一方、この二人も無事に暗黒神殿入りを果たしていた。
 黒い肌をした美しい女性と、白い雪のような肌をした男性。
「ふふ、こんなに簡単に入れるとは思わなかったね、スコール」
 女は男の腕に手を組んで歩く。さながら恋人同士のように。
 だが、この神殿の中がそんな雰囲気を出せるような場所であるはずがない。ここは混沌に最も近い場所だ。混沌がさながら今にも湧き出してくるかのような雰囲気の中、それでも女は嬉しそうに歩く。
 とはいえ、男の方も楽しそうかといえば決してそうではない。むしろ横にいる女を嫌っていて、それを我慢しているように見える。
「もう、そんな仏頂面しないでよ、スコール。やっとあなたの望みが叶うときが来るんでしょ?」
「のぞみ……」
「そうよ。セフィロス、殺したいんでしょ」
 スコールの瞳に殺気がこもる。
「そうだ。セフィロス。俺は、セフィロスを、殺す」
「そうよ。でもその前に、あと一回だけ私の役にたってね、スコール」
 そして、二人の前に、一人の女性が現れる。
 それはレイラと同じ姿かたちをした女性だった。ただ、肌の色だけが違う。浅黒いレイラと異なり、スコールよりもさらに白い肌。
「……リノアか」
 レイラと同じ顔をした女性が、かすかに口元を緩ませた。












PLUS.166

永遠の闇







eternal darkness






 スコールはレイラに操られているとはいえ、その基本的な行動方針まで全てを握られているわけではない。セフィロスに対するやるせない憤り。その気持ちを増幅させられ、憎しみの権化──『復讐者』に変えられているにすぎない。
 従って、スコールが強く念じれば、レイラの支配から脱することも可能だ。単純に言えば、スコールの基本的な行動方針──セフィロスを倒すことに反するような行動はレイラは命令することができない。
 振り返ってスコールが何故セフィロスを憎んでいるかといえば、それは彼が守るべき魔女、リノアを殺したことが原因だ。
 しかもリノアは魔女故に死ぬことができなかった。肉体が滅びた後も、首だけになって苦しみながら生き続けた。心の中にある唯一のしこり。それが晴れるまで、スコールはレイラの支配から脱することはできないのだ。
 その首をガーデンまで運んだのがレイラだというのはあまりにも皮肉な話であるが。
 だが、その元凶となるものが目の前に現れた場合、彼はどういう行動を取ることになるのか。
「先に行け、レイラ」
 意外にも、スコールは別行動を申し出た。
「亡霊がまだ彷徨っている。俺はあいつをあのままにしておくわけにはいかない」
 リノアの亡霊を目の前にして、スコールの瞳に意識が戻り始めた。今のスコールが自分を取り戻すことができるのは、セフィロスを目の前にしたときだけだったろう。だが、リノアという彼の心の巣食うもの、それはセフィロス以上に彼を大きく揺さぶることとなった。
「でも、スコール」
「あの亡霊は俺もよく覚えている。一度、俺に乗り移った。あのとき、リノアの心を知った。あんなに強い愛を、俺は知らない。俺はあいつほど、あいつを愛せなかった。あの時リノアを殺したのは俺じゃない。リノアはまだ、俺の答を聞いてない。だから、未だに彷徨っている。今度こそ、きちんと成仏させる。これは俺にしかできない任務だ」
 引くつもりがないということを悟ったレイラは大きくため息をついた。
「リノアが相手じゃどうしようもないか。どんなにリノアのことが嫌いでも、スコールにとってたった一人の魔女だもんね」
 魔女と、魔女の騎士。
 あの生死をかけた戦いの中で芽生えたものは、恋愛ではなかった。

