クリスタルを使うことができるのは、全てを変えようとする意思を持ち、それを実行することができる者=【変革者】でなければならない。
だが、一度闇に身を染め、数多の罪に満ちた者は、クリスタルの力を引き出すことはできない。
そのため【赦し】が必要になる。
罪を赦すのは、世界からその使命を託されることになった【赦す者】の存在である。
だが、その【赦す者】を見分けることは通常ならば不可能。いつ、どこで【赦し】が行われるのかも定かではない。
だが、それが行われない限り、クリスタルを使うこともまた、不可能なのだ。
PLUS.157
目覚めの儀式
I had better write to save the world.
サラが口をきけない理由を捜すといっても、そう簡単に分かるものではない。
ブルーは口がきけないことをマシンマスターの『呪い』だと言っていた。それが正しいかどうかを測ることはできない。
だが、サラがその年齢に合わず、よほど高度なことを考えているということはブルーも指摘していた。
サラが抱えている秘密。それがいったい何なのか。
彼女の生まれ故郷に戻ったところで、もはやそこには何もない。マシンマスターが、あの灰色の石の村は全て滅ぼしたと言っていた。マシンマスター直々の命令なのだ。確実にそれは実行されたのだろう。
(とはいえ、どうすればいいんだ)
自分に何の疑いもなくしっかりと抱きついて、純粋な瞳で見つめてくる少女。
「サラ」
呼びかけるとすぐに顔を上げて『なあに?』と尋ねるような表情を向けてくる。
「俺の言っていることが、理解できているんだな」
だが、それに対する答はない。自分の知識を外に出すのをためらっているような、そんな感じ。
(自分の都合で、この子の心に負担を強いる……)
彼女はおそらく、自分で自分の知識=マシンマスターの知識に蓋をしているのだ。そんな気がする。
それが彼女に何を思い出させるのかは分からないが、それは彼女自身にとって決して楽しいことでないのは確かなのだ。
「いや、何でもない」
カインはその頭をそっと撫でる。嬉しそうにサラは目を閉じてまた、カインの腕の中でごろごろと眠りに落ちる。
それを見ていたリディアとティナが苦笑をもらした。
たとえサラが抱えている使命が必要だからといっても、そのために彼女自身を傷つけてしまうのなら、それを無理強いすることはしないカインの性格をほほえましく思っているのだ。
だが、時間はそれほど多いわけではない。世界が重なるまで、あと少し。
サラの自然な目覚めを待っていたら、その間に世界は崩壊してしまう可能性だってあるのだ。
「もうそろそろ、陛下が言ってた『目覚めの儀式』の時間だね」
リディアが時間を確認して言う。三時間ほどかかると言っていたその作業は、おそらくそろそろ終了することになるだろう。
そうリディアが口にすると、席を離れていたドクターが戻ってきて、三人の様子を見て苦笑した。
「どうやら、まだ『呪い』は解けていないようだな」
案外難しい、とドクターが言った通り、無垢な少女の記憶を無闇に触れることが三人にはできない。その覚悟がつかない以上、最後の赦しを得られることはないだろう。
「まあいい。今はまだ幾分ゆとりがある。それよりもできることからしよう。『目覚めの儀式』の準備が整った。地底湖へ行く」
「地底湖?」
このエウレカにはそんなところまであるものなのか、と驚く。
「このエウレカの水源だ。人間は妖精と違って水なしには生きられぬからな」
「立地条件としては最適だな。立てこもる時の問題は水と食糧。それを自給できるなら兵の士気は落ちない」
「そういうことだ。このエウレカに城を建てたのも随分昔のことだが、この星でこれほどの立地条件の良い場所は他になかった。当時はまだいくつかの国が残っていたのだが、気付けばエウレカ以外の全ての国は滅び、人間も死に絶えようとしている。エウレカは、この世界の人間にとって最後の希望なのだ」
行くぞ、と言ってドクターはすたすたと歩いていく。
