ここは、第九世界プラス。倒すべきカオスのいる世界。
 自分は竜騎士カイン・ハイウィンド。カオスを倒す使命を帯びた変革者。クリスタルを使い、戦いに赴く戦士。
 自分が何者かなどと、今までに考えたことはない。それがすべて自分の真実だったはずだ。
 それなのに。
 自分が今まで何をしてきたのか──分からない。
 自分が今まで何と戦ってきたのか──分からない。
 自分が今まで誰と出会い、別れてきたのか──何も分からない。
 分からない。
 分からない。
 分からない。
 自分の中の記憶が、すべて点として存在している。線にならない。ところどころに自分の記憶が残っているのに、今日、この場所にいたるまでの経過がひどくうつろだ。
「カインの幼なじみ──覚えてる?」
 子供の頃の記憶など、何も残っていない。
 ただ、一人で空を眺めていた記憶だけが、脳裏に残る。
「俺に──幼なじみなど、いない」

 もしいたのなら、あんな孤独に空を見上げることなんて、なかったはずだ。












PLUS.160

記憶の断片







He forgets many things.






「こいつは重症だな」
 カインを目の前にしてのうのうとドクターが言う。ドクターなら、せめて患者の精神状態くらい考えてほしいと思うのだが、これでも彼には彼なりの考えがあるようだった。
「リディア嬢。悪いんだが、お前さんの知っている人物名を何人か言ってってくれないか。お互い、何を覚えてて何を覚えていないのかはっきりしてねえと、やりづらいだろ」
 確かにその通りなのだが、今のカインに負担をあまり与えたくないというのもリディアの中にはあった。だが、結局は真剣な表情のドクターを信頼することとした。
「カイン。何人か、順番関係なしに、名前を言うから、覚えてるかどうかだけ、教えてね」
「ああ」
 カインが頷くが、そこでドクターが声を挟む。
「質問してる方が戸惑うんじゃねえぞ。先入観を与えたら終わりだからな。それから、カインが知るはずのない人間の名前も混ぜろ。全員が知っているばかりだとカインが混乱する。そうだな、五人に一人くらいの割合でカインの知っている人間を言え。アセルス嬢とティナ嬢は、自分の知っている名前が出てきても反応するんじゃねえぞ」
 二人は同時に頷く。そしてリディアも遅れてしっかりと頷いた。
「分かりました。いい、カイン。だいたい五人に一人。それくらいの割合でカインも知っているはずの人を尋ねていくから」
「ああ」
「じゃあいくね。エッジ」
「分からない」
 最初の一人目を首を振って答えるカイン。
「ヤン」
「分からない」
「ギルバート」
「分からない」
「ゴルベーザ」
「分からない」
「シド」
「分からない」
 カインが顔をしかめる。
「今あげた中に、俺が知っているはずの人間がいたのか」
 自分に言い聞かせるようにつぶやくカイン。
 だが、事実は異なる。今の名前は、カインが全員知っているはずの名前ばかり。
 ドクターの言葉を逆手にとって、一気に昔の仲間たちの名前を列挙したのだ。
 今の名前は、アセルスにティナ、ドクターも分からないものばかりで、名前が分かるかどうかを確認できるのはリディアだけ。
 落胆したものの、半ば覚悟ができていた分、衝撃はすくなかった。逆に自分のことだけを覚えていてくれて嬉しい、という気持ちすらある。
「じゃあ、続けていくね。セフィロス」
 ティナもその名前の意味は分かったものの、目に見えた反応はしなかった。
「それは分かる。セルフィと一緒にカオスを倒そうとしている。この間──」
 そこまで話そうとして、カインは言葉に詰まる。
「……確か、会った、はずだ。だが、覚えていない。どこで会ったのか。だが、会ったのは間違いない。ティナ、お前もそこにいたはずだ」
 ティナが答えようと口を開きかけた時、
「まだ答えるな、ティナ嬢。先入観を与えてはいけない」
 ドクターの言葉に、開きかけた口を閉じる。
「そうだったな」
 カインが納得したように頷く。
「続けてくれ」
「はい。パロム」
「分からない」
「ポロム」
「分からない」
「ローザ」
 きわめて冷静に自分は言ったつもりだった。
「分からない」
 心の中の動揺を必死に打ち消す。そして、さらに続けた。
「セシル」
 かすかに震えたかもしれない。それにカインも気付いたかもしれない。だが、
「分からない」
 と、答えた。
「今、かすかに声が震えたな、リディア。セシルというのは、俺にとってそんなに重要な相手なのか?──先ほどの質問から察するに、そいつが俺の幼なじみか」
 カインはその冷静な思考力で確認する。半ば言い当てられた格好になったリディアは「ええ」と小さく答えた。
 だが、カインは気付いていない。
 自分が動揺したのはセシルの方ではない。ローザのことを、カインが覚えていないということだ。
 あの魂の世界で、カインは自分の願いをそのまま形にして、自分に言い聞かせた。

