必ず、帰ってきてください。
私には、あなたしかいないのだから。
PLUS.172
天の騎士
lost the all memory
リディアは、かつてないほどに精神を研ぎ澄ませていた。
そう。既に『無』の力──カオスの闇は払われた。あとはカオスであるところの『混沌の意識体』そのものと、それが憑依しているガーランドとを完全に切り離す。
それができるのは彼女だけだ。
「あなたの力を貸して」
そんな芸当ができるのはリディアが協調する獣たちの中でも、最大の力を持つ者。
「ルナ!」
その、暗黒神殿に月の光が満ちる。
この第九世界PLUSには月が存在しない。そう、彼女の力は、月のない世界でこそ使用することができる。そして、その月影にたゆたう一人の女性。それこそが、大聖母、ルナ。
『よく、私を呼んでくれましたね、リディア』
優しい、母親のような微笑がリディアに向けられる。
『私の力をお貸ししましょう。もはや『無』の力はクリスタルにより消え去った。あとは、この世界で実体化するためのヨリシロ、ガーランドとカオスとを分離するのみ』
月の光が昼の明るさよりも増して輝き、クリスタルの光量に匹敵するほどになる。
『さあ、カオスよ。本体を現しなさい──ルナライト!』
その光が一斉にガーランド=カオスに降り注いだ。ガーランドの身体から黒い霧のようなものが抜け出て、倒れ落ちる。そして黒い霧は徐々に一つの形を取り始めた。
「あれが、カオスの本体か」
ブルーが呻く。だが、騎士三人は冷静にその姿を見ていた。
漆黒の身体。大きさはあのサタンと同じくらいで、普通の人間の二倍強。三面六臂で頭にはねじれ曲がった角が三本と、尻尾が七本生えている。無秩序な、ただ人の怨念だけを取り込んだ意識体。それが今、明確な実体となってそこに存在している。
故に、カオス。全ての死者の怨念がこもっているからこそ、ありうべからざるほどの混沌がそこに存在する。
「なんて、禍々しい」
見ているだけで不快──いや、精神的なダメージを受けるほどだ。こういう場合に一番苦しむのは『ただの人間』でしかないブルーとセルフィだ。少なくとも騎士三人は竜の武具によるバリアがある。リディアも同様だ。アセルスは半妖、ティナは半獣だ。それぞれ精神攻撃を防ぐ術は身につけている。だが、ブルーとセルフィだけはそうもいかない。
「なんとかならんかな、これ」
セルフィがぐったりとした様子で言う。すると、隣にいたセフィロスが胸にかけていたロザリオをかけてやった。
「ほにゃ?」
「かけていろ。それだけである程度は防げるはずだ」
言われて、そっとそのロザリオに触れる。確かにそう言われてみると、なんだか落ち着いてきた気がする。
「ありがと、セフィロス」
「気にするな──来るぞ」
ぐるぉう、とその混沌が呻く。だが、ブルーだけが反応できなかった。アセルスが咄嗟に彼を抱きかかえて、衝撃波を回避する。
「大丈夫か、ブルー」
「ああ、迷惑をかけるな、アセルス」
口調ほど平気だったわけではない。むしろ、せめて言葉くらいは平気な振りをしていたいというブルーの願いから来た台詞だった。
「レミニッセンスを使ったからかな、もう限界だ」
そもそもレミニッセンスを放てば限界なのだ。それをここまでよく耐えたと本人を褒めるべきだろう。その魔法の特性を知るアセルスだからこそ、強く頷く。
「下がってろ、ブルー。あんたがいなくても、あたしらで何とかする」
「ああ。悪いけど、傍観させてもらう」
さすがにここにいたって、もう自分の出番はないとブルーは悟った。それどころか、ティナやアセルス、セルフィらも完全な足手まといだろう。
この戦いは既に、カオスと、竜の騎士たちとの戦いに変わっていたのだから。
「はああああああああああああああっ!」
スコールが気をためて放つ。ブラスティングゾーン。彼の得意技だ。だが、それを軽く振り払うと、カオスは再び衝撃波を放ってくる。
その直撃を──カインが受けた。
