波の音が聞こえる。
 寄せては返し、そしてまた寄せてくる、いつまでも止まない波。
 二人は海岸に腰を下ろして、ただその波を見つめていた。
 そう、自分はこの世界に来たばかりのときも、ここで一人で海を見つめていた。
 故郷のモブリズを思い、そしていつか愛する人を想い。
 そして今はこうして、その愛する人と一緒にいる。
 ただ、彼は自分のことを全く覚えていない。
 夜の闇の中、打ち寄せる波をただ彼は見つめている。
「カイン──私は、ここであなたと初めて会ったんです」
 囁くように、彼の傍で話を始める。
「あなたがこの海岸に倒れているのを見たとき、この人を助けなきゃとは思ったけど、まさかこんなに好きになるなんて思わなかった。それからもあなたはずっと、別の人ばかりを見ていたから」
 彼が自分を見てくれるようになったのは、あれから二人の間でもいろいろと進展があり、さらには彼が記憶を亡くしていることが原因だ。もちろん自分が彼を、彼が自分を想っていることが前提だが、それでも彼の心の中から『彼だけの女神』がいなくなったということの方が大きな原因だろう。
 そう。ティナは不安に思う。
 彼が自分を見始めたのはいつだったか。それは、一つ目の赦しが発動した前か後か──つまり、記憶を失い出した前だったのか、後だったのか。
 記憶を失い始めたからこそ、ローザの記憶を失い始めたからこそ、自分を見るようになったのではないのか。全ての記憶が戻ったら、自分のことなどカインは見てくれないのではないか。
(いやだ──怖い)
 こんなに近くにいて、今のカインは無制限に自分を想ってくれているというのに、彼の本当の心はどこにあるのかが全く分からない。
「ねえ、カイン」
 優しくティナは語り掛ける。
「ここで会ったときのこと、早く思い出せるといいね」
 ふと、言葉が軽くなる。恋人同士のように、緊張せずに自然と出た言葉。
「うん」
 カインは笑顔で頷いた。
「きっと、ティナのこと、たくさん思い出すから」

 ──泣きそうになった。












PLUS.179

新たなる戦いの序曲







overture






 一晩明けて、ラグナロクはウィンヒルからエスタに向けて出発する。
 さすがに昨夜はPLUS帰還組も全員が深い眠りについた。PLUSからこっちに来た場所も場所だったのだろうが、日が暮れるより先にティナとカインを除く全員が眠りに落ちていたのだ。おかげで普段から早起きなブルーは、この日は朝日を見るより早く起きるというすこぶる健康的な目覚め方をしてしまった。
 そのブルーがベッドが備え付けてあるだけの簡素な部屋から出てキッチンに向かう。
 ラグナロクのキッチンは、急加速・急制動に耐えられるよう、全ての食器がきちんと固定されている。きちきちとした性格であるブルーにとっては、それくらいの方が好みだった。
 そのキッチンに入ろうとしたとき、先客がいることに気付いた。
 セルフィと、ウィンヒル方面を担当しているSeeD、リージュという男だった。
(何を話しているんだ?)
 みんな割りと早くに寝たとはいえ、まさかこの時間で活動している人間が他にいるとは思っていなかった。時間はまだ四時にもなっていない。とにかくこの頭を冴えさせようと、飲み物をいただきに来たのだ。
 案外、セルフィなどもふと目が覚めてここに来ただけなのかもしれない。
 だが、会話の内容も聞こえてきたところによると、それほどたいしたものでもなさそうだった。
「そういえば、リージュのカノジョさんは、ちゃんと元気にしてる〜?」
 温かいコーヒーをふうふうと冷ましながらセルフィが尋ねた。なんとなく入りづらい雰囲気だった。
「ええ。これだけたくさん死者が出ているにも関わらず、彼女は無事です」
「よかったね〜」
 そのリージュという男はブルーもこちらに戻ってきてから初めて会ったSeeDだ。話ではスコールやセルフィと同年代で、SeeDの中でも能力は高い方らしい。そして彼の女性的な顔立ち。ブルーは見た瞬間、性別の区別がつかなかったくらいだ。
「私は、自分の彼女に限らず、女性が泣いているところを見るのは好きではないんです」
「ふぇ?」
「あなたが泣いているところを見るのは、正直、辛いですね」
 すみません、と頭を下げるようにして言う。セルフィはそれに反応できずにうろたえていた。
「や、ちょっと、アタシは……」
「これをどうぞ」
 リージュはそう言って、コーヒーを差し出す。セルフィは何の疑いもなく、それを口に含んだ。
「ふぇ?」
 すると突然、わけも分からず涙腺が緩み始めた。
「な、なにこれ?」
「泣きやすくなる成分を含んだ薬を混ぜてます。勝手に涙が流れてきますので、注意してください」
「飲ませといて、注意ってなんなの〜!」
 セルフィは泣きながら怒る。涙は次から次へとあふれて、一向に止まる気配を見せない。
「セルフィさんは自分からじゃ泣かないでしょうから。正直、セルフィさんが泣くのを見るのは辛いですが、無理して泣かないでいるのを見ているのはもっと辛いですから」
「だからって……」
「泣いていいんです。悲しいことがあったときには泣くべきなんです。セルフィさんはもう少し、自分に優しくしてあげた方がいい」
 リージュはセルフィの頭をぽんと撫でる。
「同い年なのに、子供扱いしないでよ〜」
「強情をはっているうちは子供です。ここには私の他に誰もいませんよ。薬のせいにして、思いっきり泣いてください」
「ばかぁっ!」
 セルフィは怒りながら相手の胸倉を掴んで、それから額を当てた。
 そして、押し殺していた声を、一気に破裂させる。
 悲しみの声が漏れ出てくる。
 ブルーはそれ以上、その場にいることができずに立ち去った。
(セフィロスか)
 敵とも味方とも、あまり区別してはいなかった。スコールが憎んでいたのも知っていたし、セルフィが求めていたのも知っていた。だから、セフィロスという相手を判断することはできなかった。それに任せて判断しようとはしなかった。
 だが、セルフィにあれだけの影響を与える人物なのだ。もっといろいろな話をすることができたのかもしれない。
(僕は幸せだな。僕にはアセルスがいる)
 そう。結局、一番大切なものを亡くしていない以上、自分にはセルフィの悲しみは理解できない。悲しんでいることは分かっても、その衝撃の度合いを完全に理解することはできない。
 無性にアセルスに会いたくなった。
 失わないでいられるうちに、少しでも長く一緒にいて、後悔しないようにしておきたかった。
(そうか)
 セルフィとアセルスが事あるごとに争っていたが。
(今なら、僕にもセルフィの気持ちが分かるな)
 半妖とか、そんなことは些細なことなのだ──相手を失うということに比べれば。
 別に自分はアセルスが半妖であることを気にしたことはない。気にしているのはアセルスの方だ。彼女は自分が人間に戻るまで、絶対に恋愛をしようとはしないだろう。
 だが、そんなことではいけない。
 もしも今アセルスを失えば、自分は絶対に後悔する。自分は後悔したくない。何があってもアセルスを手放したくはない。
 自然と、彼の足はアセルスの部屋に向かっていた。






