「リシア、何故断らなかった」
彼女は風を身にまとって空に浮かんでいた。彼の質問に答えようとせず、ただ風の中に身を任せている。
彼、グラフィケインはこの女性が苦手だった。苦手ゆえに、惹かれる。自分が決して持ち合わせないものを持ち合わせた女性。自分よりはるかに強く、それゆえに弱い女性。静かで激しく、優しくも残酷な女性。全ての矛盾を内包し、決して自分に手の内をさらすことはしない。
「お前には断ることができたはずだ。その権利がありながら、何故、俺と離れるような真似をする」
だが彼女は答えない。自分も何となくだが、返事がもらえるものとは思っていない。彼女ははぐらかすとき、絶対に何も言わない。言葉が嘘であることをよく知っていて、自分に対して嘘をつきたくない。そうした誠実と嘘が彼女に何も話させないのだ。
「お前をひとりで行かせるつもりはない」
「ひとりじゃないわよ。ルビカンテ様や、あのふたりもいるし」
「カイナッツォとスカルミリョーネか。あいつらが何の役に立つ」
「もうひとりもね」
「カルコブリーナか? 余計役立たずだろう。お前は、そんな役立たずと一緒に行動させられるのだ。それが何を意味するか、お前には分かるだろう」
「同じマレブランケに対して、ひどい言葉ね」
くすくすと風の中にたゆたう女性が笑う。そういう言葉を吐きながらも彼女もまったく同じことを思っているのだ。
おそらくこのマレブランケの中で最弱はカルコブリーナ、そしてスカルミリョーネにカイナッツォといったところだろう。力比べをしたことはないが、マラコーダ、ルビカンテ、ドラギナッツォがトップスリー、その次あたりにアリキーノとリビオッコあたりだろうか。バルバリシアや自分、それにシリアット、ファーファレロあたりがさらにその次。そして残り三体。
つまり、マラコーダが選んだメンバーというのは、副リーダーのルビカンテに『下から四体』を選んだ、ということなのだ。
「お前は、下から四番目とされた、いわば、捨て駒だ」
「仮にも自分の女に向かって言う台詞じゃないわよ」
それでも彼女は全く動じていない。そう、彼女も分かっている。彼女の力は自分より上だ。それゆえに、彼女は自分より評価されない。
「マラコーダ様が何を考えているのか、俺には分からん。確かに仲間を思ってくれているのは間違いないが、この選定は納得がいかない」
「つまり、マレブランケのメンバーを取捨選択した、と言いたいわけ?」
「いや。それだけなら『分からない』とは言わない。マラコーダ様が『お前』を選んだ理由は他にあると思っている」
「同感」
笑顔は絶えることなく、ただ暗い天空だけを見据えている。
「私もそう思う。だから、行ってみることにしたのよ。向こうの世界に何があるのか、それを確かめるためにも」
PLUS.208
憎悪と嫉妬と
jealousy
巨大な両手剣が閃く。斬撃は鋭く、リディアは冷や汗をかいた。
今、自分を守る者はいない。スコールは遠く離れ、カインはもう一体のマレブランケと戦っている。この戦いは自らの力で勝利しなければならない。
無論、幾つか方策は考えてある。ただ、そのためには一度『召喚』をしなければならない。その隙をシリアットが作ってくれるかどうかだ。
「死になさい、リディア」
シリアットが接近する。が、リディアは得意の高速真言でただちに魔法を放つ。
「アルテマ!」
至近距離で暴発した魔法に、リディア自身が吹き飛ばされる。が、それも計算のうちだった。間合いを遠ざけるためには自分にも魔法の効果があった方がいい。
その爆発から飛び出した影に向かって、さらに魔法を放つ。
「ホーリー!」
魔族であるマレブランケに対しては効果が倍増する聖属性の魔法。だが、それも耐え切ったシリアットはさらに接近する。
(近づけさせるもんか)
すぐに思考を切り替える。魔法のレパートリーはいくらでもある。
(やるしかない!)
