「エアリスさんは言っていました。あなたがいつか、私の力を必要にする日が来る、と」
 イデアは静かに伝えてカインを見つめる。
 無表情の戦士はイデアを見返すが、そこには既に幼い子供の面影などどこにもない。記憶を失う前の、知的で冷静な竜騎士そのままに見返していた。
「俺には、何のことだか分からない」
 カインは素直に言うが、すぐに話を続けた。
「ただ、俺は失った記憶を取り戻したいと思う。そのためにあなたの力が必要だというのなら、どうか俺にその力を貸してほしい」
 表面上は、カインは既に以前の通りだ。ただ、その心の内は不安と恐怖でおびえている子供そのものだった。
 自分は何者なのか。
 そして、過去に何をしてきたのか。
 自分に知恵が戻ってきて、周りの人間の言葉が理解できるようになってきたからこそ、自分自身のことを知りたいと思うようになってきた。
 罪人である自分。
 自分がかつて何をして、何を償えばいいのかを知りたい。
「どうすれば俺は記憶を取り戻すことができるのか、もしご存知ならば教えてほしい」
 礼儀正しくカインが言う。だがイデアは顔をしかめるばかりだ。
「では、一つだけ助言を差し上げましょう」
 イデアは小さくため息をついて言った。
「方法がありますか」
「ないとは言いません。ですが、確実な方法だというわけではありません。何もせずとも、いつかは記憶を取り戻せるのではありませんか」
「急ぎたいのです」
 その声には切実さが感じられた。確かに現時点でカインの記憶を取り戻さなければならない急を要する理由はない。以前のように、カオスを封じるための変革者としての役割は既に終えている。
「ただ、自分がかつて犯した罪を償える機会は目の前にある。それを、自分が覚えていないからといって見過ごすことはできません。俺は、俺で償えることをしたいのです」












PLUS.189

再び異界へ







What can I do for you?






 それは、三人がサラたちの所へ向かっている時だった。
 突如、リディアが走っている途中で、大きく痙攣してその場に立ち止まった。
「え、どう……」
 リディアは何が起こったのかがわからないようだったが、その顔に驚愕の色が浮かんだことだけはスコールとセルフィには分かった。
 次の瞬間、リディアの周囲に『異空間』が表れた。彼女の周囲、半径一メートルほどだろうか、その周囲だけが虹色に輝く球体と化していた。
「なんだ、これは」
 スコールはその目の前の異常な状況に呆然としたが、リディアの姿が徐々に消えるのを見て、咄嗟に自分もその球体に飛び込んでいた。
「はんちょ!」
「セルフィ! お前はサラのところへ急げ! 俺らのことは……きに、する……」
 そして、その虹色の球体は消えた。
 彼ら、二人の姿と共に。






 最初に出会った時は、それほど運命的なものではなかった。
 それこそ、あの苦しい戦いをくぐりぬけてきたカインやティナなどに比べれば、おそろしく無感動な出会いだろう。
 ガーデン組と異世界の人間との集団顔合わせ。その中で初めて彼女の名前を聞いた。
『多分、お互いいろいろと話すことがあると思うから』
 どことなく、張り詰めた女性だと思った。何が彼女をそうさせているのかは分からなかったし、それを追及しようとも思わなかった。
 他人に興味がなかったから。
 あの頃の自分は、リノアで頭がいっぱいだったから。
 ただ、そのリノアですら自分を何故か苦しめる。そんな煩わしさ、苦しさから、逃げたかった。放り出したかった。
『スコール、さん?』
 そんなときに話しかけてきたのが彼女だった。
 名前すらうろ覚えだった彼女は、急速に自分の中に入り込んできた。
『自分が何故ここにいるのか。自分が本当にいるべき場所はどこなのか。ずっと運命に流されるまま生きてきた私にとっては、自分の存在意義を見つけることができなくなっているんです』

 レゾンデートル。

 自分が生きる理由というものを初めてじっくりと考えた一瞬だった。同時に、リディアという女性が自分に深く刻み込まれた瞬間だった。
 自分は何のために生まれて、何のために生きて、何のために死んでいくのだろう。
 魔女の騎士として?
 いや、違う。それは自分が望んだ生き方ではない。それは後から与えられた人生だ。
 そうじゃない。
 自分が望む生き方は、もっと別のものだった。
 それを肌で、感覚で読み取っていた。
 その最初のきっかけをくれたのが、彼女だったのだ。
『エッジ?』
 そうだ。
 彼女は確かにそう言った。彼女を助けに入った瞬間、彼女の口から出た言葉はその、自分の知らない男性のものだった。
 カインではない。
 セシルという人物でもない。
 ましてやこの世界の人間たちでもない。
 それは、間違いなく、リディアの故郷にいるはずの男──
(俺は、嫉妬したのか?)
 助けたのに、別の人間を呼ばれたことに。そういえば、自分の声はどこか冷たかったかもしれない。
『私は、スコールさんがいなくなるのは少し寂しいです』
 自分が、彼女を本当に気にし始めたのはその言葉から。
 自分も同じだと思った。そしてそれは、リノアにはもう抱いていなかった感情だった。






