道をつなげる。
言葉では簡単だが、実行はそうはいかない。
十六世界の間だけならば、いくらでもそれは可能だ。半妖のアセルスでもできたように、強引に道を作ることすら不可能ではない。
だが、既に失われてしまった世界との道となれば、単なるアクセスだけではすまない。
向こうに取り残されているメンバーを、全員、こちらの世界に呼び戻さなければならないのだ。
その手順を、ドクターとリディア、そしてヴァリナーが確認している最中だった。
ドクターの部下が、飛び込んできたのだ。
「エアリスさんの容態が、急変しました!」
PLUS.151
赦す者たち
absolvents
その事態を想定していたのか、ドクターの指示は素早かった。だが、それは同時にエアリスに対する最終通告でもあった。
「新薬を使え。副作用が出るだろうが、かまうな。死ぬよりましだ。あと一日だけでも延命させろ」
リディアが唾を飲み込む。その言葉の意味は明らかだ。
このままでは、エアリスは、死ぬ。
「あ、あの新薬ですか!? ですが、あれを使えば」
「分かっている。仮死の薬。私がアレを作ったのだから、その作用は分かっている」
「下手したら、二度と目覚めませんよ! それじゃあ、使っても意味は」
「なら、今ここで死ぬのとどっちがマシか言ってみろ」
それは、と部下は口ごもる。
「生き延び、目覚める可能性があるのならそれに賭ける。今ここで彼女を死なせるわけにはいかない。彼女自身のためにも、そして世界のためにもだ」
ドクターの声に迷いはない。次に発作が起これば助からないということを完全に悟っていた上での決断だ。
「急げ。このままならば彼女の命はあと三十分もないぞ」
リディアの顔色が変わった。
そんなに。
まさに秒読み段階に入っていたことを、このときまで全く考えていなかった。
まだ大丈夫だと。
ドクターが何も言わないのだから。
ずっとそう、信じて。
部下が駆け出していくのを見送ったドクターは、珍しく息を吐いた。
「大丈夫なのか」
ヴァリナーがドクターに尋ねる。ああ、と軽くドクターは答えた。
「命令した新薬なら、あと一日はもつ。何しろ、妖精の間に伝わる『呪いの秘薬』を私なりにアレンジしたものだからな」
呪い。
ヴァリナーはそれを聞いて顔をしかめるが、それは単に意味が通じなかっただけのことで、相手をとがめているわけではなかった。王はこのドクターのことを信頼している。
「どういう呪いだ?」
「指定したパスワードを耳に聞こえさせない限り、体が仮死したまま永久に目が覚めないというものだ。だが、結局のところはどのような呪いも、それを上回る『力』にあえば解かれる。もって一日というのは、世界が彼女に許した最大限の長さだ」
「待ってください」
リディアが割り込む。発言できるほど余裕がないことは分かっている。
だが、どうしても尋ねたい。
言っても仕方のないことではある。それでも、
「私に教えてくださらなかったのは、作業を中断しないためですか」
「そうだ。その方が効率がいい。彼女のことを気にしていれば、それだけ時間が足りなくなる。これは時間との戦いだ。我々が行わなければいけないことは、向こうの世界からクリスタルと変革者、その仲間たちをここへ呼び戻すことだ」
だが、それでも戦友が今まさに命を落とそうとしているときに、その傍にいることすらできないのは、と考えてから頭を振る。
今ですら既に徹夜を何度も繰り返し、ドクターの術でその睡魔を軽減してもらいながら世界へのアクセスを続けてきたのだ。
エアリスを見舞う、そのわずかな時間すら惜しいのだ。
「代表者は、死ねば新しい者に受け継がれる」
ドクターは言う。何か意味を含んだような物の言い方。その言葉の意味をじっくりと考える。
「だが、世界はわざわざエアリスを生き返らせた。そこには重要な意味がある」
そう。エアリスはかつて代表者として命を落とした。確かにセトラの民として、魂は残っていたのかもしれないが、死んだのなら別の人間がまた代表者として選ばれるはずだ。
