海底のバラムガーデン。この辺りはちょうど大陸棚になっていてそれほど深く潜らなくてもたどりつくことができた。
 ほとんどが残骸になってしまっていて元の形のままというわけではなかったが、それでもいくつかのパーツは残っている。
 最初にたどりついたのがブリッジで、壊れていた天井の強化ガラスから中に入る。これがおそらく、ゼルがニーダを投げ飛ばした穴なのだろう。自爆装置のスイッチのある場所だったが、動力室からは遠かったため、壊れる前のままでほとんどが残っている。
 今ではこの中は小魚のオアシスとなっていた。
 ゼルの遺体を探したが、既に服と骨だけしか残っていなかった。その魚たちに食べられてしまったのか、海水で腐敗したのかは分からない。服は散乱してあちこちに散らばっていた。
 一番保存状態のよいものをティナが回収すると、亀裂の走っているところから別のところへと移動する。
 大きなパーツが海底のあちこちに散らばっている。
 ティナが行きたいのはテラスだった。あそこは自分とカインが何度となく会話をした場所だ。一番記憶に呼びかけられる場所だ。
 記憶を頼りに進んでいって、ようやくその場所を見つける。
 カインが『ここか?』と目で尋ねてくる。ティナは見えるように大きく頷いた。
 だが海底では以前のように風を感じられる場所ではなくなっている。
(ここが……俺に縁のある場所か)
 幾つかそうしたところをまわってみたものの、未だに記憶を揺さぶるような何かは出てこない。
 その時だ。
 カインの脳裏に、何かがよぎる。それはとても甘美で、寄りかかりたくなるほどの吸引力を持っていた。
『カイン』
 誰かの、呼び声がする。

『あなたも──』

 だが、その先は聞こえなかった。
(誰だ?)
 問いかけても、答はない。
 ただ、海の闇だけが彼の回りを取り囲んでいた。












PLUS.193

存在する理由







reasondetre






 操られていたときの記憶はおぼろげに残っている。
 復讐心だけが強くなりすぎていて、他のことはまるで頭に入ってこなかったが、唯一、自分が剣を振るった相手に緑色の髪の少女がいたときだけは、何か違和感を覚えていた。
 これは自分の復讐の相手ではない。倒すべき相手ではない。
『殺せ』という言葉の他に『殺すな』という声が頭の中に響いていた。
 だから殺すために近づこうとしても躊躇した。
 自分とリディアが戦えば、おそらく勝負は一瞬で終わる。自分の剣がリディアを貫くか、リディアの奥義魔法で自分が消滅するか、どちらかだ。
 リディアが自分を殺さないために魔法の威力を弱めていたのなら、自分はそんなものにはかまわずに突進して殺すことはできた。そうしなかったのはきっと、相手をリディアだと自分の心が理解していたからだろう。

『誓いの血の味を私は覚えている』

 その言葉が、さらに自分の心の動揺を誘う。
 剣を振るいながらも、自分の体と心が徐々に乖離していくのが分かる。
 結果──自分の体は、動かなくなった。
 彼女とは戦えない。
 それを体が理解したから、疲労に任せて動くのをやめた。
 自分も覚えている。あの鉄の味。お互いの血が混じりあい、二つの魂が一つになったあの至福。
 あの言葉で、自分の意識はほとんど戻っていた。ただ、リノアの復讐、リノアへの『義理』を果たしたかったがためにレイラに同行していたようなものだ。
 それはリノアとの戦いを通じて解消された。
 そして──彼女のところに、俺は戻ってきた。






