カインとティナがそうして寄り添っている間に、ブルーは方針を早々と決めていった。
とにかく、カインには可能な限り天竜の牙を使わせない。使えば使うほどレベルが下がっていくのなら、今のカインを敵の親玉にぶつけるのが最優先だ。
だとしたら、あとは自分たちで残っているメンバーを排除しなければならない。
「カオスの本体と対決することはありうるのか?」
ブルーの問にミルファが答える。
「カオスそのものは戦う相手にはなりません。ただの【無】ですから。問題は、その【無】を操る志向性をもった感情の渦です。失われた二四〇世界の人たち全員の怨念を消滅させなければなりません。そうすれば二度と、カオスはこの地上に現れることはないでしょう」
つまり、その【志向性】とカインが戦うことになるということだ。天竜の牙とクリスタルの力を使って、その【志向性】を倒せばいい。
「じゃあ、ガーランドに暗闇の雲、永遠の闇。これを僕らで倒さなければならないということだ」
こちらのメンバーはブルーにアセルス、リディア、ティナ。この四人で倒さなければならないということになる。少々苦しい。
「私たちは勘定に入らないのか?」
ヴァリナーがブルーに尋ねた。
「ですが、エウレカは」
「かまわない。エウレカを守ってカオスを滅ぼせないというのなら本末転倒だ。エウレカは滅びてもカオスを滅ぼさなければならん」
ヴァリナーが力強く断言する。
「お前も手伝ってくれるのだろう、ドクター」
「やむをえんな。この世界にいるのはだいたいにしてそのためだからな」
PLUS.162
想い人
the only one
出発は二日後と決まった。カインの精神状況をおもんばかったことと、ブルーの体力回復が理由だった。そのことはブルーが自分から言い出したことだった。
「正直、このままだと僕がダウンする。ルージュとの戦いで自分の魔力は全く残っていない。少し休ませてほしい」
三十日は短いとはいえ、休憩に使う時間が全くないというわけでもない。いよいよラストバトルなのだ。満身創痍で立ち向かって返り討ちにあったというのでは元も子もない。
ただその中に、アセルスと話す時間が最後にほしかった、という気持ちがあったことは否定しない。いよいよこれが最後だ。当然、客観的にみて生き残る確率が高いわけではないし、最後に言葉をかけておかなければ、もしもの時に絶対に後悔する。
「死ねないね」
二人きりになってからアセルスが呟く。
もちろん死ねないのは当然だ。自分たちは必ず幸せになる。お互いの気持ちはもう通じ合っている。この戦いが終わって朱雀の力を借りて、アセルスを人間に戻す。それが終われば、後は二人で、死ぬまで暮らす。それが二人の、本当の望み。
(もっとも、アセルスなら人間に戻っても冒険に行きたいって思うかな)
だとすると自分がますます苦労することになる。今まではアセルスが前衛でブルーが後衛、お互いの不足しているところを補ってきたのだが、アセルスも人間に戻ればもう今までと同じような力を使うことはできなくなるのだ。
「そうだね。ルージュとの戦いも終わったことだし、もう僕には死ぬ理由がない」
死ぬのなら、ルージュに敗れるときだけ。ずっとそう考えていた。そして、それだけは絶対に許せなかった。だから、勝つしかなかった。
この体には今もルージュの力が宿っている。自分がマジックキングダムで最高の術者となったのは、すべてルージュの力を吸収したからだ。その後ルージュは別の力を手に入れることで再び戦うこととなったが、そのような新たな力に敗れるわけにはいかなかった。何しろ、自分の体の中にある力は、自分とルージュを合わせた力なのだから。
「僕は負けない。僕とルージュの力が誰にも負けるはずがないんだ。それに、アセルスを人間にするっていう約束を果たさないといけないからね」
「そうさ。もう三体、この体の中にいる。あとは朱雀の力を貸してもらうだけ──」
と、そこまで言ったところで、アセルスの体はブルーの腕の中に包み込まれていた。
「ブルー?」
「死んだらだめだ、アセルス」
ずっと生きてきて、これほど痛切に思うことはない。
大切なものを失う怖さ。それをブルーは初めて感じていた。
大切なものなど持たないようにしてきた。それは、たとえ手に入れたとしても、自分がルージュに負けたならそれには意味がない。だが、ルージュが死んだことによってその不安はもうなくなった。
だから、怖い。
自分がルージュとの戦いに生き残れたように、アセルスも生き残ってくれるのだろうか。
