彼女への質問は彼を警戒させることに成功した。
 問題は、彼の心の中に『種』を植え込むことができるかどうかだ。
 果たすべきは、彼をカオスと戦えなくすること。
 それができるかどうかは、すべてこの質疑応答にかかっている。












PLUS.137

見つけた答







He wants the only one






 ティナが責められていた言葉を聞きながら、カインは分かったことがあった。
 あの黒い影は、自分の欲望や醜い心を映した影なのだ。
 考えてみれば、いくら敵が事情に通じているとはいえ、エアリスやティナがいつ、どこで、何をしていたのか、具体的に知るはずがない。それを知っているのは唯一ティナだけだ。
 つまり、ティナが心の奥底にしまいこみ、それでいて普段は考えないようにしている昏い感情を表に出して、直接言葉にしてい本人に自覚させているのだ。
 そうした欲望があるということに心が折れてしまったら負けだ。おそらく、自分を許せなくなって全てに絶望する。
 だとすれば、自分の場合はどうなるのだろう。今までに犯してきた罪をすべて暴き立てられる。それで自分はどうなってしまうのだろう。
「ではカイン殿、前へ。あなたへの課題は、こちらです」
 ティナの場合は、黒い影が現れた。それは、普段ティナが直面しないように目をそむけていたどす黒い感情そのものだ。
 では、自分の場合は──
『カイン』

