ブルーとティナが機械大陸へ向かってから、一週間が過ぎた。
連絡は全くない。どこで何をしているのかも分からない。
カオスの攻撃を受けて倒れたのかもしれないし、今まさに戦っている最中なのかもしれない。
──もどかしい。
そこにはきっとカインがいて、アセルスもいて、そしてみんなが戦っている。
自分だけ、何もしていない。
いつも、そうだ。
セシルやカインが戦っている時、自分は一人で幻獣界で成長することを最優先にしていた。
もちろん、子供の自分が二人に協力したところで、できることは限られていただろう。
それでも。
(今すぐに、力になりたいのに)
自分もついていくべきだっただろうか。
それとも、この場に残ることで自分にできることがあるのだろうか。
そんなことを考えていると、彼女を呼ぶ人物がいた。
「リディア様。ヴァリナー王がお呼びです」
PLUS.144
さらなる高み
magic per second
「すまなかったな、わざわざ呼び出して」
国王からそのように言われて、改めて畏まる。
この人物はいつも自然体で、周りで何が起ころうとも決して動じることがない。それだけ様々な経験を積んでいるということであり、明らかな年の差というものを感じさせられる。
「いえ。陛下のお召しとあらば」
「そう畏まらなくてもよい。早めに話をしたかったのだが、私もいろいろと、日々の雑事が多くてな」
「それが王の責務ですから」
「王の、か」
ヴァリナーは苦笑した。
「私がやっていることなど、たいしたことではない。このエウレカに魔力によるバリアを張り、カオスの進撃を防ぐ。毎日がそればかりだ」
「カオスの進撃を?」
「そうだ。もう千年の間、私はこのエウレカを守り続けた。いささか疲れるが、一日とて休むわけにはいかんのでな。耐えずバリアを張りなおさなければ、マジックマスターがこのエウレカに侵略してくる」
その説明を聞いて、リディアは改めて国王の孤独を感じた。
一人で、千年の間、マジックマスターと戦い続ける日々。
いつか勝利するわけでもない。ただ敗北しないためだけの戦い。
世界を守るためだけの戦い。
それを、たった一人で。
「あなたは」
「気にする必要はない。これも私の選んだ道でな。私も世界が愛しい。この世界にも、他の十五の世界のいずれにも、大事な思い出がある」
少しの間、ヴァリナーは目を伏せる。
一万年という時の中で、彼はどれだけの人たちと出会い、どれだけの別れを経験してきたのか。そして、その時間の旅には終わりというものがない。
それが、孤独。この王が背負った宿命。
「今日は、そなたに伝えたかったことがあるのだ」
真剣な表情でヴァリナーが言う。
「お前は、私がまだ若かった頃よりも、はるかに力が強い」
「そんな」
「過大評価などしておらぬ。逆にいえば、私程度でも今では十六ある全ての世界で最高の魔力を持つことができるようになる、ということだ。ならば、さらに才能があるそなたならば、その上をいく術者になることもできよう」
「陛下」
「言いたいのはそのことだ。私の持つ全ての魔法をそなたに伝えたい。もちろん魔法だけではない。魔力の全てをだ。私の体内にある全てのものを伝えたい」
術者として、最高の力を。
それは間違いなく、ほしい、と思う。だが、
「魔術というものを、そんなに簡単に手に入れてよいものなのでしょうか」
確かに簡単に手に入れられるのならばそれにこしたことはない。
だが、今まで自分は幼い時から苦労して成長してきた。
幻獣界で。その外側で。
今でこそ、メテオやフレア、アルテマ、アポカリプスと、人間として使うことのできる最高クラスの魔法を身に着けたが、それは簡単に手に入れたものではない。
「もちろん、簡単になど手に入るものではない。私の体とて、一瞬で全ての魔法を覚えられたわけではない。何千年という時の中で体を作り、そして魔法を覚えていった。簡単に覚えることはできないということに違いはない。だが、そなたにとって幸運なことに、その苦労をした先駆者がいる。その先駆者から学ぶにあたっては、多くの苦労は軽減できるだろうし、そなたが望むより早くレベルアップも可能だろう」
確かにそれはヴァリナーの言う通りだ。彼から学ぶことができれば、自分はみるみるうちにレベルが上がる。今以上の自分になれる。
「私が陛下から学ぶことで、私自身、何か変化がありますか」
「魔力を蓄えるということは、自分の老化を抑えることにつながる。気の遠くなるほどの寿命が手に入るが、それ以外は変わりない。私にも友がいたし、愛すべき女性もいた。そうした感情は何も変わることはない」
無論、長い時を生きることになるというデメリットはある。
だが、それ以外に自分が変わるということはない。
「私、は」
「何、そんなに急いで結論を出す必要はない。時間はある。無論、カオスを倒せばの話だがな」
