私は、一億年の束縛の刑を受けた。
意識が途切れることのない、永遠にも似た束縛。その長い、長い年月を経ることによって、自分の中の全ての感情と記憶を押し流すのが、刑を下した者たちの判断だったらしい。
その判断は、おそらく正しい。
最初の百年──もしかすると、ほんの数日だったのかもしれないし、一千年だったのかもしれない──は、ただ呪った。呪い続けた。そして、自分の呪いが誰にも届かないことを悟った。
意識だけがただ永遠と流れる。時間の感覚もなくなる。
自分は、何故、生まれたのか。
魔族としての生を受けた理由は知らず。ただ人の母に生まれ、幼い頃から自分を痛めつけられ、その中で人を恨み、さげすみ、やがて殺した。
そして、その本能のままに──人間を喰らった。
その場に居合わせた母が絶望して、完全に人間としての意識を手放したから、自分の理解者は誰もいなくなった。
そもそも母は、どうして自分を身ごもったのだろう。父親を知っていたのだろうか。母からは父のことを何も聞いたことはない。
だから喰らった。母も。村の人間も。全てを。
自分は、何故、生まれたのか。
兵士たちがやってきて、自分を殺そうとする。
逆に殺して、喰らった。
何人も何人も喰らった。
白かった肌は、人を一人食べるごとに、黒く染まっていった。
ただ、いくら食べてもたった二箇所、鬣のような赤い髪と、左耳だけが染まらなかった。
そういえば。
自分の母親は、何故か左耳だけがなかった。
自分は、何故、生まれたのか。
最終的に自分を裁いたのは、神。
一億年の束縛を与え、時間と空間から切り離された世界に閉じ込められ、意識だけが一億年という時間を経過させることになった。
次の百年──もしかすると、ほんの数時間だったかもしれないし、一万年だったのかもしれない──は、餓えと渇きを求める時間だった。自由、というものに対する餓え。時間、というものに対する渇き。
どれだけの時が過ぎたのか。一万年か。十万年か。百万年か。もしかすると、まだ一年も経っていないのかもしれないが、徐々に感情が磨耗して、何も考えられなくなって、自分の意識が途切れそうになった。
そのときだった。
『お前は、何故、生まれた?』
分からない。
だが、その疑問に答えることが、自分の望みだった。
『ならば、その機会を与えよう』
目を開けると、そこに一人の男がいた。自分の体は束縛される前と同じようによく動くようだったが、精神が命令を出そうとしなかった。それだけ精神が疲労していた。
「私に忠誠を誓いますか?」
黒い肌の男は、ただそれだけを尋ねた。
「はい。我がマスター。いかようにもご命じ下さい」
マラコーダの最も忠実な部下、ドラギナッツォはこうして配下となった。
PLUS.210
竜魔
the strongest devil
訓練施設。
トラビアガーデンにもそうした施設はある。もともと三ガーデンは全て同じ設計になっていた。それを各ガーデンのマスターたちが少しずつ変化させていったにすぎない。
訓練施設には時にアルケオダイノスのような、逃げることを前提とした相手もいたりするのだが、ほとんどの敵は簡単に倒せるようなものばかりだ。もっとも、アルケオダイノスですら、これから襲ってくるであろうマレブランケたちに比べれば、赤子のようなものではあるが。
彼がこの場所にやってきたのは、たいした理由ではない。全力で力を出せる場所が欲しかった。それだけだ。何しろこれから、自分は命をかけて戦わなければならないのだから。
(僕が、何とかしなければいけない)
カインもスコールも、自分たちにできることをしようとしている。それに比べて自分は何ができるだろう。ブレーンが必要なのは分かっている。だが、これからこの場所で起こるであろう殺戮を、自分に止めることはできないのだろうか。
確かに力は足りない。だが、そのかわり誰にも負けない頭脳がある。これで今まで自分は生き延びてきた。
(僕がみんなを生き延びさせなければならない)
その意味でブルーの使命感は非常に強い。もともとこの世界に来たばかりのころはそんなことは考えもしなかった。アセルスと二人、全ての世界を守り、自分たちが暮らしていける世界を守り、そしてアセルスを人間に戻すことだけしか考えていなかった。