確実に時間を生み出すためには攻撃魔法だけでは駄目だ。もっと効率的な魔法があるはずだ。
とはいえ、イレースやスロウなどの効果魔法では放つだけ無駄だ。きっとこの敵には魔法は通じない。それを確かめる冒険をするつもりもない。
だとすれば、答は一つ。
(ひきつける)
確実に近づいてくるシリアットの姿をその目に捕らえる。
確かに、自分には攻撃する力も身を守る力もない。それでも肉弾戦が不可能というわけではない。
何故なら、自分には最強の『盾』がある。
「アイギス!」
最強の防御魔法。全ての攻撃を防ぐ『神の盾』。今まであらゆる攻撃を防いできた鉄壁の防御陣に、さすがのシリアットの剣も阻まれる。
「ぐっ」
無論、盾で自分を覆うということは、逆に自分からの魔法も相手に届くことがない、ということでもある。そのかわりに自分はもう一つの魔法を使うことができる。
そう、召喚、という魔法を。
「我が友よ! 私に力を貸して──アルテミス!」
怯んだシリアットの隙をついて魔法が完成する。
そこに現れたのは、つい最近幻獣界で別れたばかりの月女神だった。
『我が名を呼んだな、リディア』
彼女は嬉しそうに盾の向こう側に現れた。
『それも以前より、はるかに強い拘束力で。友の強化は我の強化。これほど喜ばしいことはない』
そう。
アルテミスは確かにそこに『実体化』していた。
つまり彼女はこれからしばらくの時間、共に戦うことができるということだ。
『星天弓!』
アルテミスはシリアットの背後から弓を引き絞る。
『不浄なる者よ、消えよ! アストラル・アロー!』
星の光がシリアットを貫く──かに見えた。
「この、程度でっ!」
シリアットは迫る光の矢を、両手剣で薙ぎ払った。
「この私を倒せると思ったら、間違いです」
だが、一瞬見せた焦りの表情は、確かに彼女を追い詰めていた証拠だ。あと一歩のところまで来ている。
(今なら)
アルテミスとリディア。自分たちふたりの力ならば、可能だ。
(マレブランケを、倒す)
アイギスが消えると同時にリディアは次の魔法を唱えた。
「アポカリプス!」
黙示録砲が放たれる。さらにはアルテミスから続けざまに光の矢が放たれる。
「甘いですね、リディア」
それらを全てかいくぐり、シリアットが自分に接近する。
「私はあなたに復讐する、リディアっ!」
両手剣が水平に繰り出される。
「ルビカンテ様の、仇っ!」
だが、その剣は空を斬る。紙一重でかわしたリディアはすぐに魔法を放つことなく、相手の隙をうかがうべく側面へ回り込む。そして今度こそ、彼女に唱えられる最大の魔法を放った。
「エクスティンクション!」
無論、その余計な動作はシリアットが魔法を回避するのに充分な時間だった。シリアットは防ぐことなどまるで考えずに飛び上がって回避する。
それが、リディアのしかけた罠だということも気付かずに。
一方、カインとグラフィケインの戦いは完全に膠着していた。
槍と双剣の戦いは、互いに決定打を繰り出せないまま時間だけがただ闇雲に過ぎていた。マレブランケたちは空を飛ぶことができるが、グラフィケインは地に足をつけて戦うのが好みなのか、飛び上がることもなくただ双剣を繰り出している。ジャンプ攻撃という切り札を持っているカインの方が逆に跳ぶタイミングを逸していた。
竜騎士は三次元での戦いを得意とする。こうした平面での、二次元での戦いは得意とするところではない。竜騎士の能力を半分以上そがれているようなものだ。おそらくグラフィケインはそのあたりも考慮して地上での決戦に持ち込んでいるのだろう。
無論、カインが飛び上がったならば、それに対する反撃の手段は十二分にあるに違いない。
(だが、分からないな)
戦いを続けるうちに、いやこの戦いが始まる前からか。
グラフィケインは、何故、自分をそこまで憎むのか。
いや、憎むのは当然だ。自分がバルバリシアを殺した。直接手をかけたわけではないにせよ、自分たちとルビカンテたちが戦ったのは事実だし、バルバリシアの死に関係しているのは間違いないことだ。
ただ、それだけではない何かをこのグラフィケインからは感じる。
それも、この目。
この目を見ていると、誰かを思い出す。自分のよく知っている、誰かを。
(考える必要はない)
カインは余計な思念を振り払う。所詮、敵は敵だ。自分はただ敵を倒すことだけを考えればいい。
「倒す」
カインが意を決して力をためる。空高く舞い上がるための力。風を読み取り、効果的にジャンプするための力。
「来い、カイン」
グラフィケインは双剣を構えた。
「風のバルバリシアを倒したその力を見せてみろ」
(やはり、待っているのか)
自分が、最も力を発揮することができる攻撃を。そして、それを打ち破り、完膚なきまでに倒すことこそ、この男が望むことなのだろう。
(何を企んでいるのかは分からないが)
このまま勝負を先延ばしにしても埒が明かない。こうしている間にもファリスは捕らえられ、リディアは苦戦しているのだ。
「いざ、勝負!」
カインは高く飛び上がった。そして、上空から下にいるグラフィケインを見下ろす。あとは急降下するだけだ。
だが、下にいたグラフィケインは双剣を構えたままそのカインを見上げていた。
敵はこの急降下を防ぐ方法がある。それが分かる。
だが、相手の予測を上回るスピードとパワーがあれば、打ち破れる。まさに力と力のぶつかりあい。
(どちらの方が上なのか、勝負!)
