ささやく声。

 殺せ。
 殺せ。
 殺せ。

 この声の正体は何だ。

 殺せ。
 殺せ。
 殺せ。

 俺は──

 殺せ。












PLUS.146

魔女の子







they pray the future






 スコールの様子は明らかにおかしかった。
 その手には『地竜の爪』、その指には『グリーヴァ』の指輪。
 その髪も、瞳も、体の隅々まで、スコール以外の何者でもない。
 それなのに、彼の持つ雰囲気だけが違った。まるで別人であるかのように。
「スコール?」
 話しかけるが、その目は自分を見ない。いや、見てはいるものの、自分を自分と認識していない。
 これは、スコールではない。
「リディア」
 無機的な声。
 底冷えのする声。
「あなた、誰?」
 リディアはいつでも魔法を放てる体勢に入る。
 誰かが、このスコールを操っている。彼女の目にはそう映った。
 それはある意味では間違いではない。
「ふうん、あなたが彼の愛しいリディアちゃん、か」
 と、その背後から一人の女性が現れる。
 長い、浅黒の足が健康的に輝いている。
「うそ」
 リディアの目が見開かれる。
 その姿は、かつて彼の傍にいた人物と同じ。
「リノア」
 綺麗な顔立ちをした女性は片手に白い袋を持ち、そしてスコールにもたれかかるようにして、挑発的に笑った。
「アタシはリノアじゃない。あなたとははじめまして、だよ。リディア」
「誰?」
「アタシはレイラ。リノアとは異父姉妹ってところかな」
 レイラ・シーゲル。キロスとジュリアの子。もっとも、キロスには相手がかつてジュリアと呼ばれていた女性だなどということは知らされていない。
「スコールをどうするつもり」
「どうする? どうするもなにも、スコールはアタシの恋人だもん。ね、スコール」
「ああ」
 濁った色の瞳をしたスコールが機械的に答える。
 操られている。
 それは一目瞭然だ。だが、どうすればその支配が解けるのかが分からない。
「あなたはカオスの手下なの?」
「アタシが?」
 びっくりしたように声を上げる。まるで子供だ。
「そんなわけないじゃん。アタシはカオスが世界を滅ぼそうが何しようがどうだっていいもん」
 どうでもいい。
 そんなことを平気で言うことができる彼女はいったい何者だというのか。
「なるほど」
 突然口を挟んだのはヴァリナーであった。
「ジュリア、か。聞いたことがある。第十六世界フィールディを統べた最初の魔女」
 視線鋭くレイラを睨みつける。その大魔術師の眼力に思わずレイラが怯む。
「ふうん。まさかこのPLUSにいるのにそんなことを知ってる人がいるなんて思わなかった。そう。ジュリアはハインそのもの。私はその子。そしてハインの力を使うことができる正統な後継者」
「もう何千年も昔のことだろう。ジュリアはまだ生きているのか」
「もちろん。お母さんは望みが強いから」
「望み?」
「うん。『完全な人間』を作ること。全ての人間を『完全』にすること」
 今度は逆にヴァリナーが震えた。
「そ、それは」
 国王がこれほど取り乱したことはない。少なくともリディアの目から見ても常に冷静沈着だったヴァリナーが慌てる様子は驚愕に値した。ましてや長い年月をヴァリナーと共に過ごしてきたエウレカの兵士たちにはなおさらだっただろう。
「陛下、完全な人間って」
 リディアが尋ねる。ヴァリナーは苦渋の表情を浮かべた。
「私のことだ」
 ヴァリナーは苦々しげに答えた。
「人間の命は限られている。老い、病み、死ぬ。人間というのは最初から不完全にできているのだ。すなわち、完全な人間とは」
「そういうこと」
 レイラがにこりと笑った。
「老いることもない、病むこともない、死ぬこともない、そんな人間。アタシのお母さんや、そこのヴァリナーみたいにね。だって、お母さんは寂しいんだもん。たとえ誰かを愛しても、絶対にその人は自分より先に死ぬ。子供を産んでも、絶対に先に死ぬ。長い時を生きる者の孤独。それをあなたも感じてるんでしょ、ヴァリナー」
 リディアはヴァリナーを見る。だが、動揺は先ほどの一瞬で消え去っており、既にいつもの国王がそこにいるだけだった。
「残念だが。私はそれを覚悟して『この体』を手に入れたのでね。それにそもそも、魔術師というのは孤独なものだ。たかが何十年かの人生で魔術師として手に入れるべき真理など絶対に手に入らない。齢一万年を数えてもまだ足りぬのだ。時間がほしいと思いこそすれ、そのようなくだらぬ瑣末事にこだわりはしない」