『……幸せか……幸せに、なれるのか、俺が……? そうだな、お前はなれると言った。それならば、それを信じて──お前を信じて生きてみるのも、悪くはない……』

 この状態が幸せというのだろうか?
 カインが何よりも、誰よりも大切にしていた相手を忘れて。
 確かにここにはティナがいる。そしてカインもティナと歩む決心ができている。
 でも、それはカインの過去を否定するためじゃない。カインが過去を想い出に変えて、そこから未来へ歩みだすためのものだ。
「続きを頼む」
 カインが言った。一つ深呼吸して、リディアは頷く。
「スコール」
 またこの世界の人間を尋ねる。すると、それにはカインは反応した。
「分かる。あいつは、天空城で──」
 カインはそこで言いよどむ。
 リディアにとってのスコールという存在を思い出したからだ。
「天空城で? 死んだ?」
 だが、今度はリディアが引かなかった。そういえばその話をカインやティナに全くしていなかったことを思い出す。
「スコールは生きてるよ。今は魔女に操られてる」
「魔女?」
「うん。レイラっていう女性。リノアに似ていた」
「リノア……すまない、それは分からない」
「そっか。リノアっていうのはスコールの前の彼女。もう亡くなってるけど」
「……なるほど。確かに全く覚えていないようだ。それに関することが何も浮かび上がってこない」
「うん。大丈夫、きっとカオスを倒すのに必要な知識はきちんと残されてるんだよ」
「だといいがな。続けてくれ」
「うん。エアリス」
 何気なくふった名前だった。もちろん、セフィロスやスコールのことを覚えているのだから、当然に分かっている名前だと思った。
「分からない」
 だが、現実は違った。
 その事実に、リディアの質問が止まり、ティナが手を口に持っていく。
「ティナ嬢」
 ドクターがそれを見て彼女に言う。
「お前さんの動作はカインに悪い影響を与える。悪いんだが、少し外で待っていた方がいい」
「……はい」
 ティナは愕然とした様子で一度、その場を引く。
 カーテンの陰に隠れて、カインの目が届かないところで、片腕で自分の体を抱く。そして、わなわなと震えた。

