三人はイデア・クレイマーの元へやってきていた。
 カインが記憶を取り戻すきっかけになればと思って来たのだが、実際に一緒にいたのはカインがやってきた最初の一日と、船で移動した数日のみ。イデアはそれほど力になれることは少ないと思う、と前置きしてから話し始めた。
「セントラ大陸の南西部にある私の家の花畑に、ある日、エアリスという女性が現われました。それは突然というようなものではありませんでした。私がその花畑に向かうと、彼女はそこに立っていたんです」



 しばらくの間、イデアとエアリスは見詰め合っていた。その後で、先にエアリスから話しかけてきた。
「ここ、いいですね」
 陳腐な表現になるが、彼女はまさに天使のような笑顔を向けて言った。
「気に入ったのですか」
「はい。お花、好きだから」
 花を摘むでもない。ただその花畑にある花を眺めていた彼女。
「あなたは、どうしてここへ?」
 彼女が誰とか、そういう問題は先送りにした。それよりも気になったのは『何故この場所にいるのか』ということ。
 このセントラ大陸に人間はいない。いや、いてもこんな目立つところにはいない。モンスターを怖れて隠れ住んでいる。
 それに、こんな綺麗な女性がこの大陸にいるという話を聞いたことはない。どこに誰が隠れ住んでいるのかということはイデアも知っているのだ。
「わからない」
 彼女は首をゆっくりと振った。
「なんでここにいるのか、今も考えてた。でも、わからない」
 その言葉に何と言えばいいのか分からず、イデアも黙り込む。
「でも、何かをしに来たんだと思う。本当は、私、死んでたはずだから」












