イデアは目の前の女性が、先の魔女との戦いに何か関係していたのだろうかと疑った。だが、そんな様子はまるで感じられない。彼女はただ、花を見て微笑んでいる。
「死んでいたとはどういうことなのでしょうか」
 だがエアリスは首をかしげる。そうとしか言いようがないらしい。
「わからない。でも、ここで何かをするために、私、戻ってきた」
 話すつもりがあるのか、ないのか。ただ、自分に相談するべき時が来れば、彼女はそうするのだろう。あえて尋ねることもない、とイデアは判断した。
「名前は何というのですか?」
 きょとん、と女性はつぶらな瞳をもっと丸くした。そしてくすくすと笑う。
「そういえば、自己紹介、まだでした。私、エアリス」
「私はイデアといいます。この先にある家に住んでいます。この大陸にはほとんど人はいません。よければこちらに来ませんか」
「いいんですか?」
「ええ。あなたさえよければ」
 んー、とエアリスは少し悩んだが、この世界に来たばかりの彼女に断る理由はない。
「はい。お願いします」
 そうして、エアリスはイデアの客となった。
 それから数日の間、エアリスはイデアと共にその家で暮らした。そうしてあの日を迎えた。
 エアリスが現われた花畑。その場所に、カインが、突如降ってきたのだ。



「カインが、降って?」
 ティナが驚いてイデアを見つめる。イデアは頷いて「エアリスからはそう聞きました」と答えた。
「花がクッションになって助かった、と言っていました。あなたは覚えてないかもしれませんが、大きな怪我もなかったようです。直後に襲ってきた『ウェポン』という、エアリスの世界の異形と戦いましたから」
「ウェポンって、竜の武具を持っていた」
 地竜、海竜、そして天竜。それらは戦いながら自らの主を求めていた。それがカインを狙ってきた、ということか。
「だからエアリスは生き返ったんだ」
 唐突にティナは理解した。
 この世界に集まる変革者たち。その変革者には竜の武具がいる。それを誰かが、エアリスの世界から連れてこなければならない。
 だから代表者であるエアリスに竜をつけて、強引にこの世界に送り込んだ者がいるのだ。
 それは恐らく、代表者を定める『世界』とか『地球』とか呼ばれる類のものだろう。
「それも、カインがこの世界に現われる場所に、先に送り込まれてたんだ……」
 そう。
 エアリスはまさしく『カインに会うため』にこの世界に来たのだ。カインに会い、そして、全てを許すために。彼女が生き返らされたのも、全てはカインの罪を赦し、そしてカインにウェポンを届けるためなのだ。
(やっぱり、かなわないな)
 もちろんエアリスがそれを自分で考えて行動したわけではない。だが、カインと偶然出会った自分にとっては、エアリスとカインの運命的な結びつきにどうしても、嫉妬、してしまう。
 ただそれでも、自分は絶対に、誰にもカインは譲れない。自分にとって最愛の、自分以上に大切な人。
(嫉妬深いな、私)
 PLUSで吹っ切れていたはずなのに、改めてエアリスに対する気後れのようなものを感じるティナであった。












