母には感謝をしている。
 力のなかった自分を産み、そして育ててくれたことは。
 最後には自分を見捨てることになったが、それでも母がいなければ自分は今こうしていることはできなかっただろう。

 父のことは知らない。
 例えばアリキーノのように、マラコーダ様が自分を部下にするために罠を仕掛けたのだとしても、自分の忠誠は揺らぐものではない。
 つまり、父に対する恨みや、逆に愛情などというもの、そんなものは一切存在しない。
 自分には父がいないのだ。

 母を食べてから、徐々に自分は変化した。
 ただの魔族だと思っていた自分は、どうも普通とは違っていたらしい。
 人間を一人食べるごとに、自分の体が少しずつ変化した。
 本来の自分の本性が現れてきた、のかもしれない。
 鬣と思っていたものは、徐々に硬度を増していった。これは角か。
 背中からは翼が生え、爪が鋭く伸び、うろこが生えた。
 それで、ようやく自分が何者なのか気付いた。

(私は魔族ではない)

 では、何だというのか。
 答は、それほど難しくなかった。

 ──竜魔。












PLUS.212

蘇る力







His figure was nowhere to be found






 見えなかった。
 その竜魔が何をしたのか分からない。ただ、アリキーノに接近して、何らかの方法で十メートル以上も弾き飛ばした。それだけが分かった。
(な、何がおこったんだ)
 目を疑う。何があったのか分からない。この竜魔は、おそろしいほどに速く、強い。
「勘違いをしてもらっては困る」
 改めて見ると、その竜魔には前足があった。両腕はなくとも前足はあるものらしい。
「確かにアリキーノの力は私に匹敵するだろう。だが、それは私が人間型の場合の話」
 その喉までがウロコで覆われている。通常のドラゴンですらない。
「この姿になったときの力は、私の力はマラコーダ様をも上回る」
「な、に……」
「だからこそ、私はマラコーダ様に重宝されているのだ」
「マラコーダより、強いから……」
「そして、誰よりも忠誠を誓っているから」
 瞬間、ブルーは弾き飛ばされた。
(……な)
 分からなかった。
 近づいてきたことも、弾き飛ばされたということも。
(どうやって)
 十メートルの空中飛行を終えて地面と激突する。だが、何が起こったのかまるでわからない。
「お前たちには私を捕らえることは不可能。今や私の力は、私を束縛した神に匹敵する」
 強く前足の爪を動かす。
(これは、勝てないな)
 それどころか時間を稼ぐことすらできない。しかも、自分は既に魔力を使い果たした。レミニッセンスは既に放ってしまった。
 あとは、アリキーノとレノの力だが、どうも分が悪そうだ。
(時間稼ぎ? 無理だな。だが現有戦力で勝つのはもっと無理か。どうするかな)
 視力が回復してくる。ぼんやりと、その竜魔の姿が目に映る。
 その漆黒のウロコと、そして──
(あれは、なんだ?)
 頭の中が次第にクリアになる。徐々に何をすればいいのかが分かってきた。
 ユリアンが吹き飛ばされている。残っているのはレノ。そしてアリキーノも立ち上がっている。
「大丈夫かい、アリキーノ」
「なんとか。あなたは」
「僕は大丈夫。それより、君がいなければあの竜魔を止めることはできない。力を貸してくれる
かい」
「無論。あの男は、私にとって仇なれば」
「ありがたい。これからあの竜魔の弱点を突く。それまで、少しでいいから時間を稼いでくれ」
「分かりました」
「レノ!」
 すぐにレノが近づいてくる。竜魔は三人がそろったこちらを睨みつけてくる。
「アリキーノが足止めをする。でも、あの強さでは長持ちはしないだろう。だから少し離れた距離から暗器でアリキーノとドラギナッツォをできるだけ引き離すようにしてくれ」
「その先はどうすればいいんだぞ、と」
「僕が相手の隙を作って、弱点を突く。そうしたらアリキーノにとどめをさしてもらうよ」
「分かりました」
「……ずいぶんアバウトな作戦だぞ、と」
「大丈夫」
 ブルーは頷く。
