蜃気楼の塔──といっても、そこは何もない、ただの荒野だ。
もちろんカインにはその荒野に見覚えなどない。ここでかつて何があったのかも、人づてに聞いた話でしか知らない。
その蜃気楼の塔の上で、天空城で何があったのかなど、知らない。
(世界を滅ぼそうとした罪、か)
それは聞いた。だが、それだけであるはずがない。
自分にとって、世界が大事かといえばイエスだ。
だが、今の自分ですら分かる。世界が一番かといえば、ノーだ。
(俺は、忘れてはいけない何かを忘れている)
罪。それは世界に対するものではない。もっと個人的なもの。
たとえばそれは、リディアに対して、心の底からわきあがってくる謝罪の気持ちがそうだ。自分はリディアに対して罪を犯した。
だが、リディアが『一番』なわけではない。
ましてや隣にいるティナでもない。
自分は、誰か、もっと別の、代えのきかない『誰か』に対して、決して許されざる『罪』を犯したのだ。
それが分かれば、自分の記憶は全て戻る。
それなのに。
目に見えるもの。
耳に聞こえるもの。
肌に感じるもの。
そのいずれもが、自分が記憶を取り戻すきっかけになりえない。
──もどかしい。
PLUS.191
戦う理由
Where are we from?
自分は何度、操られたか分からない。
自分の意思が弱く、そこに『何か』があると縋ってしまうくらいで。
だから、信頼し、信頼されるという関係に憧れた。
エルオーネのように、ただ信頼しつづけるだけではない。
リノアのように、ただ信頼されつづけるだけではない。
自分が苦しい時は、相手が自分を助け。
相手が苦しい時は、自分が相手を助け。
そうした、自分にとって違和感のない、一緒にいて安らげる相手。
ほしかったのは、それだけだ。
リノアが自分を支配しようとしたとき、それでもいいと思った。
相手に流されれば、もう自分は考えなくてもすむ。
かわいそうなリノアのために自分がしてやれるのも、それくらいのことだ。
だから、自分なんかいなくなってもいい。
そこまで、考えたのだ。
それなのに。
『あなたが好きです』
その一言は強烈だった。
自分にとって何よりも誰よりも大切な人から、そんなことを言われたなら。
誰かのために死ぬことなど、できるはずがなかった。
虹色の光でスコールの意識が覚醒した。目を開けると、エウレカとリディアの放った魔法がディオニュソスを直撃したところだった。
(まだ、浅い)
だが、傍から見ているスコールだからこそ致命傷にいたっていないことが分かった。おそらく放った直後のエウレカとリディアの二人にはそれが分からない。魔法を放つことに精神を集中しているからだ。
(俺が──っ)
動こうとするが、先ほどの衝撃で体が麻痺してしまったのか、うまく動かない。だがそんな彼に癒しの魔法をかけた者がいた。
幻獣王の妻、アスラだ。
「大丈夫ですか」
「あなたは」
「私のことはかまわずに。あなたはリディアの助けとなれる存在です。どうか、あの娘に力を貸してあげてください」
スコールは当然その女性のことをよくは知らない。だが、同じ目的を持っているということはよく分かった。
「言われなくてもそうするさ」
スコールは再び地竜の爪=ガンブレードを握る。
(召喚獣か。リディアのように、俺にもそうした相手がいればな)
だが、いないものを求めても仕方がない。スコールは気を練ると、エクスティンクションの衝撃をかろうじて堪えたディオニュソスに向かって、放つ。
「ブラスティングゾーン!」
離れた場所からの不意打ちを、ディオニュソスは回避することもできずに受けた。その隙にリディアとエウレカはディオニュソスがまだ無事であるということを確認する。
「スコール! 大丈夫!?」
「ああ。それより、今のでもまだあいつは無事だぞ」
スコールは一度意識を失ってから冷静さを取り戻していた。正直、さきほどまではディオニュソスに対する恨みの意識の方が強く、冷静に物事が見えていなかった。だからあんな攻撃をまともにくらったのだ。相打ち覚悟の攻撃などより、相手の攻撃を回避して次の機会を待つ方がずっといいのに。
「ふう、やるじゃねえか、兄ちゃん。完全にオネンネだと思ってたんだがな」
ディオニュソスはそれでもまだ余裕の表情を崩していなかった。
(強いな)