PLUS.188

混沌の終焉







She prayed to save the world






 この感触が分からないサラではない。自分の体に何が起こったのかを明確に悟った彼女は目を見開いてハリードに懇願した。
「早く、殺して!」
 突如人が変わったようになったサラに、逆にハリードの手が止まった。
「早くしないと、私」
 だが──時は、成就する。
 彼女の瞳から色が消え、そして彼女の体に瘴気が漂う。
「くっ」
 何が起こったのか、ハリードにもようやく分かった。そしてカムシーンを振るう。
 が、遅かった。
 その剣は瘴気によって止められ、逆にハリードは強く弾き飛ばされてしまう。
「がっ」
 ハリードは見た。
 その彼女の顔に、笑みが浮かぶのを。
 もはや、彼女の目に、その意識は残っていないのを。
 以前、サラがこの状態になったときは、ゼロがぎりぎりで駆けつけて彼女をヒュプノスの眠りに落とした。だが、自分にはそのような道具も技術もない。ならば、殺すしかない。
 それなのに、サラが巻き起こす瘴気は自分が近づくことすら許さない。まったく、ゼロという人物はどこまでも優秀だった。剣でも自分が唯一かなわない相手だったし、サラを守ろうとする意識も自分などとはとうてい比較にならなかった。
(お前を、そうさせたくなかったから、俺はお前を殺す決心をしたというのにな)
 これでは全くあべこべだ。自分の考えることは必ず裏目にでる。ファティーマ姫のことも、そしてサラのことも。
(アビスに操られて泣きながら永遠を生きるより、殺した方がお前のためだった。それなのに、俺がためらってしまったから)
 もはや、サラにアビスが憑依するのは避けられないだろう。
(お前を見守ってきた俺だからこそ、引導を渡す)
 ゲッシア朝ナジュ王族に伝わる曲刀秘剣、デミルーン。魔を断つ技といわれるこの奥義を極限にまで高めることができるのは宝刀カムシーン、この剣のみ。
 そう。自分はまさに、アビスを封じ、アビスを倒すためだけに生まれた剣士。
 そのアビスが目の前にいる、サラ。
 死食の子と出会い、共に旅をしながらずっと監視をしていた。
 彼女が普通の子で、平和な暮らしをただ求めているだけということは分かっていた。
 誰よりも戦闘に向かない、非力な少女。それが死食の子であり、世界の代表者となった。
(宿命か)
 ハリードは剣をしっかりと握りなおす。
(今、断つ)
 自分の最速をもって踏み込む。
 瘴気がハリードを阻むが、それすら苦にせず曲刀を振るう。
「デミルーン!」
 刀の軌跡が見える。
 サラの首筋に迫る光の刃。
 コンマ数秒後には、彼女の首は胴体と別れて。
(すまない)
 だが、なさねばならないことがある。
 全ての世界を守るためにも、カオスの眷属をこの地に呼び出すわけにはいかない。
(それが、ファティーマ姫の願い)
 少しも力を緩めることなく、ハリードは剣を振り切る。
 確かに、手応えがあった。
 彼女の肉を切り裂く手応え。
 だが。
「くっ、くくくくくっ」
 切られたはずのその体には、一切の傷痕がなかった。
「な」
「もはや、この体は我が物となった。その程度の児戯でどうにかしようなどとは、片腹痛い」
 サラの手が伸びる。その手から瘴気が放たれた。
「がはっ!」
 ハリードがその攻撃を受けて崩れ落ちる。
「お前がハリードか」
 サラは崩れ落ちたハリードの髪を掴むと、信じられない力でそれを持ち上げる。
「ぐ、う……」
「確かにこの娘の記憶にはお前の姿がはっきりと残っているぞ。馬鹿な男だ。殺せるうちに殺しておかないから、このような事態になる」
「黙れ」
 アビスの言っているのは、別にこの場でのことではない。
 共に旅をし、彼女を見張ってきた長い歳月のことだ。
「分からんな。どうして人はこうも情にもろいのか。情など、百害あっても一利もない」
「アビスに分かるはずもない」
 ハリードは苦しそうな声で言う。
「その情こそが、人間を強くするのだ」
「十の力がたとえ百となろうが」
 空いた手で、さらに瘴気を高める。
「万の力に叶うと思うか!」
 その瘴気がハリードを襲う。体中がちぎれるかのような衝撃。そして数メートル吹き飛ばされたハリードは仰向けに落ちた。
(確かに、かなわんか)
 ハリードはそれでも意識が切れないように集中する。
(だが、アビスとはいえ倒す方法がないわけではない。現にカオスも敗れた)
 問題は自分がアビスを倒せるほどの力が備わっていない、ということだろう。
 ゼロがいれば話は違ったかもしれない。
 だが、もはやこの地上で頼りになるものはいないのだ。
「フルケア!」
 その時、自分の体が全回復していくのが分かった。
(いったい、誰が)
 ハリードは立ち上がるとすぐに援軍の確認をする。
「間に合った……とは言い難い状況だな」
 その、すぐ後ろで声がした。
(影か)
 シャドウ。暗殺者としてのスキルを身につけた彼が、いつの間にか背後を取っていたのだ。