 やはり、そうきたか。

 そこにいたのは、ローザ・ファレル。
 カインにとって、最も大切な存在であった。
「きっと、お前だろうと思っていた、ローザ」
 これは、自分の影。
 何よりも大切な願望だ。
「課題は何だ?」
 ローザに語られるより早く自分から尋ねる。だが、ローザは首を横に振った。
『あなたはただ、私の質問に答えてくれるだけでいいの。でも、嘘だけはつかないで』
(なるほど、そういうことか)
 この影の攻撃は、自分たちの精神を崩壊させようとするもの。攻撃手段は『言葉』だ。きっと、このローザの姿をした影も自分を苦しめることしか尋ねてこないのだろう。
 そして、自分を偽るようなことがあればペナルティ。もちろん答えないこともペナルティというわけだ。
 すると、ローザはカインの背後にいるティナの姿を見つけて、くすりと笑った。
『可愛い女性ね、カイン』
「ああ」
 カインはただ相槌を打った。
『ねえ、私と、どっちが好き?』
 いきなり、過激な質問だった。
 後ろではティナが聞いている。もちろん、聞かせるために質問しているのだ。
 そのティナは、この展開に悲しげな顔でその女性を見つめた。
 この女性が、カインの心を占めている『ローザ』。
 美しい女性だった。こんなに美しい女性がいるものかと驚かされるほどに。
 代表者の仲間たちも綺麗な女性も可愛い女性もたくさんいたが、ここまで『美しい』女性は他にいない。
(カイン)
 この女性の前では、自分などまるで霞んで見えなくなってしまうだろう。
 でも。
 気づいてほしい。
 自分がいつでもすぐ傍にいるのだということを。
「お前だ」
 カインははっきりと答えた。予想できていた答ではあるが、それでもティナは自分の気持ちが落胆していることが分かった。
「だが、俺の中で彼女の存在は日増しに強くなっている」
 とはいえ、カインはそれでは終わらなかった。
「彼女がお前以上の存在になれるかどうかは分からない。だが、俺の気持ちはもう定まっている。たとえお前が俺のことを振り向くことがあったとしても、俺はお前の手を取らない。俺は、彼女の気持ちに応えたい。それは俺の純粋な気持ちだ」
 そう。その気持ちに偽りは全くなかった。今でも心の中で一番大切に思っているのはローザだ。それは間違いない。そしてティナがそれ以上の存在になれるのかと言われれば、非常に難しいだろう。だが、こんな自分をそれでも愛してくれているティナの気持ちは自分にとって何よりも貴重で変えがたいものなのだ。
 そして、何より。
(失いたくない)
 今の自分にとって、何よりも必要で、なくしたくないもの。それが、ティナなのだ。
『私を選んではくれない、ということ?』
「俺にはお前を選ぶ権利も意思もない。それに、お前が俺の方を向かないということを、俺はよく知っている」
『セシルが死んでも?』
 返答に詰まった。
 もし、セシルが亡くなれば彼女はどうするのだろう。自分が慰めることはできるのだろうか。
 確かに、その可能性はある。
「そうだな。そうなれば俺も、どれほど幸せだろう。そして実際に俺はたった一人の親友の死を願った。実行しようとした。それを否定はしない。だが、俺はそうした罪人だからこそ、その罪を贖うために生きている。それもまた俺の中では強い気持ちだ。そして、お前は言ったな、俺もいつかは幸せになれる、と。俺はその幸せを、彼女の隣で見つけたい」
(カイン)
 ティナは左手で口元をおさえる。そうでもしないと、彼への想いが思わず言葉となってしまいそうだったからだ。
 自分が強く想われている。この厳しい質問を通じて、逆に彼は自分への想いを語りかけてくれている。
 なんて優しい人なのだろう。
 そして、なんて自分に厳しい人なのだろう。
 正しいことも、間違っていることも、すべてを認めて自分の中に内包する。
(私も一緒にいたい)
 彼の傍で。
 幸せになりたい。
『では、幸せになる資格があなたにあるの? 私やセシルを苦しめたあなたが』
「それを俺に勧めたのはお前だ、ローザ。だが、問いには答えよう。俺に幸せになる資格など、最初からない。罪人の俺がそれを望むことは許されていない。だが」
 怖かった。
 今までそれを彼女に伝えるのが怖かった。
 振り返って、彼女を見つめる。
 その目に浮かぶ涙。そして、失われた右腕。
 それらはすべて、自分のためのものなのだ。
「……彼女が、俺のために、俺と同じ罪を背負うというのなら、話は別だ」
『彼女を苦しめることになるというのに?』
「そうだ。それでも俺のことを愛してくれているのなら、俺は、この罪を半分、彼女に背負ってもらう」
 大きく頷くティナの姿に満足すると、改めてカインはローザに向き直る。
『いつかその罪の重さに彼女があなたの下を離れることだってあるわ』
「その意味では、俺は誰も信用などしていない。何しろ、俺自身を信用していないからな。逆に俺が彼女を裏切ることがないかと不安に怯える」
『あなたの罪は──』
 ローザが一瞬、口をつぐんだ。
『あなたの罪は、セシルを裏切ったことから始まった。それから多くの罪を犯し、今はその贖いをするために生きている。私が何故、あなたに幸せになれると言ったか、分かる?』
「ああ、分かっている──つもりだ」
 月の地下渓谷。二人きりになった彼女の心境は、自分にもよく分かっていた。
 いつか、幸せになれるから。
 あれは自分を思いやってくれた言葉ではない。いや、それも多分にはあるのだろうが、それだけではない。
 明確な拒絶の言葉。
 自分はローザに拒絶されたのだと認めるのが怖かった。
 だが、今なら。
「今の俺にはティナがいてくれる。お前に拒絶されても、俺は進んでいける」
『そう──』
 ローザは少しうつむく。
『それじゃあ、最後の質問よ』
「ああ」
 答えた瞬間、ローザは自分の服に手をかけた。
「ロー……」
 見たくない。
 だが。
 目を逸らせない自分が、そこにいた。
 顕わになっていく彼女の体。
 一糸まとわぬ、生まれたままの彼女の姿がそこにあった。
 夢にまでみた、彼女の一番美しい姿。
『私を、抱いて』
「……」
『あなたにとって一番大切な私を、抱いて、カイン』
 ローザの声で、ローザの笑顔で。
 その麻薬は、自分の中に入り込んでくる。
(どこまで逃げても、俺はお前の呪縛から逃れられないということか)
 苦笑した。
 自分が滑稽だった。
 自分の心の中に逃げ込めば、いくらでも彼女に会える。
 それが、今までの自分だ。
 変われるか、変われないか。
 すべては今、この時にかかっている。
「ああ」
 カインは頷いた。
「来い、ローザ」
『カイン──』
 その美しい姿態がゆっくりと近づいてくる。
(カイン!)
 後ろで、ティナが、その場面を見まいと顔を背けようとした。が、思いとどまった。
 彼を信じた。
 彼は、自分を選んでくれると──