「カイン!」
ティナが叫ぶ。だが、思ったよりカインは平然としていた。
「この程度か?」
それどころか、カオスを挑発するように言う。
「この程度で暗黒闘気とは笑わせる」
カインの『天竜の牙』が、その衝撃波をすべて吸収していく。
「これが真の暗黒闘気だ。受けてみろ、カオス!」
天竜の牙が一閃される。そこから暗黒闘気が放たれ、カオスの脇腹を切り裂いた。
それを見た一同が唖然とする。これは竜騎士でも聖騎士でもない。暗黒騎士の力ではないか。
「あれは」
気付いたのはリディアだった。
その構え、その太刀筋、そしてその暗黒波の使い方。
何から何まで──セシルそのものではないか。
「思い出したの、カイン」
だが、小さく呟く声はカインには届かない。
そのままカインは力をためると神殿の天井に届くほど高く飛び上がる。
「これは、竜騎士の」
落下しながら、剣を振り下ろす。カオスの左肩に深く剣が刺さった。
そしてそのままカオスの胸を踏み台にして、逆に飛び上がる。巨大な敵を相手にするときに使う竜騎士の秘技、Vの字斬りだ。槍ではなく剣を手にした竜騎士が使う技として一般には認知されているが。
ふしゅう、とカオスが息を吐く。そして傷口から黒い霧がもれ出ていくが、それもたちどころに塞がる。さすがに意識体、肉体のダメージはそれほど残らないものらしい。
「ならば、消滅するまで行うだけだ」
セフィロスが妖刀正宗を模した、海竜の角を構える。
「カオスよ。お前に、絶望を贈ろう──」
そして、セフィロスが突進した。
「スーパーノヴァ!!!!」
セフィロスの剣から巨大な衝撃派が生じ、カオスを切り裂く。今度は肩から腹にかけて大きな傷が生まれた。また霧が散る。
さすがに三人の竜の武具はカオスを傷つけることは確実にできていた。だが、
「まだ浅いか」
そう。致命傷には程遠かった。それでも、三人の顔には焦りなど微塵も感じられなかった。まるで、勝利するのが当然であるかのような冷静な態度だった。
一方、冷静でないものがいた。
妖精王の子、ファーウ・ヴァリナー。
さすがにこれだけの竜の力を防ぐことは彼の能力をはるかに超えていた。自分はただの妖精にすぎず、それでもこの名前のおかげで竜の力をなんとか防ぐことができていた。
だがもう既に八陣まで張りなおした結界もすべてボロボロにされた。このままでは竜の力が世界に漏れ出し、ありとあらゆる災害が生じる。それだけではない。下手をすればこの戦場となっているPLUSは消滅することもありうる。
「ここまでか」
次の一撃で終わりだろう。そして、その一撃でカオスを倒すことはできない。
「まあ、やれるだけのことはやった。あとは、それぞれの世界の連中が自分のところをそれぞれどうにかするしかないだろう。早かったが、魔法王よ。俺もそこに行く」
目を閉じた。すると、目に浮かんでくる。カインが、スコールが、セフィロスが、その力を最大に使うその瞬間が。
『──ファーウ・ヴァリナーよ』
そのとき、彼の耳元で声がした。
「この声は」
半ば諦めきっていたが、その声でかすかに生命の息吹を取り戻す。
「あんたか、妖精王」
『久しぶりだな、我が息子』
それは思念だけだ。それ以上ではない。単に自分に向かって妖精界から思念を送っているのだろう。
「今さら援軍か? だが、二つ名の俺ですらこの様だ。よほどの援軍がなかったらこの戦いを防ぐことは無理だ」
『分かっている。援軍は送らぬ』
あっさりと、父親はそう答える。
「死ねってことか」
『すまぬな。だが、お前のことは忘れぬ。そのかわりに、最後まで働いて逝け』
冷たい言葉だが、相手が自分のことを思いやっていることは分かっている。ただ、それを表に出すことをしないだけだ。
「といっても、もうこれ以上は無理だ」
『無理ではない。この場に私がいるのだから』
その言葉で、全てが納得した。
「まさか、俺の名前を」