PLUS.187

死食の子







precious memories






「──来る」
 サラは敏感に察知していた。
 以前にもこの気配は感じていた。そう、このガーデンに戻ってきた直後、ハリードたちがこのガーデンを襲撃した。
(ハリード)
 彼が自分を狙う理由は分かっている。この体の中に流れる血。死食の子としての運命。
 自分と、ゼロとにだけ与えられた、アビスを封じるという役目。
(あなたに殺されるのなら、仕方がないのかも)
 ハリードはこの世界を救うためなら手段は選ばない。自分が邪魔だと思うのなら、必ずそうしてくるのだろう。
「やっぱり、あいつか?」
 ユリアンがサラに尋ねる。うん、と頷く。
 ユリアンとモニカの二人が彼女の傍にいたが、二人だけでは正直心もとないので、レノを用心棒につけている。だが、そのレノでも以前ハリードを押さえ込むことはできなかった。
(早くしてくれよ、クライドの旦那)
 クライドは援軍を呼びにブルーのところへ行った。状況を告げるだけで、聡明なブルーであれば必ず援軍を回してくれるだろう。
 だが、それまで何とかこの場を凌がなければならない。
「お嬢さん」
 レノが突然声をかけたせいか、サラがびくんと体を震わせた。
「そんなに緊張しなくていいぞ、と。ただ、確認はしておかないといけないぞ、と」
 レノは前回の戦いを覚えている。
 ガーデンに攻め込んできたハリードたち。そのハリードが仲間を犠牲にして一人、サラの下にたどりついた。
 そのハリードを前に──サラは、身を投げ出したのだ。
 自分を殺してほしい、といわんばかりに。
「あんたに守ってもらうっていう意識がなければ、守ってる意味がないんだぞ、と」
「レノ、それは──」
「ううん、いいの。ユリアン、ありがとう」
 レノにつっかかろうとしたユリアンをサラが止める。
「知っての通り、私やモニカ姫様、ユリアン、それにゼロやハリード、カタリナさん。私たちの世界でみんなでアビスを封印しました。ただ、その結果として私は自分の体内にアビスを封印するために、永久の眠りにつかなければなりませんでした。ゼロは私とアビスとを分離する方法を探していましたけど、結局果たせないまま、私のかわりにアビスを連れて亡くなりました」
 そこまでの話は知っている。以前に聞いた内容だ。
「ハリードは私たちの中でも一番に強かったんです。私は最初のうち、ずっとハリードと一緒に旅をしていました」
 ちらり、とサラはユリアンを見る。今となっては昔のことだが、その頃サラはユリアンのことが好きだった。そのユリアンがモニカ姫のプリンセスガードとなったため、サラは自分の庇護者としてハリードを選んだ。
 それからの旅は、驚くほど新鮮だった。エレナ、という自分の姉とも別れ、ハリードと二人でまわる世界。その先々でサラは様々な体験を繰り返した。危ない時にはハリードが守ってくれた。ゼロと出会うまで、自分にとってハリードは良き理解者であり、誰よりも信頼できる相手だった。
 ハリードも自分のことは気にかけてくれていた。大切に扱ってくれた。守ってくれた。恋愛とかではないけれど、信頼関係はあった。それは信じられる。今でも。
「そのハリードが私を殺すっていうんだから、よほどの覚悟だと思う」
「だからといってあんたが死ぬ必要はないぞ、と」
「分かってる。死ぬつもりはないけど、でも、ハリードとは話したい」
 サラが言うと、やれやれとレノはぼやく。
「お嬢さん、ゼロが死んだからって自暴自棄になってるとかはないんだろうな」
 かすかに顔が歪む。やれやれ、とまたぼやいた。
「んじゃ、まずはここを抜け出すとするぞ、と」
 レノはショートガンブレードを抜く。そして窓に向かってガンを連射した。
「逃げるぞ!」
 モニカがサラの手を取り、ユリアンが先行する。窓の外から黒い影が一つ飛び込んで来る。
(やっぱりあの程度じゃ動じないぞ、と)
 通路に出て扉を閉める。そして走る。だがすぐに扉が破られ、黒い影が追いかけてくる。
「しつこい男は嫌われるぞ、と」
 ハリードは最初から臨戦体勢だ。これでは話し合いも何もあったものではない。まずは敵の進撃を止めなければならない。
「よっ、と」
 次々に小道具を取り出しては投げつける。
 最初に煙玉。だが煙程度で怯む男なら苦労はしない。その先の罠など全く考えていないかのように煙幕を飛び越えてくる。
 当然煙幕は次の罠を隠すための目くらましにすぎない。本命は通路一杯に撒き散らしたクモの糸だ。これに相手が突入すれば、それで動きが封じられる。
 だが。
「はぁっ!」
 その糸にからめられる前に黒い影は剣を一閃。疾風で糸を切り裂き、その隙間から駆け抜けてくる。
「ったく、隠し持ってきた道具なんて、ほとんど残ってないぞ、と」
 ガーデンの中で使うのはためらわれたが、レノは手榴弾を三発放つ。タイミングを正確に測り、ハリードのニ、三歩手前で爆発させる。だが、その爆破の勢いも彼の勢いを止めはしない。
 その爆発の向こうからやってくるハリード目掛けて、しびれ針を放つ。だが、その小さな針すらハリードは見逃さずに剣ではじく。
(まじかよ、くそっ)
 やはり肉弾戦で止めるしかないだろうか。自分たちとハリードの距離はみるみる縮まっていく。
(これで止まらないと、後がないぞ、と)
 懐から取出した大地のドラム。叩いている余裕などないから、そのまま地面に叩きつける。直後に地震のような波がハリードを襲う。
 だが、ハリードは横の壁を蹴ってさらに跳躍し、その波を空中で回避する。
「な」
 着地。そしてまた全力で駆け出す。多少は時間を稼いだが、一時しのぎだ。
(ったく、これだけは使いたくなかったが)
 今度は薬品を取出す。その黄色いビンの蓋を開けるとレノは勢いよくそれを飲み干した。
 英雄の薬。普段以上の力を引き出すことができるこの薬をレノは好んではいない。だが、これは状況が状況だ。逃げながら追跡者と戦うことは簡単なことではないのだ。
「先に行け!」
 叫んで、追跡者に向かい合う。ガンを放ち、一直線に向かうことができないように牽制する。
 ユリアンたちも余裕があるわけではない。そのまま三人が遠ざかるまで、どれだけ時間稼ぎができるか。とにかく時間さえ稼げば、ブルーが援軍を寄越すはずなのだ。
「くらいな」
 左手に持ったアイテム──ボムの右腕を放り投げる。空中で効力を発現させたアイテムが、通路一杯を炎で染める。
「くっ」
 はじめてハリードの足が鈍る。そこを目掛けてレノが剣で斬りつけた。
「また、お前か」
「悪いが、通すわけにはいかないぞ、と」
 どうも自分はこういう役回りが多いらしいと思ったが、余計なことを考えている余裕はない。英雄の薬を使ったにも関わらず、ハリードの剣は力も技も速さも自分より上なのだ。
「お前にかまっている暇はない。どかぬというのならば」
 ハリードの動きが変わる。
 一瞬無防備な背中が見える。いや、違う。ハリードが大きく円を描くように、剣を振りぬいてくる。
「デミルーン!」
 曲刀が、レノの腹を裂く。やばい、と思って身構えようとするが、力が一気に抜けていく。
(強い)
 死を覚悟したレノだったが、相手の行動は自分の予測を上回った。もはや自分を追いかけてくる力はないと判断したハリードは、再びサラの追跡へと向かったのだ。
(やっべえ)
 動かない体でレノは自分の選択の間違いを悟った。残った時点で自分から攻撃をせず、拠点防衛に努めればよかったのだ。そうすればしばらく時間が稼げただろうに。
(頼むぜ、ユリアン。それに、クライドの旦那)
 薄れていく意識の中でレノは思った。自分のことを誰も見つけてくれなかったら、出血多量で少しまずいことになるかもしれない、と。
(ま、大丈夫だろ)
 無性に、煙草が吸いたかった。



