カインとティナを回収したラグナロクは、続けてF・Hに向かった。
この世界でのほとんどをバラムガーデンで過ごしたカインにとって、あと行かなければならないところは多くない。F・Hを回り、ウィンヒル、そして白いSeeDの船と、イデアの家。それでも記憶が戻らなければ、元の世界に戻るしかない。
もちろんティナとしてはそれは避けたい。あの美しいローザという女性に出会ったならば、カインは間違いなく記憶を取り戻し、そして自分の前から去ってしまうに決まっている。
(では、私のしていることは何だというのだろう)
今の自分は、自分の幸せを手放すために全力を尽くしているようなものだ。全く意味がない。自分の幸せを考えるならば、カインの記憶など戻らない方がいい。
それなのに自分はカインの記憶を取り戻そうとしている。
何故。
彼女がそうして思考の海に入っていると、その原因が話しかけてきた。
「どうした、ティナ」
そうして、彼の言葉を聞くたびに、記憶を取り戻そうとしている理由を思い出す。
自分は、彼と過ごした日々を、彼にも思い出してほしいから、記憶を取り戻そうとしているのだ。
たとえ彼が自分の前からいなくなったとしても、自分と彼が心を通わせ、困難に立ち向かったという事実は消えない。
彼が自分を一番に考えていなくても、その事実を共有できるだけで満足なのだ。
(満足?)
だが、それを否定する自分がいる。自分を一番に考えてほしいという、女としての自分がいる。
「なんでもない」
ティナは無理して笑おうとしたが、うまくはいかなかった。カインは顔をくもらせてから、そっと彼女に近づき、その両腕で彼女の体を包む。
「無理な話かもしれないが、そんな顔をしないでくれ。お前がそうしているのは辛い」
確かに無理な話だ。だが、それでも自分は彼に包まれているだけでこんなにも幸せになれる。
この幸せを手放したくないと考えるのは、欲張りなのだろうか?
「もし、お前が俺の記憶を取り戻したくないと考えているのなら、それでも──」
「ううん、カイン」
ティナは左手の人差し指で彼の口を抑える。
「私は思い出してほしいんです。カインにとって大切なものを。記憶を失ってもあなたの心が気高いのは分かっています。でも私は、私とカインが共に生きた時間を取り戻してほしいんです」
「それなら」
カインは彼女の手をとって、もう片方の手で彼女の涙をぬぐう。
「どうして、そんなに悲しい顔をする?」
お互いに分かっているのだ。
彼が失った記憶の中に、二人を分かつ存在があるということを。
PLUS.194
三度、戦場へ
a knight and a lover
自分は騎士。かつてはリノアの騎士だったが、今は違う。幻獣に愛される少女、リディアの騎士だ。彼女が力を必要とするのなら自分がその力となり、彼女が安らぎを求めるなら自分がその対象となる。自分が彼女に求めるものも同じだ。
何故、彼女にこれほどまで傾倒しているのかと考えてみるが、その理由は分からない。ただ、彼女は自分を束縛しない。自分の在り方を否定しない。自分を過大にも過小にも見ず、ただのスコール・レオンハートという人間をそのままで認めてくれている。それが一番だと思う。
リノアは違った。恋人としてのスコール、リーダーとしてのスコール、そうした枠に当てはめて見るところがあった。ただ、それも最初は違ったのだ。あくまでも最初のうちはただのスコールだった。それが時間が経つにつれ、徐々に恋人として、リーダーとしての視点が増えるようになった。それが嫌だった。
リディアは決して自分を押し付けない。自分が必要なら必要だと言い、それでいて相手の考えを尊重する。リノアのように押し付けることがない。責任とか重圧とかを決してかけてこない。
だからだろうか。逆に自分は彼女に認められるような存在になりたいと思うようになっていた。
そして、彼女を誰にも渡したくないと思うようになっていた。
本当にどうして自分がこんなに一人の人間に焦がれてしまったのかは分からない。
