立ち上がり、その場を去ろうとするセルフィをドクターが止めた。
「どこに行く、セルフィ」
「あんたには関係ないやろ」
 もはや自分を隠すことすらしない。そんな余裕は今のセルフィにはない。
 ただ、復讐する。そのためだけに彼女は存在している。
「一人ではどうにもならんだろう。お前は代表者でも変革者でもない。どうやって元の世界に戻るつもりだ」
 それは正論だ。セルフィ一人では世界を渡ることはできない。ここにいる代表者たちの力を借りなければ復讐をしに行くことすらできないのだ。
「少しだけ待っているがいい。私も残り命が少ないのでな。その前に、私に伝えられること、できることをしておかなければならない」
 ドクターが言うと、ブルーが顔をしかめて尋ねる。
「残り命が少ない?」
「そうだ。竜の騎士たちの全力の攻撃が他の世界に影響を出さないようにバリアを張っていたのだが、さすがに三人の力を全て防ぐのは辛すぎた。今自分を保つのが精一杯というところだな。もうあと一時間ももたないだろう」
 その表現に、全員が驚く。
「そう。その前にやらなければならないのだ。十六の世界を危機に陥れた、いや、それよりも前に多くの世界を滅びに追いやってきた──」
 そして。
 空間が歪む。
 そこに、一人の男が現れた。
「──この男を裁かなければならないのでな」
 現れたのは、ガーランドであった。












