さて、もう一度時間を戻そう。
碧き魔術師が戻ってきたのは、戦いが始まってから十二時間後のこと。
そして、セトラの民が入寂したのは、戦いが始まってから三時間後のこと。
都合、九時間の差。その間、彼らは何をしていたのか。
この時間の間に、彼らには一つの、運命の変化が生じていた。
PLUS.155
古き戦友
amnesia
エアリスの亡骸は妖精の秘術で大切に保管されることとなった。
腐敗することのないようにその体に流れる時間をせき止める。死は時間と切り離されているため、生者には使えないが、死者には使えるらしい。とはいえ、その辺りの区別はカインには分からない。ただその方がいいだろうと思ったカインは、その通りにしてもらった。
そして、リディアとティナを連れたカインは、再び王の下へ出向く。
既に王は謁見の間へと戻っており、カインたちもそこへ案内されることとなった。
「よく来たな、変革者」
ヴァリナーは何人かの臣下と話をしていたが、彼らを全て下げるとカインたちを中に招き入れた。
「かまわないのか」
「気にせずともよい。今は君たちの話の方が先だ。何しろ、悠久の太古から願ってやまなかったカオス討伐が、ついにかなう日がきたのだからな」
ヴァリナーは表情を和らげる。
「何万年、何十万年、何百万年、何千万年、何億年。それだけの昔から、カオスとの戦いは続いてきた。だが、これが最後だ」
「何億年?」
「そうとも。かつてあったという二五六世界、半数ずつ世界は失われ、既に戦いも五度目だ。そして、ここでカオスを食い止められなければ、世界が最後の一つ、いや全て滅びるまで崩壊は止まるまい」
「世界がFだから、ですか」
リディアが尋ねると、ヴァリナーが頷いた。Fは秩序を司る数字。この数でなければ混沌=カオスに立ち向かうことはできない。
「F、というのは?」
カインが分からないというように尋ねる。それを聞いたリディアとティナが首をかしげた。
「あれ、カイン、この話が出たときいなかったっけ」
「ああ。覚えていない」
「簡単にいうと、十六進数のこと。正確にはFは十五をあらわすんだけど、ゼロを入れると十六個、それが秩序をあらわす数字」
その説明は確かハオラーンからされたもので、あれはバラムガーデンが沈む前のことだ。
「なるほどな。ここでカオスを食い止めなければならないということか」
「うん。だからカインの力が必要になる」
「ああ、分かっている」
しっかりと頷くカインに、ヴァリナーが話しかけた。
「ところで、それが天竜の牙か」
ヴァリナーはカインが腰に帯びている長剣を見ながら言う。
「ああ」
「見せてもらえるかな」
カインは答えず、ただ剣帯を外してそのまま相手に渡した。
「天竜の牙か、懐かしい」
ヴァリナーはそれを恭しく両手で持つ。
「天竜、聞こえるか」
そして呼びかける。すると、その剣から直接頭の中に言葉が響いた。
『懐かしい声ですね。お久しぶりです、ヴァリナー。あなたの世界ではとっくに、寿命をすぎているかと思っていましたが?』
「白々しい。どうせお前たちのことだ、私が生きていることくらい、とうの昔から知っていたのだろう」
竜の声は応えない。が、微かに笑ったような気がした。
「前の『試しの時』から一万年。何百万年を生きるお前たちにとってはさほど長い時でもなかったのだろうが」
『そうでもありません。あなたの世界にいたときと同じ、いやそれよりも、この一万年は長かった。あなたのような優れた人材が全く現れず、私の剣に触れることができたのは、ここにいるカインのみ』
「だが、優秀だな。初めて見たとき、まるでリックがそこにいたかのようだったぞ」
『彼もまた、優秀でした。ですが、カインは彼よりも優秀です』
「ほう」
少しヴァリナーが困ったように首をかしげる。
「いくつか聞きたい」
『どうぞ』
「まず、お前たちは今回、どれくらい干渉することを許されている?」
『今回この世界に来ている竜は私を入れて五名。煌竜、海竜、地竜、それに水竜です。水竜は今も彼女を守っているでしょう』
「役目は?」
『それぞれ異なりますが、三名の変革者を正しく導き、カオスを滅ぼすことです。そのときに生じる強大なエネルギーを防ぐことが我々の役目です』
