二人はその迷宮を抜ける。
 この暗黒神殿という場所には『広さ』という概念がない。
 おそらくは異なる空間に存在しているのだろう。だからこそPLUSの中でも『代表者』の力を使わなければ入ることはできない。
 カインたちはクリスタルを持ってカオスに向かっているだろう。
 その前に、彼を倒さなければいけない。
 この戦いを、裏で画策する者。
 それを倒すことこそが、自分に与えられた使命。
「ね〜、セフィロス」
 広い通路で立ち止まり、やけに剣呑な声で、相棒が言う。
「どう思う?」
 どうもこうもない。
 当然、自分たちをやすやすと進ませてくれるなどとは思っていない。
「あれは、俺の敵だ」
 セフィロスは海竜の角を握り締める。
「……カオスの力を取り込んだ、か」
 紫色の服。
 黒い、つんつんした髪。
 そして、巨大な両手剣。
「暗闇の雲」
 ザックスの姿をした男は、それだけを答えた。












PLUS.165

暗闇の雲







black cloud






 暗闇の雲、と男は名乗った。ならば、その姿格好はどういうことだろう。
 その男の姿は明らかに『彼』そのものだ。自分とかつて剣を交えた二人の男のうちの片割れ。自分と同じソルジャー、ファーストクラスだった男。
「その姿は俺に対するあてつけか」
 セフィロスは酷薄な笑みを浮かべながら言う。
「カオスの中にある意思から、貴様が、最も戦いやすい男の姿を取ったまでだ」
「ふん。どうやら正攻法で戦うつもりはあるらしいな」
 お互いが、剣を構え合う。そして、セフィロスは言った。
「先に行け」
「でも、セフィロス」
「いいから行け。あいつは、俺が倒さなければならない相手だ。お前は、お前のするべきことがある。修正の役割を」
「セフィロス」
 暗闇の雲にちらりと視線を送ってから、そっと彼の傍に寄る。
 そして、ゆっくりと背伸びをする。
 彼の唇に触れる。
 そっと、ついばむように。
 そんな、かすかな、キス。
「死んだら……駄目だからね〜」
「当たり前だ」
「絶対、絶対また会うんだからね〜っ!」
 セルフィはそう言って走り出す。そして、通路を駆け抜け、暗闇の雲の横を通り過ぎていく。
 暗闇の雲も全くそれを追わなかった。
 そう。
 もしもセルフィに攻撃をしようものなら、その隙を狙ってセフィロスに斬り倒される。それだけの気迫をセフィロスが見せていた。
 いや、最初からセフィロスのことしか頭にないようで、同行者などどうでもいいという様子だった。
「お前ではないということは分かっているが……」
 セフィロスはじっと相手を睨みつける。
「またお前と戦うことになるとはな、ザックス」
 それを聞いた暗闇の雲は、人懐こい笑みを浮かべた。昔のままの笑みを。
「この男の姿と意識とはすべてカオスの中にある」
 暗闇の雲のその言葉が何を意味しているのかはよく分かっていた。セフィロスは口を開く。
「すると、お前は暗闇の雲という一つの意識体であり……」
「同時にザックスってわけだ。よう、久しぶりだな、セフィロス」
 その男の声は、どこも別れたあの日の男のままで。
「……それで動揺を誘おうとしているのならば、無駄だと言っておこう」
 そう。実際セフィロスはその程度では動揺しないし、相手もその程度のことは分かっているのだろう。
「俺を呼んでいたのはやはり、お前──いや、お前たちなのだな」
 カオスの中にいた、たくさんの意識たち。
 それがこの約束の地、エデンを崩壊に導き、そしていくつもの世界を消滅させていく。
「俺の為すべきことは、全ての世界の未来を変えること」
 変える。そう、破滅の未来から、存続の未来へと。
「そしてお前はそこで、何をしているんだザックス」
「何を?」
「確かにお前を殺したのは俺だ。だが、俺を憎むのなら俺だけを狙えばいい。別にカオスと手を組む必要などないだろう」
「馬鹿言うなよ。別にお前のことなんか憎んでも恨んでもねえよ」
 ザックスは当たり前のように答える。心外だ、とでも言いたげだ。
「ただ俺はな、お前とちゃんと決着つけられなかったのが心残りなんだよ」
 そうだ。
 同じソルジャー、ファーストクラスとして、常に腕を磨きあった仲。
 ザックスが自分の域まで達することはないと半ば理解していたが、今となっては違う。ザックスはカオスの力を手に入れた。そうなれば、自分の方が不利。
「決着か」
「そうさ。俺はな、お前と戦いたかったのさ。勝負にもならないのは分かってたから、決してそんなことしなかったけどよ」
 お互い、必殺の体勢のままで延々と会話だけが続く。
 もちろんそこには暗闇の雲の意識もあるだろう。だが、ザックスという男が、その本音が切々と語られている。セフィロスとしても、この男について知りたいことは山ほどあった。