カオスを倒せば、修行する時間などいくらでもできる。確かにその通りだ。
「だが、カオスとの戦いは先に終わらせなければならない。そのためには、その場しのぎでもレベルアップをはかるべきだろう」
「はい」
「多少ならば、今この場でそなたの力を簡単に上げることができる。魔力を上げる必要も、新たな魔法を覚える必要もない。ほんの少し、工夫をするだけでそなたの力──実戦力は倍以上に増す」
倍、以上。
その言葉に一瞬戸惑いを覚えた。ほんの少しの工夫。それはいったい何だというのか。
「分からぬか。そうだろうな。もし分かっていれば、それを修正することができるはずだ。いや、気づきかけているというところか」
だが、そういわれても自分を客観的に見るのは難しい。魔術師たるもの、いつでも自分を客観視できなければいけないというのは、基本のことなのに。
「そなたは人間として最高度の魔法を使うことができる。だが、問題はそれを、早く、何度も放つことができない。大魔術師とは、別段変わった魔法を使う者をいうのではない。大魔法を、いかに早く、多く使うことができるかどうかなのだ」
早さ。そして回数。
それが自分の課題。
「魔法を唱える時に、何を考える?」
「何を」
「そうだ。精神を集中し、魔法を発動させる。その時間を短くしたければ、自分の持つ魔法のイメージをいかに早く具現化させるか、それにつきる。今までのぬるま湯のようなスピードではなく、瞬時に魔法を放てる段階まで高めなければならない。相手が魔法を放っている間に、自分は三回魔法を放つ。それくらいのスピードが要求される」
今までの、三倍早く。
それは彼女にとっては未知の領域だ。
「魔法はすべてイメージだ。そのイメージを描く時間が短ければ短いほど、早ければ早いほどいい。そして、それは訓練でいくらでも早くなる。そなたはその訓練をしたことがあるまい」
確かに、ない。今までの訓練は、自分の魔力量を高めることや、新たな魔法を覚えるということでしかなかった。
「そなたほどの術者が高速真言をマスターしたならば、普通の相手では歯が立つまい。そして、魔術師が一人で戦う際に、この高速真言は自分を守る武器にもなる」
そう。魔術師が魔法を唱えている間に、剣で斬られてしまっては終わりだ。魔法を放ちたいと思った瞬間に放てる。それだけの力がこれからは必要なのだ。
「どうすれば」
「来なさい」
そうして国王は玉座から立ち上がる。王自らの案内にリディアも恐縮する。
「この城の中には、私がいつか自分の魔法を誰かに受け継がせるためのトレーニングルームが多々ある。これから行くのは、その中の一つだ。もっとも、単純に後継者ばかりが使っているわけではない。私の部下たちもそこで訓練をしているがね」
カオスと戦いながらも下の世代を育てるということを忘れない。王という職務がいかに多方面に力を必要とするのかを思い知らされる。
歩きながら、リディアは尋ねた。
「陛下」
「何だ」
「どうして陛下は、この国の王となられたのですか」
ふむ、とヴァリナーは頷くように考える。
「他に誰もいなかったから、というのもある。世界を守らなければいけなかった、というのも正しい。だが、結局は『なるべくしてなった』ということなのだろう」
「なるべくしてなった?」
「いずれにしても昔の話だ。今は、未来の話をしよう」
謁見の間から少し離れた小さなトレーニングルーム。何もない、ただの無機質な石づくりの部屋がそこにある。
「ここが?」
「そうだ。魔法の詠唱速度を早めるための訓練施設。部屋の中央のサークルに立つとトレーニングが始まる。直後、サークルに向けて正確に魔法の攻撃が放たれる。火、氷、雷、大地、水、毒、暗黒、属性は様々だが、間断なく魔法攻撃を受ける形となる。それと同じ属性の魔法を放ち、相殺していく。それがトレーニングだ」
「それだけですか」
「それだけだが、恐ろしく早いぞ。見本をみせよう」
王はそのサークルの中に入っていく。
直後──四方八方からさまざまな種類の魔法がいっせいに浴びせかかられた。
(な)
まさに魔法の雨。だが、それを王は平気な顔で王の近くまで寄せずに次々と打ち落としていく。
一歩も動かず、ただ右手の人差し指だけがくるくると動いていた。おそらくその動作すら彼には不必要だろう。リディアに見せるためにわざとそうして自分の動きを見やすくしてくれているだけだ。
時間にしておよそ一分、放たれた魔法はざっと二百といったところだろうか。その全てを苦もなく落とし、トレーニングは終了した。
「お見事、です」
この人物の魔力、そして魔速の高さを思い知らされた。これだけのことができるのだ。確かに全ての魔法を使えると豪語する理由も分かる。
「驚いている場合ではない。この程度ならば、今のそなたにもできよう」
「私が、ですか」