 それは、自分のものが失われていく喪失感。

 幼い頃にエルオーネを失ったスコールは、何かを失うということに対して強い恐怖を覚えるようになっていた。だから誰とも深く付き合わず、何も大切なものを持たないようにしてきた。
 そんな中で、いつも自分に近づいてきていたリノアが突然、意識を失ってしまった。
 その相手がたとえキスティスであろうとセルフィであろうとゼルであろうと、同じような恐怖を覚えたに違いない。だが、リノアの場合は状況が異なる。リノアが積極的にスコールにアプローチをかけていたせいで、スコールもまたリノアに恋愛感情が生じたものと勘違いをした。
 そう。今ならよく分かる。あれは勘違い以外の何者でもない。特に命がかかってしまった場合の人間心理というものは複雑で、そうした感情の錯誤が容易に起こる。ましてや人付き合いの薄いスコールである。そうしたことが起こっても何の不思議があろう。
 スコールにとって恋愛というのは、もっと安らかで、一緒にいても特に何も話したりするというのではなく、ただ相手の存在を感じられるだけで穏やかになれるもの。そう、あの──
(……なん、だ?)
 頭の中にプロテクトがかかる。それ以上思い起こさないように制限がかかる。それはレイラによる意識操作の結果か。それとも──これから大切なものを振り切ってでも復讐を果たさなければならないという彼本人の意識がそうさせているものか。
「この戦いが終わったら、俺はセフィロスを倒しに行く。レイラはレイラの思う通りに行動するといい」
「分かった。でも、スコール。これだけは覚えておいてね」
 レイラは近づくと、そっと彼の頬に唇をあてる。
「あたし、スコールのことがずっとずっと好きだったの。生まれた時からずうっと。いつかスコールに会えるって、そればかりを楽しみにずっと生きてきた。あたしが大人になるまでゆっくり待ってからにしようと思ってたんだけど、こういう場合だったから、仕方なくこの姿まで無理に成長を早めた。でも、やっぱり無理があったのかな。あたし、まだ精神的には十歳だもんなあ」
 えへっ、とレイラは無邪気に笑う。
「だからさ、だから、もしこの戦いが終わって二人とも生き残ってたらさ」
 レイラはとっておきの話をするかのように言う。
「もう一度、出会うところからやり直せたらいいね」
 そして、するりとレイラは組んでいた腕を解いた。
「バイバイ……生き残ってよね。そして、二人で十六世界の全部を征服するんだからさ」
 そしてレイラはゆっくりとその通路を通り過ぎていく。
 黒いリノアが去り、白いリノアが残る。『リノア』はレイラを止めなかった。用があるのはつまり、スコールの方だということなのだろう。
「お前は何者だ?」
 スコールは地竜の爪に手を置いて尋ねる。
「私はガーランド様にお仕えする、永遠の闇」
 リノアの声で言う。そして、
「そして、私だよ、スコール」
 リノアが、話しかけてきた。
「……リノアの真似か?」
「違うよ。私、ガーデンで滅ぼされてから、カオスに取り込まれたの」
「取り込まれた?」
「そう。強い思念を残して死んだ人の魂は、全部カオスに吸収されるの。ほとんどの人はカオスに意識ごと飲み込まれるんだけど、中には私みたいに自分の意識を残したままカオスの中で漂ってる人もいる。そうした意識っていうのは、永遠の闇みたいな本来実体のない存在たちが形作ってくれるの。だから私はリノアでもあるし、永遠の闇でもあるの」
「なるほどな、本当に俺の前に彷徨い出てきたというわけか」
 そう言うと、リノア=永遠の闇は少し困ったように微笑む。
「ひどいよ、スコール」
 ひどいと言われても、これを『彷徨う』以外にどう表現すればいいのか。
 そうだ。リノアはいつもこうだった。自分が求めていないものを強引に与え、自分の考えとは正反対のものをぶつけてくる。
「お前の気持ちは、十分俺に伝わっている」
 話を切り替える。あまり長く、話していたくない。
 どんどんと追い詰められていきそうで。