「もういつでも準備はできてるってことか。でもそれが人間らしい生き方なの?」
「愛し、愛される」
 ヴァリナーは苦笑した。自分でも言っていて恥ずかしいところがあった。
「それで充分、人間らしいのではないかな。もっともこうなった以上、正確に人間とは言えないだろうが、そんなことは気にすることではない。まあ、こういう地位についている以上、なかなか適当な相手がいないのが残念だが、カオスとの戦いが終われば私も用済み、また久しぶりに世界を渡るのも悪くはない」
 一万年の時を生きたヴァリナーと、まだ何千年かの時しか過ごしていないジュリア。どちらが各上で、どちらが各下なのかは明らかだった。
「なるほどね。でも、アタシはお母さんがちょっと可哀相かな。ヴァリナーは自分で選んだ道かもしれないけど、お母さんは望んで魔女だったわけじゃないから」
「境遇には同情するが、邪魔をするのなら容赦はしない」
「安心して。アタシはお母さんに同情するけど、お母さんの味方じゃないから。子供が必ず親の味方をしなきゃいけない道理はないでしょ? アタシもわりとね、ヴァリナーみたいな考えなんだ。少し、残忍で強欲だけど」
 レイラの手がスコールの顔に伸びる。そして顔を自分の方に向けさせる。
「やめて」
 リディアが蒼白な顔で言った。だが、止まらない。
 レイラの唇と、スコールの唇が、重なる。
「やめてっ!」
「イヤ。アタシはほしいものはほしい、はっきりしてるから。お母さんから離れて自由にやらせてもらってるけど、みんなのことを見てるうちに、少しずつ自分が何をしたいのか分かってきたような気がする」
「何がしたいか、だと?」
「うん。アタシ、こう見えてもね、まだ十歳にもなってないんだ。見かけ上は歳を取ってるように見せてるけど。子供っぽい夢で、自分でもおかしいと思うよ」
 子供っぽい夢。レイラがしたいこと。
 まさか、とは思うが。
「……本当に子供だな」
 ヴァリナーが吐き捨てた。だが、それをできる力と、そしてその意思があるのは間違いないことだ。
「世界、征服か」
「そう。何を馬鹿なって思うかもしれないけど、少なくともアタシの中にある魔女の力、これをもっと高めれば、お母さんくらいになることができればそれは可能。それに今のアタシは一人じゃない。大好きなスコールがいるから」
「光栄だ、レイラ」
 黙っていたスコールが口を開く。もちろん、それは操られていることに他ならない。
「カオスに味方するの?」
 リディアが尋ねる。レイラは首をふって「まさか」と答える。
「カオスは世界を滅ぼしたいんでしょ? アタシは支配したいんだもん。目的が全然違うよ。カオスは倒すけど、でも今のアタシじゃ無理だから、その力をもらいに来たの」
「なるほどな」
 ヴァリナーが頷いた。カオスを倒すためには、当然必要なものがある。
 それは、クリスタルだ。
「クリスタルならば、変革者が持っていよう」
「隠しても駄目だよ、ヴァリナー。知ってるんだから。何故あなたがこの地を守りぬくことができているのか、それはあなたの力もあるけれど、それと同じくらい、この地に眠る『PLUS世界のクリスタル』が原因でしょ?」
 クリスタル。
 そうだ、確かに。どこの世界にもクリスタルがあるというのなら、この世界のクリスタルはいったいどこにあるというのか。
 それは、このエウレカ。そうでなければとっくにカオスに壊されていると考えるのが妥当だ。
「残念だが、ここのクリスタルを渡すわけにはいかんな。クリスタルはエウレカを守る要だ」
「うん、知ってる。だから、交換条件っていうことでどう?」
 ヴァリナーは目を細める。もちろん、自分にとって都合のいい条件ならばそれを呑むことだってできる。だが、変革者が現れた今となっては、自分にできるのは現状維持、それ以外にないとも思っている。
 それを上回る好条件など、あるはずがない。
「ヴァリナーは、毎日このエウレカのバリアを張り替えてるよね」
「ああ」
「昨日くらいから、バリアが痛んでいないことには気づかなかった?」
 あえて意識していたわけではないが、確かに攻撃の手は緩かった。いや、なかったと言っていい。案外痛んでいなかった。確かに今朝はそう思った。
 万が一に備えてバリアは張り替えておいたが、それでもこの一千年、一度も休んだことのないマジックマスターの攻撃が止まっていたのは何かの前触れかとは思った。
「マジックマスターを止めることができる、というのか」
「ううん。もう止めた後」
 レイラはようやく、片手に持っていた白い袋を無造作に放り投げる。
 ごとん、と落ちて袋の中から転がり出てきたもの。