「僕に任せてくれ。必ず隙を作る」
 言い残すとすぐにブルーは動いた。やれやれ、と呟いてレノは目の前の強敵を見る。
 理性は残っているらしい竜魔だが、すぐに動き始めるだろう。
「さて、どうすればいいぞ、と」
「とにかく、言われたとおりにいたしましょう」
 アリキーノが動く。やれやれ、とぼやきながらレノは懐の暗器に手をやる。
 竜魔が動く──だが、その動きは外側から見ていたレノには既に分かっている。それは諜報機関タークスにいたせいもあるだろう。
 相手の意識をほんの一瞬、無意識にそらせる。人間の注意力というものは思うほど鍛えられていない。どれだけ集中を凝らしても必ず隙ができる。その隙をついて、相手の死角から死角へ動く。そのスピードが速すぎるので見えないように思えるだけだ。相手が一般人ならレノだって同じことができる。
(ま、あの女丈夫を相手にやるのは無理だぞ、と)
 竜魔が現れるだろう地点に爆弾を投げつける。破裂したと同時にふたりは離れた。
 レノは既に動いている。自分の死角を作らないためには、自分から動く方がいい。一箇所にとどまっているといつまでも死角が同じで、相手につけいる隙を作ることになる。死角を消す方法はタークスで修行した。
「とはいえ、こっちも全力でやらないといけないぞ、と」
 すぐに次の暗器を用意する。暗器というよりも銃器か。この世界にあった武器を小型改良して作ったピストルだ。
「くらえ!」
 三射。いずれも命中したのだが、竜のウロコに完全に弾き返される。
「ありゃ」
 さすがにこれだけの強度を誇っていると、こんな武器では太刀打ちできないらしい。
「危ない、レノ!」
 アリキーノの言葉より早くレノは動いていた。危険を察知する力ならば他の誰にも負けない自信はある。自分の死角から来ることが分かっているのだから、そうではない方向へ逃れればいいだけのことだ。
「ドラギナッツォ!」
 アリキーノが割って入る。何度も拳で打つが、竜魔はいとも簡単にそれをかわす。いや、何発かは入っているのだが、敵のウロコがその打撃を弾く。
「弱いな」
 ドラギナッツォの言葉と同時にアリキーノは吹き飛ばされた。またしても死角をつかれた。今度はレノが止めに入る暇もなかった。
「まずいぞ、と」
 次の標的は自分だ。すぐに暗器を放とうとしたが、それより早くドラギナッツォは動いている。
「お前を放置しておくと、ろくなことがなさそうだ」
 レノの背中が、爪で裂かれる。激痛に目の前が赤くなる。
(やばいぞ、と)
 このまま心臓を貫かれてしまったらおしまいだ。
 次の攻撃が来るより早く、自分の身を守るために動かなければならない。
 レノは、背中で爆弾を爆発させた。
「ぬっ」
「ぐおっ!」
 自分もダメージを受けるが、相手との距離をとるにはこれしかなかった。痛い。死にそうだ。だが、やれるだけのことはやった。
「甘い」
 だが、爆風で飛ばされた先に、既にドラギナッツォは回りこんでいる。
(おいおい、冗談じゃないぞ、と)
 もはや何もすることはできない。竜魔の鋭い爪が振りかぶられ──
「もらったぞ、ドラギナッツォ!」
 背後からブルーの声が響いた。
「ぬう?」
 一瞬、ドラギナッツォの意識が後ろにそれる。
 その、ほんの一瞬。
 死角から放たれたモノに、ドラギナッツォは気付くことができなかった。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 トラビアガーデンに、竜魔の咆哮が響く。
 レノの目に映ったのは、漆黒のウロコの中でひときわ白く輝く左耳に刺さった矢であった。
 弓術最高奥義、影矢。それを使うことができたのはもちろん、モニカ姫。
 そして、アリキーノが渾身の力をこめて、その頭を殴る。一撃で破壊せんと、これ以上ない力で殴る。
 だが。
「ご、ごおおお……よ、くも……」
 まだドラギナッツォは生きている。そして、その前足を振り下ろそうとしている。既に攻撃に加わったアリキーノやブルーが防ぐ術はない。
 レノは死を覚悟した。その前足が振りぬかれるのを、彼は確かに見た。