つまり。
「エアリスには、代表者であることの他に、何か秘密があるっていうことですか」
「秘密というか、世界から与えられた使命というものだな。変革者は今のままではクリスタルを使うことができない。何故なら、彼の魂は三重の罪で縛られている」
咄嗟にカインのことを思い浮かべる。そうだ、彼は罪人。負の状態にあるものが、負のカオスを封じ込めるためにクリスタルを使うことはできない。
それは、ゴルベーザの時に明らかになっている。
「リディア嬢の世界でもクリスタルが使われたと思うが、その使用者──名前を何といったかな。一応、一部始終は聞いたのだが」
「セシル・ハーヴィーです」
「そう、セシルだ。彼もまた罪人。そしてその罪を赦された。魔道士の村の虐殺、君の母親の殺害、そして世界を危機に瀕したという三つの罪。それを彼はすべて赦された。母親の件はリディア、君が赦した。村の件については双子の──何といったかな、その子らが赦した。そして世界については、彼の父親が赦した。それが全てだ」
罪を犯しても赦しが得られないのなら、クリスタルは使えない。
「では、カインはどのような罪を」
「世界を危機に陥れ、君の母親を殺害したところまでは同じだ。そして、君の母親の件については既に赦しが得られている。君と、そしてイリーナといったかな。二人の力で、その罪は赦された」
『赦す者は眠りから覚め、天は一つ目の罪を赦される』
唐突に、あのハオラーンの歌が頭に戻ってくる。
あの歌は、そういう意味だったのか。
「だからあと二つ、赦しを得なければならない。エアリスは世界の代表者として、世界を危機に瀕した罪を赦す使命を帯びている。二つ目の赦しだ」
「では、三つ目は」
「それは難しい。お前の件をイリーナが赦したように、世界の件をエアリスが赦すように、赦しができる者は限られている。それが見つからなければ、カオスを倒すことはかなわないだろう」
「そんな」
「クリスタルを使うというのは、それだけの制限が課せられているということだ。光と闇、さまざまなもののバランスが狂う。その最終手段だ。生半可なことでは使えんよ」
ドクターは魔法と機械、二つのクリスタルを眺める。
「さて、話をしていても時間がすぎるばかりだ。始めよう。いいか、王」
「無論だ。私の力だけならばともかく、このクリスタルの力を最大限利用すれば問題はない。始めよう」
「いい答だ」
そしてリディアも頷いた。
一分、一秒を争うその作業に取り掛かった。
一方、カインたちの方はどうしていたかというと、ブルーたち、カインたちが体験した不思議な空間の揺らぎについて話し合っているところだった。
考えられることはいくらでもあった。カオスによる攻撃の一旦かもしれないし、崩壊した世界に起こる特有の現象かもしれない。
だが、もしかしたらあの揺らぎは、ヴァリナーたちが自分たちを助けようとしているものだったとしたら。世界間に道をつなげようとしているのだとしたら。
「キャッチボールと同じだ。僕たちは道を受け止めなければならない。複数世界のことを知らず、強引に巻き込まれたティナにはやり方がわからないと思う。だから、それは僕がやる。後はその道を固定化させて、五人全員がPLUSに戻れるようにしないといけない」
「それは?」
「アセルスにやってもらう。少し、危険だけど」
「大丈夫さ。前に道を通った時より、ものすごいレベルアップしてるんだから、それくらい余裕だよ」
「というわけで、カイン。この道は一人ずつしか通ることができない。まず最初に君が行くんだ。それからティナ、サラ、アセルス。最後に僕が行く」
「待った」
カインは嫌な予感がして、ブルーを止める。
「一つだけ確認だ。まさかとは思うが、道をつなげたお前だけは道を渡ることはできない、などということはないだろうな」
嘘を許さない厳しい視線でカインが尋ねるが、逆にブルーが驚いた。