「説明してくれるよね。何がどうなっているのか」
 そして自分を回復させたのは当然セルフィだった。
「どうもこうもない」
 ハリードは顔をしかめて言う。
「サラに、アビスが憑依した」
「アビス?」
「カオスの眷属だ。その気になれば、あれだけでこの世界を混沌に落とすことも可能だ」
「うわ〜」
 セルフィが頭を抱えた。
「こんなときにスコールもリディアもどっか行っちゃうんだもんな〜。ま、そうしたらここはアタシたちでどうにかするしかないってことか」
「簡単に言ってくれる」
 ハリードが毒づく。
「それができるのなら苦労はしない」
「だいじょ〜ぶだよ。こう見えてもアタシ、裏技使いだから」
 セルフィの究極スロット魔法、ジ・エンド。ルール無用の、全てに終わりをもたらす魔法だ。
 だが問題はこれを使うとなると、サラを助けることができないということ。だからこそ最後の手段にとっておきたい。
「分離することはできるの?」
「こうなってしまっては不可能だろう。あるのかもしれないが、俺は知らん」
「そっか〜」
 何もしないうちに全てを投げ出すのは間違っている。だが、このままアビスを放置しておくと、それこそ人命をどれほど失うことになるか知れたものではない。
(実際やってみて、いけるところまでいくか)
 セルフィの目が戦闘モードに切り替わる。
「影のおじさん! 援護お願い!」
「……」
 そう言われたシャドウが何を思ったのかは知らないが、ただちに行動に入る。
 小刀を続けざまに放ち、敵の注意を引く。その間にセルフィがサラの懐までたどりつく。
(速い)
 ハリードはその動きを見て驚嘆する。これまでにSeeDとは何度か交戦したことはあったが、ここまでの速さ、力強さを見せた者はいない。間違いなくSeeDの中でも最強レベルにいるはず。
(恐ろしい相手が世の中にはいるものだ)
 そしてセルフィのヌンチャクがサラの鳩尾をつく。しかし、それすらアビスには通じていないらしく、その顔を嫌らしく微笑ませた。
「この程度で倒せると思ったか?」
 瘴気を放つ。セルフィはそれを読んでいたかのように背後に回りこみ、その手に海竜の角を具現化させた。
「断ち切れ!」
 鋭く一閃。それは瘴気を両断したが、それでもサラにダメージを与えることはかなわなかった。
「さすがにカオスを倒した者の一人。だが、不慣れな武器では効果も上がるまい」
 再び集まった瘴気がセルフィを直撃する。くっ、と顔を歪ませて後退する。
(アカンわ、こりゃ)
 セルフィにはアビスの正体がつかめなかった。確かにサラの体には確実にダメージを与えている。それなのに全く堪えた様子がない。
 この戦い方には覚えがある。アーヴァインに取り付いたときのエクスデスだ。結局あの時もアーヴァインを助けることはできなかった。
 後でセフィロスから聞いたことだが、ウォードもエクスデスに取り付かれていた。それも相手を殺すことでしか浄化させることができなかったらしい。
(仕方ない、か)
 覚悟を決めなければならないということだろうか。
 大切な仲間を一人、この手で殺す。
 だが、それを後悔することはない。それが最善と信じるならば。
(ゴメンね)
 セルフィが剣をしまい、ヌンチャクを再び構える。この方が集中できる。
「みんな、下がって!」
 そしてまたサラに迫った。シャドウもハリードも、言われるままに後ろに退く。
「ジ──」
 突如広がる花畑。
 それを見ていた二人も、突然の事態に言葉が告げられなくなる。
「──エンド!」
 サラの体が、大きく震えた。
 そして、ゆっくりと崩れ落ちる。
 その体から瘴気が零れ出た。
「馬鹿な。この娘を殺してまで、我を滅ぼそうというのか」
 この瘴気こそ、アビス。さすがに瘴気そのもの、混沌そのものをジ・エンドで葬ることは無理があったらしい。
 だが、瘴気そのものになってしまえば、ここに『混沌を断つ』秘剣が存在する。
 宝刀、カムシーンが。
「それも、サラの望みだからな」
 その瘴気に飛び込んだハリードが大きく曲刀を振るう。
「デミルーン!」
 その剣が、瘴気を切り裂いた。
 そして、アビスは完全に、消滅した。






「ハリード」
 戦いが終わったその場で、少女は小さく声を出した。
「サラ」
 ハリードも彼女に近づくと、そっとその手を握る。
「もうお前がアビスに狙われることはない。全ては消滅した」
「よかった」
 サラは小さく、小さく笑う。
「これで、ゼロに会える」
「サラ」
「ありがと、ハリード。私を守ってくれて」
「いや、結局何もできなかった。すまない」
「ううん。ハリードのおかげでゼロにも会えた」
 彼女の目が閉じられる。
「みんな、大好き」






 それが、サラ・カーソンの遺言となった。






189.再び異界へ

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