カインたちはようやく出発許可を得たラグナロクを使って、天国に一番近い島までやってきていた。
 イデアの話では、記憶を取り戻すためには単に自分の知っている人物に会ったり、訪れたことのある場所に行ったりするだけでは足りず、それがきちんと順番通りになっていなければならないらしい。
 その順番というのも、近いものから徐々に遡るようにしなければならない。それが記憶の呼び戻しだ。
 とはいってもさすがにPLUSに行くわけにもいかない。というわけで、PLUSに行くことになった天空城から戻っていくことにした。
 天空城自体にも行くことはできない。あれはハオラーンの助力があったからこそ行けた場所だ。その手前に存在する蜃気楼の塔。そこがスタート地点だ。
「何ヶ月か前なだけなのに、もう何年もたったみたい」
 イリーナがラグナロクを運転しながら言う。カインはただ窓の外を眺め、ティナがその傍らに寄り添っている。
「何か、見覚えある?」
「いや」
 カインは首を振る。
 天空城というところに行ったのなら話は違うのかもしれない。何しろこの島はただ通過しただけなのだ。記憶に残っていなくても当然だといえる。
「ここから海上トラビアガーデンに戻って、そこからバラムガーデン。カインは基本的にバラムガーデンにずっといたから、道っていってもほとんどラグナロクで移動するだけだから、たいしたことないけどね」
 一度セントラ大陸を経由して、F・Hへ。そこからウィンヒルに再び戻り、そしてまたセントラ大陸へ。
 いろいろな事件が起こっていた割には、カインはガーデンを基点にずっと行動していたため、この世界のあちこちへまわっているというわけではなかった。
「さて、あのあたりが蜃気楼の塔のあった場所だよ」
 イリーナの指し示す方向を二人が見る。
 だが、そこはただ高原が広がるばかりだった。












PLUS.190

滅びし者







Easter






 今思えば、その時既にリノアのことはほとんど頭になかった気がする。
 自分を拘束しようとするリノアが嫌で、ちっとも安らぐことなんかできなくて、その場所から逃げようとした。
 だが、逃げた先にもリノアはついてきた。
 何故、執拗に自分を追いかけてきたのか、今なら分かる。それは、ジュリアによって仕組まれたことだったからだ。
 リノア本人に自覚などありはしないだろう。だが、ジュリアはどういう方法を使ったのかは知らないが、リノアがスコールを好きになるように、決して離れないように、『指導者』と『魔女』の血がきちんと配合されるように、ずっと仕組んでいたのだろう。
 魔女のこともそうだが、ずっと自分の意思で行動しているということを疑いもしなかったリノアは可哀相な女性だ。
 もし、何もなければリノアと一緒にいてもよかったのかもしれない。
 だが、自分は見つけてしまった。リディアを。安らげる場所を。ただ会うだけで幸せが得られる相手を。何よりも見つけたいものを。
 それをはっきりと自覚したのは、あの時。
 月の光と共に舞い降りた天使の姿を見た時だった。
『お久しぶりです、スコールさん』
 血まみれの自分を見て、彼女は嫌な顔一つ見せずに笑った。自分も、逃げたのだと。
 なんて強い女性だろう。
 自分はこれほどに弱く、情けない人間なのに。
 彼女はどうして、そこまで強くなれるのだろう。
 自分の胸に向かって飛び込んできた彼女を抱きとめた時、自分は分かった。
 強く、そして弱い彼女を。