(仲間というのはいいものだな)
いけないいけない。そういうことを考えるのは死期の近い証拠だ。
どこまでも慎重に、目の前の戦いに集中しなければならない。
そして彼は集中を凝らす。
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
茂みの奥に向かって言う。すると草を踏む音と同時に黒い肌の男が現れた。
「マレブランケだな」
「よく気付いたものだ。ただの人間にしては惜しい力だ」
炎のような、赤い鬣。そして黒い肌。背はそれほど高くないようで、整った少年のような顔立ちがやけに目につく。武器などはどこにもない。格闘専門、ということだろうか。
「ブルー、だな」
「そうだ。お前は」
「ドラギナッツォ」
言ってから、ドラギナッツォは周囲を見る。
「こんなところに一人でいるとは、殺されるためにいるようなものだ」
「そうかもしれない。でも、お前は僕を殺すためにここに来た」
「……囮、か」
「そう。僕は他のメンバーがここに来るまでの間、お前をひきつけておくことができればいい。そうすれば無駄な人死にが出なくてすむ」
既に発光弾は発射している。マレブランケがこの場所にやってきたことを悟ったブルーは、発光弾を撃たせてからすぐにこちらへ向かってきたのだ。
「いいだろう。ならば、その過信を後悔させてやろう」
ドラギナッツォが少し足を踏み込む。
その瞬間、ブルーが小さく頷いた。その、上空から──
「デミルーン!」
「黄竜剣!」
二人の男──ハリードとユリアンが、ドラギナッツォに襲い掛かった。
「上か」
二人が剣を切りつけるが、ドラギナッツォの姿が掻き消えて、さらに二人の上空から出現する。
「な」
バックを取られたのはユリアンだった。ドラギナッツォは空中でユリアンの肩と足を掴むと、受け身の取れない体勢で地面に叩きつけた。
「まず、一人」
手刀で首を落とそうとしたが、それより早くブルーのマジックチェーンが飛ぶ。その行動を束縛しようとする。
だが、そのマジックチェーンもすぐにかき消され、突進したハリードも弾き飛ばされる。
(こいつ、強い)
だが、最後にユリアンを救ったのはもう一人隠れていた女性、モニカだった。物陰から放たれた影矢が、ドラギナッツォに気付かれるより早く急所を貫く。
「む」
その矢が刺さった場所から石化が始まる。これはメドゥーサの矢。ドラギナッツォは矢を引き抜いて、ただちに石化の解除を試みる。その間によろよろになったユリアンがとりあえず間を置く。
「月光!」
そのユリアンを回復させたブルーだったが、この圧倒的な力の差に早くも劣勢であることを認めざるをえなかった。
(戦力的に、やはり充分ではないな)
しかも、自分はまだ本調子ではない。どうもPLUSから帰ってきてからというもの、自分の魔力の戻りが遅い。半分、といったところか。確かに随分と無理はしたのだが、それにしても遅すぎる。
(やはり、レミニッセンスをどう打ち込むかが問題になるな)
もっとも、現状の魔力を全部つぎ込んでも勝てるかどうかは分からない。
レミニッセンスは自分の魔力を全て相手につぎ込んでオーバーロードさせる荒業だ。自分の魔力が足りなければオーバーロードさせることができなくなる。
「どうするつもりだ」
ハリードが尋ねてくる。現状で打てる手はない。倒せるのなら倒してもいいのだが、どうも実力が違いすぎる。
「カインやスコールが戻ってくるのを待つ。とにかく時間を引き延ばすのが先だ」
「了解した」
ハリードも決して無理をするタイプではない。ユリアンとモニカにいくつか指示を出すと、自ら先頭に立つ。
「こうしてハリードがいてくれると安心するな」
「本当に」
二人はそう言うが、当のハリードはそれほど楽観的ではなかった。
「俺の力が及ぶような相手ではない」
相手の実力は既に把握している。自分よりも数段上だと。
「間違えるな。我々の任務は、この場を維持することだ」
「分かった」
「援護しろ。ユリアン、モニカ」
