「だいじょぶ?」

 出会い。その時、彼は何故か哀しそうな目をしていた。
 クラウドと同じように空から降ってきた彼だけど、クラウドとは全然違う精神に惹かれた。
 クラウドは守ってあげたいと思ったけれど。
 彼には、守られたい、と思った。
 それは彼が強い人だからだ。確固たる自分を持っていて、どのようなことにでも覚悟が備わっていて、そして誰よりも純粋で、素直で、優しい。
 彼はきっと、自分が優しいなどとは思っていない。誰よりも自分を憎み、傷つけている。
 彼を助けたい。
 そんなに自分を責める必要はないのだと。

 その罪を、赦したい。












PLUS.152

二つ目の赦し







sin against the world






 会っていなかったのはそれほど長い期間ではなかったと思う。一ヶ月もあっただろうか。
 それなのに、久しぶりに見た彼女の顔はあまりにも痩せこけ、生気と呼べるものが全くなかった。
 だが、生きている。
 呼吸すらまるでなくなってしまったかのようだが、体は仮死状態でもきちんと酸素は補給しているようだった。
(何故だ)
 自分が守りたいと思った者ほど、こうして自分の目の前から失われていく。
 エアリス。
 いつも自分を案じ、そして優しく力づけて、勇気づけてくれた女性。
 ティナとは違う意味で、彼女には助けられていた。
 それなのに。
「解除パスは?」
 カインは内心の葛藤を誰にも悟られないように近くにいるドクターの部下たちに尋ねる。
「はい。目覚めろ、とだけ伝えてくだされば」
「そんな簡単なのか? それなら、誰でも起こすことができるだろう」
「いいえ。これはあの方がエアリス様にかけた呪いですから。何でも、カイン様の声でなければ目が覚めないように細工されたようですよ」
 何なのだ、そのふざけた設定は。
 だいたい、ドクターは自分に会ったことすらないのだ。それなのにどうしてそんなことが可能だというのか。
(エアリスの、心の問題か)
 一番会いたいと思った人物から、目覚めろという声が聞こえる。あくまでも彼女の内面が欲する声を与えてやればいい、ということだ。
「カイン」
 リディアが心配そうに見上げてくる。
「私たち、外にいた方が」
「いや、リディアもティナも、そこにいてほしい。二人きりの方がいいと判断したら、その時は考える」
 それは、別に自分一人になることが恐ろしいのではない。
 彼女の最後の時を、一人でも多くの人に見ていてもらいたい。そういうカインの勝手なわがままだ。
 だが、もし彼女がそれを拒むというのなら、責任を持ってカインが判断する。
 覚悟は決まった。
 寝台に横たわるエアリスの傍に近づき、耳元に口を近づける。
「目覚めろ、エアリス」
 その言葉と同時に、どくん、と脈打つ。
 一瞬で血の気が戻り、エアリスの呼吸が大きくなる。
 そして、彼女は目を覚ました。
「カイン?」
 その口が小さく動き、かすれた声が聞こえる。
「そうだ。エアリス。待たせた」
「うん。遅い」
 横にいるカインを見向きもせず、正面を向いたまま笑う。
「ねえ、カイン。こっち?」
 エアリスがようやく首を傾けてくる。
「エアリス」
「うん。もう、目が見えないの」
 思わず、カインは呻いた。後ろではティナが左手を口にあてて、嗚咽をもらさないようにこらえている。
「カイン」
 弱々しく、彼女が手を上げようとする。カインがそれをしっかりと握り締めた。
「ここにいる。エアリス。俺はここにいる」
「うん。あたたかい」
 エアリスは笑って言った。
「よかった。ようやく見てくれたんだ」
「エアリス」
「今まで、話しかけてもあんまり答えてくれなかったから。カインは私が倒れたら、必ずやってきて心配してくれる。この間もそうだった」
 ──そう。あれはまだ、バラムガーデンにいた頃だ。
 エアリスが発病して、その看病をしていた。あのときは「軽い発熱」ということだった。だが、もしかしたらそのときから既に、この病は進行していたのではないか。
「自覚していたのか、ずっと」
「うん。自分の体が以前と違うっていうのは最初から。熱を出したときはまだ、おかしいな、っていうくらいに思ってた。はっきりと自覚したのは、セフィロスのことを聞いた時。それまでずっと思い出さないようにしていたこと。痛くて、苦しくて、死にたくないっていう気持ちがあふれてきて、それで思い出したの」
 エアリスは病人とは思えないくらいよく話した。
 だが、それが精一杯の、無理をしている状態だというのはその表情から明らかだった。
 カインはあえて止めなかった。止める時間すら、彼女にはもったいないことだった。
 彼女の思うままに、今は時間を使わせてやりたかった。
「私は生き返ったんじゃない。私は、死を、一時的に先送りしてるんだって」
 先送りである以上、決してこのまま生き続けられるわけではない。
 彼女にとって、死は、確定した未来だったのだ。
 回避することもできない、ただやがて襲いくる死を待つ日々。
 それを誰にも打ち明けることなく、毅然とした振る舞いでいつも笑顔を振りまいていた。
「レノはね、気づいてたんだ、私のこと。だから相談にも乗ってもらってた。でも、できるだけ誰にも分からないようにしてた。迷惑、かけたくなかったから」
「馬鹿、誰も迷惑になんか」
「思わないよね。私もカインが倒れても迷惑になんて思わない。でも自分では分かってるの。迷惑をかけているんだ、って。カインもそう思うよね?」
 否定できない。まったくもってエアリスの言うとおりだ。
「でも、自分にもみんなのためにできることがあったの。だから限界を超えて自分の力を解放した。でも、そうしたら今度は体が動かなくなって、すごい痛くて。こっちの世界に来たらもう限界で、倒れちゃったの」