 そのエウレカの言葉にディオニュソスの行動は完全に固まっていた。
 この世界の秘密。幻獣が存在する理由。
 それは彼がはるかな昔、人間から幻獣に昇華したその時からずっと抱いていた疑問だ。
「生まれる理由がない幻獣は存在しない。まあ、それを言えば人間も生まれる理由は持っている。誰しも途中で失くすものだがな」
「失くす」
 リディアが繰り返す。自分はどうなのだろうか、と。人間は誰しも生まれてくる理由を持っている。
「分からないか、リディアよ。お前も望まれて生まれたはずだ。お前の父親と母親に」
 言われてようやく気付く。だが、自分には既に父も母もない。これが失くすということか。
「じゃあ、理由を失くした人はどうするの?」
「決まっている。新たに手に入れるのだ」
「どうやって?」
「お前がそれを聞くのか、リディアよ。お前は既に生きる理由を手に入れているだろう」
 父や母を失くして、新たに手に入れた理由──
 考えてすぐに思い当たる。目の前に、その相手がいたからだ。
(スコール)
 そう、人が生きる理由。それは、愛する人と共にいること。それ以外にどのような理由が必要だろうか。
「俺はそんなごまかしが聞きたいんじゃねえ」
「ごまかし?」
「そうだろうが。その人間が生きるのに必要な理由なんかじゃねえ。人間という種族が何故いるのか、幻獣という種族が何故いるのか、それが知りたいんだ」
 ふむ、とエウレカは頷く。
「同じことではあるのだがな。だが、まあいい。人間という種族が生まれてきた理由も幻獣たちが生まれてきた理由も、それほど難しいことではない」
「なに?」
「幻獣は単体の種族。人間との間に子を為すことは不可能ではないが、幻獣そのものには親も子もない。ある条件がそろったときに、二五六世界の外、すなわち幻界とか幻獣界とか呼ばれるこの場所に生まれるものだ」
「ある条件?」
「そうだ。その条件とは」
 ディオニュソスの表情が固まる。そしてリディアやスコールもエウレカに注目した。
「人に望まれること。召喚獣として、信仰の対象となったとき、その召喚獣は生まれるのだ」



 二五六ある世界のどこかで、宗教が生まれ、信仰の対象が存在したとき、その対象はどの世界にも所属しない幻界にその姿が投影される。
 幻獣は人間の意思と願いが生み出す存在。
 幻獣たちはそのことがよく分かっている。自分が、何者かの意思によって生み出されたことを本能で理解している。だから自分の出生に不安を感じることはない。
 それが分からないのは人間から幻獣になった者、それも生前にその準備をしておらず、何かの間違いで幻獣になってしまったものだけだ。



「人が、生み出す」
 スコールが呻くように言う。
「そうだ。幻獣の生まれる瞬間に立ち会ったことがあるが、誕生はものの数秒だ。何もなかったところに突然『形』が生まれる。それが徐々に物質化し、完成する。私も永遠の時を生きるために、幻獣になる方法がないかと考えた。アドバイスをくれた幻獣もいたことだしな」
「アドバイスじゃと?」
 リヴァイアサンが反応する。
「そうかお主、マディンの」
「幻獣王はご存知か」
 エウレカはその通りと頷く。
「マディンも人間から幻獣になった者。だからこそ人間を愛し、人間との間に子を成した。私はマディンから幻獣になる方法を知った。それは、現人神となること。他の人間たちから信仰の対象となることが最低条件だった」
 確かにエウレカはPLUSでは国王として動いてはいたものの、永遠を生きる王として信仰の対象となっていた。そして国王を中心にカオスと戦っていた。
「さて……これで戦う理由はなくなったな。お前が欲しかった答は提示した。お前はもうハオラーンと行動を一緒にする必要もない。さて、どうする」
「必要がない?」
 ディオニュソスは笑う。
「逆だ。こうなった以上、俺はもうあんたらと完全に決裂した」
「なに?」
「俺は幻獣なんかなりたくなかった。幻獣を生み出しているのが人間なら──人間を消滅させるまでのことだ」
 目が据わっている。もはや迷いは消えた、とでもいうように。
「別に幻獣たちがどうこうってつもりはねえよ。ただ、これ以上幻獣を増やさせねえ。そのために人間を滅ぼさなきゃいけないってんなら、そうするまでのことだ!」
 ディオニュソスの周囲に炎が巻き起こる。その闘争心が向けられていたのは、スコールとリディアだ。
「悪いな、リディ。俺はあんたのこと、結構気に入ってるんだが」
「人間を殺しても、ディオニュソスが幸せになれるわけじゃないのに?」
 リディアも応戦する構えで尋ねた。
「ああ。見ろ、ここにいる獣たちを」
 リヴァイアサンにアスラ。アフラマズダ。アルゴ。アルテミス。四方天使。シヴァ。エウレカ。それに負傷して倒れている他の幻獣たち。
「人間によって生み出され、人間によって使役され、人間によって生かされていることに満足している連中だ。自分が奴隷であることにも気付いていない」
「奴隷だなんて。私はみんなと心を通わせて──」
「どう思うかなんてどうでもいいんだ。俺はただ、そういう現実が気に入らないだけだからな」
 ディオニュソスが腰を落とす。来る。リディアは瞬時に魔法を唱えた。
「アルテマ!」
 突進してくる幻獣に魔法を放つ。同時にアルテミスからのアストラル・アローがディオニュソスを射抜く。だが、それすらも超えてディオニュソスはリディアの懐に入り込んできた。
「下がれ!」
 エウレカがその間に割って入る。魔法を唱える間もなく、ディオニュソスはその顔を殴り飛ばした。まだ力の残っているアフラマズダもアルゴも攻撃を仕掛けるが、たちどころに倒される。
「つーわけで、もう二人を守ってくれる奴はいないぜ」
 スコールがリディアをかばうようにしてディオニュソスとの間に入り、ガンブレードを構える。本来の地竜の爪より力は劣るが、今では完全にこの武器になじんでいる。
「俺を倒そうなんざ、無理なんだよっ!」
 ディオニュソスが突進してくる。
 だが、そんな中でもスコールの頭の中はやけに冷静だった。
(元、人間……幻獣は、人間が生み出す)
 炎をまとったディオニュソスが近づいてくる。
(信仰が幻獣を生み出す? そんなことが本当にあるというのなら……)
 スコールは願った。