分かるのは、自分が彼女なしではどうすることもできないということ。彼女の存在が今の自分を形作っているのだということだ。
おそらく、彼女は強いのだ。心が。その強さに惹かれているのだと思う。
彼女は壁に当たっても決して挫けず、正面から突破することに全力を尽くす。見ていて放っておけない。助けなければ、と思わせる。誰かに頼ることなく、一人で困難に立ち向かう姿に、自分は惹かれたのだ。
それに比べて自分はどうだろう。困難があればすぐに逃げようとする。回りは自分のことを誤解しているようだが、自分なんか全然強くない。リディアの百分の一も強くない。だから自分は、せめてリディアにほんの少しでも近づけるように努力しているのだ。そして、リディアに認めてもらいたいのだ。がんばっていると、よくやっていると、リディアのように自分よりはるか高みにいる人物にそう言ってほしいのだ。
だから自分は、告げなければならない。
自分にとって一番必要な存在である、彼女に。
「危機は去った、とみていいのかのう」
リヴァイアサンの言葉に、傷つき倒れていた幻獣たちがのろのろと起き上がってきた。彼らはアスラの回復魔法で少しずつ力を取り戻していく。
だが、失われた存在は帰ってこない。ジハードの魂は永遠に失われた。もう二度と彼は召喚獣としてどの世界にも呼び出されることはない。幻の世界を生きる獣たちにとって、存在の消滅ほど恐ろしいものはない。新たに『ジハード』という存在が生み出されない限り、彼が復活することはありえない。だが、その確率は天文学的な数値だ。まず、金輪際ありえないだろう。
「ともかく、助かったぞい、リディア。幻獣界を代表して礼を言う」
「私にとってもここは故郷です。故郷を守るために命をかけるのは当たり前です」
だが、リディアはそれを誇らない。当然のことだと言い切る。リディアは幻獣界の客ではない。住人なのだ。
「ふむ。だが、こちらの方には完全にご迷惑をおかけした。ご協力感謝する」
「いや」
スコールは膨れた様子で言うが、別に膨れているわけではない。リディアが幻獣界の住人で自分はそうではないという歴然とした事実が悔しかっただけだ。
「スコール、その子」
「その子、はやめていただけないかな、お嬢さん」
グリーヴァがむすっとした様子で応える。
「あ、ご、ごめんなさい。えっと、お名前は?」
「他者に名を聞くときは自分から名乗るものだろう」
「あ、はい。私はリディアといいます」
「ふむ」
鬣をなびかせた気高き獣は、自分と同じくらいの高さの少女を見つめて頷く。
「スコールの愛する者か。なるほど、スコールはこういう女性が好みか」
グリーヴァにはスコールをからかうとかそういう意思は全くない。ただ単に、納得したことを口にしただけのことだ。
だが、それはスコールにとって堂々と言ってほしくない内容のものだ。機嫌を悪くして睨みつけるが、グリーヴァは全く意に介さなかった。
「我が名はグリーヴァ。スコールの友として活動しようかと思っていたが、それ以外にリディアと契約を結ぶのも悪くない」
鬣をなびかせた獣はゆっくりと近づいてきて、ふしゅう、と息を吐いた。
「これからよろしく頼む、リディア」
「はい。こちらこそ、いろいろとよろしくお願いします」
「ふむ」
獣の瞳がリディアの全身を見る。
「なるほど。召喚士としての資質はもちろんだが、その気質が素晴らしい。人間とは思えないほどだ。スコールにはすぎた相手だな」
「グリーヴァ」
スコールが獣を睨みつける。もちろんグリーヴァに悪意はない。思ったことを素直に言うだけのことなのだ。
「スコールよ。私をジャンクションするがいい。私はスコールの守護役となろう。無論、リディアの召喚にも応じるが」
このどこまでも一本気な獣のことが、スコールは早くも苦手に感じていた。だがそれはもしかすると、自分が思い描いていた強さが体現していることに対する、気後れのようなものなのかもしれない。
「助かる」
スコールが頷くと、グリーヴァは満足そうに頷き返した。