「一つ、聞きたい」
 慎重に尋ねる。なんだ、とザックスは答えた。
「俺を助けたのは、決着をつけるというのが理由か?」
 ──そう、それしか考えられない。
 自分はあのジェノバに操られて、最後にクラウドに正面から斬られた。左肩から右の脇腹にかけて、致命傷となる傷を負った。
 それが、気付けば全くの異世界に運ばれていた。そこで記憶を失い、セルフィと出会うことになったのだが。
「あれはお前の仕業なのだろう?」
 冷静に状況を分析すればそれしか考えられない。そんな人間の力をはるかに上回ることができるのは限られている。
 セフィロスを生かそうという動機があってそれだけの力を持つ者。
「ま、そうなんだけどな」
「ただ俺と決着をつけるためだけに、俺を助けたのか」
「まあな。お前は変革者だ。あの生きてあの世界にいりゃ、いずれ放っておいてもカオスを倒しに来るのは分かってた。だから俺はじっと待ってたのさ。お前が来るのを」
 カオスにとって障害となる相手を助けたということは、それはカオスにとって本意ではないだろう。
「……お前はカオスとは違うのか?」
「いいや? ただ、カオスってのは面白いもんでね。カオスと同化した奴のほとんどはあの意識に飲み込まれちまうんだが、ごく一部、自我をあの中でも保ってられる奴がいんだよ。面白いぜ、そういう奴らと話し合うのもな」
「そして、その自我がこうして形になるということか?」
「ああ。今の俺の姿を使ってるのが暗闇の雲っていうコイツと、永遠の闇っていうもう一人。それに」
「それに?」
「一人、とんでもねえのがいるぜ。そうした媒体がなくても自由にカオスの力を使って実体化できる奴だ。何せ、一万年もカオスの中で取り込まれずにいるんだからな。たいした精神力さ」
 それをたいしたと言っていいのだろうか。それだけでも十分な化け物だ。
「それと、単純なこと言っとくとな。俺を倒せば暗闇の雲も倒せるぜ。つーわけで、他に何も聞くことがなかったら、始めるぜ。俺はこの瞬間を、ずっと待ってたんだからな」
「ああ。聞くことはない。だが、言うことはある」
 セフィロスもその間、構えは一切解いていない。両者とも集中が切れた会話は全くしていない。
「なんだ?」
「感謝する」
 セフィロスは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「お前のおかげで、俺は何よりも大切なものを手に入れることができた。俺が生きる意味を知ることができた。自分が生まれたことを初めて喜ぶことができた。俺なんかが誰かに笑顔を作らせることができた」
 太陽のように笑う娘。
 彼女に会えたことが、自分にとって何より幸せなことだった。
「だから、俺は負けられない」
「そうか……まさかお前が生きる意味なんて見つけるとは思わなかったぜ」
 それが、会話の終わり。
 二人とも分かっていることだった。この会話が終わるとお互いの生死をかけた戦いになるということが。
 そして、この戦いの結果がどのようなことになるのかも。
 そう。この戦いに二撃目はいらない。お互いに渾身の一撃があればそれでいい。
 二人の集中力がここから高まる。
 通路の幅、高さ、互いの距離と間合い、武器の長さ、通路の奥から流れてくる風。ありとあらゆるところに感覚神経が伸びていく。
 そして、相手の全身に意識が走る。頭の先から、表情、視線、武器の揺らぎ、グリップ、腰の落とし具合、スタンスにいたるまで、それこそ相手の細胞一つ余さず見逃さないように。
 ほんの一瞬の隙が、相手の死線を決める。
 緊張などという言葉では表しきれない、集中。
 お互いの思考が無と同化していく。
 すべてが相手のかすかな動きと同調していく。
 全身の細胞の呼吸音が聞こえるかのような錯覚。
 ただの一撃。
 その一撃だけで、相手のすべてを断つ。
(ザックス)
 これは雑念ではない。
 相手と同調しているから起こる波長だ。
(お前のことを、決して嫌ってなどいなかった)
 だが、あの時、ニブルヘイムで。
 自分がいったい何のために生まれ、何のために生きてきたのか分からなくなった。
 そして、ジェノバにつけこまれて、全てを失い。
 この、大切な親友すらこの手にかけた。
(お前に謝る言葉などない)
 それは相手も分かっている。
 仕方のないことだった。
 そんな言葉で済ませるつもりはない。
 ただ、あの時はお互いが最良のパートナーで、安心して背中を預けられる相手で。
 一緒にいればどんな戦いでも切り抜けられると安心していられて。
 その大剣の振り方も、癖も、弱点までもすべて頭の中に入っていて。
 その癖は、どんなに強くなったとしても、決してなくなったりはしないもので──