「お前がどれだけ俺を想っていたかも、知っている」
「でも応えてはくれないよね」
「もう死んでいるじゃないか」
「うん。だから、スコールを迎えに来たんだもん。カオスの中なら、永遠に一緒にいられるもんね」
 そしてリノアはその凶悪な笑みを見せる。
「私が永遠の闇にこの意識を譲ったのは、スコールにもう一度会えるからだけじゃない。スコールをカオスに取り込むことができれば、一緒にいられると思ったからだよ」
 光栄なことだが、そんなことをされても何も嬉しくない。
「スコールが私のことを分かってくれたのと同じように、私もスコールのことがよく分かってる」
 何も話さないでいると、今度はリノアの方から話を振ってきた。
「スコールは、あの娘のことが好きなんだよね。本当に」
 あの娘。
 それが誰のことを意味しているのか──と思い返そうとしたが、すぐにブロックをかける。考えないようにする。
 今は、それを考えたら、自分が壊れる。
「教えてあげようか、スコールの本当の気持ちを」
「やめろ」
 嫌だ。
 何を言われるのか分からない──分かっている。
 自分はリノアの仇討ちができればそれでいい──そうじゃない。
「どうしてスコールは、レイラの支配を受けているのか」
「やめろ」
「それはね、スコール。スコールはもう、私の仇討ちなんてものに、価値を見出せなかったからだよ」
「やめろっ!」
 地竜の爪を抜いて、リノアに斬りつける。
 だが、リノアは瞬間移動でスコールの後ろにつく。
「セフィロスに対する憎しみなんてなかった。むしろ」
「やめろと言っているだろうっ!」
 闇雲に剣を振っても当たるものではない。目の前にいるのはリノアであってリノアではない。さらに力をつけた永遠の闇だ。
「私を殺して、気持ちが楽になった。余計なものがいなくなったと喜んだ」
「やめろっ!」
「分かってるもん、スコールと同化したときに、スコールの気持ちは全部。いや、一緒に旅してた時からずうっと。私はスコールのことしか考えてなかったけど、スコールは私のことを何も考えてくれてなかった。それどころか、リディアと再会した時にあんなに喜んだ」
 何度振っても、リノアはその都度場所を変えて地竜の爪の射程距離外に出る。
「レイラの支配を受ければ、自分のセフィロスへの復讐心を増大させてくれる……私に対する『義理』を果たせる。そう思ったんだよね」
「うああああああああああああっ!」
 地竜の爪が衝撃波を放つ。今度はリノアはそれを避けずに正面から受けた。
 服がはだけ、一筋の裂傷が生まれる。だが致命傷には程遠い。
「好きではなかった……それを認めるのも辛かったのに、私のことを歯牙にもかけてないなんて、そんなひどいことを自分がしているなんて、自分が許せなかった。だから義理を果たそうと思った。辛かったよね、スコール。だったらもう、私の仇討ちなんて、いいよ」
 リノアはそう言って、ゆっくりとスコールに近づいてくる。
「来るな、リノア」
「もうスコールは苦しまなくていい。私と一緒じゃ嫌かもしれないけど、自分の意識を全部捨てて、カオスに溶ければ、私たち、ずっと一緒にいられるよ。嫌なことも辛いことも全部忘れて、永遠に一緒だよ。私の望みはそれだけ。スコールが義理を果たしたいと思ってるなら……魔女の騎士だっていうのなら、魔女である私の最後の願いを聞いてほしい」
「魔女の、騎士……」
 がくり、とスコールは膝をついた。
 それを『降参』とみなしたのか、リノアはゆっくりと近づいて、スコールの頭を抱きしめた。そして上を向かせる。リノアの方から唇を落とすと、その瞳から涙が零れた。
「好き。スコール、大好きよ。やっと本当に、私のものになってくれるんだね。ずっとずっと、あの魔女戦のときから、私の望みはそれだけだったの。スコールとただ一緒にいられればそれで幸せだった……夢がかなう。こんなに嬉しいことはない」
「リノア」
 目の前に、自分がかつて愛した──愛したと思っていた女性の顔がある。