「デミルーン!」

 ──だが、その前足には、爪がなかった。
 ぎりぎりで復帰したユリアンの剣が、その爪を薙ぎ払ったのだ。
「馬鹿な」
「とどめだ、ドラギナッツォ」
 ブルーはそのドラギナッツォの背、心臓の上のところに左手を置いた。



 何故、自分が力を失っていたのか?
 思考がクリアになった瞬間、全ては分かった。それは、自分の半身がいなくなったせいだ。
 ルージュ。
 自分の弟が消滅しても、しばらくの間は何ともなかった。それはPLUSという特殊な環境がそうさせていたのかもしれない。
 だが、完全にルージュの存在がなくなった今、自分の力は半分がなくなってしまっていたのだ。
(それを、逆に認めることができれば)
 そう。ルージュを否定するのではなく、受け入れる。そうすれば、もとの力は蘇る。
 ブルーとしての力は既にドラギナッツォに注ぎ込んだ。とすれば、残り半分、ルージュの力も注ぎ込めば、おのずと結果は分かる。
(お前のことを認めるのは気分が悪いが)
 だが、自分とルージュ。二人の力が揃えば、何も怖いものなどない。そう、素直に信じられるのも確かなのだ。
 そして、これが残りの半分。



「レミニッセンス!」
 その、闇色の魔力をドラギナッツォの体内に注ぎ込む。
 先にこめてあった自分の魔力とルージュ分の魔力が混ざり合い、それまでにない力をもってはじける。
「僕たちの、勝ちだ」

 ドラギナッツォの体は四散し、後には何も残らなかった。






 ただちにレノに回復魔法がかけられる。担当はモニカだ。既にブルーの魔力は完全に尽き、レノが持っていたエーテルで少しは回復したものの、動ける体ですらない状態だ。
 そして肌の色が元通りになったアリキーノに改めて一礼する。
「あなたのおかげで助かった。ありがとう」
「いえ。こちらこそ、私の敵を討つのに協力いただき、感謝申し上げる」
 アリキーノはどこまでも丁寧な言葉遣いだった。それはもともとの性格から来るものであって、別にこちらの様子をうかがっているとかいうのではない。
「マラコーダの協力はしないのか?」
「今までは、マラコーダ様が私の命を救ってくれた恩人だと思っておりましたが、先ほどの話では異なるようですから」
「では僕たちの仲間ということだな。歓迎する。強くて信頼できる仲間はひとりでも多い方がいい。ただでさえ、今また一人、失ったばかりだから」
 ハリード。彼の遺体はまだそこに倒れている。
「ですが、私を信頼していただけるのですか? 私は魔族で、しかもマレブランケです」
「根源的な恐怖であれば、僕よりあなたの方が強いと思う。あなたはこれから自分と同じ種族ではなく、未知の人間の中で暮らさなければいけなくなる。それも、元マレブランケということで他の者から奇異の目で見られるだろう。それでもよければ、是非協力していただきたい。ただ、僕や僕の仲間たちはみんな、あなたを歓迎すると思うけど」
「では、これからも協力させていただきます」
「ありがとう」
 奇妙なところで友情が生まれていた。それを回復されながら見ているレノはつまらない様子だ。
「こっちの方も気にかけてほしいぞ、と」
「分かっています。レノ、あなたのおかげで私も助かりました。感謝します」
「自分の女を守るのは当たり前のことだぞ、と。それに、黒いアンタも美人で綺麗だったぞ、と」
 アリキーノはまたかすかに頬を赤らめる。
「そういや、少し怪我してるみたいだが、さっきのポーション飲んでおくといいぞ、と」
「いりません!」
 今までになく、感情的にアリキーノが答えた。楽しそうにレノが喉で笑う。
「何の話だい?」
「いや、こっちの話だぞ、と。さて」
 レノはすっかり回復したという様子で立ち上がった。
「残りの敵を倒しに行くぞ、と」
 ブルーも表情が切り替わった。もはや魔力がないとか、そんなことを言っている場合ではない。
 首尾よくカインとスコールがマレブランケを倒していたならば。

 残る敵は、あとひとり──大将、マラコーダだけだ。






213.満ちる器

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