PLUS.176

幕間。別離







intermission






「ガーランド!」
 全員が一斉に戦闘体勢に入る。
 彼の生死を誰も確認していなかった。カオスのヨリシロとなった彼は完全に精神をのっとられていたのかと思っていた。
 だが、こうして暗黒騎士の兜を外したガーランドはつき物が落ちたかのように静かな表情をしていた。その目でドクターを眺める。
「何故、助けた」
 ガーランドの声はあまりに静かだった。生き残ることなど望んでいなかったという声だ。事実、世界が滅びるのならそれでも良かったのだろう。
「助けた? 勘違いをしてもらっては困る」
 ドクターの声はそれよりよほど冷たかった。
「お前の命を救ったのはお前に同情するとか、お前の境遇を哀れんだとか、そんな内容のものではない。お前には罪を償ってもらう。お前が危機に陥れた十六の世界、お前はこの世界を守るための一石となるのだ」
「私がそれを了承するとでも?」
 ガーランドがあざけるように笑う。
「ああ、了承せざるをえないだろう。何しろ、お前の記憶は全て失われる」
 ティナがびくりと反応した。記憶の喪失という点では、彼女ほど過敏になっている者はいないだろう。
「記憶がなくなる?」
「そうだ。お前は全ての記憶をなくす。そして、今回巻き込まれた九つ以外の世界、七つの世界を守らなければならない。これから十万年の時間をかけて、七つの世界を一つずつ順に守り続けていくのだ。それが、お前に課せられる罰だ」
 それを聞いてガーランドがため息をついた。
「世界の破滅を願っている人間に、世界を守れというのか」
 ガーランドは自分のことだというのに客観的に話す。
「お前は適任だ」
「何故だ?」
「たとえ記憶をなくそうと、お前の本質は既にカオスだ。すなわち、これから先どこの世界にいっても、その世界の力をもって戦うことができる。そして何より、その本質が強い。世界を守る人材として、これ以上相応しいものはいないだろう」
 だが、ガーランドは首をかしげるばかりだ。
「一つ、いいかな」
 ブルーが手を上げて話に入り込んでくる。
「かまわん」
「お言葉に甘えて手短に。正直、ガーランドが世界を救おうと本気で考えられるとは思えない。それがたとえ、記憶を失ったとしてもだ。それに、僕たちは正直なところ、この戦いの張本人であるガーランドを許すことができない気持ちでいっぱいだ。この戦いで何人が死んだと思っている? それを全て許すなんていうことは、今の僕にはできない」
「その通りだ、代表者。だからこそ、これは死ぬこと以上の罰だ。何しろこの男は、ただ世界のためだけにこれから十万年の時を一人で過ごさなければならないのだからな。その世界でたとえ友人や恋人ができたとしても、必ず別れて次の世界へ行かなければならない、その孤独。ただ一人だけというその孤独をこそ、罰として相応しいものだと思わぬか。そしてそれが世界の再建につながるのなら、我々にとっては有益だ」
 確かにその通りなのかもしれない。だが、目の前でセフィロスを、そしてサイファーやジェラールを、それ以外にもたくさんの人間がこの戦いで命を落とした。その償いとして──十万年の時というのは相応しいと言えるのか。
「アタシはいいよ」
 だが、最初に答えたのは目の前でセフィロスを殺されたセルフィだった。
「セルフィ」
「確かにガーランドはきっかけかもしれないけど、アタシにとってセフィロスを殺したのはガーランドじゃない。あいつらだから」
 ガーランドは、きっかけにすぎない。だから命を取るまでのことはない。そうセルフィは言うのだ。
 確かに彼女の考えは、直接的なところを重んじる。トラビアガーデンがミサイルで撃たれた時だって、原因はいくつもあった。サイファーが大統領を人質に取ったこと、ゼルがガーデンの名前を出したこと、自分たちが魔女との戦いで捕まってしまってミサイル発射を止められなかったこと。色々な要因はあったが、彼女は結局『ミサイル基地』だけを破壊し、それ以外の何も責めなかった。
 セフィロスのこともそうなのだ。もっと自分たちが注意していればよかった。そもそもセフィロスの不注意だってある。ガーランドも確かにきっかけだろう。だが、セフィロスを殺したのはディオニュソスであり、ハオラーンなのだ。
 サイファーやジェラールにしても殺したのはサタンであり、ガーランドは誰も殺していない──というのは言いすぎかもしれないが、だが直接手を下してはいない。
「分かった。この件について一番言いたいことがあるのはセルフィだからな。セルフィがいいというのなら、僕らがそれ以上言うのは見苦しい」
 ブルーも不承不承頷く。だが、と続けた。
「肝心のガーランドはどうなんだ?」
 尋ねると、ガーランドは苦笑して首を振った。
「好きにするがいい。どのみち私はもう、カオスを呼び出すことはできない。このまま死ぬも、永劫の孤独を生きるも同じことだ」
「ならば、承諾を得て、四つ名の妖精の名にかけて【制約】を発動しよう」
 そして右手を翳す。その右手に青い光が生まれた。
「出でよ、魔神の書。我が声に応えて、その形を示せ」
 その光が徐々に、一冊の本を形づくる。
 魔神の書。その名は聞いたことがあった。確かその名前を言ったのはミルファだ。このカオスとの戦い、その未来が描かれた、過去から未来までの全てが描かれている意思を持つ歴史書。
『随分と急な呼び出しだな、ファーウ・ヴァリナー・ラシェル・リード」
 魔神の書がその四つ名を完璧に唱える。
「お前がこれから十万年の間、共に戦う相棒だ」
「相棒?」
「そうだ。お前は全ての記憶を失い、世界を救うという意思だけが残される。そして世界を救うために必要な情報は全て魔神の書から引き出すといい。そして、お前の意思で世界を救うのだ」
 ガーランドはつまらなさそうに右手を伸ばした。その書が手に納まる。それから一度首をかしげた。
「あとはどうすればいい?」
「戦いが始まるまでは眠りについていればいい。必要な時にお前は目覚める。全ての記憶を失ってな」
「都合のいいことだ。私は便利屋か」
「それが罰だ。大人しく受けるがいい」
「かまわんよ」
 ガーランドは全てに絶望したかのように、笑った。
「どのみち彼女が還ってくるわけでもない。もっとも、その映像すら私の脳裏には既にない。遠い過去、はるかな昔に失くしたという慟哭だけが私の生きる原動力だ。それすら忘れさせてくれるのであれば、それは私にとって救いなのかもしれない」
「ならば、始めよう」
 ガーランドの体が、徐々に赤い光を帯びる。
 そして魔神の書は再び青い光に変化していった。
「お前の記憶は、未来永劫、二度と戻ることはない。何故なら、記憶もまた物質。その物質はこの世界で消滅し、お前という魂、お前という意識だけが別の世界に転送されるからだ。ないものを生み出すことはない」
「けっこうなことだ」
「ならば、行くがよい。世界のために」
 二つの光がますます輝き、本と人とはそれぞれが球体に変化していく。
 そして、二つの光は消えて無くなった。






