほかだ。
(俺は死んでも償い切れないほどの罪を犯している)
片方の膝をつきながら、スパイダーたちを睨みつける。
(ならば、死ぬ時まで全力で駆け抜けるだけ)
気力を振り絞り、スパイダーの群れに飛び込む。
剣を振り、スパイダーを切る。
二体。
三体。
そこで、力尽きた。
膝がつき、どれほど命令しても肉体は立ち上がろうとしない。鋼鉄にでも変化したかのように。
(諦めない)
スパイダーが迫る。
(絶対に、諦めない。俺は、死なない)
約束をした。
彼女にもう一度会うのだと。はるか遠き世界で。
誓約をした。
いつか彼の下へ戻るのだと。はるか遠き故郷で。
(死なない。絶対に死なない)
頭上から振り下ろされてくるスパイダーの前足を、ただカインは見つめながら。
最後まで、死を受け入れることはなかった。
その時、カインは見た。
目の前のスパイダーが、完全に凍りつき、動かなくなっているところを。
一瞬で雪と氷の結晶となった機械を。
(何が──)
突然生じた変化に戸惑いながらも、動かない首を必死に動かして天空を見上げる。
そこに。
「全く、この数を相手に一人で戦うなんて、呆れるね。それは勇気ではなくて、無謀だよ」
光り輝く鳥の背に乗った男。
「……毒舌は変わらないのだな」
思いもかけない援軍に、カインはほっと一息つく。
「お前だけなのか。ブルー」
碧眼が地上を見下ろし、そして横に首を振った。
「今のを見ていなかったのか。僕は幻獣を召喚することなどできない」
「じゃあ」
リディア? いや、違う。
ブルーが後ろを振り向く。そこに、もう一つの影。
緑色の髪。だが、リディアではない。
「まさか」
「カイン!」
その影は空中から待ちかねたかのように、まっすぐにカインに向かって飛び降りてくる。
動かないはずの体も、このときばかりは最後の力を振り絞って、彼女を抱きとめるために動いた。
もちろん、うまく捕まえられるはずもなく、彼女の勢いに大地に押し倒される。
「ここで会えるとは思わなかった──ティナ」
「カイン、カイン、カイン、カイン!」
胸の中で泣きじゃくるティナに手を回そうとしたが、もはやその力すら残されていなかった。
ただ泣くに任せて、カインはじっと彼女を見つめる。
「ティナ。再会の喜びは後だ」
すぐに頭上から声が響いた。
「この機械蜘蛛を倒さないと、僕たちまで倒されることになるぞ」
その声で、彼女はすぐに立ち上がった。
召喚獣ヴァリガルマンダで何体かを氷づけにしたものの、まだ二十もの無傷の蜘蛛型が残っているのだ。楽観できる状況ではない。
──この二人がいなければ、だが。
「お父さん。力を貸して」
彼女は再び幻獣の召喚に入る。
「マディン!」
無属性の閃光がスパイダーたちを消滅させていく。直撃を受けなかったスパイダーも、連鎖を起こして爆発していく。
残ったのは数体であったが、それらは全てブルーの魔法で片付けられた。
「やれやれ。こんな相手に何をてこずっている」
朱雀から降りたブルーが手を貸そうとしたが、全く身体が動かないブルーに結局肩を貸すことになった。
「ティナ。回復魔法を」
すぐに癒しの魔法がかけられるが、怪我をしたわけではなく体力が落ちているだけなので、簡単に回復するというものではなかった。
「すまない。どうも、剣をまだ使いこなせていないらしい」
「剣?」
ブルーの記憶ではカインは槍を持っていたはずだった。ということは使い慣れない武器でうまく戦うことができなかったのか。
いや。
「そうか。ヴァリナー王が言っていたことだな。竜の武具は簡単に使いこなせないと」
「ヴァリナー?」
「ああ。カインを見つけたのは偶然じゃない。場所を教わったからだ」
突然の展開で、まだカインは理解ができていなかった。
「今ひとつ状況が分からないな。お互い情報交換をしたいところだが」
「それは僕も賛成だね。向こうは古ゴートの都だろう。そこでゆっくりと話さないか」
「そうだな」
なかなか回復しない身体で頷き、そしてじっと自分を見つめていたティナと視線を合わせる。
「ティナ」
隣でブルーがため息をついて向こうを見た。
「無事でよかった」
「あなたも」
そしてまた、彼女は感極まって抱きついてきた。
(まあ、少しくらいはかまわないか)
ブルーは彼女にカインを預けると、少し距離をおいた。
132.死の束縛
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