カインがサラを抱きかかえ、そしてリディアとティナもそれについていく。
エウレカの地下、そこから地底奥深くに続く螺旋階段。それを延々と降りる。どれほど降りればいいのかは分からないが、およそ三十分も階段を折り続けてようやく地底にたどりつく。普通に歩くのと違って、さすがに体力が消耗する。しかも階段を上るのと違って、普段使わない筋肉を使うので疲労が残りやすい。
「こっちだ」
ドクターはそんな人間たちの疲労など全く無視して進む。カインですら辛いのだから、ティナやリディアはもっと辛いだろう。
「大丈夫か」
「私は平気。ティナさんは」
「大丈夫です」
二人とも無理を隠そうとするところがあるだけに、その言葉も単純に信用はできなかったが、二人の意思を無視することもできない。カインは頷くとドクターの後を追う。
やがて、巨大な地底湖が目の前に広がった。
その湖の前には祭壇があり、供物が既に備えられている。そして、ヴァリナー王とドクターがいて、三人の司祭らしき人間たちがその祭壇で祈りを捧げている。
「来たか」
ヴァリナー王が振り返ってカインたちを見つめる。
「今から『目覚めの儀式』を行う。カオスの秘密を知る少女、ミルファの目覚めを、この場にて行う」
ヴァリナーがそう宣言すると、祭壇の前に立った。
「我はかつて竜と契約し、竜の秘具を手にした者。健やかなる眠りを守る水竜よ、我が呼び声に答えんことを」
すると。
徐々にその湖が渦を巻き、その中心から竜の顔が表れる。
「私を呼んだのはあなたですか、ヴァリナー」
竜の口から優しげな声が流れた。顔は怖いが、どことなくその口調から女性のようなイメージを受けた。
「そうだ。久しい──というのもおかしいな。だが、一万年ぶりには違いない。お前が水竜か」
「そうです。一万年前はお世話になりました。おかげであの世界は救われました」
どうにもカインたちにはその『一万年前の戦い』というものが理解できない。だが、それは確かに過去の話、今それを必要とはしていないのだろう。
「カオスを倒すために、お前が守っている少女の目覚めを求めたい」
「ええ。時期が来ていたのは知っています。煌竜がうるさくて、何度も早くしろとせがんでくるのですよ。ですが、あなた方が儀式をしていただかないことには、私も彼女を無闇に起こすわけにはいきませんでしたから。お分かりでしょう?」
「ああ。こちらの準備が整うのを待っていてくれたのだろう?」
水竜はその大きな頭を頷かせる。
「その通りです。あなたが、天竜の牙を持った戦士、ですね?」
水竜がカインの方を向いて尋ねる。頷いたカインはそれを証明するように、天竜の牙を鞘ごと掲げた。満足そうに水竜が頷く。
「そうですか。いよいよ、このカオスとの永きに渡る戦いにも決着がつくときが来ましたか。そして、まさかあなたがこの世界に来ているとは知りませんでしたよ、長老の長子。今は名を長老に返しているようですね」
「ふん」
ドクターが鼻を鳴らす。どうやらドクターと水竜は知り合いだったようだ。
「いいでしょう。彼女を──ミルファを、あなたたち人間にお返しします」
水竜がそう言うと、その湖自体が鈍く光を放ち始めた。
それは湖の底、一点から放たれているようだった。そしてその光は徐々に浮き上がってくる。光そのものが浮上してくる。
その光の中に、横になった少女がいた。
白いワンピースのような服に身を包んでいる。髪は黒く短い。水の中にいたとはいえ、その光に守られていたのか、服も髪も全く濡れていない。その右手の中指にはラピスラズリの指輪が光を集めるかのように落ち着いた輝きを見せる。
そして、少女がゆっくりと目を覚ます。そして光の中で起き上がる。
その瞳も、深遠を司る黒、だった。
まだ十二か、それくらいにしか見えない少女だったが、その神秘的な美しさはどうだろう。リディアはその姿の中にかつて幻界で出会ったルナを思い浮かべていた。ティナもまたその女神のような神々しさに目を奪われていた。
そしてカインは。
(ローザ……?)
