一つでも多くの魔法を覚えるには実戦が一番だ。
 多く見れば見るだけ、彼女の技は増えていくだろう。
 とにかく今の彼女には経験をさせることだ。
 それで充分に力は伸びる。
 申し訳ないが、マジックマスターにはそのための練習台と、なってもらおうか。












PLUS.148

魔力の渦







blackhole,immortal,neutral,aegis,and extinction






 コラプス=崩壊。
 全包囲に向けて放たれるこの崩壊魔法はマジックマスターのオリジナルだ。
 無論、それを見さえすればヴァリナーには同じ魔法をコピーする自信はある。問題は、その魔法を見たならばこちらは即死となることだ。
 その名の通り、崩壊の灰色の光を浴びたものは残らず崩れ去る。
 ヴァリナーは咄嗟にリディアを後ろにかばった。
 無論『最強術者』の名高いヴァリナーである。その魔法を受けて死ぬつもりなど、毛頭ない。
「リディア。私に力を重ねろ」
「はい」
「この光を吸収する。行くぞ」
 ヴァリナーが右手をかざし、魔法を唱えた。
「『ブラックホール』!」
 ヴァリナーの前に、人の頭ほどの大きさの暗黒球が生まれた。
 全包囲に向けて発せられているはずの灰色光は、その進路を変えて全てがブラックホールに飲み込まれていく。
「ぬ」
 光ですら直進することを許さないブラックホール。崩壊の光を防ぐには最高の魔法だ。
(さすがは陛下)
 リディアはヴァリナーの背に手を置いて魔力を供給しながら感心した。
 一流の術者とは、どれだけ相手の魔法を防げるかにもよるのだということを理解した。
 そして、同時に。
(私に、覚えろと)
 その魔法を使いこなせとヴァリナーは言っているのだ。そう、次の世代へ自分の技を残そうとしているのだ。
(覚えなければ)
 ヴァリナーが見せている技の全てを。
 これほどの術者、これほどの力を前に学ぶことができる。その何と喜ばしいことか。
「まさか、これを防ぐとはな。ならばこれはどうだ」
 続けざまにダークが放った技は、土のカオスの得意技であった死の魔法、デス。
 これを直接受けたならばヴァリナーもリディアもただではすまない。
 だが、これにも回避方法はある。
「『インモータル』!」
『死』に対抗する魔法は単純、『不死』だ。不死性を短時間でも自らに与えることによって、死の魔法から身を守ることができる。非常に単純なことだ。
「私は長い間、お前の魔法攻撃を受け続けてきた。この程度の魔法で私の防御魔法を突破できると思ったのなら大間違いだ」
「ならば、これはどうかな」
 続けてダークが放ったのは『アシッドクラウド』──酸の雲、であった。これに巻き込まれれば全身が酸で火傷をしてしまう。
 だが、そんな児戯にも等しい技が魔術の王に通用するはずもなかった。
「『ニュートラル』!」
 その酸性を全て中和し、単なる水に変えてしまう。そして、
「『エアロガ』!」
 風の魔法でその雲すら完全に弾き飛ばした。
「この程度か。もっと強い、貴様の最強魔法でかかってこい、ダーク」
 その挑発がどうやら、ダークに強い対抗心を芽生えさせたらしい。
「ならば、受けてみよ、我が奥義!」
 マジックマスターの最強奥義。それが並大抵の技であるはずがない。
 ヴァリナーはリディアを後ろに下げ、自らが防御を担当した。
「『ダーク』!」
 闇が、生まれた。
 くしくもマジックマスターと同名の魔法は、闇を具現化させ、それをもって攻撃するというものだった。
 だが、種さえ分かればこの魔術の王が防げないものはない。
 闇が四方から襲ってきたところで、この王にとって防ぐのは雑作もないことであった。
「『アイギス』!」
 あらゆる攻撃を防ぐという、神の盾。
 それが全包囲に現れ、全ての闇の軌跡を阻む。
 この盾の堅きこと、貫くものなし。
 ヴァリナーは、完全に魔力でマジックマスターを上回ったのだ。
「反撃だ、リディア」
 なおも飛来する闇の軌跡を防ぎながら、ヴァリナーが言った。
「はい」
「私でも攻撃はできるが、私は奴の攻撃魔法を全て防ぎきる。攻撃はお前が担当しろ」
「はい。ですが、どうすれば」
「簡単なことだ。アストラル(霊体)にまで届く攻撃魔法の一つや二つ、お前なら持っているだろう。幻獣に愛された娘ならばな」
 それがヒントになった。確かに、自分が契約している幻獣の中には直接精神に攻撃できるものもいる。
 それを召喚すればいい。
(お願い、私に力を貸して)
 リディアは祈った。ディオニュソスが幻界で紹介してくれた『友人』に。