 トラビアガーデンはそこまで大きい施設というわけではない。停電になってエレベーターも動かないので、ひたすら階段を駆け下りる。上では爆発が起こっていて、まだレノが戦っているということが分かる。
「急げ、サラ」
 ユリアンが後ろを気にしながら二人を先に送る。もしレノが突破されたら、次にハリードを止めるのは自分の役目なのだ。
「も、もう息が……」
「ダメよ、サラ。しっかりして」
 モニカの息も上がっていた。だが、目はまだしっかりとしている。
「みんな、あなたのために命をかけている。あなたが生きることを諦めたらダメ」
 モニカの言葉にサラも頷いてまた階段を駆け下りる。暗い階段を一気にホールのある一階まで下りる。ここまで来れば──
 と、その一階と二階の踊り場の窓が破られる。その窓から黒い影が飛び出してきた。
「な」
 三人の行く手に立ちふさがったのは、ハリード。
(もう突破されたっていうのか)
 レノを倒し、階段をいちいち下りるのが大変だったので、外を飛び降りてきたのだろう。まったく、無謀な男だ。
 ハリードは決して無傷というわけではないようだったが、これだけのパフォーマンスができるのだから、戦闘能力は全く問題がないと考えなければならない。
「戻れ、二人とも!」
 途中まで階段を下りていた二人がまた昇る。その距離を一足で追い詰めようとしたハリードを、ユリアンは剣でとめた。
「やめろ、ハリード! サラを殺しても意味はない!」
「意味はある。どけ、ユリアン」
 接近した際にハリードが頭でユリアンの顔面を突く。そして剣を絡め取られ、鳩尾に一撃。これでユリアンも気を失った。
 その格闘の間に、モニカとサラは二階の廊下からさらに逃亡を続けた。ハリードは容赦なく追いかける。
(今度は、私の番)
 弓を使う自分ではハリードの足止めすらかなわない。命をかけなければ。
「サラさん」
 走りながら、モニカは隣のサラに囁く。
「生きてください。とにかく、誰か仲間のところへ」
「駄目です、姫様」
「ハリードは私を殺しません。ハリードが狙っているのはあなたですから。だから、大丈夫。でも、あなたは違う。私が時間を稼ぎます」
 もちろん、そんな自信は少しもない。自分たちの間で最も強かったハリードと戦って、少しでも持ちこたえられる自信など。
 だが、サラが逃げる時間をつくるくらいなら。
「さあ、行って!」
 サラを送り出すと、モニカは弓矢を手にし、構えた。そして急速に接近するハリードに狙いを定める。
 レノやユリアンですら止められなかったのだ。この程度で止まるはずがない。だが、それでもやらなければならない。サラを守るために。
「覚悟!」
 放つ──が、あっさりとハリードはその矢をかわす。
 だが、そのかわした足に、矢が刺さる。
 影矢。
 相手の死角になるように矢を放つ、弓技の究極奥義。とはいえ、これをもってしてもハリードを止めることはできなかっただろう。だからこそ、急所ではなく足を、サラを追いかける足だけを狙った。
(これで、サラさんを追いかける足は鈍るはず)
 だが、甘い。
 ハリードは矢が刺さったまま、それでも走る。
(嘘)
 そのままモニカに当身を加えた。
(う……)
 薄れる意識の中で、モニカはサラの身だけを案じていた。