顔立ちも、髪も、何もかも違うというのに。
それなのに、その神秘的なオーラは、自分にとって最も大切な女性の姿を思わずにはいられなかった。
誰もがその神秘的な少女に目を奪われたいた。
その時だ。
「ふあ、ああ……」
その少女が、大きくあくびをした。
どうやら少女にはこちらが見えていないらしい。くるりと振り返って水竜を見る。
「あ、おはよう、水竜……まだ、ちょっと眠たい」
「おはよう、ではありません。あなたはもう、一万年も眠っていたんですよ、ミルファ」
「うん……なんとなく分かってるけど、あと百年」
どういう会話だろう。神秘的な少女の口から、どこにでもいるような普通の女の子の言葉がつむがれている。ただ、桁がおそろしく違う。
「駄目です。それに、あなたを待っていてくれる人たちがほら、そこであなたを見ていますよ」
「え?」
そして光の中から、ミルファと呼ばれた少女は湖岸を見つめる。そして、その顔が真っ赤に染まった。
「す、水竜! どうして教えてくれないの!」
どうやら、今のやり取りを聞かれてしまったことが、そうとう恥ずかしかったらしい。
「寝ぼけていたのはあなたですよ、ミルファ。さあ、ほら。新しい仲間に、きちんとご挨拶なさい」
「う、うん」
そして、光そのものがゆっくりと動き、やがてミルファは湖岸に立った。
身長もそれほど高くない。リディアより一回りも小さい。そしてミルファは丁寧にぺこりとお辞儀をした。
「ミルファです。起こしてくださってありがとうございます。みっともないところを見せてしまってすみません」
そして、てへ、と少し照れたように笑った。
だが、そんな少女っぽい仕草ではあるが、見れば見るほどその神秘性が浮き彫りにされていく。白い服、白い肌。そして対極を成す黒い髪、黒い瞳。この世のものとは思えぬ美しさ。ただ、その女の子はけっしてじっとしていない。表情がころころ変わり、落ち着くということができない性分のようだった。
(昔のローザを見ているようだな)
ローザも神秘的な中に、たくさんの感情を発露させていた。そのアンバランスさにカインは引き込まれたものだった。
「ええっと、お名前を教えていただけますか?」
ミルファはわくわくとした目をカインに向ける。
「カイン・ハイウィンド」
「カインさん」
カインさん、カインさん、とミルファは何度か口の中で呟く。そしてじっとカインを見つめた。
「こちらは、カインさんの子供さんですか?」
「違う」
突然そんなことを言われたカインは頭痛がした。
「こっちはサラ。この世界の──」
「ええ。私も代表者だから分かります。この世界の代表者ですね。それに、みなさんも」
リディアとティナを見てにっこりと笑う。
「お二人ともカインさんの奥さんですか?」
「違う」
頭痛がひどくなった。
「カインの恋人は私です」
なるべく丁寧な態度を崩さないようにしてティナが言う。
「ティナ・ブランフォードです。はじめまして、ミルファさん」
「はじめまして。よろしくお願いします。じゃあ、こちらはカインさんとティナさんの子供さんなんですね?」
「だから、違う」
カインは何と答えていいものか分からなかった。
「この子はサラ。いきがかりで助けた少女だ」
「サラさん。こんにちは」
にっこりとミルファは微笑むが、珍しくサラは少しびっくりしたように離れてカインにしがみつく。
「きらわれた……」
しょぼん、とミルファの方が落ち込んだ様子を見せる。本当に、感情がころころと変わる少女だ。
「えと、こちらは」
気を取り直して、もう一人の『妻候補』にミルファが話しかける。
「私はリディア。カインとは昔からの仲間。よろしくね、ミルファ。リディアって呼び捨てでいいから」
「うん。はじめまして、リディア」
そしてミルファはリディアのブレスレットに目がいく。そして驚いたようにぱっちりとした目をさらに大きく開いた。
「煌竜の瞳」
そしてミルファはリディアの顔をじっと見つめる。
「あ、うん。どうも私に使えっていうことで、使わせてもらってるんだけど」
「ふうん……ちょっと、触っていい?」
リディアは請われるままに左腕を上げる。ミルファは真剣な表情でそっとその腕輪に触れた。
と。
「……リックさん」
突然、その顔がくしゃくしゃに歪んで、涙がぽろぽろと溢れ出している。
ミルファの突然の変化にリディアも困ったが、必死に泣くのをこらえようとしているミルファの背を右手でそっとなでた。
「これ、昔、私の大好きだった人がつけていたんです」
ミルファが涙をぬぐって無理に笑う。
「私が眠ってる間に、もう一万年も経っちゃったんですね。もう、会えないんだと思うと。ごめんなさい」
ぺこり、と頭を下げる。
「ううん」
リディアは首を振った。
「会いたい人に会えないのは辛いことだもん。分かるよ」
リディアもこの少女に対しては、肩肘はった口調ではなく、カインのよく知るくだけた口調だった。
(──そうか。ローザにしてもらったように)
リディアはローザを姉のように慕っている。ローザが自分にしてくれたのと同じように、自分もこのミルファという少女に優しくしたいと思い始めているのだろう。
「すみません」
こうして、この神秘的で感情豊かな少女が、エウレカの地底湖にて目覚めた。
158.三つ目の赦し
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