初めて出会った時は、互いにいい印象を持たなかった。
 同属嫌悪。今ならその正体ははっきりしている。
 この相手は自分と似ている。自分の嫌いなところまで似ている。
 自分の醜い部分が鏡に映っているみたいで、それがたまらなく嫌なのだ。












PLUS.149

名前のない妖精







He renounced his name






「失われた世界?」
 リディアが告げられた言葉はかつてあの“エデン”で聞いたものだった。現在の十六世界の前にあった世界たち。もとは全部で二五六あったとかいう。
「その中の一つにブルーたちが飛ばされたと考えるべきだろう。マシンマスターの力はなくなっているから倒したのは間違いない。だとすれば、マシンマスターの最後の力でブルーたちを別世界へ送り込んだ、とみるのが妥当かな」
 リディアとヴァリナーの二人に説明しているのはドクターであった。このドクターは単なる医者ではなく、まさに博士としてのドクターの意味合いもある。
 ヴァリナーがもっとも信頼し、かつ油断のならない男だと評される人物である。
「結論から聞こう。どうすればこの世界に戻すことができる」
「道をつなげばいいだけのことだ。このエウレカにあるクリスタルの力を使えば、代表者の特殊能力と合わせて充分に道は開けるだろう。閂は既に抜かれているのだからな」
 思えば、そんなことを簡単に(ではないのだろうが)調べがつくあたり、このドクターと呼ばれている人物も只者ではない。
 だが、これだけ大事な話をしている中で尋ねることはリディアにはできなかった。
「では早速──」
「待ちな、王。確かに道をつなぐことならできる。だが、問題が二つある。彼らがどの世界にいるかということと、彼らがその道を認識してくれるかどうかということだ。闇雲にやったところで無駄さ」
「分かっていないのか」
「分かってたらこんなに深刻な顔をしているはずがないだろう」
 そういうドクターの顔はいつものように無表情で、そこから何かの感情を読み取ることは不可能に等しかった。
「もちろんどうするかは考えているんだろうな、ドクター」
「でなければお前たちを呼ぶはずがないだろう。リディア嬢を借りる」
 突然話を振られたリディアが少しうろたえ気味に「はい」と答える。
「何をするつもりだ?」
「難しいことはしない。失われた世界など数はあっても広さはたいしたことがない。ならば一つずつしらみつぶしに探すのが一番手っ取り早い。そしてこれは代表者にしかできない作業だ。道を次々にかけていかなければならないからな」
 大変な作業になるのかとリディアは怯みかけるが、ここで負けるわけにはいかない。どれほどの作業になってもカインたちは取り戻さなければならないのだ。
「がんばります」
「その意気だ。じゃあ、王。あんたは邪魔になる。あんたはあんたでカオスの居場所を探すがいい。マスターが二人ともいなくなったのだ。ならば『目覚めの儀式』に取り掛かってもいいだろう」
「やれやれ。どちらが王だか」
 ヴァリナーはぼやきながらドクターの部屋を出ていく。
「さ、行こうか」
 見送ったドクターも椅子から立ち上がってリディアを見つめた。
「どちらへ」
「決まってる。クリスタルのある場所はクリスタルルームと相場は決まっているものだ」
 ドクターが部屋を出て、リディアがそれについていく。
 このドクターと呼ばれている人物は全く余計なことを話さない。必要なことしか言わず、必要なことしかしない。合理的だが、もう少し説明がほしいとも思う。
「あの、ドクター」
「何かな」
「一つうかがいたかったんですけど、ドクターはどうして陛下から特別な地位を得られているのですか」
 それを聞いたドクターは少し表情を緩めた。
