かつて、出会いがあった。
 自分を愛していると言ったその人間の男を信頼などまるでしていなかった。一緒にいたのはただ、人間という個体が自分とどう違うのか、というそれだけ。
 しばらくの間、行動を共にした。その間に徐々に情が移った。

 十年の恋。

 恋をしていたのは彼の方だったのか、それとも自分の方だったのか。
 何があっても離さないと言った彼。だが、それを望んだのは誰だったのか。
 彼は自分を魔族だともちろん知っていた。知っていて傍にいるのはどれほどの勇気がいることだろうか。
 恐れることはないのだろうか。
 自分とは違う相手。同じ個体同士であれば、相手のことはそれなりに理解ができるもの。本能ではなく理性でお互いを認め、傷つけないようにすることができる。
 だが、人間は本能で魔族を恐れる。彼は自分を恐れなかったのか。
 自分は怖かった。
 人間である彼が、自分を攻撃してくることがないかどうか。
 彼は、一度も攻撃することはなかった。
 ただ愛し、愛し、愛し続けてくれた。

 この幸せが、いつまで続くのだろう?

 十年という期間は、自分の生の中で、最も充実していた期間。
 そして、彼への愛情が強くなり続けた期間。
 成長する人間というのは、日ごとに愛しさを増す。
 自分はきっと、彼が老人となっても、そして死んだ後も、ずっと愛する自信がある。
 そう、思っていた。