もしもアセルスがいなくなったとしたら、自分はその先にどうやって生きていくのだろうか。
「僕が死なせない。何があっても」
「心配性だなあ、ブルーちゃんは」
よしよし、と右手で自分よりも大きい男をなだめる。
「レオンもついてるし、大丈夫だよ。あいつには負けない」
そう。
ブルーがルージュとの宿命の戦いにピリオドを打ったように。
この戦いで、きっとアセルスにとっても最後の戦いがある。
セルフィ・ティルミット。
決着をつけるときは、目の前に迫っているはずなのだ。
「この間はオメガに邪魔されたからね。今度は邪魔が入らないところで、徹底的にやる。そして勝つ。大丈夫だよ、ブルー。絶対に負けたりしないから。それから、分かってると思うけど、これは私の戦いだ。だから、絶対に邪魔したら駄目だからね」
「アセルスは、僕の希望を聞いてくれた。僕がルージュとの戦いに絶対協力するなと言ったら、アセルスは本当にしないでいてくれた。いつだってそうだ。アセルスは僕が戻ってくるのを待っていてくれた。あの、最初の戦いの時だってそうだ」
仲間たちはみんなが止めた。運命のせいにして弟と戦うことを諦めていると、逃げていると、そうなじられた。そのブルーを最後まで応援してくれたのがアセルスだ。そして、仲間たちが三々五々いなくなっていく中、ブルーの勝利を信じて一人で待ち続けてくれたのもアセルスだ。
アセルスには何をどう感謝しても足りない。だから。
「だから、分かってる。絶対に止めることはしない」
──危険があったら、自分の手でセルフィを止める。たとえそれが、アセルスとの関係を破綻させることになったとしても、アセルスが死んでしまうよりはずっといい。
「まったく、ブルーは嘘がつけないね」
そんな心の内を読まれたのか、アセルスは少し笑いながらブルーの頬に手を添える。
「信じられないかい、私が」
「そんなことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、何」
「僕が弱いんだ。僕は君ほど強くない」
「ぶ……」
ブルーの唇が、自分の唇に重なってくる。
恍惚感と幸福感。これは、極上の麻薬。
体の中がたまらなく熱くなって、全身が溶かされる。
このまま、相手とすべて一つになりたい──そんな欲求があふれてくる。
「『絶対』なんて言葉はないんだ。僕は、君を失ったらもう、前を向いて歩くことはできない」
「私だってそうだよ。でも、私は絶対にあんたを助けなかった。だって、そうだろ? もしも助けたりしたら、あんたはあんたでなくなる。あんたはルージュを倒すってことが、あんたの生きる理由だったんだから。あんたは私から、それを奪うつもりかい?」
もちろん、そんなつもりは微塵もない。だが、彼女を助けるということは、彼女の生き方を否定することに等しい。自分は、いつかのエミリアのようなことをしている。それが分かっている。
「……僕は本当に、君に心配をかけさせていたんだね」
自分とルージュが戦っている間、アセルスがどれほど悩み、苦しんでいたのだろう。
それこそ、すぐにでも駆けつけたいという気持ちで一杯だっただろう。それを自分のために押し殺してくれた。
「分かってくれたかい?」
「ああ。止めないよ。でも、そのかわり」
ブルーは抱きしめる腕に力を込めた。
「僕は君ほど強くない。もっと、僕を安心させてくれ」
真剣な表情。揺るぐことのない感情が彼から伝わってくる。
限界だ、と感じる。
自分も耐えられないのだ。彼の優しい攻撃に。
「ああ、いいよ」
そう言って、彼女は笑った。
カインにティナ、ブルーにアセルスと、深刻な会話をしているのに対し、少しだけほのぼのとした会話も中には存在する。
お話があります、とミルファに連れ出されたリディアは、気付けばお茶を交えて女の子談義に花を咲かせていた。
「それはまた、カインさんって鬼畜ですね。その、ローザさん、という方が本命なんですか?」
そして気付けば、カインの身上調査を完璧に行われてしまっていた。茶のみ話ついでにするようなものでもないのだろうが、ミルファがそれを知りたがっていたのは事実だ。
「本命っていうのかな。カイン、絶対に自分がローザと結ばれることなんかないって分かってるから」
「その、セシルさんっていうご友人ですよね」
「うん。セシルとカインが協力して攻撃するところなんて、本当に息があっててすごいんだから」
そう、これほどお互いのことを理解しあっているコンビなどないだろう、というくらいに。こと連携という点に関しては、二人以上のものをリディアは見たことがない。お互いの考えていることが分かっているから、無駄もなく効率がいい。