「そう見えるか。ま、端的に言えば私はあいつの部下じゃない。ただ単にあいつのやることが面白そうだから協力しているだけだ」
「協力ですか」
「そうだ。そもそも私はエウレカの者ではないのでね」
 初耳だった。だが確かに、このドクターだけはヴァリナー王に対して絶対服従という感じではない。また、その姿勢を他の兵士たちも理解しているという様子だった。
「では、あなたは、この世界の方ではないのですか?」
 さすがにその言葉にはドクターも無反応というわけにはいかなかった。スピードを緩めて隣を歩くリディアを眺めて尋ねる。
「何故、そうなる」
「ヴァリナー王は他の世界から来た方です。そして、この世界にはエウレカの他に国らしい国はないと聞きました。この二つを組み合わせるとそう考えた方が妥当です」
「洞察力があるな。それに機転もきく。ふむ、王がキミを気に入るわけだ」
 ドクターは再び歩くスピードを上げた。リディアも急いでそれについていく。
「なら分かると思うが、私は見た目どおりの年でもなければ、見た目どおりの存在ですらない」
「見た目どおり?」
 その言葉の意味するところは、リディアなればこそ分かった。
 彼女はこれまでに何体もの『獣』と出会ってきた。その経験があればこそ。
「人間では」
「そう。私は人間ではない。人間の姿を手に入れた名前のない妖精。それが私だ」
 名前のない妖精。
 それなら確かにヴァリナーが一目置くはずだ。相手が人間ではないのだから。
「でも、どうして名前が」
 純粋な疑問に「たいしたことではない」という前置きの通り、たいしたことがなさそうな返事を受けた。
「妖精族の名前には力がある。名前を持つだけで強い魔法を使うことができる。だがその分、名前にこめられた魔法以外は使えなくなるという制約が発生する。私が王の傍にいるだけなら強い力などいらない。ただ無制限にあらゆる技を使いたかった。だから、私は妖精族の中でも数少ない『二つ名』の持ち主だったが、名は二つとも妖精界においてきた。だから私はただの『ドクター』にすぎない」
 ドクターは淡々と話す。妖精にとって名前は識別の用途にあるのではなく、力を付加するものなのだ。
 リディアは全く未知の世界であった妖精界とその住人に会うことができたことで、ひどく興奮していた。もっといろいろなことが知りたい、と思うようになっていた。
「私の敬愛する姉上は妖精界の中でただひとり、四つ名を持つ方だった。将来的にはあの方のような妖精になりたいと思うがね」
「では、どうして名前を捨てられたのですか?」
「姉上も三つ名をもたれていたころ、一度名前を捨てたことがあったらしい。その後新しく名前を手に入れ、その後で三つ名も帰ってきたので四つ名となったのだ。──そうだな」
 ぴたり、と止まってドクターが微笑んだ。
「キミが私に名づけて見るかい?」
「え」
 さすがにそんな話を聞いた後ではどのような名前がいいのかなど全く分かるはずもなく、リディアはただ狼狽した。
「冗談だ。ここがクリスタルルームだ」
 だが、それも軽口だったのか、ドクターは軽く壁に手を置く。すると通路の端に下り階段が現れた。
「入るぞ」
 ドクターが先行し、リディアがそれに続く。
 そして、その先はまばゆいクリスタルの光に溢れた部屋であった。
「ここがクリスタルルーム」
 リディアが中央に設置されているクリスタル保管のための台座を見る。
 その台座はリディアの胸ほどまでの高さで、それが二つ並んでいた。片方の台座には白色に輝くクリスタルが、もう片方の台座には黒い輝きを秘めたクリスタルがあった。
「黒が魔法のクリスタル、白が機械のクリスタル。この世界に存在する二つのクリスタルだ」
 その輝きに、リディアはしばし見入っていた。






