ラグナロクは次に、バラムガーデンが沈んだと思われる場所へとやってきた。
バラムガーデンについては何度も話は聞かされていた。カインがこの世界にいる間のほとんどをすごした場所。多くの仲間と出会った場所。そしてマラコーダと戦い、ティナが片腕を失った場所。
どうにかして中に入りたいと思っていると、イリーナが「いけるよ」とあっさり言った。
「あたし、水中呼吸のマテリア持ってるから」
耳慣れない単語が出てきて二人が頭をひねっていると、イリーナは実物を持ち出した。
「はい。この紫色の奴。あ、でもカインのはマテリアつけられる試用じゃないから、あたしのグローブ貸してあげるね」
イリーナはかいがいしくカインの左手に布製のグローブをつける。リストの部分が金属製で、そこに穴があいている。
「ここにマテリアを装着」
親指と人差し指で作った輪くらいの大きさの石がそこにはめ込まれる。
「これで水中でも呼吸できるよ。ティナは右手ね。はい」
カインには自らつけてあげたのにティナには渡すだけ。意識的なのだろう。ティナは苦笑してグローブをつけ、マテリアを装着した。
「あたしは水上で待機してるから、二人で行ってきて」
イリーナの言葉に甘えて、二人は非常用出口から外に出る。
そしておそるおそる水の中に入る──が、どういうしかけか確かに水の中なのに呼吸をしている。
「変わった道具もあるものだな」
カインが素直な感想をもらすが、水の中なので声が伝わりづらい。ティナが『何?』と口を動かしてきた。
首を振って『なんでもない』という様子を見せ、深くもぐっていく。
ある程度の深さにいくと、それ以上もぐっていくのが大変になったのだが、突然回りの水圧が楽になった。どうやらティナが何か魔法をかけたらしい。
迷惑をかけているな、とカインは今更ながらに思いながら、ようやく見えてきたバラムガーデンの先端部に向かってさらに進んでいった。
PLUS.192
生きる理由
What are we?
セルフィに刺された時のことは、今でもよく覚えている。
リディアのことを一番に考えながらも、リノアの復讐だけはやめることができなかった自分。そんな自分を彼女は許してくれた。だからそれに甘えた。
セフィロスを倒す──それだけを考えて臨んだ戦いは、決着がつこうというときに思わぬ形で阻まれてしまった。
考えてみればSeeDとしてはセルフィとの関係が一番深い。一緒にSeeDになったのもセルフィなら、その後の任務、魔女戦、それに宇宙に一緒に行くときについてきたのもセルフィだ。リノア任せにせず、何かと自分の世話を焼いていた彼女に自分は少し頼っていたのかもしれない。無意識のうちに。
だから裏切られたことがショックだった。
どうして、と。
だが、理由は明らかだった。自分にはリディアがいて、彼女にはセフィロスがいた。それだけのことだ。
リディア。そう、彼女から離れて、自分は一人、ここで死んでいく。
嫌だ、と思った。
誰かの思い出になるのは──リディアを悲しませるのは嫌だ。
助けてほしい。
自分が助かるなら、リディアを悲しませなくてすむのなら、何でもするつもりだった。
そして、救いの手は現れた。
『スコール、愛してるわ』
その姿は、かつて自分が愛したリノア、そのものだった。
これも自分の愚かさのせいだろうか?
リノアの復讐に来た自分が、リノアに操られ、自分の愛するリディアと戦うことになる。
それでも生きている以上は、いつかは元に戻ることができるかもしれない。
だが、死ねば終わりだ。
そして自分は、その支配を受け入れることにした。
あの場で生き残る道は、他になかったからだ。
「が……はぁっ!」
ディオニュソスの表情は今までと全く異なっていた。たとえダメージを受けたとしても飄々としていたこの男が、ダメージに完全に顔色を変えている。
「この、俺、が……?」
地竜の爪が引き抜かれる。ただちに回復がはかられるが、ダメージは相当なものだった。傷を塞いだからといってダメージが完全に取れるわけではない。
「やるな、兄ちゃん」
それでもディオニュソスは踏みとどまった。致命傷にはいたらなかったのか、肩で呼吸しているのは分かるのだが、それでも戦闘意欲が消えているわけではない。
だが、続く一撃がさらに彼の力を奪った。塞いだばかりの胸の傷痕に、一ミリも狂わず正確に、光の矢が飛来して突き刺さったのだ。
「こ、この矢は」
ディオニュソスがその矢を掴んで引き抜く。今度は傷口が塞ぐことはなかった。そこまでの回復力もなくなったらしい。
「すまないな、リディア。駆けつけるのが遅れた」
そこに現れたのは、少年の格好をした、神秘的な少女。黒く長い髪を伴った女神。
「アルテミス!」
「ちっ……お前さんかよ。やりづらくっていけねえや」