 目を覚ましたとき、スコールはその不思議な空間にしばらく正常な思考ができなかった。
 前後左右上下、全ての方向に道がつながっている。重力は存在していないらしく、言うなれば『道』が自分を支えているというような感じだ。その『道』も三次元に好き勝手つながっているので、いったいどこにどうつながっているのかが分からない。ただ、すべてが透けているので、どこに何があるのかはだいたい分かるようになっている。
 いくつか家のようなものもある。それもすべて上下の向きが違うのが奇妙で、怖い。
 ためしに近くの道に飛び移ってみる。左右の向きは同じだが、角度が違う。上下に角度が三十度ほど傾いている。
 すると、その道が平坦になり、今までいた方の道に角度が生まれる。なるほど、こうやってこの世界では移動していくらしい。
 ただ、それはおそろしいことでもある。今まで自分がいた場所がどこなのかということがすぐに分からなくなる。少しだけ安心できるのは、道自体は固定されていて動かないことだろう。
 その世界には人らしい人はいなかった。ただ暗い空間に、透明で淵だけが白い光を放つ道だけが無数につながっている。
(いったいどこに連れてこられたんだ?)
 リディアは無事でいるのだろうか。きっといるはずだろうが、この世界の中で無事なのかどうかは分からない。
 彼はその飛び移った方の道を歩き続けた。
 こう平坦な道だと、自分が客観的に上下左右前後のどの方向に動いているのかなど全く分からない。だとしたら自分の感覚で理解していく他はない。
 道そのものは一直線だった。分岐点でありえない角度に曲がっていく。その道も、上と下のどちらにも立てるということを発見したのは次の分岐点でのことだった。
 予想通り、重力の発生地点は道そのものだった。
 三次元でもかまわないので、地図がほしかった。このままでは自分がどの方向に進んでいるのかすら分からなくなる。
 その時だった。
 空間の一隅に、何かが動いたような気がした。
 その方向をしっかりと見つめると、それは人のようでもあり、モンスターのようでもあった。
 その『女性』は、人の姿をしていながら、その背に巨大な翼をはためかせ、一直線にこちらへ飛んできていた。
 いや、違う。
 自分の方へ『逃げて』来ていた。
「何だ?」
 スコールは危険を察知して竜の剣に手をかける。
「助けて!」
 やけに露出の高い翼人が自分の影に隠れる。
 すると、その前に現れたのは凶暴そうな“火トカゲ”だった。
「サラマンダー?」
 火トカゲが女性を襲っている。それは確かに彼の意識からすれば助けるべき対象だが、何かこの事件に関わることが危険な気がする。
(いや、その危険はおそらく、リディアに関係する)
 もしそうだとすれば自分の行動は決まってくる。
 サラマンダーに向かって剣を一閃──それだけで火トカゲはあっさりと消滅した。何のことはなかった。
「すごぉい♪」
 後ろから、半分裸状態の女性が抱き付いてくる。
「離れろ」
 そんな女性にスコールはいきなり敵対的だった。
「なんでよ。いい男を手に入れるのはいい女の特権でしょ?」
「いい、女?」
 スコールは逆鱗に触れられた。
 自分にとっていい女とは、こんな露出の激しい相手ではない。いじらしく、愛らしく、仲間を守り、決して引かず、そして、何より──
「ふざけるな!」
 その声だけで、女性の姿が掻き消えるかというほどだった。
「俺にとって必要なのも命をかけて守るのも、たった一人だけだ」
 リディア。
 咄嗟に追いかけてこの世界に来てしまったが、彼女の姿がどこにも見当たらない。
 別に不安になったり孤独を覚えたりするわけではない。ただ、彼女が近くにいないということが寂しいだけ。
「俺がお前を助けたのは単なる成り行きだ。はきちがえるな。それよりも知っているのなら教えろ。この世界にリディアという女性が来なかったかどうか」
「リディア?」
 きょとん、と女性は相手の顔をまじまじと見つめた。
「なぁんだ、あの娘のカレシ? それならそうと早く言えばいいのに」
 女性は両手を上げて「残念」とのたまった。
「知っているのか」