「それはないよ。だいたい、僕はヴァジュイールという妖魔の力を借りはしたけど、自分で道をつなげて、自分で第十六世界フィールディに行った。道をつなげること自体は問題じゃないんだ。ただ、道が途中で揺らいだりしないように固定化の作業は続けなければならない。そのためにはアセルスと僕が最後までいた方が都合がいいんだ。もちろんそうなると、最後に渡る僕の危険は誰よりも高い。でも、そのリスクは一%が二%に増えるくらいのもので、まず、ありえない」
「ならいい。約束を破るなよ」
「もちろんさ。僕はまだ、やることがある。ルージュを倒さなければいけないのに、こんなところで置き去りはごめんだよ」
その、直後だった。
空間の、大きな歪みが突如発生する。
俊敏にブルーが動いた。
その歪みにマジック・チェーンを放ち、引き寄せる。
「アセルス!」
「ああ!」
既に半妖の姿となっていたアセルスが、その道を固定化する。
そこから、声が聞こえてきた。
『カイン!』
懐かしい声が聞こえる。
あれは、幻獣に愛された娘だ。
「リディアか」
『カイン。無事?』
ざあざあとノイズが混じっているが、それでも彼女の声ははっきりと聞き取ることができた。
「ああ。こっちで道を確保した。今固定化の作業を行っている。そっちは?」
『このPLUSのクリスタルで道をつなげているの──今、OKが出たわ。そっちは?』
「ブルー?」
「OKだ。いつでも渡れる」
親指をたててゴーサインが出る。
「OKだ。どうすればいい?」
『そのゲートに飛び込むだけで大丈夫。後は自然にこちらにつくことができるわ』
「分かった」
『一人ずつ入ってね。だいたい十秒くらいで世界を渡ることができるから』
「了解した。ティナ、サラ、アセルス、ブルー。すぐに来い。いいな」
一同が頷き、まずはカインがそこに飛び込む。
十秒、といわれたがもっと短く感じた。
気がつけば、二つのクリスタルが輝くクリスタルルームにいた。
そこに王と医者と、それから幻獣に愛された娘が、いた。
「カイン、よかった!」
リディアはそのカインに抱きついていた。
「リディア」
「よかった。もしかしたらもう、カインと会えないんじゃないかって、ずっと心配だった」
やれやれ、とカインは胸をなでおろす。そして、彼女の背中をぽんぽんと叩いた。
自分にとっては、この娘も守るべき相手の一人。
そして、罪の償いをするべき相手の一人だ。
後ろを振り返ると、既にこちらの世界に戻ってきていたティナが、何とも複雑そうな表情を浮かべていた。再会している場面だというのは理解しているようだが、自分の特等席がとられたような感じなのだろう。カインは心の中だけで苦笑した。
そしてサラ。物言わぬ子がPLUSに戻ってくる。こうして、次々と世界渡りは順調に進んだ。
アセルスも到着した。半妖の姿のままだ。万が一のことを考えて、ずっとそのままでいたらしい。
最後。
全員がブルーの到着を待った。
が、十秒どころか、二十秒しても、三十秒しても、やってくる気配はない。
「ブルー、どうした?」
カインがゲートの向こうへ呼びかける。すると、返答があった。
『すまない。そちらに行くことはできなくなった。いや、時間が必要になった。一度、道を閉ざしてくれ。半日したら、また道をつなげてほしい』
突然何を言うのか、と全員が色めき立った。
ブルーはアセルスが無事に向こうに到着したのを確認した上で、最後に自分が飛び込もうとした。
だが、その瞬間に感じた。
あの『赤い波動』を。
「そうか。まさか『ここ』に来たのか、ルージュ」
そして空間が揺らぐ。
徐々に姿を見せたその姿は、瞳の色だけが自分と異なる、自分の鏡。
ルージュ。
「決着をつけに来たよ、兄さん」
アビスを取り込み、邪悪そのものとなったルージュが笑った。
「まあ、決着の舞台としてはうってつけといえるのだろうな」
滅びた世界。他に邪魔の入りようもない。ただ戦うことだけが可能な世界。
「いいだろう。ここで決着をつけよう」
「その前に、呼ばれているよ、兄さん。最期の別れくらいしておいたらどう?」
「優しいな」
「まあね」