カインは急降下を開始した。天竜の牙がグラフィケインの心臓を狙う。
「どれほどのスピードも、パワーも」
グラフィケインはだが落ち着いて双剣を振る。
「バルバリシアの風の防御陣の前に、竜騎士の攻撃は不発!」
その二本の剣が、急激な上昇気流を生み出す。急降下していたはずのカインは、その風にあおられて完全にバランスを崩す。
(なっ、まさか、竜騎士の風を混乱させるとはっ)
カインは完全に体勢を崩していた。隙だらけの体がグラフィケインの前にさらされる。
「奥義」
自由落下してくるカインに、グラフィケインは双剣を振るう。
「双竜閃!」
双剣が閃く。カインは何とか致命傷をまぬがれるため、首筋や心臓は守ったが、体中に裂傷を浴びる。鮮血と、カインの体そのものが大地に落ちた。
「バルバリシアの痛み、思い知ったか!」
双剣の一本を、倒れたカインに突きつける。完全に勝負あった。
「もはや貴様は戦えまい。これで、俺の復讐が成る!」
「復讐とは、笑わせる」
だが、その攻撃を受け、大量の出血があるにも関わらず、カインは正確に相手の感情を読み取っていた。
そう。ようやく気付いた。
彼の感情の正体。それは、復讐、などではない。
「お前の目、誰かに似ていると思った」
「なに?」
「誰かは分からなかった。今、この時まで」
「ならば、最後に聞いてやろう。俺が誰に似ているか、ということを」
もはや勝負あった、と思っているのだろう。グラフィケインは余裕の笑みを浮かべていた。
「お前が似ている者。それは、俺だ」
「なに?」
「嫉妬で狂っていたときの俺が、鏡の中に見た目と同じだ。お前は、俺に嫉妬をしている。かつて俺が、セシルに嫉妬していたように」
「お……俺が、貴様に嫉妬している、だと?」
「気付いているのだろう」
そう。カインは思い出す。
かつてゴルベーザに操られていたとき、その部下として働いていたバルバリシアの姿と、そのときにかわした言葉を。
「バルバリシアも同じ目をしていたな……ローザに」
「……」
「お前はバルバリシアを自分の女だと思っていたようだが、そうではない。バルバリシアにとってお前は都合のいい相手だったにすぎない。そして、バルバリシアは見つけたのだ。自分の興味を惹く男を」
「な、何を」
「そう。お前が俺に嫉妬する理由。それは、バルバリシアが俺に恋愛感情を抱いた、ということだ」
いつも。
彼女の心が分からなかった。
それは単に。
自分のもとに、彼女の心がなかったからではないのか……?
「嘘だ」
「それが真実であるというのは、どうやらお前の方がよく分かっているらしい。そうでなければ、それほど動揺することはないだろう」
「嘘だっ!」
グラフィケインは大きく右手を振り上げた。だが、倒れながらもカインはこの戦場すべてを正確に見渡していた。
動揺したグラフィケインはもはや回りに目がいかない。ましてや、自分の背後など。
カインが右手の槍に力を込める。
瞬間。
リディアの放ったエクスティンクションが、グラフィケインを直撃した。
「がはっ!」
「とどめだ、グラフィケイン」
完全に動きの止まったグラフィケインの胸を、天竜の牙が貫く。
「お前はバルバリシアのおかげで俺をおいつめたが、バルバリシアのせいで命を落としたのだ」
「ばかな、ばかな、リシア、リシア、なぜ、なぜお前は、俺を……俺を」
ごふっ、とどす黒い血を吐き出す。そしてカインは槍を引き抜く。
「辛いか、グラフィケイン」
カインは立ち上がると、それでもなお倒れずに堪えているグラフィケインを見つめた。
「だが、恋愛とはそうしたものだ。裏切られようと、振り向かれなくとも、それでも感情だけは尽き果てることがない。お前は、昔の俺と同じだ。違うのは……お前には、信頼すべき友が誰もいなかった、ということだ」
カインは槍を振り上げた。
「さらばだ、グラフィケイン」
その槍を振り下ろす。首が空に舞い、大地に落ちる。その首と胴体とが塵と化すまで、さほど時間は必要としなかった。
209.あの日の真実
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