 肉を貫く、不快な感触が手に残った。

 天竜の牙が、彼女の体を貫いていた。
 カインは泣きながら、ローザを刺した。
 過去の自分との訣別。彼が選んだ道は、自分の中にいる彼女の幻影を殺す、というものだった。
『そう、それでいいの、カイン』
 力をなくした彼女の体が、自分に倒れかかってくる。
『これでゲームは終わり。あなたはゲームに勝ったけれど、大切なものをなくしたのよ』
 カインの喉が鳴る。
 そうか。
 これが、最後の罠か。

『あなたは、自分にとって最も大切なものを傷つけた。つまり、あなたは今後、あらゆるものを裏切ることができる心が芽生えた、ということなのよ』

 ローザに溺れたいというのは、情。
 そして、ティナを選ぶというのは、理だ。
 もし、ティナが必要であるという情よりも、世界を救わなければならないという理を選ばなければならないとしたら、自分はそれができるようになった、ということ。
 ならば、彼女が消える前に自分は言わなければならないことがある。
「俺は、常に変わり続ける」
 それは、誓いだった。
「一つずつ罪を贖い、少しずつ成長していく。だから、同じ選択をするときに、今度は俺は、彼女を選んでみせる」
『それは、嘘』
 ふふ、とローザは魔性の笑みを浮かべた。
『……きっと、ね』
 そして、彼女は影となって消えた。
 彼女が最後に残した自分への言葉。そして、彼女から伝わった熱。
 そう。彼女も生きた人間なのだ。
(俺にとっては、女神も同然だったが、お前は信仰されることなど望むまい)
 苦笑して彼女を振り返る。
 ローザは綺麗だった。美しい、と確かに思えた。
 だが、今の自分には。
(彼女が泣いている顔の方が綺麗に見える──もう、駄目だな。自分の心を偽るのは)
 カインは彼女に手を差し出す。
 ティナは駆け出していた。そして彼のたくましい胸に飛びつく。
「愛しています」
 彼女から、先に言葉があった。
「ああ。俺の傍にいてくれ」
 そして、二人は改めて接吻をかわした。
「ん、んんっ」
 紅がわざとらしく咳払いする。
「申し訳ありませんが、ここは戦場です。あなたがたのラブシーンは、無事にここを抜け出てからにしてください。もっとも、そんなことはありえませんが」
 いよいよ紅が殺気を帯びて言う。
「その前に約束を果たしてもらおうか。ブルーを返してもらう」
「ええ。私は約束を破るつもりはありません」
 指を鳴らすと、その白い部屋の中央にブルーの姿が徐々に浮かび上がり、やがてきちんとした輪郭を備える。
「ブルー!」
 うっすらと目を開けた彼は、一度首を軽く振って目を覚まそうとした。
「ああ、すまない、カイン。迷惑をかけた」
「大丈夫だ。それより、状況は分かっているのか?」
「ある程度は。このゲームのことは僕が意識を失う前に伝えられたから。僕らが倒すべき相手は」
 ブルーは目の前の紅という人物に目を向けた。
 その人物はどことなく、自らの弟を思わせる。紅、という名前がそう思わせるのだろうか。
「この男だろう」
「そういうことだ」
 三人は戦闘態勢に入る。そして、紅もまた腰の二本の剣を抜いた。
「さて、それでは始めますか」
 刃渡りの短い剣が、黒く光った。






138.古き伝承

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