妖精界においてきた、自分の二つ名。それは妖精の長老たる、父王の名がなければ自分の元に戻ることはない。だが、この状況ならば。
『そうだ。お前に正式に名を還そう。ファーウ・ヴァリナー・ラシェル・リード。これよりお前は妖精界で二番目の、四つ名を持つ妖精となった。その力を持ってこの戦いの影響が世界に出ることを防げ』
「……本当に死ねってことか」
ラシェル──その名が意味するところは、運命。
リード──その名が意味するところは、死。
それゆえ、父王は自分の名を封じた。この運命の元で死ぬことを阻みたかったから。
「だが、助かる。四つ名があれば、なんとかなる」
『ああ。すまない、息子よ。転生してくるときはもう少し、運命とは関わりのない生命を歩むといい』
「そうなるように祈っててくれ。思念を切るぞ。すぐに次の衝撃が来る」
『うむ。さらばだ。我が愛しき息子よ』
「ああ」
そして思念が切れる。瞬間、衝撃が来た。
「竜の衝撃。今の俺なら──防げる!」
瞬時に、四つ名の妖精は結界を張りなおした。
戦いは早くも佳境に入っていた。
カオスはその腕全てに剣を持つ。
暗黒の剣。破壊の剣。邪神の剣。悪魔の剣。罪人の剣。そして、混沌の剣。
カオスに連なる六つの禍々しき魔剣が、それぞれの手に収まる。六つの剣を手にしたカオスは、さらなる混沌をその身に蓄えようと、咆哮を上げた。
「来るぞ!」
スコールの言葉で全員が一斉に回避した。ついに、カオスが動き始めた。
その巨体に似合わぬ俊敏な動きで迫ったのは──アセルス。
「来るなら来いってんだ。レオン!」
半妖の姿のまま、相棒の名を呼ぶ。妖魔の剣が鈍く輝く。
「駄目だ、下がれアセルス!」
ブルーの悲鳴が響き、その言葉に反応したアセルスが飛び退る。瞬間、六本の剣が続けざまに攻撃を放ってきた。
危うい。もしもあの一撃目を防いだとしても、残りの五本の剣がたちどころに自分を切り刻んでいただろう。
「うかつに近づけないね」
「大丈夫です。私が隙を作ります」
アセルスの言葉に反応したのはリディアだった。そして召喚魔法を唱える。
『私を呼べ、リディア。私の在る場所の名を呼べ』
そう。声が聞こえていた。
彼は死んでも自分のために力を貸してくれるというのだ。ならば、その恩恵に今はあずかろう。どうしてそうなったのかなど、追究しても意味はない。ただ今は、カオスを倒す、そのことだけに頭を使っていればいい。
「集え、禁断の地。我らが王の名において」
無論その『場所』そのものを召喚するわけではない。だが、妖精族のルールに従い『名を失った』者は、別の呼び名を用いなければならない。
すなわち、彼が何千年もの間、国王として君臨した場所。それこそが彼の代名詞。
「エウレカ!」
禁断の地を呼ぶと同時に、リディアの背後にかの魔法王の姿が現れる。
死してなお力持つ彼は、召喚獣と同格の存在として、リディアに使役されることが可能になったのだ。それだけの力を持つにいたったのだ。
「『エクスティンクション』!」
オリジナルの魔法が放たれる。それはリディアの放つ光の数十倍、数百倍の威力でカオスに直撃する。瞬間、カオスの足が完全に止まった。
「今だ!」
スコールとセフィロスとカインが同時に切り込む。さらにはアセルスもティナもセルフィも、各々の武器を振るって攻撃する。
だが、彼ら六人の攻撃全てを、六本の剣でカオスは受け止めていた。さすがに三面六臂は伊達ではない。
「下がってください!」
離れていたミルファが声を大にして叫ぶ。だが、動きの鈍いティナ、アセルス、そしてセルフィが裂傷を受けた。
「まさにカオスだな。歪さでは何にも負けない」
スコールは冷静な感想を吐く。だが、それでも彼の顔には露ほども『負ける』などという意識が感じられない。実際感じていないのだろう。
「セルフィ、もう援護はいい。この戦いに臨むのは三人だけで十分だ」