「そうだ。問題はそのようなことを行ったことがないという、単なる経験上のものだけだ。ものの数日で今見た程度のことはできるようになる。だが、これを極めた魔術師は強い。何しろ、魔法の詠唱に無駄な時間を必要としない」
確かに。もしも自分が高速真言をきわめていたなら、火のカオスとの戦いでスコールは余計なダメージを受けなくてもすんだのだ。
「やります」
心は既に決まっていた。
今以上のレベルアップの機会など、そうそう転がっているわけではない。これは本当にいい機会だ。
「まずは肩慣らしだ。一分間に六十の魔法が飛ぶ。一秒単位で魔法を放たなければならない。辛いぞ」
だが、ヴァリナー王はその三倍以上ものスピードでも余裕があるくらいなのだ。
この程度で、まいるわけにはいかない。
「お願いします」
「よろしい。ではサークルに入れ。それと同時に開始となる」
サークルの前まで行き、一度深呼吸する。
(いくよ、リディア)
意を決し、そのサークルに入る。
直後、目の前から迫る『水』の魔法。
「ウォータ!」
魔法でそれを相殺する。だが、背後から火の魔法。
「ファイア!」
瞬時に判断して魔法を放たなければならない。だが、そうこうしている間にも次の魔法は既に飛び交っている。
「ポイズン!」
三つ目の魔法を相殺した時、既に四つ目の魔法は目の前まで迫っていた。
「サンダー!」
だが、そこまで。
ぎりぎりのところでサンダーの魔法を唱えたはよかったが、次の魔法が続かなかった。ブリザドの直撃を受け、さらにファイアの魔法で吹き飛ばされた。
「あうっ!」
サークルから弾き飛ばされ、魔法が中断された。
四つ。
たったの。
歯をかみしめて再び立ち上がる。
こんなことでは、自分は誰の力にもなれない。
もっと強くなりたい。
誰もを守れる強さがほしい。
リディアは睨みつけるようにして、サークルの中に入る。
そう。自分はまだ、形式にこだわっていた。自分とヴァリナー王とを比較すれば一目瞭然だ。
何も、魔法の詠唱を必ずしなければ魔法を使えないわけではない。ヴァリナー王も言っていた。全てはイメージなのだと。魔法の詠唱は、発動するイメージを呼び起こしやすくする媒体にすぎないのだ。
ならば、始めからイメージできていれば、詠唱など必要はない。
何もせずとも、すぐに魔法を放てるのだ。
右から向かってくるファイアを視線だけで相殺し、背後のウォータも軽く手を振るだけで弾き飛ばす。
サンダーを放ち、ブリザドを放ち、ポイズンを放つ。
さらに真正面に来たクエイクを、自らのクエイクで返す。
だが。
この、今までにないイメージだけで魔法を発動させるというのは、思いの他体力を消耗させた。
頭の中に徐々に靄がかかり、そして魔法を放つのに徐々に時間が遅れていく。
そして、サンダーの直撃を受けた。
弾いた魔法の数は、十六。
(まだだ)
リディアはおきながら、そのサークルを睨む。
(まだ、倒れるわけにはいかない)
そして彼女は、三回目の戦いに赴いた。
(ふむ)
完全に修行の世界に入り込んでしまった以上、ヴァリナーは自分のできることはもうないと判断し、その部屋を出た。あの様子なら、魔法さえつきなければ一日といわず、ほんの何時間かで一分六十魔法はできるようになるだろう。
(素質の差か。私が初めてやったときは、一ヶ月はかかったものだが)
今では一分で千の魔法を放つことができる。一秒あたり実に十以上だ。それを彼は早いとも遅いとも思っていない。それ以上早くしたところで意味はないし、速度に不便を覚えなければそれで充分なのだ。
(数日で充分な戦力になるだろう。だが、問題は)
そう。問題は彼女ではない。
「王」
と、そこへ声をかけてきたのは、この城のドクターであった。
「ドクターか。後でこの部屋で特訓している女性を診てやってくれ。あの分では、自分の体が動かなくなるまで続けるだろう」
「了解。それより、例の件、やはり間違いないぞ」
ヴァリナーはその言葉に顔をしかめた。
「やはり、マシンマスターは倒されたか」
「それも五日も前だ」
ふう、とため息をつく。
「五日経っても彼らが帰ってこないのは、何が原因だと思う?」
「たとえば移動手段がない。もしくは他に用事ができた。最悪の場合は、相討ちだった、というところかな」
ヴァリナーの顔がますます険しくなる。
「誰かを派遣することはできないか」
「できなくはないが、難しいだろうな。何しろ場所を特定することができん。機械大陸は広いぞ」
全くもってドクターの言う通りである。
「戻ってくるまでにどれくらいかかるだろうな」
「分からんよ。何が原因で戻ってこないのかすら分かっていないのだからな」
機械大陸で、いったい何があったというのか。
(連絡を取る手段があればよかったのだが)
残念ながらこの大陸に、そんな便利なものなどない。
(とにかく、無事で帰ってこい)
145.次への展望
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