「どうして、そんな無茶なこと」
「だって、どうせ死ぬんならみんなの役に立ちたいもん」
 エアリスは笑って言う。
「でも、どうしてなんだろうって思ってた。私、本当は死んでるはずなのに、死んだら別の代表者が生まれるはずなのに、私だけどうして生き返ってるんだろう、って」
 そんなことが超越者ではないカインに分かるはずがない。
 だが、エアリスにはその答は分かっているようだった。
「私ね、カインに会うために、死を先送りしていたの」
「なん……」
「これはうぬぼれなんかじゃない。世界が、私に与えた、使命。私は、カイン、あなたの、罪を、赦します」
 厳かに告げられた、赦し。
「何を」
「カイン自身がそれを望んでいなくても、赦しは平等に与えられるもの。カインだけが与えられないなんてことはないし、カインにだって幸せになる権利があるんだもの」
「俺は」
「すと〜っぷ。何も言わないで、カイン。カインの罪はなんとなく、分かる。世界を滅亡の側に傾けた、世界に対する責任を感じてる」
「──ああ」
 それが一番大きな罪というわけではない。だが、確かにカインの中にあるわだかまりの一つには違いない。
 リディアの母親を殺した罪。
 世界を危機に瀕した罪。
 そして──親友を裏切り、その恋人を傷つけた罪。
「私が赦すのは、二つ目の罪。世界を危機に陥れたとしても、それをカインは充分に贖った。カオスと戦い、大切な『風』すら失って、それでも戦い続けた。もう、それで充分。世界はとっくに、カインを赦してるよ」
「エアリス」
「でも、最後の罪を赦すのは、私じゃない。もっと別の誰かが、その役割を果たす」
 ふう、とエアリスは大役を果たし終えて、ゆっくりと力を抜く。
「エアリス!」
「ん、まだだいじょぶ。大切な役割を果たしたから、少し疲れただけ。ねえ、カイン。もう、カインの罪は赦されてるんだよ。だから、自分を赦してあげて」
 カインの心が、驚きに満ちる。
「何を」
「もし、赦しを受け入れられないのだとしたら、世界は、強引にカインを赦す方向に動く。カインが納得しなければ、強引に納得させる。それだけは、避けたいの」
 エアリスの言葉が、突然支離滅裂になった。だが、彼女は真剣だ。真剣に、何かを心配している。
「私、カインには絶対忘れてもらいたくない」
「当たり前だ」
「うん。だから、心に焼き付けておいて」
 エアリスは弱々しく両手を広げる。せがまれているのだと気づいたカインは、彼女を優しく抱きしめた。
 エアリスの腕は、ゆっくりと彼の首に回された。
「私、カインに出会えてよかった。私の最後に好きになった人がカインでよかった。私、カインの思い出になる。だから、ずっと覚えていて」
「ああ、絶対に忘れない」
「ありがと」
 くす、と笑ってエアリスは腕を解いた。
「ティナ、いる?」
 そして尋ねる。涙声で「はい」と彼女は答えた。
「私が言うことじゃないけど、カインのこと、お願いね。ティナならだいじょぶ、誰より可愛いこと、保証するから」
「エアリスさんには負けます」
 掛け値なしにそう思った。今にも死にそうだというのに、彼女のこの輝きは何だろう。
「ありがと。最後のお願い、ね?」
 二人とも、絶対に死なないで、生きて。
 その言葉が、ティナの頭の中でリフレインした。
「分かりました」
 泣きながら、何度もティナは頷く。
「リディア、いる?」
「はい。すみません、カインを呼び戻すのに、こっちにお見舞いに来ることができなくて」
「ううん、そのことは聞いてたから。リディアが私のためにがんばってくれてるって。だから、お礼、言いたかったの。最後にカインに会わせてくれて、ありがとう。リディアのおかげだって、何度も聞いた。だから、ありがとう。こんなに嬉しいこと、他に、ないから」
「エアリスは」
 一度、リディアは言葉を切った。だが、適切な言葉がなかなか思い浮かんでこない。
「エアリスのことは、みんな大好きだから」
 何が言いたかったのか分からない。
 ただ、何かを伝えたかった。
 その気持ちが伝わったのか、エアリスは微笑み「ありがとう」と答えた。
 そしてカインは後ろの二人に目配せした。
 二人は頷くと、他の医者たちにも理解を求め、そして部屋を出ていく。
 そして、病室には、カインとエアリス、二人だけが残された。
 病室を出たティナは、もはや耐え切れなくなっていた。
 涙がとめどなく流れ、そしてリディアにしがみつく。
「こんな、こんなのって、ない……っ!」
 嫉妬していると、笑顔で言った彼女。
 最後まで二人とも生きて幸せになれと、笑顔で応援してくれた彼女。
 エアリスだって、彼の傍にいたかったはずなのに。
 誰にも渡したくないと、自分が一番に傍にいたいと思っていたはずなのに。
 それでも、死ぬ直前まで、自分を応援してくれるのだ──!
「私、私エアリスさんに、どうやって──」
「それは、エアリスに失礼な言動ね」
 リディアは真剣な表情で、だが涙を流しながら答えた。
「エアリスは、エアリスの果たすべき役目をしっかりと果たした。私たちは、その意思を受け継がなければならない。それが彼女にできる、恩返しじゃないかな」
「恩返し」
「そう。だから、ティナは、カインと幸せにならなきゃ駄目。それはエアリスの願いだけじゃない」
 リディアは、その彼女の左手をしっかりと握った。
「私の願いでもあるんだから」
「リディアさん」
「だから、幸せになってね」












 それから三時間後、カインが扉を開いた。
 そして、彼女の死が、厳かに告げられた。






153.紅き死神

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