セルフィは悔しそうに顔をしかめるが、それでもセフィロスの言うことが正しいと考えたのか、そのまま引き下がる。だが、ダメージを負ってもすぐに回復できるよう、フルケアの準備は忘れなかった。
「歪……か。俺にはそうは思えないな」
だが、カインはカオスを目の前にしてもまるでその邪悪さ、混沌さを感じなかった。
スコールやセフィロスですら、この邪悪なパワーに気おされるところはあっただろう。だが、カインだけは例外だった。それを心の底から、微塵も感じていなかったのだ。
その理由など分からない。自分のなくした記憶の中に理由はあるのかもしれない。だが、その混沌を感じないほどの何かを、過去の自分は持っていたのだろう。
それは──そう、カインの記憶の中から消えて失われた、『罪』、のおかげかもしれない。
「カイン!」
声をかけたのはリディアだった。既に記憶は失われている。だが、それでもリディアは声をかけたかった。たった一人の、故郷を同じにする仲間として。そして、自分の信頼する友人として。
だが、その呼びかけてくる少女のことも、今のカインには分からない。ここにいるメンバーが自分のことを知っているのは当然なのかもしれないが、それ以上に切迫した何かを感じたのは確かだ。だが、その正体が何かというところまでは分からなかった。
「必ず、みんなのところに帰ろう。ね?」
その言葉でも、別段記憶が戻ってくるとかそういうことはない。だが、失くした記憶にその言葉は強く引っかかった。忘れてはいけない何かを忘れていることを感じさせた。
「ああ。必ずだ」
だからこそ強く応えた。彼女の言う『みんな』が誰のことかは分からないが、自分はそこに帰らなければならない。その義務がある。そう感じた。
「カオスなどに、俺たちは負けない」
そうして力強く剣を握る。
『カイン』
その手の中から、声が聞こえてきた。
『私の声が聞こえますか』
「ああ、天竜。よく聞こえる」
カインは普通に答えた。そして、ふと矛盾に気付いた。
「先に一つ、いいか」
『ええ』
「俺は他の誰ももう、頭の中に残っていない。それなのにお前とカオスのことだけは頭に残っている。これは偶然か」
『いいえ。私が意図的にそうしました。あなたが記憶を失うのなら、カオスを倒すために最低必要な知識だけを残すように、あなたの記憶を私が操作しました』
「俺が記憶を失ったのは、お前の差し金なのか?」
『記憶を失うことは定まっていたことです。私は方向性を示しただけです』
「なるほどな。俺を犠牲にして、世界を取ったわけか」
『私を恨みますか?』
「いや。正しい判断だ」
カインは冷静に答えた。自分でも分かる理屈だ。一人の命と世界。どちらが重いかなど誰にでも分かる。
『あなたに一つ、助言を』
「聞こう」
『あなたの力はカオスをはるかに上回ります。何故カオスがあなたを求めたのか。それは、あなたの持つ闇が、カオスのそれを上回っていたからです。それだけあなたは強い心を持っている。その心の力を、私の牙にお乗せなさい。それで、すべて決着をつけましょう』
「都合のいいことを」
ふん、とカインは笑った。だがもう、失うものなどない自分にとってはそれすら心地よい。
「いいだろう、天竜。お前の望みどおりにしてやろう」
そうして、カインは全ての力を一撃に込める。
自分とカオスとの間の距離をゼロに感じた。そして、その瞬間は、他の誰も自分たちの間には存在しなかった。
その距離を、詰める。
だがそれより早く、カオスの六本の剣が自分を狙って動く。
一本、二本、三本、四本、五本と、カインの身体を叩いては、折れていく。
そして六本目、混沌の剣が、カインの身体に深く差し込まれた。
「ああああああああああああああああっ!」
カウンターで、カインはその天竜の牙を振りぬく。
そのカインの精神が上乗せされた牙は、本来の長さ以上に鋭く伸びて、カオスの身体を上下に両断した──
173.混沌
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