『私、カインに出会えてよかった。私の最後に好きになった人がカインでよかった。私、カインの思い出になる。だから、ずっと覚えていて』

 あの約束は、何だったというのだろう──!
 音を立てないようにして、ティナは流れる涙をぬぐいもせず、大地に還った友人を思って泣いた。
「……エアリスというのは、俺にとってそんなに大切な存在だったのか?」
 さすがにティナの様子はカインにいくばくかの衝撃を与えていた。
 知らないということが衝撃になるような相手。他のどの名前が出てきても、そんな様子は全くなかったというのに。
「ううん。ただ、カインに覚えておいてほしかった人っていうのは、たくさんいるっていうこと」
「そうか……すまない」
 ベッドの上で目を伏せる。
 だが、謝る相手の姿すら分からない。このもどかしさ。
 自分はそのエアリスやセシルという相手と、いったいどのような会話を過去にしたことがあったのだろう。まるで他人事のように思える。
「会ってみたいな。その、セシルや、エアリスという人物に」
 ──リディアはさらに言葉を失くす。
 今まで、とにかくセシルを避けるようにして生きてきたカインにとって、その言葉が出せるのはどれほどの、どれほどの──
「ご、めん……」
 リディアは思わず涙が溢れてきていた。
「俺はそんなに悲しませるようなことを言ったのか?」
「ううん。ただ、私もそう思う。カインにはセシルに会ってもらいたい。この戦いが終わったら、絶対に会いにいこう。私が連れていくから。何があっても」
「そうか。分かった。楽しみにしている」
 感極まって、ティナに申し訳ないと思いつつ、リディアは彼に抱きついていた。
 そしてカインがその頭を優しく撫でる。
(俺は、そんなにも大事なことを忘れてしまっているのだろうか)
 リディアを慰めながら、すました表情のアセルスに顔を向ける。彼女は肩をすくめた──そういえば、彼女といつ、どこで出会ったのかもよく分からない。
 それに──
(リディアとも長いが……どうやって出会ったのか、まるで覚えていないな)
 ずっと仲が良かったような気がするが、それが本当だったかどうかは分からない。だが、リディアはいつも自分を心配してくれていたような気がする。
「ごめん、カイン。取り乱しちゃって」
「気にしていない。俺が記憶をなくしているせいだからな。迷惑をかける」
「ううん。カインの迷惑ならいくらでも引き受けるよ。あ、でもそれはティナに悪いかな」
 カーテンの向こうで聞いているだろうティナに、聞こえるようにきちんとフォローを入れる。
 だが、ここまでの会話で、だいたいカインが何を覚えていて、何を覚えていないのかは区別がついた。
 別に世界がどうこうという問題ではない。単純に『現状でカオスに立ち向かっている者』のみ記憶に残るようになっているのだ。考えてみれば当然ともいえた。何しろ、カインの記憶を奪ったのはいわば『世界』だ。『世界』にとって必要な知識は残さざるを得ない。
「体の具合はどう?」
 ただ、もう一つ気になることがある。天竜の牙を使うごとに使用者の体力を奪い、最終的には植物人間になることもありうるという。
 そのことを、カインは覚えているのだろうか。
「カイン、体は大丈夫?」
 あまり核心に触れないように尋ねる。そのことを覚えていれば、今の質問だけで何を聞いたかは分かるだろう。だが、覚えていなければ──
「ああ、問題ない。記憶以外は正常だ」
 ──こうなる。単純に体の心配をしたものと思われた。
 だが、だとしたらカインは天竜の牙を無尽蔵に使うだろう。そして破滅への道を全力で駆け抜けることになる。
 それだけは避けなければならない。
 全てを説明して、天竜の牙をなるべく使わないようにしてもらうか。それともこのまま放置して、可能な限り自分たちでフォローをしていくか。
 いずれにしても、これはカイン抜きで、ブルーも交えて全員で話すべき内容だ。今この場で自分ひとりで暴走するわけにはいかない。
「心配か? 大丈夫だ。体は昔から強かったからな」
 立ち上がり、ぴんぴんしているところを見せる。それはそうだ。つい先日までマシンマスターと戦っていた男が急激に弱るはずがない。
 だが、既に病魔は確実に彼の体を蝕んでいる。このまま放置しておける状況でないことは確かだった。
「俺も、少しゆっくりと考えをまとめたい。ちょっと風に当たってくる」
「え、あ、うん」
 今の言葉に、何か大きな引っ掛かりを覚えたが、リディアは頷いてその場を譲る。
 だが、次の言葉が、その引っ掛かりを決定づけるものとなった。

「アセルス。俺の槍がどこにあるか知らないか?」

 全員の頭が、真っ白に染まった。






161.『赦し』の正体

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