「何はともあれ、よくディオニュソスを撃退できたものだ」
エウレカがリディアの傍らに立って言う。
「はい。ディオは私たちの誰よりも強かった」
「ハオラーンにせよディオニュソスにせよ、カオスよりは与しやすいだろう。スコールは相棒を得て力を増したが、リディアよ、お前はお前の守護役を得るといい」
「守護役……幻獣の?」
「そうだ。お前にふさわしい相棒をな」
ディオニュソスに匹敵するような幻獣となるとそう簡単にはいない。アルテミスやアフラマズダでは力不足だろう。
「エウレカは」
「私では話になるまい。何しろまだ幻獣になりたてだからな。私より相応しい者は別にいるだろう」
「別に?」
だが、それに見合う相手は考えつかなかった。エウレカよりも力のある者がいただろうか。思い浮かぶのはルナにバハムートだが、彼らは自分の守護役ができるほど暇ではない。
「エウレカに心当たりがあるのですか」
「無論。お前にもっともふさわしい相手だ──どれ、いつまで隠れている。出てきて姿を見せたらどうだ」
その呼び声に応えるようにして現れたのは、リディアの頭の大きさよりも小さな小人だった。
「カロン」
「ほほ、久しいの。それにしても気付かれるとは思わなんだが」
「ずっとこの幻獣界にいたようだな。リディアがこっちに来ると分かっていたのか」
「ハオラーンがこっちの世界を滅ぼしに来ることが、かの。酒神がこっちに来おったんで、わしが相手をせねばなるまいかと思っておったが、どうしてどうして人間界の者たちは強いのう」
カロンはこんな小さな姿はしているものの、いざというときの力が強いのはリディアにはよく分かっている。あのサタンと最後、五分の戦いをしたのはこのカロンなのだ。
「もしかして、カロンが私の守護役になっていただけるのですか」
「こんな爺でもよければの。ま、契約はいずれさせてもらう予定じゃったが、PLUSで力をつけてきたお主が契約相手ならば不足はない。喜んで守護役をさせてもらうよ」
そうした一連のやりとりを聞いて不満に思っていたのはスコールだ。
ずっとこの戦いを見ていたというのなら、どうして先ほどの戦いに参加しなかったのか。そうすればジハードも消滅せずにすんだかもしれないというのに。
「考えとることが顔に出とるよ、若いの」
だが、それを読み取ったのか、カロンがスコールに向かって言う。
「守護役はやらせてもらうが、あまりわしの力を過信されても困る。なにしろわしの力などお嬢ちゃんのためには何もならんよ。ただ唯一、特定の相手と戦うときだけは充分な力となろう」
「特定の?」
「たとえるならサタンもそうであったし、これからならばハオラーンがそうだ。ディオニュソスが相手ではいささか困る。わしの敵と認定はされておらんからな」
「何か違いがあるのか?」
「わしは全ての世界を救う者に協力するために生まれてきた者。詩人の言葉を借りるなら『救済者』とでも名づけるかの。その救済者の敵が、わしの敵じゃ。いわばハオラーンのことじゃよ」
「ディオニュソスは敵ではないと?」
「敵にならんよ。わしは初めからハオラーンと戦うためにここにいるようなものじゃからな。だがまあ、幻獣たちにしてみればハオラーンやディオニュソスの存在は危険じゃろ」
「何故」
「そりゃ、自分たちの生みの親がいなくなるようなものじゃからの。人間がいなくなれば幻獣は存在する理由がなくなる」
確かにその通りだ。幻獣が人間の信仰が生み出したものならば、人間がいなければ幻獣はもう生まれないということになる。
「あんたは本当に幻獣なのか?」
スコールが単刀直入に聞くと、カロンは喉の奥で笑った。
「さて、どうかの。少なくともサタンやハオラーンは幻獣ではない。それと同じでよいのではないかな」
答える気がないのか、それともスコールの聞き方が悪かったのか。いずれにしても返答がもらえないのならそれでもかまわない。
「ならば、俺たちは元の世界に戻る。ハオラーンを倒さなければならないからな」