 自分は、命をかけても守りたいと思っていることに。






「あれは!」
 アフラマズダに乗ったまま物思いに入っていたスコールは、リディアの声で我に返る。
 そこは戦場だった。何体もの召喚獣たちが倒れている。だが、見た限りではまだ死んではいない。もしこの場で死んだなら、彼らの命は完全に失われる。
 イフリートやラムウ、タイタンといった力の劣るメンバーは既に虫の息だ。
 この幻獣界を守る騎士、ジハードとアルゴも、既に力尽き倒れている。
 女王アスラが膝をつき、そのアスラをかばうようにリヴァイアサンが『敵』の攻撃をバリアをはって防いでいる。
 その敵こそ、彼女たちがよく知るディオニュソスだった。
「なんてこと」
 リディアは奥歯を強く噛む。自分の甘さがこの結果を招いた。確かにディオニュソスに救われたことはあるが、このような結果を招くために助けてもらったわけではない。
「ディオ!」
 アフラマズダの上から、リディアは黙示録砲を起動した。
「アポカリプス!」
 幻獣をすら打ち砕くだけの威力をもった魔法に、今や誰よりも魔法を巧みに操ることができるリディアの力が重なる。その力は攻撃に専念していたディオニュソスをたじろかせるのに充分だった。
「うおっ」
 攻撃の手が止まり、バリアがアポカリプスの衝撃を弾く。無防備で受けていたらさすがのディオニュソスでもダメージは避けられなかっただろう。
「ダイアモンドダスト」
 いつの間にかその背後に回りこんでいたシヴァが魔法を放つ。だが、もちろんシヴァも相手の実力はよく分かっている。これは牽制だ。リディアが次の魔法を放つまでの。そして──
「いくぞ」
 剣を構えたスコールが距離を詰めるまでの。
「久しぶりだな、兄ちゃん。少しは力をつけてきたかい」
「この間は体力が落ちていたが、今度は全力でいく」
 するりと近くまで入り込んだスコールが、全体重を乗せて剣を振り切った。
「ラフディバイド!」
 竜の剣がディオニュソスの肌を切り裂く。その威力に切られた方は『驚いた』表情を見せる。
「うお、すげえなこれ。まさか俺に傷つけるとは思わなかったぜ」
 すぐにその傷は塞がる。もちろん無限にそれができるわけではないだろうし、確実にダメージを与えているのは間違いない。ただ、今の衝撃では致命傷には決してならない。
「リディア」
 幻獣の王、リヴァイアサンが弱々しい声を上げる。
「王。ご無事でしたか」
「すまないね、リディア。お前を巻き込んでしまった」
 リヴァイアサンは既に力尽き果てたかのようにがっくりとうなだれる。
「そんなこと言わないでください。私だって、この幻獣界の住人なんですから」
「分かってるよ。だが、お前をこの場で死なせたくはないのだよ」
「大丈夫です。私は──私たちは、勝ちますから」
 リディアはリヴァイアサンとアスラを背にディオニュソスと対峙した。
 ほんの少しの間、離れていただけだというのに、随分とお互いに進む道が異なってしまった。お互い、最初から相容れないことは分かっていた。だが、それでも共に苦労を重ねてきた同行者だった。
「ディオ。どうして、こんなことを」
 回りのイフリートたちを見て言う。タイタンはまだ怪我が全快ではなかったはずだ。何度も死ぬぎりぎりのところまで痛めつけられている。
「たいした理由じゃねえよ。都合が悪いから。それだけ」
 理由もなくしているわけではない。つまり、リディアに対する嫌がらせとかそういう理由ではなく、ハオラーンの考えで行動しているということだ。
「ハオラーンにとって幻獣界の存在は都合が悪いというの?」
「そうなんだろうな。十六世界をつなぐことができるこの世界を潰すことによって、ハオラーンの立場が安定するらしいぜ」
「それだけのために」
「他所からすりゃ、どんな理由だってくだらないもんさ」
 しごく正論だった。そしてこの間、ディオニュソスは決していつものように軽い態度を見せなかった。もともとの口調が軽いのでそう感じられるが、いつも笑いがなかった。真剣にこちらを見つめている。
「じゃあ聞くけど、ディオ」
「なんだい」
「あなた自身の目的は何?」
 返事はなかった。ただ、黙って二人はにらみ合う。
「別に言うつもりはねえよ。多分言えばお前、こう言うぜ」
「何」
「『それだけのために』ってな」
 つまり、理由などはどうでもいいということか。いずれにしてもお互いが和解することはできないのだ。それは最初から分かっていたことだけれど。
「ディオ」
 これが最後、と決めてリディアが言葉をつむいだ。
「私、あなたのこと、けっこう気にいってた」
「へえ」
 ディオは嬉しそうに、ようやくほころぶ。
「俺も、多分同じだぜ」
「うん」
 話はそれで終わった。
 ふたりはただちに攻撃動作に入る。
「我が同朋よ、呼び声に応えよ!」
「無駄だぜ、リディ!」
 その間にディオニュソスはリディアの正面まで来ていた。だが、その間にさらに割って入ったのは無論、リディアの騎士スコールだ。
「フェイテッドサークル!」
 衝撃波でディオニュソスを弾き飛ばす。だがディオニュソスとて単純に突進しているわけではない。衝撃波で後退したように見せかけ、その衝撃波を飛び越えるようにしてスコールに迫った。