幻獣のことはよく知らないスコールではあるが、それでも回りにこれだけ瀕死の幻獣たちが横たわっていると、さすがにその強さを認めずにはいられない。
ただ気になるのは、それだけの強さがあるのなら、相手を簡単に『消滅』させることだってできるはず。それをしないのは一体どうしてなのか。
「ディオ、ニュソス……」
と、そこへ倒れていた騎士のひとりが立ち上がる。全ての戦いに先駆けてリディアに忠誠を誓った騎士、ジハードだ。僚友のアルゴはまだ倒れたままだ。
「ジハード、まだ寝ていて!」
「いいえ、姫。姫がおられるのに、私が倒れるわけには参りません」
だがジハードの力は既に限界に達している。ディオニュソスから一撃を受ければそれだけで消滅しかねないほどに。
「無理するねえ、あんた。ここにいる誰よりも弱いんだから、黙って寝てりゃいいのによ」
──ディオニュソスの言はあながち間違いではない。リディアにスコール、そしてアフラマズダとエウレカ。無事に戦えるのは今はこれだけだ。リヴァイアサンもアスラも既に弱っている。四方天使も倒れて動かない。シヴァでは戦力外だ。
「私は姫の騎士。戦えずとも、盾となることは可能」
「無駄だぜ、ホント」
ディオニュソスの手がジハードに向けられる。
「一つだけ聞きたい、ディオニュソス」
ジハードの言葉に、彼の動作が止まる。
「なんだ?」
「お前の目的だ。我々を殺すというわけでもない。かといって戦意だけは高い。敵である以上は戦うが、お前ほどの男が、何のために戦っている」
「そりゃ、そういう命令を受けたからな。幻獣界を滅ぼせって。別に幻獣を殺せなんて言われてねーし。ぶっちゃけ、リヴァイアサンが幻獣界を手放してくれればそれでOKさ。十六の世界は全て分断され、俺の仕事は終わりだ」
「お前がその相手に従って、どういう利益があるというのだ」
ジハードのその言葉は核心だった。
ディオニュソスは、誰かに命令されて、それに唯々諾々と従うような幻獣ではない。確固たる自分の目的を常に備えている。だからこそ、今のディオニュソスは理解ができない。
「さっきリディにも言ったが、言ったところで『それだけのために』って言うのがオチさ。やめとけやめとけ。お互い、敵だと認識して戦う方がよっぽど面白えや」
「お前が、少しでも、姫のことを思うのならば、答えろ、ディオニュソス」
それは、相手が自分の存在を肯定するか否定するかの問題だった。
幻獣とて嘘はつく。だが、今の質問は、自分が自分であることを肯定するか否定するかの質問だ。だから、こういう問いは非常に狡猾だ。答えないということは、ディオニュソスがリディアのことを何とも思っていないということになる。そして、リディアもディオニュソスも、傍から見ているジハードにすら分かる。それだけはない、と。ディオニュソスは自分の都合で、敵にしたくないリディアと戦っているのだと。
この状況で自分の気持ちを偽って答えるというのなら、それは自分の気持ちそのものを否定することになるのだ。少なくとも、この高潔な幻獣にとっては。
「最初は、利用してるだけだったんだがなあ」
ディオニュソスは諦めたように戦闘体制を一旦解く。
「でもどうせお前らは言うんだ。『そんなことのために』って」
「そういうことを言われたくないくらい、お前にとっては大切なことなのだろう」
騎士であるジハードはそうした心の機微に敏い。違いない、とディオニュソスは答えた。
「たった一つだけ欲しいものがある──いや、知りたいことがある。それだけさ」
「その内容は?」
苦笑して、ディオニュソスが答えた。
「この二五六の世界と俺たち幻獣が住むこの世界。これがいったい何故あるのか。きわめて形而上学的な疑問さ」
われわれはどこから来たのか。
われわれは何者なのか。
われわれはどこへ行くのか。
形而上学における三大疑問。人間は心の奥底で、自らの消滅、死について怖れる。だからこそ自分の生にどのような意味があるのかを考える。そして、形而上学における三大疑問にぶつかる。
だが、幻獣にはそれがない。『存在する』ということを『受け入れている』からだ。
自分の存在に疑問を抱くことはないし、だからこそそれを聞いたジハードやリヴァイアサンはやはり『そんなことのために』と思うのも無理はない。彼らはそもそも『存在し』『より強い召喚士と契約を結ぶ』ことを目的に生きている。だから、幻獣は自分の存在を疑うような疑問を持つことはない。