 あの、潔癖症の少女に。
「我が敵の魂を撃て!『アルテミス』!」
 すると、リディアの背後に漆黒のストレートヘアを伴った神秘的な女性の姿が現れた。
 その肌は白く、透き通っている。顔は微笑みながらも、視線は鋭く、強烈な意思を感じさせる。そのくせ、衣服は人間の少年のようなズボンとシャツを着ている。だがそれで神秘性が損なわれることは全くない。しなやかにその手足が動き、彼女の手に黄金細工の弓と、光の矢とが現れる。
 一つ一つの動作がとても印象的で、見る者を虜にする魔力でもかかっているかのようだった。
『我が名を呼んだな、リディア』
 少年の格好をした、だが美しい少女のアルテミスが嬉しそうに答えた。
『ならば、そなたのために一働きするとしよう──星天弓!』
 大の男が五人いても引けなさそうな頑丈な弓を、彼女はこともなく引く。
 その光の矢が、マジックマスター・ダークのアストラルを正確に狙う。
『不浄なる者よ、消えよ! アストラル・アロー!』
 星の光が一瞬でダークを貫く。
「ばかな」
 霊体が歪み、徐々に『本体』が姿を現す。
 その首から下の肉体が徐々に浮き彫りにされた。
「それが本体か、ダーク」
 貧相な男だった。身長はリディアの目の高さほどまでしかなく、痩せこけている。
「ばかな、こんなばかなことがあってたまるものか。余はマジックマスターだぞ。カオスの分身なるものぞ」
「力に頼りすぎていると、いざ力で上回られた場合に応用がきかなくなるようだな、ダーク。戦力差を把握できなかった貴様の負けだ」
 ヴァリナーが攻撃に移ろうとした時だった。
「くそおおおおおおおっ!!」
 突如ダークは叫び声をあげると飛行の魔法で扉を粉砕して部屋の外へと逃げ出していく。
「『カオス』に属するものが、この『秩序』を編み上げた強化バリア、エウレカの外へ逃げ出すことができると思っているのか」
 そう言いながら追いかけようとしたヴァリナーの顔が、何かに気づいたように強張った。
「しまった、その手があったか」
 ヴァリナーが全力で駆け出す。何があったのかは分からないが、追いかけた方がいいと判断したリディアがそれに続く。
 ヴァリナーは何も言わずに走る。そして、その駆けていく先が何の部屋なのか、リディアにはすぐに見当がついた。
 そこは、エアリスの部屋。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 破壊音、そして悲鳴が二人の耳に届く。
 中に飛び込んだ二人が目にしたのは、立ち上がったエアリスと、その後ろから首を掴んでいるダークの姿であった。
「く、ふ、ふ、代表者がこのようなところにいるとはな。しかも反撃ができないほど弱っているとは好都合」
 エアリスの顔は、既に幾分生命力を奪われたのか、血の気がなくぐったりとしている。その首から体を掴み上げられている、という表現が正しい。
「そんな病人を捕まえて何をするつもりだ」
「決まっておろうが、この代表者の力を吸収する。ふん、たいした力ではないが、このエウレカのバリアを破るくらいの力にはなろうて。それこそ、全ての生命エネルギーを注げばだがな」
 だが、それを言いながら実行しないのは、非常に単純な話だ。
 つまり、その方法には成功しないかもしれないという危険が伴う。だから、エアリスの命が惜しければバリアを解いて脱出路を作れ、と言っているのだ。
「わ、たし」
 まだ意識の残っていたエアリスがか細い声で言う。
「どうせ、死ぬから。だから、気に、しないで」
 エアリスは気丈に、ヴァリナーとリディアに向かって言う。
 このやりとりから、このダークが敵で、自分が足手まといになっていることを理解し、その上で自分を犠牲にしてかまわないと言っているのだ。
 突然のことにパニックにすらなることなく。
(強い女性だ)
 ヴァリナーは感心した。だが、感心してばかりもいられない。
 この局面を打開しなければならない。その手段を探さなければならない。
「さて、分かると思うが、ヴァリナーよ。この女を犠牲にするか、それとも余をこのまま逃がすか、選ぶがよい。余にかかればこの女の力をこの場で解き放つことなど雑作もない」
「落ちぶれたものだな、マジックマスター」
 だが、ヴァリナーは哀れみをこめて答えるだけだった。
「お前は私にとって好敵手だと思っていた。命がけの戦いを一千年以上の間続けてきたが、まさか危うくなったときにこのような手段に出る者とは思わなかった。これが私が戦ってきた相手なのかと思うと、とても残念だ」