「それは、カオスとの戦いの時に三人がそろっていることが条件か?」
『いいえ。誰かひとりがいれば充分です。我々はこの世界に居さえすれば、力は発揮できます。ただ、既に残りふたりの変革者は歪んでしまいました』
「歪んだ?」
『ええ。海竜の角を持つ者は修正者に。これは自ら望んでそうなったようですね。世界を元の姿に戻す役割を負うようになりました』
セフィロス。あの長い刀を持つ剣士の姿が思い浮かべられる。
「だが、その役割は最終的には必要になる」
『ええ。歪んだこの世界を元に戻すには修正者の力は必要です。そしていまひとり、地竜の爪を持つものは、破壊者に』
スコール。その名前を思い浮かべたリディアが、悲しそうにそっとうつむく。
「破壊者、というのは?」
『世界を崩壊に導くもの。かつてその運命は、リノア、という少女が担っていました』
ティナとリディアの表情が劇的に変化した。
「そ、そんな……」
リディアがわなわなと震える。
「それでは、セフィロスがリノアさんを殺したのは」
ティナが気づいたように尋ねる。
『そういうことです。世界を崩壊に導こうとする者を取り除いた。セフィロスは世界のために、自分一人が責められるのを覚悟の上で、行動を起こしたのです』
「スコールを元に戻すことはできますか」
リディアが震える声で尋ねる。
『無論です。セフィロスは望んで修正の側につくことを選びました。もう引き返すことはできません。ですが、スコールは半分以上は破壊者に操られているというのが実情です。リノアの妹であるレイラを殺すことができれば、呪縛は解けるでしょう』
ほっと安堵の息が漏れる。
『最初の魔女ハインの子、それが破壊者を生み出す元凶です。カオスとは全く方向性は異なりますが、フィールディにおいては世界の崩壊へつながる存在となります』
「倒さなければならないということだな」
カインがまとめると『その通りです』と返事があった。
「話を戻そう、天竜。そのカオスを倒す方法だが、場所が分からなければどうにもならん。お前はそれを知っているのか」
ヴァリナーが尋ねると、天竜の意識は『いいえ』と答えた。
『ですが、水竜がきっと知っています。そうでなければ、水竜が守る少女が』
「ふむ。目覚めの儀式の用意はできているが」
『可能な限り早く。八つの世界が重なるまで、それほど時間の余裕はありません』
三人の顔色が変わった。
『はっきりとどれくらいとはいえませんが、おそらくはあと一ヶ月ほどの間に』
「そんなにか」
『はい。そのため、八つの世界ではさまざまな異常気象や天災、そして人災も発生しています』
「それは前から出ていた。だが、もっとひどくなっているということだな」
カインの問いに『はい』と返事があった。
「ならば早速行動に移るとしよう。天竜、情報感謝する」
『あなたは相変わらずですね、ヴァリナー。合理的で、自分の思った通りに行動される』
「性分だ。仕方あるまい」
『私から、いえ、煌竜から実は、プレゼントを預かっているのです。リディア?』
突然天竜から指名されたリディアは「はい?」と聞き返していた。
『これを、あなたに』
リディアの目の前の空間が突如歪んで、そこに腕輪が現れる。
彼女が両手でその腕輪を受け取る。それは不思議と重さを感じなかった。
『煌竜の瞳。あなたの魔法を補助してくれるでしょう。まあ、ヴァリナーから既に魔法の技術は体得しているようですが、魔力の絶対量を補うことが可能です。ヴァリナーほどの魔法を使うには、魔力量も必要です。これを常に身につけなさい』
「やれやれ。天竜の牙に煌竜の瞳か。本当にリックがそこにいるかのようだな」
ヴァリナーが言うと、天竜も少し笑ったかのように答えた。
『ヴァリナー。一万年前の戦いはもう終わっているのです。確かに私たちはたくさんの戦いを経験しているのに対し、あなたは世界の命運を握る戦いはこれで二度目と経験は少ないかもしれません。ですが、戦いは常に、新たな人間が行っていくものですよ』
「そうだな。私のような古い人間は影からサポートする程度が望ましいということか」
『平たく言えばそうですね。ただ、私たちにも感情があります。古い戦友に会えるというのは、なかなかに楽しいものでしたよ。虚竜と雷竜にはよく伝えておきます』