リディアを見て言う。彼女も頷き、スコールの傍らに立つ。
「リディア」
彼女に声をかけてきたのは少年の格好をした美少女、アルテミスだ。
「なに、アルテミス」
「ディオニュソスとの戦いのときは、必ず私を呼んでくれ。あの男にはお仕置きが必要だ」
彼女の表情は真剣そのもので、否定できるような要素はどこにもなかった。
アルテミスを自分に紹介してくれたのはディオニュソスだ。初めて会ったときから、あまり仲が良さそうには見えなかったが、いったいどういう関係なのか。
「心配しなくても、私はあの男に手加減などはしない。ただ、知人として幕を下ろす手伝いをしたいだけだ」
「ん、分かった」
「感謝する。そのかわりと言ってはなんだが、これを預けておく」
アルテミスが手渡したのは、握り拳くらいの大きさの、灰色の石だった。
「これは?」
「月の石だ。私もお前たちの世界の状況は確認しているが、ハオラーンがお前たちにルナティックパンドラを壊させたのはこれが理由だ」
何の変哲もない石。それが理由だといわれても今ひとつ分からない。
「どうして?」
「月には最初の魔女、ジュリアがいる。カオスと反対の力を持つ者だ。その力を借りればハオラーンを倒すことも可能になる。だからハオラーンはお前たちを月に行かせたくなかった。だからラグナロクを破壊しようとし、ルナティックパンドラを壊させた」
「待って。なんでそこで、ルナティックパンドラにつながるの?」
「あれは月の涙を落とす。月の涙と一緒にこの月の石が落ちてくる可能性があるから、ハオラーンはそれを避けたかったのだろう。この月の石はエネルギーの塊だ。ラグナロクの動力炉にくべれば月まで行くことは可能だろう」
途端に、その変哲もない石が大変貴重なものであるということが理解でき、その手に持つ感触すら変わってしまったような感じがした。
「ただ、その大きさではおそらく月までの距離を移動することはできないだろう。もう一つか二つくらいあるといい。帰りの分は月で採集すればいいから問題ないが」
「それはどこに行けば」
「お前たちの世界ならば、おそらくシュミ族が持っていただろうな。ただあそこは、ディオニュソスが滅ぼしてしまった」
「ディオが」
「ああ。だが、行ってみて悪いことはないはずだ。シュミ族の村でそれが見つかれば、あとはラグナロクで月に行くだけだろう。ハオラーンも月にいる。ディオニュソスとの決着もそこでつけられるだろう」
「シュミ族か」
スコールはかつてあの村を訪れた時のことを思い返す。影石やら水石やら、わけのわからないものを探させられたが、あれはあれで思考をやわらかくすることができたが。
「分かった。まずは行ってみる」
スコールが変わりに答えると、アルテミスはスコールを見上げて言った。
「色男、リディアを頼むぞ。この子は私たちにとって大切な人だからな」
「もちろんだ。それに、リディアを必要としてるのはあんたたちだけじゃない。俺もそうだ」
スコールは傍らのリディアをその腕に抱きとめる。
「俺は、こいつの恋人だ。守るのは当然だ」
幻獣たち全員の前での告白に、リディアの顔が真っ赤に染まる。
「ちょっと、スコール!」
「不満か?」
そのスコールの表情も真剣なものだった。逆に慌てていたリディアが怯む。
「いや、不満とかないけど、でもみんなの前で!」
「いや、リディア。それくらい言い切れる男の方が信頼できる。それもこの色男は口だけじゃない。力もあるし、口にするだけの覚悟と責任もある。いい男を選んだな、リディア」
アルテミスが淡々と説明すると、リディアはますます顔を赤くした。
「知らないっ!」
リディアの叫びにカロンがほっほと笑い、空間に道を作り上げた。
「ならば行くがよい。戦いはもうすぐ終わる。ディオニュソスとハオラーンを倒せば、この長い物語も終わりを迎えるのじゃからな」
二人は頷くと、再び戦場へと戻っていった。
195.力の本質
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