ディオニュソスは傷口を手で押さえる。だが彼に対してアルテミスは冷ややかな目を向けた。
ふたりは友人だ、とリディアは聞いている。だが、自分たちに襲いかかるディオニュソスに対し、アルテミスは容赦なく矢を放った。彼女の胸中はどのようなものなのか。
「形勢逆転だな。このメンバーでまさかお前も勝てるとは思わないだろう、ディオニュソス」
ジハードが冷静に言う。そこにいるメンバーは、リディアが以前異界で集めたメンバーばかりだ。ジハードはその時の同行メンバー。最初に仲間にしたアフラマズダ、アルゴ、アルテミス。そして四方天使。何体かは倒れているが、それでも充分に最強メンバーだ。さらにはエウレカとスコールがいる。
手負いのディオニュソスといえど、さすがにこれだけのメンバーを相手に戦えるとは思っていないだろう、と考えたゆえの発言であったが。
「まだ甘く見られてんのかよ、俺は。言っておくが、俺は強いぜ。ま、さすがにちと、クスリがいるけどな」
するとディオニュソスはその手に何かを生み出す。黒い瘴気に包まれたモノが何かは見えない。
「『幻獣ディオニュソス』がどれだけ強いか、試してみるんだな」
言うなりかれは、その黒い瘴気を丸ごと飲み込んだ。
「まさか」
アルテミスが気付いたように声を上げる。だが、遅い。
黒い瘴気で包んだモノ──あの黒い瘴気は、正体を知るアルテミスから見えなくするためのものだ。
その正体は、バッカスの酒。
酒を司る神、ディオニュソスの秘蔵の神酒だ。
「言っておくが」
ディオニュソスはほろ酔い加減の顔つきで言った。
「手加減……できねえからな?」
次の瞬間は、ただひとりを除いて全員が全く動けなかった。
ディオニュソスは瞬きを一つする間にも、既にリディアの目の前にいた。
そして豪腕を振り上げている。
それが決まれば、人間の身であるリディアは確実に死亡していただろう。
その彼女を救ったのは、プリンセスナイトのジハードであった。
彼は、体を張ってリディアを突き飛ばした。
豪腕がジハードの胸を貫く。
がはっ、という空気音が全員の鼓膜を打った。
「ジハード!」
リディアの叫び。そしてディオニュソスは小首をかしげた。
「何やってんだよ、お前」
「無論、我が姫をお守りした。それだけのこと」
「助からないぜ、お前。それでもいいのかよ」
「それが契約を結ぶということだ。契約を結んだ我が姫のためならば、消滅することなど恐れることではない。それが分からないのなら、お前は幻獣ではない」
「なに?」
「何の間違いで幻獣などをしているのかは知らないが、お前は幻獣ではない。幻獣は、自分の生の意味など考えたことはない。何故なら、生の意味は誰しも自分がよく分かっているからだ」
そう。スコールたちはディオニュソスの問題を身近なものに感じることができたが、幻獣たちはディオニュソスの疑問を『そのようなこと』と捕らえた。誰もが。
何故なら、幻獣たちは自分たちが『どこから来たのか』を知っている。『何者か』を知っている。『どこへ行くのか』を知っている。
幻獣の中で知らないのは、ディオニュソスだけなのだ。
「お前だけがそれを分からずにいるのだな。かわいそうな男だ。孤独を感じても仕方のないことだな」
「何を」
「お前が何故それを知らないのか、お前の誕生を知らない私には推測することもできないが……だが、これだけは言える。お前は純粋な幻獣ではない」
ジハードの視線が移る。ゆっくりと見回し、そして一体の幻獣のところで目が止まる。
だが、それを伝えるだけの力はもう残されていないようだった。
「姫──」
それよりも。
自分が『どこへ行くのか』を知っているジハードは、せめて自分の大切な存在に、一言でも言葉を残したかった。
「──どうか、幸せに」
ジハードの御霊が、完全に消滅した。
消滅した彼は、その体が徐々に光に変化していく。
そして、彼の輪郭が完全になくなったあと、光が散らばって、一つずつ消えていく。
それが、命の灯火。一つひとつが、彼の生きた証。
「ジハード!」
彼女の目の前で。
最愛の『姫』を守った騎士は、全ての世界から消滅した。
それを見た、幻獣たちの形相が変わった。
アフラマズダ、アルテミス、アルゴ、リヴァイアサン、アスラ、シヴァ、四方天使たち。
「ディオニュソス!」
幻獣たちが、動いた。
アルテミスの『鏑矢』が音を立ててディオニュソスに刺さる。それは、攻撃を集中させるための印だ。
立ち上がった四方天使の魔法がディオニュソスを撃ち、アフラマズダの消滅の光が注がれる。リヴァイアサン、アスラ、シヴァらの魔法がさらに次々とダメージを与え、最後にジハードの盟友であったアルゴが『英雄の剣』を振り下ろした。
だがそれも、先ほどのスコールが与えたダメージには程遠かったらしい。ディオニュソスは痛そうにはしたものの、眠そうに頭をかくと「つまらねえな」とぼやいた。