「ええ。知っているも何も、彼女をこの世界に呼んだのはアタシとアタシの妹だもの。知らないわけがないわよ」
「なんだと」
 その女性の言葉に思わずつかみかかった。
「リディアをどこにやった!」
「痛っ!」
 あまりにも強く腕をつかんだせいか、女性の顔が大きく歪む。
「あまり強く握らないでよ、もう」
 女性がうらめしそうな目で睨む。すまない、とスコールが頭を下げる。
「いーよ、スコール。頭なんか下げなくても」
 すると、すぐ後ろから声がした。
 振り返るとそこに、彼女がいた。
 少し怒り気味に頬を膨らませ、スコールと女性とを睨んでいる彼女。
「リディア」
 彼はほっと安心したように笑顔を見せた。それを見た彼女が小さくため息をつく。
「セイレーン。この人には手を出したら駄目」
 滅多に見られないリディアの『お怒りモード』だった。どうやらスコールにせまっていたのが腹に据えかねたらしい。
「ゴメンゴメン。こっちの世界はイイ男がいないからさぁ」
 だが、その軽口はすぐに閉ざされる。それは彼女の背後に『黙示録砲』の影が見えたせいだった。
「あっはは、あまり驚かさないでよ、リディア」
「……セイレーンは、調子に乗りすぎ」
 すると、リディアのさらに背後に冷気を発する女性がいた。こちらも露出は激しいが、セイレーンと違っておとなしい感じだった。
「ごめんなさい、スコール。セイレーンが迷惑をかけてしまって」
 リディアが一歩近づいて上目づかいで謝る。もちろんそんなことにこだわるほどスコールも狭量ではない。
「ああ。それよりここはどこなんだ。それにこの人たちは」
「ここは幻獣界」
 言われて素早く上下左右を見回す。なるほど、これがリディアがよく話にする幻獣界というところか、と状況認識をした。
「そしてこのふたりは、私の友達のセイレーンとシヴァ。一応姉妹」
「よろしくね、スコールくん♪」
「……よろしくお願いします」
 ひたすらフェロモンを発する姉のセイレーンと、静かにリディアの傍らに寄り添うシヴァ。
「ということは幻獣?」
「そうよ。ちょっと問題があってリディアを呼んだの。緊急だったからこんな形になっちゃったけど」
「それはさっきのサラマンダーに関係することか」
 スコールが尋ねるとリディアが頷いて答えた。
「実は、あのディオニュソスがこっちの世界に来てるみたいなの」
 その言葉はさすがに驚愕という言葉を超えていた。
「何をしに?」
「この世界を滅ぼしに」
 真剣な表情だった。冗談で言っているわけではないのは一目瞭然だ。
「あいつが相手か」
 だが、スコールは少しも臆してはいなかった。
 確かに今の自分に仲間はいない。リディア一人だけだ。だが、自分とて前回と同じではない。完全に体力の限界に達していた前回と違い、今回は完全な体調で戦うことができる。
「望むところだ。こんなに早く借りを返せるとはな」
 スコールが『控えめ』に言う。それを聞いたセイレーンが茶化す。
「あら、そんなこと言って、ディオニュソスは強いのよ」
「ああ、知っている」
 そのスコールから闘気が溢れた。
 覇気がセイレーンを襲い、彼女の精神に『恐怖』が生まれる。
(な、何よ、こいつ)
 ここしばらくの戦闘で、人間の身でありながら既に幻獣の力を上回っているリディア。そしてそのリディアに匹敵するだけの『気』を発するスコール。
(何なのよ、最近の人間って)
 カオスとの戦いをくぐりぬけてきた者たちは、もはや単なる幻獣では太刀打ちできないということだ。それこそ、バハムート、リヴァイアサンクラスの力を二人は人間の、生身の体で備えているのだ。
「緑の乙女」
 そこへ光の鳥が舞い降りる。かつて幻界で力比べをした相手、アフラマズダだ。
「どうしたの」
「奴がまたやってきた。今、ジハード殿とアルゴ殿が抑えている」
「分かった。すぐ──」
「乗るがよい。そちらの方もな」
 スコールは自分が指名されて、強く頷いた。
「スコールだ」
「スコール殿か。緑の乙女を頼む」
 二人がその光の鳥に飛び乗る。次の瞬間、まさに光の速さでアフラマズダが飛び立った。






190.滅びし者

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