カインたちが到着する少し前。
 先にこの館を訪れる一人の少女の姿があった。
 緑色の髪に、体中を覆う鎧。
 そして、目に宿るのは、強い意志。
「ここにいる」
 ──アセルスの姿であった。












PLUS.138

古き伝承







You are the Human






 あのエデンと出会ったときも、天竜と出会った時も感じた。
 自分が人間に戻るために充分な力を持つ存在。
 それが、ここにいる。
(これがうまくいけば、あとはブルーの同盟者の朱雀だけ)
 つまり、事実上、人間に戻るのに王手をかけることができるのだ。
 胸を高鳴らせるな、という方が無理がある。
 だが、同時にここでは自分は充分に注意しなければならない。
 何しろここには味方が一人もいないのだ。
(カインともはぐれちゃったし、ブルーとは会えるかどうか分からないし。この間のエデンの時みたいになったら、自分ひとりで押さえ込めるかどうか。ま、駄目なら駄目で仕方ないか)
 気負いはない、と自己判断する。だいたい、多少の高鳴りはあっても半妖である自分にとっては簡単にコントロールできる程度のものだ。
 今考えたくないのは、ブルーのことだ。
 それを考えれば、自分は決して冷静ではいられないだろう。
 ブルーは自分のことを真剣に想ってくれている。それは分かる。自分も同じだ。
 だが、自分は半妖で、人間であるブルーと共に歩むことはできない。共に歩むためには人間にならなければならない。
 ブルーは冷静に判断して、可能性は四分の一、と言った。
 ならば、自分はそれを信じるだけだ。
 彼と、これからもずっと一緒にいるために。
(ま、この戦いが終わってからになるんだろうけどさ)
 さすがにカオスとの戦いが終わる前に人間に戻るわけにはいかない。それをやってしまうと自分には半妖の力が失われてしまう。この戦いが終わって平和になってから、ゆっくりと人間に戻ればいい。
 そのための準備として、今ここで、三つ目の力を手に入れるのだ。
(もう考えるな、アセルス)
 自分に言い聞かせる。
 まずは、全部、終わらせる。
 アセルスはその館に入った。
 そこは、ただ長い通路がずっと続いているだけだった。どこにも扉はない。
(結界が張られているね)
 半妖としての勘だろうか、アセルスには敏感に伝わってきた。このまま入っていくのは非常に危険であるということが分かる。
 だが、進まなければ何も変わらない。
「やれるもんならやってみな」
 アセルスは宣言して、その通路を進んでいく。
 敵はいない。
 だが、この先に必ずいる。
 自分が求める力が、そこにある。
 やがて通路の最奥が現れてくる。そこに、一枚の扉。
 この期に及んで引き返すなどということは考えていない。そのまま力任せに扉を引いた。
 広い部屋だった。
 そこにいたのは、巨大な竜だった。
 そして、自分が求める存在が、目の前にいる竜であるということが容易に分かった。
(この力、あの時見た天竜よりもずっと強い)
 ガーデンで出会った天竜も確かに自分に相応しいと思った。だが、この竜はさらにその上を行く。
 こんな存在が、こんな場所に眠っているなどと、全く思わなかった。
『何用か』
 竜は好意的とも好戦的ともいえぬ、自然体で尋ねてきた。
「あんたの力をもらいに来た」
『余の?』
「ああ。あんたの力がほしい。あんたの力を使って、私は、人間になりたい」
 素直に自分の気持ちを伝える。それが一番、この相手にはいいと考えた。
 妖魔の武具に封印しても、相手を殺すことにはならない。時が来るまで、しばらく眠っていてもらうだけだ。
 もちろんそれは、相手にとってはかなりの苦痛と屈辱を与えることになる。
『なるほど。汝の願いは真剣だ。それは認めよう』
 竜は答えたが、だからといって封印されることを認めたわけではない。あくまで戦うことはない、と宣言しただけだ。
『余は、神竜なり』
 神竜。
 全ての竜を統べるもの。竜族の支配者。
 かの煌竜バハムートに竜を率いさせ、神竜はいずこかへと消えた。
 それが伝承。
「あんたが神竜……」
 アセルスもその伝承は聞いたことがある。
「お願いだ。あんたの力を貸してほしい。あんたの力があれば、私は人間になれる」
『人間よ。汝がそれを余に求めるのは分かる。だが、余にそれを聞く理由はどこにもない。帰るがいい。余でなくとも、他に力ある存在は多く存在しよう』
「いや、あんたの力が必要なんだ、神竜」
 できるだけ、封じる力は異なるものが望ましい。それがブルーの考えだ。
 既に封印している力は魔の力と機械の力。朱雀は神の力を備えている。ならば必要なのは神竜の持つ竜の力だ。
 だから、天竜の力にも惹かれた。天竜にはにべもなく断られたが。
『余は現在、長き戦いの途中。汝にかまっている暇はない。帰るがよい』
「お願いだ、神竜。私でできることがあるなら、協力する。だから」
『汝が、我に、協力すると?』
 神竜は楽しげに、ふぉふぉ、と笑う。
『おかしなことを言う人間だ。汝の存在など、我が息吹一つで消滅させることもできよう』
 それは神竜が相手を意に介していないということの意思表示でもある。
 だが、それならば何故、神竜は自分と会話を続けてくれているのか。
「誰と戦っているんだい?」
 アセルスは怯むことなく尋ねる。
「私が協力できるのなら協力する。私の力であんたの敵を倒す助力をするよ」
『ほう……』
 興味深げに、竜の目がアセルスを捕らえる。