「てめえらはつまらねえんだよ」
その最後に攻撃を仕掛けてきたアルゴに迫る。剣で応戦しようとするも、ディオニュソスの腕で簡単に弾き飛ばされてしまう。
「逃げて、アルゴ!」
だがアルゴは避けなかった。だが、そのアルゴの甲冑の中から、突如竪琴の音色が鳴り響くと、ディオニュソスの体は突如として止まった。
「……呪い、か」
ディオニュソスは体を動かそうとするも、全く動かない。どこから流れ出ているのか、その音色は完全に相手の行動を封じていた。
「我が体内には五十の異なる力あり。竪琴の音色はあらゆる敵を眠らし、行動を不能にする技。貴様の行動は完全に封じられた。後は裁くのみ。我が友、ジハードの仇、とらせてもらう」
「ふん」
だがディオニュソスは鼻で笑う。
「さっき俺にさんざんやられた分際で、逆に俺を倒そうなんて千年早いぜ」
直後、ディオニュソスが気合を入れるとその竪琴の呪縛が解かれる。アルゴが驚いている間にも、ディオニュソスの足が飛び、アルゴを弾き飛ばしてしまった。
「おっと、一撃で決めるつもりが、生き延びたか。運のいい奴め」
ただちにアルテミスの弓が放たれるが、光速の矢すらディオニュソスは完全に掴んで消した。
「つまらねえ」
四方天使が襲いかかる。だが、ディオニュソスの表情は激怒で満ちていた。
「つまらねえんだよ、てめえらはっ!」
その体から炎のような闘気が立ち上り、四方天使は近づくことすらできずに弾き飛ばされる。
「どいつもこいつも、世界を守る程度のことに命かけやがって。そんなに消滅したいんなら仕方ねえ、まとめて全員消してやる」
「やれやれ」
だが、その闘気を押し留めた者がいた。幻獣に昇格したばかりのエウレカである。
「ジハードに哀れまれて自分を見失うか。どこまでも幻獣になりきれぬ男なのだな、お前は」
「何だと」
「幻獣はどこから来たのか──おそらく幻獣の中でそれを知らぬ者はお前だけだろう。幻獣になったばかりの私ですら分かる、というか知っている。まあそれは生前、人間だったときにさんざん研究をしつくした結果ではあるが」
エウレカは人間から幻獣へと昇華した存在である。従って、最初から幻獣として生まれたリヴァイアサンやアフラマズダらとは生まれ方が違う。
「お前の疑問は人間としての疑問だ。そして人間ならざる幻獣には生きる意味を考える必要はない。生きる意味をもって生まれてくるのだからな」
「な」
ディオニュソスは驚愕した。
今の言葉が正しいのなら。
「お前、幻獣がどこから来て、何者で、どこへ行くのかを知っているってのか」
「知っている。他の幻獣たちならば口に出す意味すらないほどに当たり前のことだ。生きるときに呼吸をしているのと同じ。考えなくても体が知っていることだ。だが、お前には分からない。何故ならお前は私と同じだからだ」
同じ。
その言葉の意味が、リディアには分かった。つまり、ディオニュソスは──
「お前も同じ、人間から昇華した幻獣だ」
ディオニュソスは言葉を失った。それを見たエウレカがため息をついた。
「そうか。自覚すらしていなかったか」
「……何だと」
「お前はもともと人間だ。何の間違いか幻獣となったが、おそらくは人間でいるときから神性が備わっていたのだろう。死んで昇華したのか、生きたまま昇華したのかは分からんが、何かの間違いで幻獣となった。だから人間でいた時の記憶は残っていないのかもしれないが」
ディオニュソスが元人間。
リディアはその事実にじっとディオニュソスを見つめる。だが、それはある意味で全く違和感のない事実だった。
どことなく幻獣らしくない、いや、人間に近い思考をもったディオニュソス。
その答が、もともと人間だったのだとするのならば、納得がいく。
「じゃあ、俺は、もともと幻獣じゃなかったってのか」
くく、とディオニュソスが喉で笑う。
「お笑いだ。そんなくだらねえ話だなんてな」
「だから理解ができないというのだ。生前に研究をしたわけでもない、まして幻獣として生を受けたわけでもないお前に、世界の仕組みなど理解できようはずもない」
「貴様には分かるっていうのか」
「無論。私は死しても消滅しない方法を探して一万年という時を生きたのだ。言い方を変えれば、お前とは格が違う」
圧倒的な力を持つディオニュソスを前に、すさまじい大言壮語だった。
「いい度胸だ。そのへらず口、今たたきつぶして──」
「知りたくはないのか」
だが、そのディオニュソスの怒気すらもエウレカは押しくるめる。
「この世界の秘密。幻獣が何故存在するのか、その根源となる疑問に答えることが私にはできるのだぞ?」
193.存在する理由
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