 朝焼け。涼しい風がウィンヒル丘陵を優しく撫でる。
 赤い陽と群青色の空。そのコントラストの中間に、スコールは立っていた。
 ここに来るのも久しぶりだった。彼は目が覚めるなり、誰にも何も言わず、ラグナロクを降りてウィンヒルに入った。
 ここは、自分の母親が眠る土地。前に来たときは墓参りをするほどのんびりとはできなかったが、こうして時間があるときくらいは花の一輪でも備えてやるのが親孝行というものだろう。
 全員の目が覚めれば、船はエスタに向かう。またなかなかここまで来ることはできないだろう。だからこそスコールは今、ここに来たのだ。
(なんとかこれで、世界の崩壊は防いだらしい。だが、まだやることができた。ラグナもしばらくは忙しいだろう。なかなか来れなくなるが、すまない)
 母親に簡単に話をする。
 自分が子供の時の母親のことなど覚えているはずがない。そんな歳ではなかった。だが、ラグナと恋をした、夢の中で見たレインならばよく知っている。ラグナがぞっこんになるのも分かるくらいの美女。そして気立てのよさと明るい性格。およそ非の打ち所のない女性だ。
(それから報告だ。好きな女性ができた)
 リノアの時は何故か報告しようとは思わなかった。それはもしかすると、あの頃から心の底ではリノアを愛していないということに気付いていたのかもしれない。
(あんたには似てないかもしれないな。その点、リノアの方が割とあんたに似ていただろ。あいつはそうじゃない。子供で、大人だ。どちらの性格も持っている。彼女を見ていると守りたくなってくるし、でも気付けば彼女に守られてもいる。彼女と一緒にいるのが心地よくて、絶対に離れたくないと思う。自分でも不思議ではあるんだがな)
 まさかここまで『誰か』を特別に思うとは考えたこともなかった。自分は淡白で、誰かに熱中することなどできないと、本気でそう思っていた。
「俺は──彼女と生きるつもりだ」
「そうなんだ。ありがとう、スコール」
 突然後ろから届いた声に、驚いて振り向く。そこに、たった今心に思い描いていた人物がいた。
 リディアはにっこりと笑うと、スコールの隣に来てしゃがみ、その墓に向かって手を合わせた。
「レインさん──お母さん、だよね」
「ああ」
「初めまして。私はリディアといいます。スコールさんとは親しくさせていただいてます」
 目を閉じてはっきりと言うリディアに、戸惑う様子を隠せないスコール。
「こうしてスコールさんが私の傍にいてくれる、そのことが何よりも嬉しいです。スコールさんとはしばらく離れていましたから。こうして戦いが一段落して、私たちは次の戦いへ行かなければなりません。そしてそれが終わったら、私は一度元の世界に戻るつもりです。そして、私はまたスコールさんの傍に来ます。私はスコールさんの、恋人、ですから」
 そして立ち上がって振り返り、にっこりと笑う。
「恋人、でいいんだよね、スコール?」
「ああ。間違いじゃない」
 スコールは頷いて彼女を抱きしめた。