 あの、終わりの日までは。












PLUS.211

重なる感情







I have loved him since then






「……何故、お前がここにいる」
 ドラギナッツォは厳しい視線で、レノの隣に立つアリキーノを睨みつけた。
「何故も何もありません。私はこの人間の男と契約をした。私を倒したら、私は彼のものになる、と。ただそれだけです」
「馬鹿な」
 ドラギナッツォは苦笑する。
「お前が、人間を憎んでいたお前が、人間のものになる、だと?」
「ドラギナッツォ。あなたが私のことをどう思っていたのかは知りませんが、私は人間を恨んだことも憎んだこともありません」
「だが、お前は、お前の男を殺したあの人間の村を滅ぼしたではないか!」
「そうです。あの村の人間たちは、私の愛しい人を殺したから。ですが、人間が全てそうしたものではありません。魔族に良い者と悪い者がいるように、人間も同様だということです」
 片腕を失ったドラギナッツォが「信じられん」と首を振った。
「仮にお前がその隣に立つ男を愛したとしても、無知な人間どもはその男を殺すかもしれんぞ」
「そのときは、私が彼を守ります」
 やれやれ、とドラギナッツォはため息をついた。
「マレブランケの中では、お前を一番かっていたのだがな」
「そうでしょうね。癖の強いマレブランケたちの中で、一番従順だったのは私でしょう」
「そうではない。その力が、だ」
「私の力……」
 するとアリキーノは少し視線を逸らして俯く。
「そうだ。お前の力は私には及ばないだろうが、ルビカンテやリビオッコよりも強かった。お前がマレブランケとしての力を解放すれば私ですら及ばぬかもしれん。それだけの力をお前は秘めていたというのにな」
「私は、裏切るつもりはありません」
「だが、現にお前はそこにいる」
「はい。ですがこの男とは、マラコーダ様との戦いには加わらない、とはっきり契約しました」
「マラコーダ様とは……では、私との戦いはどうするつもりだ?」
「……」
 アリキーノが言葉に詰まる。それは規定していない、ということなのだろう。
「なるほど。結局、裏切るということだな」
「ドラグ」
「その名で呼ぶな。アリキーノ」
 すると、そのドラギナッツォの背に、竜の翼が生える。
「まさかお前と戦うことになるとはな。こうなるのなら、お前を仲間にするよう画策するのではなかった」
 その声に、アリキーノの顔が歪む。
「……今、なんと」
「あの村の人間たちを扇動したのは私だ。お前を仲間に引き込むためにな。お前のような力のある、従順な戦士がマラコーダ様に仕えたなら助かると思ったまでだ」
「では、マラコーダ様が私を助けたのは」
「計画的だった。初めからな」
「……では、私の愛する人を殺したのは」
「直接的ではないにせよ、私がやったようなものだ」
 アリキーノの表情が固まった。
「……レノ。しばらく、私の方を見ないでください」
「何言ってるぞ、と」
「私はしばらくの間、自分を抑えられそうにありません」
 すると。
 彼女の白い肌に、徐々に黒みがさしてくる。
「見ないでください。私は、この黒い色が、好きではありません」
 だが、レノは目を逸らすことなどできなかった。
 徐々に変貌していく彼女の姿が。
「私は、あの男を殺します」
 彼女の目が赤く輝いた。
「うおっ!」
 瞬間、彼女から闘気の風が吹き出される。その勢いに、思わず彼は一歩退いた。
「ドラギナッツォ! あなたは……私を、ずっとたばかっていたのですね!」
「そうだ。哀れな女よ」
 突進してくるアリキーノに、ドラギナッツォは左腕だけで構える。
 お互い、拳と足とが一番の武器。剣や槍などを使って戦うわけではない。
「本気を出したお前とならば、一度戦ってみたいと思っていた」
 瞬間的に繰り出される無数の拳。だが、それらを片腕で全て弾いていくドラギナッツォ。
「やはりな。お前は、まだまだ力を隠している。さあ、憎悪と欲望の象徴、その肌の色をもっと黒く染め上げるがいい!」
 アリキーノよりも早く体が回転し、後ろまわし蹴りが彼女の側頭部に入る。だが、何とか彼女もガードしたおかげで軽く頭がぶれた程度ですんだ。
「なんて速さだぞ、と」
 レノは呆れて肩を竦めた。やはりアリキーノは自分と戦っていたときは手加減でもしていたようだ。
「レノ」
 そこへ近づいてきたのはブルーだ。
「ああ。遅れてすまなかったぞ、と」
「それはいい。それより、どういうことだ。彼女はいったい」
「ありゃマレブランケのひとりだぞ、と」
「それがどうして、同士討ちなんか」
「俺が倒して仲間にしたぞ、と」
 その言葉にブルーが目を白黒させる。まさか、そんなことが別の場所で起こっているなどと思いもしなかった。
「一人でか?」
「おかしいか?」
「おかしい以前に、そんな危険なことをするな」
「おいおい、ひとり倒して引き抜いてるんだから、もう少し感謝くらいしてくれてもいいと思うぞ、と」
「感謝はしてる。それに、決定的に戦力が不足していたのは確かだ」
 戦いはもはや余人が入るようなゆとりではなくなっている。
 徐々に黒くなっていく肌。
 それが、彼女の憎悪の象徴だというのなら、それは理性をなくして本能で生きるようになっていくということだ。
「すましていたあいつもなかなかだが、感情豊かな方も悪くはないぞ、と」
 本能のままにしておいたらどうなるのだろう。もしかすると人間を見境なく殺すようになるのだろうか。だとしたら今は自分に敵意がなくても自分を殺すようになるのだろうか。
(ま、それも一興だぞ、と)
 たとえどのように死ぬのだとしても、どのみち自分の望む死に方はもうできない。だとしたらいかなる方法、いかなる状況であっても、彼女に殺されるのがもっとも幸せな死に方というものだろう。
「援護頼むぞ、と」
「まて、どうするつもりだ」
「戦況をもう少し良くする。ま、悪くなるかもしれないけどな」
 レノはそう言って音もなく動き始めた。それを見送ったブルーはつくづく自分には力がないことを思い知らされる。
(もっとも、僕は初めから時間を稼ぐのが目的だった)
 だとしたらこの状況は本来喜ばしいはずだ。力がない自分にはそれが相応しい。
 それでも。
(僕の力は、この程度なのか?)
 どうしても戻らない力。何故この程度なのだろうか。こっちに戻ってきてからというもの、あと半分の力がまるで回復しようとしない。
「ブルー、どうする?」
 ユリアンとモニカが近づいてくる。だが、この状況では自分たちが手を出せる状況ではない。悪くすればアリキーノの足を引くことにもなる。
「モニカは弓をいつでも放つことができるように準備。ユリアンは最悪、先ほどのハリードとドラギナッツォのときのように状況をキャンセルできるようにしておくこと」
「分かった」
「分かりました」
 あとは──自分だ。
 この速度で行われる戦いに、自分ができることは何なのか。
(この後、最強のマレブランケ、マラコーダが控えている。その前に──)
 カインとスコールをこれ以上疲労させるわけにはいかない。つまり、この敵は現有戦力で倒さなければいけない。
「よし」
 やることは決まった。
 全員がどう動くか。それさえ把握できていれば、自分の役割は決まってくる。
「光の剣!」
 ブルーもまた、剣を生み出した。もっとも、これは戦うことが目的で生み出されるわけではない。この光の剣を具現化させている間は自分の魔力を高めることができるのだ。
「行くぞ、ドラギナッツォ」
 その剣を媒介に、ブルーは術を唱え始めた。