「さて」
 一段落ついたところで、ドクターが仕切りなおした。
「まずお前たちに幾つか話しておくことがある。まず、ミルファのことだ」
 そういえば彼女の姿を見ない。あのカオスとの戦いで風に変化したが、いったいどうなったというのか。
「彼女はカインを助けるために全ての力を使った。ほんの一瞬、カインが竜騎士としての力を取り戻したが、それは彼女の力あってのこと。さすがに全ての風を極めた少女、その力は半端なものではなかった」
「待って」
 リディアが話を遮る。
「じゃあ、ミルファさんは──」
「そうだ。もうこの世界にはいない。消滅した」
 衝撃が、全員の体を貫く。
「だが、彼女の魂は失われていない。彼女が生み出した風はこの大地をめぐり、波を揺らしゆくだろう。やがてこの世界に雨が降り、灰色の大地には草花が戻る。それは彼女の、この世界への愛情の示し方だ」
 つまり、ミルファはこのPLUSという世界の、新たな神になったということだ。
 風の神、ミルファ。
 だが、失われた命がそこで戻ってくるというわけではない。
「色々なものを失ったということか」
 スコールが呟く。
 そう。自分達はミルファをなくし、セフィロスをなくした。そして──
「……」
 全員の目が、ぴくりとも動かないカインに注がれる。
 さきほどからずっと、ティナがその体を抱きしめていたが、カインの体に反応は全くない。記憶どころか、命すらも失われているのではないかと思えるくらいに。
 だが彼はそれでも呼吸をしている。ただ、目を開けて、前だけを──いや、どこか虚空を見つめている。
 それが、哀しい。
 ティナの瞳は、ただ彼の目だけをずっと見つめている。
「カインの記憶を取り戻す方法がないわけではない」
 全員の顔が、驚愕をもってドクターに向けられる。
「慌てるな、必ず戻ると言っているわけでもない。可能性の問題だ」
「どうすれば」
 ティナが尋ねた。
「普通と変わらん。彼に縁のある場所や、知っている人物に会わせる、そうした作業を一つひとつ積み重ねていけば、何かのきっかけでいずれは記憶も蘇ろう。だが、現状で既に人物どころか、言語能力まで忘れてしまっているようだ。もしかしたら、立って歩くことすら忘れているかもしれん。全く身動きをとらないのは、動き方を忘れてしまっているせいかもしれないな」
 それは、どこまで深刻な状態だというのだろうか。
「だが、運動能力だけならばすぐに回復は可能だ。使えば、勝手に体がなじんでいるものだからな。筋肉もしっかりついているわけだから、赤子のように訓練する必要などない。ただ、記憶だけはどうにもならん。特にこの男は、記憶と自分の罪とが一体化している。記憶を蘇らせるということは罪をも蘇らせることだ。記憶をなくして救いを得たのに、再び罪を蘇らせることになる。よいこととは言えぬな」
「私は、たとえ記憶がなくてもカインの傍にいると、私がカインの記憶になると誓いました」
 ティナがはっきりとした声で言う。
「絶対に、取り戻してみせます」
 強い意思が、そこから感じられた。だが、意思が強ければ強いほど、どうにもならないもどかしさがこれから彼女について回るだろう。
「困難な道のりだ。年単位で回復するなどと思うな。十年、二十年の単位になる。その間にお前たちが新たな人生を切り開いていくことだって可能なのだ。あまり気負いすぎずともよい」
「はい」
「彼の根源たる罪の意識そのものが抜け落ちている。これを蘇らせるには、その罪の根幹とめぐり合わせても無駄だ。ほんの些細なことがきっかけになるだろう。何が、とは言えぬが、何でもいい。とにかく、彼にいろいろなことを体験させることだ」
「分かりました」
「さて、最後だ」
 ふう、とドクターは息をついた。
「この戦いに参加した唯一の妖精として、最後の勤めを果たそう。竜の武具を竜の世界に還す」
 スコールが目を丸くする。竜の武具を還すということはつまり、天竜の牙、海竜の角、そしてスコールの持つ地竜の爪が失われるということだ。
「そもそもその武具はカオスとの戦いのために生まれたウェポンだ。戦いが終われば元の世界に戻るのが通常であろう。ただ、リディアの持つ煌竜の瞳はそのままにしておく。バハムートがお前を気に入ったようだからな」
 リディアはようやく少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます」
「礼ならバハムートに言うがいい。私はただ定められたままに動く、運命を司る妖精」
 そして、ふっと笑った。
「お前さんたちに会えたのは、私にとっては楽しい経験だった。さて、各々、別れの時だ」
 すると、三つの武具がそれぞれの姿に戻る。
 スコールの持つ武具は爪に、セルフィの傍らに落ちていた武具は角に、カインが装備している武具は牙に。
 そして、その場に人と同じくらいの大きさの竜の幻影が三体、浮かび上がった。
「これが、竜」
 アセルスがまじまじと見つめた。