「私も伝承は聞いたことがある。伝承では、神竜は後事をバハムートに託して、自らは『竜族の敵』なるものとの戦いにひとり赴いた。その敵が『竜殺しの機械』と呼ばれるもの」
 一度言葉を切る。
「その名は、オメガ」
『ふむ……よく知っているな、人間の娘よ』
 神竜とオメガ。
 太古より竜族と機械との戦いは終わらずに続いてきた。
「そして、予言では神竜はオメガに敗れる」
『不快なことを言う娘だ』
 ふぉふぉ、と笑う。そう言う割に神竜は楽しそうだ。
「何故ならオメガは竜に対する力を全て備えた、名前の通り『竜殺しの機械』だからだ。その攻撃は竜を一撃で葬る『ドラゴンキラー』、その装甲は竜の攻撃の全てを封じる『アンチドラゴン』。単純に神竜がオメガよりも力が上回っていても、絶対にオメガにかなわない。そうだよね」
 それは神竜にも分かっているのだ。絶対にオメガにはかなわない。それが分かっていて、竜族のために命をかけて戦わざるをえない。
「だから、半妖である私が、あんたの力を使わせてもらえればオメガを倒すことだってできる。そうじゃないかな」
『然り』
 神竜は体を持ち上げる。
 その神々しさたるや、一瞬、アセルスが目を奪われたほどだ。
 鱗は全て銀。一枚ずつが光を受けずとも自らほのかに輝いている。頭の角は幾重にも枝分かれし、その全てが鋭く尖っている。その様は王冠のようだ。
 クラウンドラゴン(冠竜)という言葉がある。全ての竜を統べる竜の王にだけ許されるという角。それがクラウン(冠)の正体。
「綺麗だ」
 素直にアセルスが言った。それがさらにこの竜を喜ばせた。
『光栄だ。聡い人間の娘よ』
 ごふう、と神竜は息を吐いた。
『余は待っていた。オメガに追いやられて、この世界まで逃げ延びたが、奴からもはや逃げる力はない。ならば、我が力の全てをかけて奴に一撃をくわせようと思っていた。だが、かなうなら我が力を託すべき者が現れたなら、我が望みはかなうと信じて待っていたのだ。人間の娘よ。正直、汝が器では我が力を受け入れるには不十分かもしれん。だが、何もせず座して滅びを待つより、汝の心意気にかける方がよい』
「じゃあ、神竜」
『うむ。試すような物言いをして悪かった。だが、余は何百年とこの場所で待ち、汝が現れた時、正直失望もしたのだが、汝は余の考えを全て、何も言わぬうちから理解していた。賭けるに値する存在だ』
「光栄だ、神竜」
 そして、アセルスは苦笑した。
「もしよければ、私のパートナーって呼ばせてもらってもいいかな」
『汝が耐えられるならば、充分に余のパートナーだ。名を聞こう、勇敢なる人間の少女よ』
「私はアセルス」
『良い名だ』
 アセルスは嬉しくなってはにかむ。
「なあ、神竜。試練の前に一つ聞いていいかな」
『なんだ、人間の娘よ』
「それさ。私は半妖だ。それなのにどうして神竜は私を人間と言ってくれるんだ?」
『汝は人間だ。アセルス』
 神竜は強い口調で言う。
『自信を持つがいい。汝は人間だ、アセルス』
「神竜……」
 思わず、涙が零れそうになる。
 こんなにも、誰かに『人間だ』と言ってくれたことがあっただろうか?
 この神竜は、誰よりも欲しい言葉をくれる。
「惚れそうだよ、神竜。私が他に誰も好きじゃなかったら、あんたに心ごと惚れそうだ」
『残念だ。アセルス』
「もう一つ。神竜、あんたにも名前はあるんだよね。教えてくれないかな」
『余の名前か』
 神竜は人間くさく笑った。
『レオンと呼ぶがよい』
「レオン。あんたの力を、私にくれ!」
『ゆくぞ、アセルス』
 アセルスが妖魔の姿となり、妖魔武具を発現させる。
 そして、二人の間に緊張が走った。
 神竜の力が、体の中に流れ込む。
 それは、かつて二体の力ある存在を吸収した時よりもはるかに強い力。
 その強さに、押し流されそうになる。
 自分の意識がなくなりそうになる。
『アセルス』
 神竜の声が聞こえた。
『自信を持つがいい。汝は人間だ』
「私は、人間……」
 人間だ。
 人間として、ブルーと共に生きる。
 それが、自分の願い。
 だから、負けるわけにはいかない。
 こんな力程度に負けるわけにはいかない。
「レオン。あんたの力を、吸収する」
『負けるな』
「負けない。力には負けない。私は、力には負けない。人間として生きるために、力には負けない!」
 歯を食いしばり、全身に竜の力をみなぎらせる。
 新たな力。
 自分が成長するための力。
 人間に戻るための力。
 この力を全て吸収し、自分はさらに高みへ昇る──

「レオン。私のパートナー。我が体内に宿れ」

 そして、神竜の姿は消えた。
 あのエデンの時とは違う、不思議な充実感だけが体に満ちている。
 それは強引に相手を支配したのではなく、相手と協力したということの成果だ。
「これが神竜の力」
 今まで以上の力が自分にあることがアセルスには分かった。
 そして、これだけの力があるなら、カインやブルーたちに充分協力できる。
「ありがとう、レオン。協力してくれて。私も、あんたの願いをかなえるよ」
 オメガ。
 そう、その存在はもう、すぐそこまで来ている。
「ぎりぎりだったんだね。あんた、本当に自分の命を捨てるつもりだったのか」
 間に合ってよかった。
 これだけ、素敵な相手を失わなくて、本当によかった。
「大好きだよ、レオン。あんたのためなら、私も命をかける」
 近づいてくる。
 オメガが、この地に。
「行こう、レオン。私たちの願いをかなえるために」
 アセルスは、さらに館の奥へと踏み込んでいった。






139.真剣勝負

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