 誰もいない。
 守ってくれる人は、一人も。
 そして、一人になったサラに、暗殺者が襲い来る。
 ハリードは何も言わない。自分の仕事を片付けるだけだ。体中を傷だらけにして、ついにサラを壁際に追い詰めた。
「一つだけ教えて、ハリード」
 サラは自分の体を壁にもたらせて話しかけた。
 ハリードはゲッシア朝、ナジュ王族に連なるものであった。
 当時の王の娘であった人物と婚約したが、その後王家は滅び、姫の行方も分からなくなった。それから十年近く、ハリードはたった一人で姫の消息を捜し求めた。その旅の途中で、自分たちは出会った。
 開拓民が集うシノンの村。そんなところに傭兵が来ることがおかしかった。最初から、何かの目的があってシノンまで来たと考える方が正しい。
「私を殺そうとするのは、私の命を助けてしまったことを後悔しているから?」
 それこそ、ハリードに助けてもらったことなど数え切れないほどある。彼がいなければ自分は今ここで生きてはいられなかっただろう。
 だが。
「あなたがシノンの村に来たのは……あんな辺境の小さな村にやってきたのは、私を殺すため、じゃなかったの? そして私がハリードと一緒に行くことを認めてくれたのも、二人になったらいつでも私を殺せるからじゃないの?」
 ハリードの顔には何の表情もない。
「殺すのをためらっているうちに、アビスが私の中に入り込んだ。永久の眠りについているうちはいいけれど、私には代表者としての使命もあった。だから──自分の責任で、私を殺そうとしていたの? 私が死ねばアビスはヨリシロを失うから、この世界に現われることはできない。そして次の代表者にその力を譲ることもできる」
「都合のいい解釈だ。自分を殺す相手の真意など必要ないだろうに」
「違うの。ゼロがいない今、私が頼りにできるのはハリードだけだもの」
 ハリードの顔が初めて歪んだ。
「それだ」
「?」
 ハリードは首を振った。
「顔も声も、何一つ似ていないはずなのに、お前が無制限に俺を信頼するところが、かつての婚約者を思い出させる。だから、ためらった」
(ああ、だから)
 自分を殺そうとしても殺せなかった。
 ハリードの愛するファティーマ姫に、似ているから。
「だが、アビスを蘇らせるわけにはいかない。そうなればアビスは自らこの世界を滅ぼすだろう。それも、お前の体を使って」
「うん」
「だから、殺す。お前を破壊の女神になど、したくはないからな」
 サラは笑った。やはり、ハリードは自分のことをよく考えてくれている。だから、自分を預けられる。
「いいよ」
 サラは頷いた。
「最後に教えて。やっぱり、姫は、生き返らなかったの?」
 かつて滅びた王家の都。通称『諸王の都』に姫は眠っていた。アビスとの戦いが終われば生き返るかもしれないという希望をもって、ハリードは最後まで戦いぬいた。そして、戦いが終わってから、ハリードは一人、諸王の都へ向かった。その後、この世界に来るまでサラはハリードと会う機会はなかった。
 ハリードは苦笑して答えた。
「このカムシーンを、戦いの場に持ち出さなければ生き返ったのかもしれないな」
 ハリードの剣、カムシーンはアビスを倒すために必要な武器だったが、同時に王家の宝でもあり、姫の命を支える宝具でもあった。アビスを倒さなければ姫は蘇らない。だが、カムシーンを抜けば姫が生き返る確率は限りなく低くなる。あの時、ハリードは迷わずカムシーンを抜いた。
「私のせい?」
「結果論だ。それに、この剣がなければアビスを倒せなかったのも事実。一人の命と世界。どちらが重たいかは子供でも分かる」
「でも、ハリードにとってはそうじゃない」
「違いない。だが王族たるもの、自分よりも国を、世界を優先するのは当たり前のことだ」
「ハリード」
「気にするな。もう終わったことだ」
 す、と剣を構える。
 それを見て、サラも目を閉じた。
 これで、終わる。
(ゼロ、今、会いに行くね)
 そう思った、次の瞬間だった。

 どくん。

 自分の中で、何かが脈打つのが、分かった。






188.混沌の終焉

もどる