 それは、生首。

「マジックマスターの首だよ。これでエウレカも安全でしょ? だから、おとなしくクリスタルを渡してくれると嬉しいんだけどな」
 擬態ではないのか、とヴァリナーは考えた。だが、その生首に残る霊波は間違いなく一千年の間戦い続けてきた相手のもの。たとえ顔は知らなくとも、その魔力の形は手に取るように分かる。
「どうやって」
「難しくないよ。だって、カインお兄ちゃんだってマシンマスターは倒したんでしょ? アタシがマジックマスターを抑えている間にスコールにばっさりと。さすがに魔術師だけあって、肉弾戦は弱かったね」
 敵の得意分野ではなく、苦手分野で戦う。そうすれば勝機も生まれる。それを実践してみせたというわけだ。
「それに、ヴァリナーにはやることがあるでしょ。いつまで経っても戻ってこない、いや、戻って来ることができないカインお兄ちゃんたちを無事にこの世界に取り戻すっていう役目が」
「ふむ」
 その言葉で、うすうす考えていたことを確信する。
 やはり、カインたちは何らかのトラブルで戻ってこられないのだ。それも、かなり大きな問題を抱えているらしい。
「どう、悪い取り引きじゃないと思うんだけどな」
「駄目よ」
 だが、答えたのはヴァリナーではない。リディアの方だった。
「スコールを返して。そうでなかったら、私は許さない」
「スコールを?」
 んー、とレイラは彼の顔を覗き込む。
 彼は、そのレイラに向けて笑ってみせた。
「どうする、スコール?」
 操っているというのに。操っている本人がその質問をするのか。
「俺の中に、囁く声がある」
 スコールは整然とした声で言った。
「殺せ、と。だが、それがレイラではないのも、リディアではないのも分かる」
 ようやく見せたスコールの本心。だが、リディアに向ける目は相変わらず冷ややかだ。
「俺がお前と約束をしたのは覚えている。だが、俺の中にその時の感情はもうない。全てが消えた。俺は、レイラに操られているわけではない。たった一つの感情以外、全てが消え去ったんだ。復讐する、ただその感情だけが俺の寄る辺」
 くすっ、と隣にいるレイラが笑う。
「レイラはその機会を俺にくれた。俺はもう変革者なんかじゃない。リディアの恋人でもない。今の俺は『復讐者』。レイラについていけば、奴に、セフィロスに会える」
「スコールはね、狂っちゃったの。あの天空城で殺さそうになって、精神がどこか壊れちゃったんだよ。ただ、スコールの中で一番強い感情だけが残った。それが復讐。残念だったね、リディア。スコールはあなたより、もうこの世にはいないリノアを選んだんだよ」
「そう」
 すると。
 リディアは安心したかのように微笑んだ。それを見たレイラがいぶかしむ。
「どうして笑うの?」
「それなら別に、あなたが選ばれているわけじゃないでしょう、レイラ。スコールはあなたのことを何とも思っていない。ただ感謝しているから傍にいるだけ。でも、私は違う」
 リディアの体に魔法の力がこもる。
「私はスコールを愛しているし、スコールから愛されていた。それを忘れたというのなら、また思い出してもらうだけ」
「無駄だよ」
「無駄じゃない。誓いの血の味も、私をかばって倒れた彼の姿も、私の記憶の中には確かに存在すること。忘れたのなら思い出してもらう。思い出せないというのなら」
 真っ直ぐにスコールを見た。
 彼はたじろぎもしない。身動きもしない。
「また、好きになってもらうだけだから」

 ──戦いが、始まった。






147.魔術の王

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