 無論、カインたちは決してわざと帰るのを遅らせたわけではない。
 マシンマスターを倒したカインたちが屋敷を出ようとしても扉が開かない。気がつけば窓という窓の外側の景色が全く見えなくなっている。
 この屋敷の中だけが異次元に突入したかのようであった。
 罠、といえばいいのか。マシンマスターが亡くなった時、屋敷ごとPLUSから切り離されるようになっている罠。
 完全にカインたちは脱出路を見失って立ち往生してしまっていた。
「十日目か」
 屋敷に入ってからの日数が細かく分かるのは、この屋敷のいたるところに置かれている時計のおかげだ。正確に時を刻んでいるおかげで自分たちがどれだけの時間ここにいるのかが把握できる。
 その期間の食糧も充分にあった。この屋敷の中にはまだ五人が三ヶ月はゆうに暮らせるくらいの食糧が保存されている。
 だから、今日、明日にもというような切羽詰った状況というわけではない。もちろん世界の消滅は徐々に近づいているし、急がなければいけないのは当然だ。



 サラは目が覚めてからというもの、カインにべったりとくっついていた。だが、彼女には一つ大きな問題があった。
 全く口をきかないのだ。
 それでもマシンマスターにのっとられていた間にカインに優しくしてもらった記憶はあるのか、ぴったりとくっついて離れない。
 耳が聞こえないというわけでもない。むしろ呼びかけるとすぐに振り返って笑顔を見せる。
 それに、かなり高度なことを説明しても理解している節がある。ブルーなどは、時間さえあればどこまで理解が深いのか試したい、と言っている。
「どれくらいの理解力があるんだ?」
 ブルーと二人きりになった隙を見計らって、カインは尋ねた。
「もしマシンマスターの知識が全部彼女の頭の中に残っているのだとしたら?」
 ブルーに逆に尋ね返されてカインは驚愕する。
「カオスについての重要な情報や知識などを抱えている可能性だってある。そして彼女は多分それを理解している。口がきけないのはその知識を表に出すのをためらっているのか、それともマシンマスターが話せないように呪いをかけているのか、どちらかだと思う」
「どっちだと思う?」
「呪いの方かな。あのマシンマスターはかなり用意周到だよ。自分が万一のことを考えてこれだけのことをする奴だ。一筋縄でいくはずがない」
 七日間も屋敷の中に閉じ込められているのだ。確かに用意周到といえばその通りだろう。
「この屋敷の中は安全だ。でも、僕らはずっとここにいるわけにはいかない」
「脱出路は見えたのか」
「全く。このままだと元の世界に戻るとかいう以前に、残りの食糧を食べつくす方が先かもしれない。そうだな、何か手がかりがあればいいんだけど」
 そう言って、ブルーは再びその部屋一面に置かれた『機械』に向き合う。
 マシンマスターの館のメインコンピューター室。大部屋一つが完全に機械で埋め尽くされていた。何の機材なのかはカインには分からない。当のブルーですら半分ほどしか理解できないと言っている。
「サラならここにある機材がどういうものか分かるのか?」
「可能性は高いね。というか、もう四日も前に彼女には聞いてみたよ」
「そうしたら?」
「怖がって聞く耳持たないっていう感じだったな、あれは。よほどこの部屋自体を嫌ってる。何しろそれから二日間は、僕が同じ質問をするんじゃないかと思って避けられたくらいだから」
 カインは特別だが、サラは基本的に誰にでも懐く。それを考えると珍しい現象と言える。
 だが、そういわれてみると、カインがこの部屋に来る時は絶対にサラはついてこない。この部屋に行くルートを通ろうとすると、ぱっといなくなる。
「ブルー、あまり根を詰めるなよ」
「そんなことは」
「アセルスが心配していた。少しは休め」
 それを聞いたブルーが苦笑する。
「全く君は、そういうところに気がつくのが早い。さすがに僕が選んだリーダーだけのことはある」
 やれやれ、と言ってブルーは立ち上がった。コンピューターに解析を命令し、休憩を取るのだ。
「食事にしよう」



 食事の間は沈黙が続くが、食べ終わってまず口を開くのはアセルスだ。
 この寡黙なメンバーで唯一と言っていいほど場の雰囲気を保つことに努めている人物だった。まあ、カインにティナ、ブルーにアセルスと、決して険悪になりようもないメンバーなのでそこまでする必要はないともいえる。
 だが、会話は心のゆとりを生む。そうしたことをアセルスは敏感に悟っているようだった。
「ふと思ったんだけどさ、向こうは今どうなってるのかなって」
「向こう?」
「フィールディ? だっけ? ガーデンの方。それに、ラグナロクに残してきたイリーナ」
「ああ」
 後をラグナたちに任せて自分たちはPLUSへやってきた。もっともイリーナについてはしばらく経っても戻ってこないようなら、一度ガーデンに戻るように指示してあるから問題はないと思うのだが。
「そのうち戻るよ」
 ブルーがさも当然というように言った。
「僕はルージュと決着をつけなければいけないから。こっちの世界にあいつは来ていないみたいだしね」
 それは感覚で分かるものなのか。ブルーははっきりと断言した。
「決着はカオスを倒した後になるのか」
「そうだね。僕としては早くあいつを倒したいところだけど、今はカオスが最優先だ」
 だが、それには一つだけ問題がある。
 この屋敷からどうやって脱出すればいいのか。その方法だ。
「方法がないわけじゃないんだ」
 ブルーが全員の不安を取り除くかのように言う。
「ただ、それには一つの偶然を期待しなければいけない」
「偶然?」
「そう。この閉鎖空間の『外側』から誰かが接触してこなければならない。つまり、リディアたちが。向こうにも代表者が二人。こっちにはサラも入れれば三人。道をつなげるのは多分難しくない。問題はその道をこちらからではつなげられなくて、向こうからの接触を待たなければならないっていうことだ。幸い、ヴァリナー王は聡明な方だからすぐに動いてくれるとは思うけど」
「見積もりは?」
「さあ。食糧が尽きる前だとは思うけれど、明日明後日というわけではないと思う」
 一刻も早くカオスを倒さなければならないという時に、このタイムロスは大きい。
 もっとも戦士たちはその間も自分の力を高めることに余念はなく、完全に戦力外となっているカインやティナ、アセルスは時間の許すかぎりトレーニングに励んでいた。
 カインは天竜の牙を、ティナはオメガウェポンを、そしてアセルスはレオンの力をそれぞれ効率的に使えるように訓練は欠かしていない。
「こちらからは全く手が打てない。だとしたら向こう待ちになるのは仕方がないことだよ」
 ブルーがそう締めくくった。






150.名前のない世界

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