「カオスに何を説いたところで無駄だということは分かっておろう。さ、どうするか決めるがよい」
 二人は沈黙した。だが、やがてヴァリナーが答えた。
「気にいらんな」
「ほう?」
 ダークが何を言われたのか分からないという様子で声を上げた。
「気にいらないのは仕方のないことだ。どうする、と余は聞いているのだ」
「気に入らないのはお前のことではない。貸しを作りたくない相手に作ったことが問題だ。やれやれ、この借りは何百年単位で返さねばならぬことやら」
 ふう、とヴァリナーがため息をつく。ダークは分かっていない。リディアも分からなかった。
 気がついたのは──そのエアリスの体が変化したこと、だった。
「ぬう?」
 そのエアリスの体から生気がなくなっている。それは死んだのではない。
 エアリスの体は、いつの間にかすりかえられていたのだ。
「え?」
 リディアも目を丸くした。ダークがいつの間にかそこに掴んでいたのはただの人形。
 間違いなく先ほどはエアリスその人だったというのに。
「やれやれ。私の患者を勝手に動かさないでもらいたいものだ」
 声は、ダークの背後。
 リディアが、そしてダークが目を向けると、そこにエアリスを抱きかかえたドクターの姿があった。
「患者は返してもらった。覚悟するがいい、マジックマスター。我が王の怒りを消し去ることは、お前が消滅する以外にはありえないだろう」
「な、何故」
 今、何が起こったのか。
 ずっと首を掴んでいたはずのダーク自身が分かっていない。もちろん、じっと見つめていたリディアにも分かっていない。
 何が起こったのかを理解しているのは、おそらくこのヴァリナー一人だろう。
「さて、滅びの時だ、ダーク」
 彼の顔は怒りで満ち溢れていた。
 その怒りはエアリスを危険にさらしたことでも、このエウレカを危険に陥れたことでもない。
 自分の好敵手と認めた相手が、単なる卑劣漢だったことに対する純粋な怒りだ。
「精神のひとかけらすらも残さず消滅するがいい、ダーク」
「ま、待て──」
「『エクスティンクション』!」
 アストラルにも届く『消滅』の魔法が発動し、灰色の光がダークを包む。
「ばかな、ばかなばかなばかなばかなばかなばかなばか──」
 灰色の光が体を包み込み、その光の中にダークは溶けて消えた。
 あっけない最期だった。
「これが、マジックマスターですか」
 リディアが正直な感想をもらす。
「まあ、お前一人では勝ち目はなかっただろうが、今回は私がついていたからな」
 ヴァリナーとマジックマスターで五分の力、それに匹敵する力を持つリディアがいるのだから、これは明らかに戦力差がありすぎた。それをわきまえずに特攻してきたダークは、完全にタイミングを逸していた。
 これがあと一日ずれていたなら、間違いなくマジックマスターが有利だったろうに。
「それより、エアリスだ」
 ドクターが再びベッドに寝かせ、その体を確認している。
「随分生命力が吸われたな」
 完全に気を失っており、今にも死にそうなほどにエアリスは衰弱していた。
 頬もこけ、生気にあふれたエアリスはもういない。
 ここにいるのは、半死半生の病人だった。
「容態は」
「簡潔がいいか、それとも回りくどい方がいいか」
 ヴァリナーは一瞬ためらったが、簡潔に頼む、と答えた。一度リディアを見るが、覚悟は決まっていたのか、はっきりと頷く。
「もって一週間。それが限界だ」
 リディアの目が、大きく見開かれる。
 半年、という時間ですら短かったのに、それをあっという間にそれだけの期間に縮められた。
(私がアルテミスを召喚した時に、消滅させられていたなら)
 自分の力不足を呪う。だが、ヴァリナーがその肩を叩いた。
「人間にはできることとできないことがある。結果を見てから過去を呪うのは意味のないことだ。それより今は、できることをするべきだろう」
 できること。
 それがいったい何を意味しているのか、動転していたリディアには分からなかった。
 既に死が確定している彼女にとって、回復させる方法でもあるというのか。
「彼女を回復させることはできない。ならば、彼女の願いを叶えさせてやろう」
「願い──」
 そうだ。
 彼女はずっと願っていた。最後に一目でいい、カインに会いたい、と。
「カインを連れ戻す。その方法を検討する。時間は少ないぞ」
 リディアはしっかりと頷いた。






149.名前のない妖精

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