 戦いはある意味、膠着していた。
 徐々に速さを増すアリキーノだが、それを全て受け流すドラギナッツォ。
 いつまでも続くように思われた攻防だが、やがてアリキーノが顔をしかめ始める。
「分かったようだな。自分の作戦の失敗が」
「まさか、あなたは」
「普段以上の力を出しているのだ。疲労は当然普段の倍以上になる。お前はいつまでそのスピードを維持できるかな? お前の力が落ちたときこそ、お前が死ぬときだ」
「させるかよ、と」
 そこに上から飛び込んできたのはレノだった。
 至近距離から暗器を放つ。鋭いスパイクがドラギナッツォに襲い掛かる。
「ふん、この程度──」
「悪いが俺は囮だぞ、と」
 なに、と思って意識を凝らすと、既に光の剣を構えて接近してくるブルーの姿。
「カオスストリーム!」
 混沌の気流が空間を束縛していく。
「この程度──」
 軽くその気流を振り払うとブルーに接近して拳を振るう。それを回避しきれずに肩に受けるが、そのタイミングこそが重要。
「レミニッセンス!」
 気流はまだ生きている。
 カオスストリームを発生させたのは、この、ブルーのいる場所。
 相手を接近させて、逃がさないために発生させたのだ。
「しまった」
 その膨大な魔力の奔流から逃れることはできない。
 ドラギナッツォは、自らの判断が謝りであったことを悟った。

 そして、はじける。

 ブルーの大技が決まった。これで倒せなかったことは過去に数える程度しかない。今回はどうやらうまくいったようだ──
「まさか」
 だが、その爆発の跡から出てきたのは、まぎれもない黒い肌。
(やはり、半分の魔力ではうまくいかなかったか)
 ブルーは唇を噛む。せめてこの体が本調子だったなら。
「この程度で」
 ドラギナッツォの、残っていた左腕がぼろぼろになっていた。
「この私を倒せると思ったら大間違いだ」
 左腕がぼとりと落ちる。これで完全に両腕が失われたドラギナッツォだが、それでも戦意はまだ衰えていない。
「その状況でまだ戦うつもりかよ、と」
 レノが勝ち誇ったように言う。
「下がりなさい、レノ」
 だが、そのレノを警告したのはアリキーノだった。
「彼はまだ、いくらでも戦えます」
「さすがによく分かっているな、キノ」
 愛称で呼ばれ、アリキーノは悪寒を覚える。
 彼が今まで自分を愛称で呼んだことが何度あっただろうか。
「私の力、見るがいい」
 そう。
 彼の背には翼。竜の翼。それは決して、飾りなどではない。
 それは──竜の眷属、竜魔としての証なのだ。
 徐々に変貌する、ドラギナッツォの姿。
 やがて、その体から漆黒のウロコが生え、体が人間のものから竜のものへと変わっていく。
 漆黒の竜が、そこに生まれた。ただ、一箇所、左の耳のあたりだけが奇妙に白い。

「さあ、粛清の時間だ」

 竜魔の声が響いた。






212.蘇る力

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