「眠ってな、兄ちゃん!」
 豪腕がうなる。直撃を受ければ昏倒ではすまない。だが、スコールはあえてその一瞬で気を練った。
「メルトクリムゾン!」
 豪腕がスコールの側頭を打ち遠く弾き飛ばされる。同時に、スコールから放たれた巨大なエネルギー弾がディオニュソスを直撃した。
「がっ!」
 ラフディバイドの比ではない。全身が焼け、大ダメージを受けた。だがもちろん致命傷ではない。
「こんな隠し技があったとはな。カオス戦で使えよ、まったく」
 今度の傷はなかなか治らなかった。それどころか若干体全体が麻痺している。
 その間に、魔方陣が組みあがっていた。
 リディアの呼びかけに応じて、一瞬でやってきた四方天使。
「こっちできたか」
 ふん、とディオニュソスは鼻で笑う。
「この間の借り、返させてもらうぞ、ディオニュソス!」
 ウリエルが叫び、四天使が唱和する。
『主よ。大いなる主よ。裁きの時が来ました。天に争いを起こし、地に混乱を招いたものを滅ぼされる時が来ました。世界は聖なるものによって支配され、我らは幸せの後にこの地を眺めるでしょう。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな!』
 四方天使が八面体の結界を生み出してその中にディオニュソスを閉じ込める。その結界の内部は高エネルギーが充満する力場となっている。
「この間も言ったが」
 ディオニュソスはそれでもなお、余裕の表情を崩さなかった。
「俺が本気を出せば、お前らは五秒だ」
「ならば、試してみよ!」
 ミカエルの宣言に四方天使が一斉に頷く。
『神罰!』
 結界の中が激しくスパークし、光で中が見えなくなった。
 結界ごしに伝わるエネルギーが、その強さを物語る。リディアではアポカリプスを十回唱えても決してそのエネルギーに到達しないだろう。これこそが、四方天使の真なる力。召喚という行為を通しては決して得られぬ無限の神の力だった。
(これなら、ディオだって)
 さきほどのスコールの攻撃の比ではないのだ。これで倒せないとすれば、もう手はない。
 結界が解かれ、エネルギーが収まる。
 その向こうにいたディオニュソスは。
(うそ)
 その、四方天使のダメージなどまるで受けていないかのような、余裕の表情であった。
「さて、カウントダウンだ」
 ディオニュソスが、動く。
「五」
 直後、ウリエルがうずくまる。気付けばディオニュソスがその前に立って、拳を腹に入れていた。
「四」
 慌てて回避行動をとろうとしたラファエルだったが、間に合わない。既にその上に回りこまれ、殴り飛ばされて昏倒する。
「三」
 ガブリエルは結界を展開したが、それは障害にならなかった。ディオニュソスから放たれた衝撃波で気を失う。
「二」
 ミカエルは剣を構えた。かなわない、というのを正直感じたがここで自分が退くわけにはいかない。せめて一矢、と思いきやその剣を振り上げる間もなく、ディオニュソスの拳が彼の顔を痛打し、意識を失った。
「──ありゃ、一秒余ったか」
 圧倒的、だった。
 これほどの実力差があるとは思わなかった。もしかして先ほどは──いや、今までずっと、手加減をされていたのだろうか。
「ディオ」
「ま、気にすんな、リディ。お前じゃ俺に勝てないのは分かっただろ」
 ディオニュソスは笑顔を見せるとゆっくりと彼女に近づく。
 この男に実力ではかなわない。かといって、駆け引きや策略が通じるとも思えない。
 アフラマズダも、リヴァイアサンも、シヴァも、この場に集っている者には打つ手がない。
(……どうすることも、できないの)
 あまりの実力差に、どうすることもできない。
 リディアは悔しくて、涙が出そうになった。
「じゃあな。お前と旅ができて、楽しかったぜ」
 せめて苦しまないように一撃で──そう思ったのか、ディオニュソスはいつもよりも大きく振りかぶって、その拳をたたきつけた。

『……諦めるな。お前の呼び声に応えた者がいる限り』

 ディオニュソスの拳は空を切った。それよりも先に彼女を抱き上げ、宙に浮いていた青年の姿があった。
 魔法のローブを身にまとい、凛々しく、そして強さを感じさせる瞳をもった男性。
「あなたは、まさか」
「ふ、無事に召喚獣になることができた。この世界でのみ生きることが可能になった。お前と契約を交わしたおかげだな、リディア。感謝しているぞ。まあ、名前は失くしてしまったがな」
 魔法王、エウレカ。かつて、ヴァリナーと呼ばれた者。
「さあ、反撃だ。私に合わせよ、リディア」
「はい」
 抱き上げられた体勢のままリディアは念じた。高速真言の訓練の結果、彼女は別に動作も呪文もなく、瞬時に魔法を唱えることができる。
 師であるエウレカにとってみれば、それは当然のこと。二人の波長が合わさり、究極の魔法が重ねがけされる。

『エクスティンクション!』

 複数の波長が、光を虹色に変えた。干渉することのできない魔法が正確にディオニュソスを貫いていた。






191.戦う理由

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