だが、ディオニュソスは人間というものを正確に理解ができていなかった。
その疑問は人間にこそ、それもリディアやスコール、多感な年代に多く生まれる疑問だ。
今までは常に戦うことや、目の前の問題を解決することが多すぎて考えるようなことではなかった。だが、こうしてスコールとリディアがお互いの気持ちを通じることによって生まれた『ゆとり』がそのことを気付かせることとなった。
自分たちは、何者なのか。
特にリディアにはその気持ちが強いと言える。二五六ある世界のうち、別々の世界で生まれた自分たちがこうして出会い、魅かれあった。その自分は二五六のいずれの世界とも異なる、その結び目となる幻獣たちの住む幻獣界と呼ばれるところで過ごしている。
いったい、この世界が何故存在するのか。存在しなければいったいどうなっていたのか。自分たちもまた存在せず、そして自分たちが出会うこともなかったのか。いや、そもそもこうした考えを起こすことも、起こすきっかけとなる媒体=自分たちが存在しなくなる。
そう。それは生物が持つ根源的な恐怖。この世界が存在しなければ、自分たちもまた永久に存在しないのだという理屈。
それを、まさか、幻獣であるディオニュソスが強く感じているとは。
「ハオラーンについていけば、それが分かるというの?」
「全ての世界が消滅すれば、その先が見える。きっと何か分かることもあるだろうさ」
「全てが存在しなければ、ディオニュソスはその何もない場所に一人きりなのに?」
「分からねえ」
ディオはゆっくりと首を振る。
「ただ、理由が知りたい。そのためには一度全てが壊れていた方がいい。だからハオラーンに協力していると言ってもいい」
真剣な表情だった。それがどこまでも真実を語っていることが分かる。これほど真剣なディオニュソスを、リディアは見たことがない。
「言っておくが、ディオニュソス」
それまでずっと黙っていたスコールが口を開く。
「あんたの求めているものには、答がない。それが答だ」
「ああ、分かっているさ。じゃあ、答がないことを兄ちゃんは受け入れられるのか?」
「いや。だが、考えても仕方のないことだ。だからこそ、俺はリディアと一緒にいる」
「そうやって人間は子供を産んで、次の世代を育てる。だがな、俺たち幻獣は、そうすることもできないんだぜ」
──そうだ。
幻獣は、繁殖をしない。竜も、妖精も、人間も繁殖するのに、幻獣はしない。バハムートとルナのように、リヴァイアサンとアスラのように、好き合って一緒に過ごすことはあっても、それが子を成すことはない。
幻獣は、何故、生まれるのか。
「人間は創造によって疑問を忘れることができる。だがな、俺はそうじゃない。創造ができないなら、一つしかやることはないだろ?」
創造の反対は──破壊。
「それが、俺の戦う意味さ」
「よく、分かった」
スコールはゆっくりと剣を構える。
「正直、あんたみたいにあまりに人間に近い奴を相手にするのはためらわれる。だが、あんたの願いが真実で、その願いがリディアや仲間を思う気持ちを上回っているのも分かった。だから」
正面から、相手を見つめる。
「あんたは、俺が倒す」
「兄ちゃんは優しいねえ」
ディオニュソスも指を鳴らした。
「でも、長生きできねえタイプだな」
「自分でもそう思う。だが、俺は死なない。俺が死ねば、リディアが悲しむ」
「だったら、未来は自分で勝ち取るんだな」
スコールは呼吸を整える。
今まで自分がどれほどの技を繰り出しても、この幻獣には効かなかった。それは単純に自分の力が足りないせいもある。
だが。
スコールは気付いていた。この新しい『地竜の爪』を手に入れた時に、新たな力を自分が手に入れているということを。
さきほどのメルトクリムゾンもその一つ。そして、剣を使った自分のもう一つの技。
スコールは一度、剣を振る。
そのスコールの背後に、何十もの剣の姿が現れる。
「『百鬼──」
その剣が一つに重なり、炎の刃と化す。
「──烈日の破邪』!」
炎の刃が、ディオニュソスの体を完全に貫いていた──
192.生きる理由
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