圧巻だったのは、セシルが敵の目の前に立って相手の視界を塞ぎ、カインがセシルの後ろから手持ちの槍を投げつけた時だった。紙一重、というところでセシルが回避し、槍は敵の体を貫いていた。
セシルに当たったらどうするつもりなの、と自分が激しく憤ったのだが、カインはしれっと「セシルは分かってるから大丈夫だ」とだけ答えたし、セシルも「カインが投げるのが分かっていたから」とだけ答えた。それは信頼し合っているのではない。お互いの行動が分かっているから取れた行動なのだ。
「ローザさんというのは、二人の間で悩んでいたとかは」
「ううん。ローザはセシル一筋だったよ」
「そうかあ。期待が持てないだけ少しは楽なのかなあ」
全く見込みがないというのも辛い話かもしれない。ローザという女性を今でもまだ想っているくらいなのだから。
カインにとっては、ローザという女性に出会ったのが運の尽きだったのだろう。すべては一人の女性のために狂った、と言ってもいい。
「そういうリディアは何か浮いた話の一つもないの?」
いよいよミルファの矛先が自分に向く。う、と少し苦しむような表情を見せる。
「隠しても駄目だよ。リディアが誰かのことを想ってるなんて、ミルファにはちゃーんとお見通しなんだから」
「あはは……それを言われるとキツイな」
この少女を前にすると、どうしてこうも気持ちが和やかになるのだろう。
できるだけ他の世界の人間とは距離を置くようにしてきた。スコール相手ですら、自分を完全にさらけ出してはいない。
自分がこうして何の気兼ねもなく話せるのは、カインとミルファだけ。
「彼は今、操られてるから」
そうして、スコールのことを話し始める。ふむふむ、とミルファが頷きながらそれを聞いた。
「なるほどなるほど。スコールさんを取り戻すことがリディアの望みか。にしてもスコールさんもカインさんと同じだなあ」
「何が?」
「恋人がいるのに、他の女性に惑わされてるってところが」
思わず吹き出してしまう。一応、恋人、と言ってもいいのだろうか。確かに彼が天空城に行く前には何とか気持ちが通じ合ったとは思うが。
だが、あれからどれだけの時間が流れたのだろう。再会した彼は完全に変質して、自分のことなど少しも見てはくれなかった。
あの復讐心を止めることはできない。何故なら、スコールは。
「魔女の騎士かあ。いっそのことリディアが魔女になれば、スコールと一緒にいられるのかもね」
平気ですごいことを言う。だが、確かにスコールを完全に手に入れるのならば、それが一番いい方法なのかもしれない。
「そういうミルファには、何かいい話はないの?」
逆にリディアから尋ねると、あはは、とミルファは笑って誤魔化す。
「一万年前だと、さすがに好きな人ももういないし」
確かにその通りだ。彼女が好きだった人──リック、という人物も既に一万年前の大地に還ってしまっているのだ。
「リックさんという方について、少し教えてくれる?」
リディアが尋ねると、ミルファは小さく頷いて答えた。
リックは、世界を守る『守護者』だった。もともとは一国の王子だったが、ヴァリナーに国を滅ぼされ、その仇を討つために世界を旅して回っていた。『守護者』となったのは、国を守ることができなかった分だけ、何かを守りたいという気持ちが強かったからだ。だから世界を守る役割が与えられた。
リックの持つ天竜の牙と煌竜の瞳、ヴァリナーの持つ虚竜の翼と雷竜の爪。
ライバル同士だった二人が戦い、そして最終的にはお互いを認め合うことによって、世界の崩壊はぎりぎりで止めることができた。世界を修正するためには、二人が戦いあうそのパワーが必要だった。
「リックさんは優しくて強くて格好よくて、本当に理想だったんだけど、もう恋人がいたからなあ……」
ミルファが残念そうに言う。だが、その口調からミルファがその恋人のことを気にいっているということも分かった。
「これ」
ラピスラズリの指輪に、ミルファはそっと手をあてる。
「その人からもらったものなんだ。一緒にいられた時間はそんなに長くなかったけど、本当のお姉さんみたいに優しくしてもらった」
「そうなんだ」
「リディアは、ちょっとだけその人に似ている」
くすっ、とミルファが笑う。少しだけ照れて、リディアは顔を赤らめた。
「どんなところが?」
「回りに気を使うところと、優しいところと、それから、大切な人を一途に想う気持ちが」
さすがにそこまで言われると恥ずかしい。リディアはお茶を飲んでそれを紛らわせた。
163.暗黒神殿
もどる