 ラグナロクがこの場所にいたのは、単純に各地区との中継地点として便利だったことと、この地域は各国の軍隊がほとんど存在せず、あふれるモンスターによって住む場所を失った者たちが集まる格好の場所になっていたからだ。
 ここを狙うモンスターは多い。無論、熟練のSeeDの相手が務まるはずもなく、この地域の防衛は問題がなかった。この時期、おそらく世界で一番平和な場所はこのウィンヒルだっただろう。ガーデンですら、新しく増えた人口の問題があり、決して平穏な場所とはいえなかったのだ。
「みんなの体調はまだ完全に回復できていないはずだ。あんな激闘の後、一日や二日で体力が戻るはずがない。受けた傷も癒えているわけじゃない。とにかくエスタでゆっくりと休息を取ることが最優先。そして同時にハオラーンの情報を集める。きっとこの世界のどこかに戻ってきているはずだ」
 飛行中、ブルーの指示に全員が頷く。運転はイリーナが務め、セルフィもこの会議に参加していた。
「ハオラーンは十六の世界全てを滅ぼそうとしている。手始めにこのフィールディだ。それはハオラーンがはっきりと言っていた。どうやってこの世界を滅ぼそうとしているのかは分からないが……」
「世界の混乱を続けるのなら簡単だ。クリスタルを破壊すればいい」
 スコールが言う。なるほど、と一同が頷く。
「クリスタルとは結局、世界の根幹を成すものだろう。クリスタルを破壊してしまえば、この世界の礎がなくなる」
 だとしたら、ハオラーンはきっと自分たちを狙ってくるのだろう。だが、一つそこに問題がある。
 ハオラーンが最後に言った言葉──レイラ嬢の提案を受ける、と。それはつまり、ハオラーンとレイラが手を組むということか。
「ハオラーン、ディオニュソス、レイラ。強敵がまだこんなに残っているとはね」
 アセルスが顔をしかめる。いや、おそらくはこの他にもまだいるのだろう。例えば──そう、ガーデンを襲ったハリードや、昨日自分たちを叩きのめしたマラコーダなどもそうだ。
 問題は誰がハオラーンの味方なのか、そうでないのか。それを見極めることだ。
「やはり、急いでエスタに行って状況を確認する必要があるな」
 通信でも情報は手に入るが、それもラグナという一人からでは全ての情報が得られるわけではないし、知りたい情報の全てをラグナが持っているわけでもない。ハリードのことなどはユリアンやサラに聞かなければどうにもならないだろう。
「とりあえず、今問題になっているのはクリスタルだけか。そのクリスタルはどうなった?」
 考えてみれば、カインが使ってからクリスタルがどうなっていたのかを確認していなかった。その存在を知っていたのはティナだった。
「今、クリスタルは──こうなってしまっています」
 そしてティナは荷物からクリスタルを『三つ』取り出した。
「もとの三つに戻っているのか」
 スコールがしかめ面で言い、ティナが頷く。
「こちらの世界に戻ってきたときにはもうこの状況でした。どういう操作が行われたのかはわかりません」
「分かるはずがない。未知の領域なんだからな」
 やれやれ、とスコールが投げ打つ。
「三つか」
 スコールがそのクリスタルのところまで行き、そのうちの一つを手に取る。
「これはティナが持っていてくれ。カインには必要だろう」
 空のクリスタル。天騎士たるカインの持ち物であった。
「俺はこれを」
 そしてスコールは地のクリスタルを手にとる。そして最後の一個を手にすると、セルフィに放った。
「わわ、っと」
「それはお前が持っていろ、セルフィ。それが一番だろう」
「らじゃ〜、です」
 セルフィは笑顔で応えた。それはスコールの優しさだ。セフィロスとつながりのある海のクリスタルを持つのはセルフィしかいないと考えたのだ。
「各国の状況が知りたい。リージュ、SeeDはどう派遣されている」
「はい。現状SeeDの生き残りは、リーダーとセルフィさんを除いて二十八名」
「二十八!?」
 スコールが驚いた様子を見せる。少なくとも自分が確認したときは百名近くいたはずなのに。
「相次ぐモンスターとの戦いや災害で亡くなったメンバーが多いんです。これを七名ずつ四班に分けて、エスタ、ガルバディア、ウィンヒル、トラビアに派遣しています。一番災害規模の大きいガルバディアにキスティスさんが行ってます」
「それは聞いた。各班七名で四班か。随分減ったな」
「そのくせ守らなければならない人口は増える一方ですからね」
「まあ、ここにSeeD以上の力を持つ連中が揃っている。エスタの方はいくらでもカバーできる。が、問題は──」
 その瞬間、ラグナロクが大きく揺れた。
『総員、体を固定してっ! 第二撃、来ますっ!』
 突然の事態の変化に一同は戸惑うことなく、自分の体を固定する。カインはティナが保護した。
 そして、また船体が揺れる。
「いったい何が起こっている」
 リージュの声に答えるように、イリーナの声が音声で流れてきた。

『リージュさん、邪龍の攻撃ですっ! ここのとこ、活動してなかったのにっ!』






180.決着の形

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