このメンバーではドラギナッツォと正面から戦えるのはハリードだけだ。ユリアンも力はあるがハリードには遠く及ばない。それだけの力の差がある。
ドラギナッツォが動く。瞬きをする間にも距離は詰まる。
ハリードが剣を振る。だが、それより早く動く魔族の体は既に彼の後ろにある。
「黄竜剣!」
ユリアンの奥義が連続で出る。ハリードごと吹き飛ばすかのような無茶苦茶さだったが、それくらいしなければダメージも与えられない。ハリードもそれが分かっていて、衝撃波から身をそらす。
だが、相手はさらにそれを上回る。衝撃波をかわしながらもハリードの真上にいた。そして、真下にいるハリードに向かって手を伸ばしている。
その手から、魔力の球がいくつも発射された。
生命の危険を感じ取ったハリードはすぐに回避するが、魔力球はハリードを追ってくる。
「アビス・アーク!」
混沌に連なる技をあまり使いたくはなかったが、あの魔力球を消さなければハリードの命に関わる。ブルーがそうやってエーテルを消滅させることで魔力球をかき消す。だが、既にドラギナッツォは動いていた。
「ユリアン!」
モニカの絶叫。
ハリードが回避を繰り返している間に、ドラギナッツォは先にユリアンに狙いを定めて動いていたのだ。
もちろん、彼で防げる相手ではない。モニカが威嚇の矢を放つが、軽く回避されてユリアンの懐に入り込まれる。
咄嗟に回避しようとしたためか、腹部に入ったブローで大きく殴り飛ばされたが、それでも腹部を貫かれることはなかった。おそらくドラギナッツォはそのつもりだったのだろう。ぎりぎりのところだった。
だが、ドラギナッツォの攻撃は止まない。大地に倒れたユリアンにとどめをさすために、そのまま飛び掛る。
「ユリアンっ!」
ブルーの魔法も、モニカの矢も間に合わない。
ユリアンは死を覚悟した──
が。
衝撃はなく、ただ、静寂だけが訪れる。
「ハリード……」
彼の命を救ったのはハリード。
その、体。
「ハリード!」
「うろたえるな、ユリアン」
彼の胸は、ドラギナッツォの腕で貫かれていた。その腕を掴むと、もう片方の腕で、手にしたカムシーンを振り下ろす。
「ぐっ!」
その、ドラギナッツォの右腕を切り飛ばした。
無論、右腕は、ハリードの胸に刺さったままだ。
「ハリード!」
「うろたえるなと言ったはずだぞ」
ハリードは自分が手にしていた名刀カムシーンを逆手にした。
「ユリアン、取れ」
「え」
「取れ。俺はもう、もたん」
顔色が変わる。確かに、胸を貫かれては、もはや致命傷だ。助かる見込みなどない。エアリスでも生きていて全快の魔法でも唱えれば別だが。
「カムシーンをお前に託す。使ってやるがいい」
「でも」
「忘れるな。お前には俺と違って、守るものがある、ということを」
ハリードはこの剣を取ったがために、最愛のファティーマ姫を失った。
だが、ユリアンは違う。これからモニカ姫を守るために、力が必要なのだ。
「ハリード」
「気にするな。俺はもともとお前たちと共に戦うためにここに来たわけではなかった。生きながらえることができて幸運だったと思え」
「思えるか! ハリード、死ぬな!」
「使命は果たした。悔いはない」
そういい残して、ハリードはがっくりと前に倒れた。
「姫……今、おそばに」
それが、彼の最後の言葉となった。
静寂。
ハリードが死に、ドラギナッツォは最大の武器、右手を失った。
この状況をどうするべきか。一気呵成に倒してしまうのか。それとも敵の出方を見た方がいいのか。
ブルーも当然ハリードの死に動揺していないはずがない。だが、感傷にひたるのは後でもできる。今は目の前の敵を倒すことが先決なのだ。
だが、どうすればいいのか決めかねている。それは、このドラギナッツォという敵がまだ隠しだまを持っているような気がしてならないからだ。
その静寂を破ろうと、ドラギナッツォが片腕を失った怒りをこめて一歩踏み出した。
「おっと、少しばかり遅れちまったぞ、と」
その訓練施設に、赤い髪の男と、白い肌の女が入ってきたのはそのときだった。
211.重なる感情
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