 瞬きを一つ。
 瞬間、ザックスが動く。
 ほんのかすかに、右足がやや内に入る。
 そして、大剣を横から薙ぎ払ってきた。
 それが、セフィロスの死線になる。
 はずだった。
 だが、その癖を知っていたセフィロスは。
 それよりも早く懐に飛び込んでいて。
 下から、ザックスの左腕を切り飛ばした。
「ぐっ……!」
 だが、右手はしっかりとその大剣を握り締めていて。
 セフィロスの胴体を薙ぎ払う。
 かに思えた。
「メイルシュトローム!」
 海竜の角の力が水を生む。
 巨大な水圧が、ザックスと大剣を押し流していく。
 ついには右腕は剣を持ち続けていることもできず。
 床に、ザックスと剣が落ちた。



「やられたぜ」
 ザックスは晴れ晴れとした顔だった。
「いや、やられたのは俺の方だ。剣の力がなければ薙ぎ払われていた」
「そうじゃねえよ。俺の大剣は両手で握ってるから力が出るんだ。きっと片腕だけじゃお前に致命傷は与えられねえ」
 もちろんザックスは武器無しでも、片腕でも、戦うことはできる。だが、それは相手が雑魚なればこそだ。相手がセフィロスという、誰よりも強い英雄であれば、勝ち目はない。
「ザックス。お前にもう一つ言わなければならないことがあった」
「何だ? 最後だ、いくらでも聞いてやるぜ」
「お前がいてくれてよかった。少なくとも俺は狂う前、お前のことを結構頼りにしていた」
 心からの感謝を伝えると、彼は「へっ」と笑った。
「さ、早いとこやっちまってくれ。これで俺もようやくカオスに同化できる」
「暗闇の雲は──」
「俺が死ねば一緒に死ぬさ。ほら、頼むぜ」
 英雄セフィロスは無論、ためらわなかった。
 その海竜の角で、ザックスの心臓を貫く。
 そして、ザックスの瞳から徐々に色が失われていった。
「ありがとう」
 完全に気を失う瞬間、彼に届いただろうか。
 自分は本当にザックスに感謝していた。
 その言葉は、届いただろうか?
 だが、そんな感傷も、もう終わったことだ。
「カオスはセルフィに任せればいい。俺の仕事は別にある」
 そう。
 この戦いを裏で操り、そして自分の願いをかなえようとしている神。

「ハオラーンは、この手で殺す」






166.永遠の闇

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