「頼む」
そして、天竜の意識が途切れた。
「すまなかったな、これを返そう」
ヴァリナーから改めて剣を受け取ったカインは、それを腰に差す。
「一つ聞きたい」
「なんだ」
「目覚めの儀式、というのは?」
会話の中で、その言葉がカインは一番引っかかっていた。それが次の展開につながるキーワードだということくらいしかつかめなかったのだ。
「このエウレカには、一万年の間、眠り続けている少女がいる」
一万年。その長い年月を思い浮かべると、さすがに誰もが言葉を失った。
「彼女は私よりも早くこのエウレカにたどりつき、そこで永い眠りについた。それはこのカオスとの戦いのためだ。このエウレカにあるクリスタルの力でそれは可能となった」
「名は」
「ミルファ。私がもともといた世界の代表者だ」
三人の顔が険しくなる。
「私は面識がないのだが、一万年前、私と戦った相手──リックというのだが、彼にとっては妹のような存在だった」
カインはふと、自分にとってのイリーナのような存在かと納得する。
「カオスを倒すための何かを彼女は持っていると伝えられている。さすがに私でも、それが何かということは知らないのだが」
「儀式はいつできる?」
「今日中にでも。形式を整えさえすれば三時間もすれば準備が整うだろう」
「なら、急ごう。世界の崩壊はそれこそ時間が残り少ないらしい」
「そうだな」
ヴァリナーが頷く。と、ちょうどいいタイミングで扉が開き、サラを連れたドクターが現れた。
「ドクターか。ブルーとアセルスは」
「ブルーはまだだ。アセルスはクリスタルルームで祈りを捧げている。彼にな」
ドクターに手をつながれていたサラは、ぱっと手を離してカインにダイビングする。カインはその彼女を優しく抱き上げた。
口をきくことができない少女、サラ。この世界の代表者。
「ほう」
ドクターは近づいてくると、カインをまじまじと見つめる。
「なんだ?」
「いや。どうやら二つ目の赦しは無事に得られたようだな、と思っただけだよ。エアリス嬢はもう?」
カインがうなずくと、ドクターは「そうか」と残念そうに呟く。
「目覚めの儀式をやるのかい、王」
「そのつもりだ」
「準備をするのに二、三時間はかかるだろう。その間に彼らを借りるよ、王」
「それはかまわんが、何をするつもりだ」
ドクターは首を傾けた。
「いや何、この変革者の兄さんに、最後の赦しを与える機会を作ろうと思ってね」
最後の、赦し。
「……どういうことだ」
幾分、カインの声が低くなる。
「どうもこうも。お前さんが心の中に隠している、最も重たい罪、その赦しが与えられる日が来たってことさ」
「俺は」
「赦してなどほしくない、か? そんなことを言っているとクリスタルを使うことはできなくなる。それに、体に無理が現れている。自覚症状もあるまい。まあ、当たり前のことだが」
カインは顔をしかめた。ドクターの言葉の意味が全く理解できないからだ。
「クリスタルを使うには心に迷いがあってはならない。君のところでクリスタルを使った者も、きちんと罪を償い、赦されたからこそクリスタルを使えたのだ」
リディアはそれを聞いて頷く。ゴルベーザは罪を赦される機会を与えられなかった。だからクリスタルを使うことはできなかった。だが、セシルは違う。セシルは罪を赦され、そしてクリスタルを発動させ、ゼロムスの闇を暴いたのだ。
「お前さんが変革者としてクリスタルを使いたいのなら、まずはお前さんが、自分から赦しを得たいと思うことだ。さもなくば、世界は強引にお前さんを赦さざるをえなくなる」
「エアリスも似たようなことを言っていたが」
「ふむ? なるほど、さすがはセトラ。自分の使命に最後に気づいたか。それに、お前さんの体の秘密にも気づいている」
体の秘密──その言葉に、何故か三人とも背筋が震えた。
「どういうことだ」
「どうもこうもない。自覚症状もない奴に言っても始まらん」
「言え」
「やれやれ。だが、納得はできないと思うよ」
ドクターは肩をすくめた。そして、告げた。
「お前さんは、記憶を失いつつある」
156.色褪せた記憶
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