 もう二度とその顔を見ることはできないと思っていた。思い出すのは、血の気のない、怨念のこもったあの生首。
 だから、復讐ということにこだわった。あんな姿を見せられて、自分が復讐をしないわけにはいかなかった。そんな姿にさせてしまったのは明らかに自分が原因だったから。
「俺にとってお前は、本当に大事な相手だったんだ。それは……嘘じゃない」
 恋愛という感情がなかったとしても。
 仲間として大切に思っていたのは真実。
 それだけは、誰にもはばかることがない、自分を偽ることもない真実。
「でも……俺はもう、何よりも大切なものを見つけたんだ」
 衝撃がリノアの背から生まれる。
 スコールの手にはナイフ。そのナイフが貫いたのは、リノアの心臓。
 永遠の闇の『本体』があるべき場所。
「す、こー」
「悪いな、リノア。俺はもうお前を愛することはできない。俺はもうお前の騎士じゃない。俺は、俺はリディアの騎士になった。俺はあいつを守る」
「そんな、に……私が、きらい?」
 力が徐々になくなっていくリノアを目の前に、スコールはしばらく彼女に向けられなかった笑顔を見せた。
「ああ。ごめんな、リノア。もっと早くにそう言うべきだった」
「スコール」
 もう一度。
 彼女は残されたわずかな力で、スコールを抱きしめる。
「もう……復讐は、しなくていいよね」
「リノア」
「私が戻ってきた、意味、少しは、あった、かな……」
 そして、彼女の身体から徐々に力がなくなっていく。
 やがて、完全に息絶えると、リノアの姿は徐々に闇に溶けて、消えた。
(まさか)
 リノアが彷徨い出てきたのは、リノアが自分を望んだからではなく。
 復讐に捕われている自分を、助けるため?
(まさか、な)
 そしてスコールはまた自分に嘘をつく。
 リノアの気持ちは分かっているはずだった。一度彼女の意識を取り込んだ時に、どのような思考をして、どのように行動するかはすべて分かったはずだった。
 それなのに彼女の今回の行動の理由が分からないのは、分からないと思い込もうとしているのは。
(……無理に考える必要はないだろう)
 気持ちに蓋をする。そうだ。もうリノアのことは終わったことだ。
 リノアはカオスに還り、自分はリノアに対する気持ちを完全に吹っ切ることができた。
 お互いにそれで、よかったではないか。
(だが、セフィロスは)
 復讐、というのではない。もうその気持ちはない。
 だが、決着はつけなければならないだろう。それは自分の中に残っている意地だ。これまでセフィロスを倒そうとこだわり続けてきた自分の、最後のリノアへの想いだ。
 もっとも、決着だけならば天空城で既についている。セルフィが介入してこなければ、自分は間違いなくセフィロスを殺すことができた。リノアの仇はある意味で、取ることができていたのだ。
(まあ、決着はいつだっていいだろう。セフィロスはここに来ている。カオスを倒してからゆっくりとすればいい。今はカオスを倒すのが先だ)
 リノアを貫いたナイフと、地竜の爪とを手にする。
(このナイフ、レイラが万が一の時にと持たせてくれたものだったが、そういやセルフィが俺を殺そうとしたときのアレか)
 天空城でのことを思い出す。あのときもしも自分がナイフをセルフィに渡していなければ自分は後ろから刺されることはなかっただろうか。刺された後、レイラにこの身体を操られることはなかっただろうか。操られた後、ここでリノアに再会することはなかっただろうか。
 一本の、単なる性能のいい武器が、自分を長いこと引っ張りまわしたような気すらしてくる。だが、不思議なものでこれだけ縁があると捨て切れなくなってくるのも事実だ。それにナイフはあっても邪魔にならない。そのまま持っていくことにした。
(さて、リディアに合流しよう)

 レイラの支配から完全に解放されたスコールは、彼が求める場所──最愛の人の下へと急いだ。






167.幻の剣士

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