『長い戦いだったな』
 海竜が語る。そして、セフィロスをジャンクションしたセルフィの方を向いた。
『少女よ。汝の嘆きは理解できるが、自分を見失うな』
「……」
 セルフィは睨むように、その竜を見る。
『セフィロスはこれまで、ただの一度も幸せな時を過ごしたことはなかった。汝と共に動いていたこの数ヶ月は、奴にとって最初で最後の幸福だった』
「そんなの、分かってる……!」
 セルフィの目から涙が零れる。それを見て海竜が少し笑った。
『ならば、お前にこれを渡そう。セフィロスから預かっていたものだ。自分が死んだ時には汝に渡すよう伝えられていた』
 その言葉と同時に、宙に一本の刀が浮かび上がる。
 海竜の角のオリジナル。セフィロスの愛刀、正宗。
『形見として、持っているがいい』
「セフィロスの……」
 セルフィはその刀を手に取る。不思議とそこから、何かのパワーが流れ込んでくるような気がした。
『復讐をするのはかまわない。だが、復讐者にはなるな。セフィロスの遺言だ』
「待って、海竜」
 消えそうになる海竜に、セルフィは呼びかけた。
『何か?』
「ありがと。それだけ」
 その顔から、涙は止まっていた。






『我が主。別れの時が来た』
 地竜がスコールと向き合う。思えば最初に出会った時から、不思議と反発しつつ、奇妙に波長の合う間柄だった。
「残念だ」
『口に出すということは本心か。よほど強い感情でない限り、主は何も言葉にしない』
 少しむくれると、地竜はその幻影を揺らせて笑った。
『主。私は言ったな。願い以外の全てを差し出さなければならない、と』
「ああ」
『主の願いはここにある。あとは主がそれを口に出すだけでいいのだ』
「言われなくても分かっている」
 さらにむくれるスコール。そしてさらに付け加えた。
「……気持ちは通じているし、話もしている。放っておいてくれ」
『安らげる場所──そう、主にとって、年上のようであり、年下のようである。理知的であり、無邪気でもある。甘える存在であり、甘えられる存在である。主は欲張りだな、一人の女性に相反する二人の人格を求めるとは。だが、彼女はそれを満たす女性だ。大切にすることだ』
「さっさと帰れ」
 思わず悪態をつく。その姿に地竜はさらに笑った。
『私から主に贈り物をしよう。受け取ってくれると嬉しい。我がこの世界でかたどった剣の形をした武具だ』
 宙に新品のガンブレードが生まれる。スコールはため息をついてそれを手にとった。地竜の爪ほどではないが、手になじむ。
『なじまないはずがないぞ。何しろ主が使っていた我が体と寸分違わぬ作りだからな。我が複製能力を甘くみられては困る』
「助かる」
 一言、スコールは伝えた。それを聞いた地竜は体をゆすって笑った。
『全く、主らしいことよ。では、さらばだ』
「ああ、またな」
 その言葉に地竜は驚いたような顔を見せたが、すぐに空気に溶けて消えた。






『カイン』
 そして、最後に。
 天竜が、語りかけた。






177.開幕。レクイエム

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