 一度でいい。
 その姿を、見たい。

 ディオニュソスは、壁にぶち当たったかのようにその突進が止まり、仰向けに弾き飛ばされた。
 スコールとの間に、何か特殊な空間が生まれていた。
 そして、一同は見た。
 そこに、何かが生まれようとしているのを。
 それは一匹の獣。
 長い鬣を持った、百獣の王。
「まさか」
 スコールが呻く。
 それは、神話に出てきた、ただ一匹の獣。
 スコールだけがその存在を信じ、信仰してきた唯一の獣。

 グリーヴァ。

 雄叫びを上げた獣は倒れたディオニュソスに逆に突進する。
 その鋭い爪がディオニュソスの胸を切り裂く。
「幻獣が……生まれた、だと?」
 目の前で起こった現実にディオニュソスは呆然としていた。
「ほう……見るのは二回目だが、このタイミングで、この場所で生まれるとはな」
 無論エウレカにはカラクリが分かっている。真実を知ったスコールが願うことによって『幻獣が生まれる条件』が満たされたのだ。
「スコール」
 グリーヴァはスコールの元まで戻ってくると、その頭をスコールになでつける。
「よく私を生み出してくれた。感謝する」
「いや……俺も正直、驚いている。まさか、グリーヴァが、本当に」
「スコールの願いが私を生み出したのだ。さあ、今こそ私はスコールの願いをかなえよう。乗りなさい。そしてあの敵を倒すのだ」
「分かった」
 ひらり、とスコールはその背にまたがる。ライドオン。そして、両手でガンブレードを構えた。
「人間の身だけでは力は充分ではなかったが、今は私の力を重ねることができる。最強奥義を叩き込むのだ」
「無論」
 そして、一人と一匹は光の速さを持ってディオニュソスに迫った。

「エンドオブハート!」

 グリーヴァの力が単純加算され、今までのエンドオブハートよりも二倍の速さと鋭さをもってディオニュソスを切り裂く。今度こそ、この強靭な幻獣に決定的なダメージを与えていた。
「が……はっ」
 体中、何箇所も深い裂傷を帯びる。さらに左腕は皮一枚で完全に寸断されていた。
「ぐっ……がっ!」
 ディオニュソスは一度その左腕を引きちぎると、力を込めて傷口同士を合わせる。と、その左腕の指がぴく、ぴくと動いた。
「こいつはいけねえなあ……さすがの俺も限界だぜ」
 徐々に傷口は塞がっていくものの、奪われた体力は回復しない。
 そして、目の前にいる強大な『敵』の姿を見た。
 長い鬣を持った獅子と、それに跨った最強の剣士。お互いがお互いを信頼しているからこそ相乗効果を持つ攻撃を行うことができる。
 幻獣と、その幻獣を生み出した者。その強力な信頼関係。
(認めねえ)
 自分が何者によって幻獣となり、そして生きる意味もなく生きながらえているのかを考えると、存在することに喜びを見出す目の前の獣を許すことなど、できない。
「兄ちゃん、この俺よりも力で上回るなんて、反則だぜ」
「何を」
「だが、俺は負けねえ。すぐに回復して、絶対に人間を絶滅させる。ハオラーンのところで待ってるぜ。滅ぼされたくなけりゃ、先に倒しに来るんだな」
「待て!」
 ディオニュソスは言うだけ言い残すとその場から消え去ろうとした。
「ハオラーンはどこにいる!?」
 消える瞬間、ディオニュソスは笑って言った。
「魔女にでも聞くんだな」
 そうして、幻獣界を荒らしまわった暴君は去った。

 幻獣界は当面の危機を脱したのだ。






194.三度、戦場へ

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