ここまできて、正面から以外の決着をつける気もないだろうと、堂々と背中を見せてゲートに向き合う。
「すまない。そちらに行くことはできなくなった。いや、時間が必要になった。一度、道を閉ざしてくれ。半日したら、また道をつなげてほしい」
その言葉に向こうから動揺する音が聞こえてくる。
『どういうことだよ、ブルーっ!』
アセルスが叫ぶ。だが、はっきりと答えた。
「ルージュがここにいる」
彼女の息を呑む声が聞こえた。
まさか、こんなときに、こんなところで。
『ブルー』
かわりに尋ねてきたのはカインだった。
『勝って、必ず戻ってこい』
「もちろんさ。このあと僕は、アセルスを人間に戻さないといけないからね。死ぬわけにはいかないよ」
『ブルー、私』
アセルスが、かすれた声を絞り出すかのように言う。
『必ず帰ってきて。私を戻すとか、そうじゃない。ブルー、あんたと一緒にいたいから』
その声に、思わずブルーは胸を打たれる。
「ああ。ありがとう、アセルス。大丈夫。僕が死ぬはずがないだろう?」
ブルーは笑顔で言ったが、当然向こうに見えるはずもない。
『約束だぞ』
「もちろんさ。約束を破ったら、絶対に許さなくていいから」
『当たり前だ。約束を破るなんて、サイテーだ』
「そうだよ。僕は最低男じゃないだろう?」
そこで会話が途切れる。そして、そこにいるはずの王に向かってブルーが話しかけた。
「ヴァリナー王、いらっしゃるのでしょう。今から半日後、ご迷惑をおかけしますが、もう一度道をつなげてください」
『分かった。死ぬなよ。そなたほどの術者を失うのは惜しい』
「そういうことは、リディアに言ってあげてください。それでは」
そして、道が閉ざされる。
もはや、逃げ道はない。
戦うだけだ。
「待たせたな、ルージュ」
「いや──うん、そうだね。お互い、ここまで来るのに随分と時間がかかってしまった」
戦い続けて、もう何度目になるのだろう。
数えることも、もうしなくなっていた。
自分の生きる意味、それは相手を殺すこと。
それだけが、自分たちの存在価値だった。
「始めようか」
「そうだね」
二人は、一気に魔力を極限まで高めた。
「ブルーさんは、大丈夫でしょうか」
ティナが不安そうにカインに尋ねるが、分からない、としか答えなかった。
実力は五分。ならば、生き残る確率も五分だ。
「それは考えても仕方のないことだよ。ブルーは始めから、あいつと決着をつけるためだけに生きてきたんだからさ」
気丈にアセルスが言う。だが、無理をしているのは一目瞭然だった。
「そうだな。それより、我々には今すべきことがある」
王が、やってきた四人に向かって話しかけた。
「私がヴァリナー。この国の王だ。カインというのは?」
「私です。ご協力感謝する、王」
「つもる話は全て後だ。リディアよ、まずは彼を、病室へ」
「はい」
病室。
その言葉が出た瞬間に、エアリスのことが全員の頭をよぎる。
そこにドクターが話しかけてきた。
「単刀直入に言う。もう時間がない。エアリスの命は、今日一日かぎりだ」
カインの目が、大きく見開いた。
「馬鹿な、まだ半年はあると」
「説明してる時間も惜しい。まずは急げ。エアリスはあんたに会いたがっていた。今ならまだ間に合う。そしてゆっくりと話をしてこい。その話が終わるまでには、向こうの戦いも決着がついているだろう」
そしてリディアが呼びかけ、先に走っていく。それにティナも続いた。サラはどうしようかときょろきょろしていたが、さすがに大人が走るのについていけるはずもない。
困っていたサラは、ドクターに抱き上げられていた。
「ふむ」
ドクターは少女を見て、感心したように頷いた。
「代表者か。それにこの娘」
ドクターは首を振った。
まさか、こうも都合よく見つかるとは。
「最後の赦しを彼にもたらすのは、お前なのだな」
サラはきょとんとして、ドクターの顔を見つめていた。
152.二つ目の赦し
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