それは、ほんの一瞬。
自分の意識が消えてなくなる。
とてもゆっくりと。でも何よりも速く。
闇に溶けて、堕ちた。
PLUS.214
無限の力
No problem?
「これが、カインの体ですか」
真っ黒に染まったカインの体がそう言う。もともとのマラコーダの体はその場に倒れ、灰となって消えていった。
「人間にあるまじき力を使いこなしていると思いましたが、まさかこれほどとは。マレブランケとなったこの体ならば、今までの私よりもはるかに強い力を出せますね。それも、ごく自然に」
「まさか、お前はマラコーダ、なのか」
ブルーが呻くように言う。この状況を見る限り、考えられるのはそれしかない。
「そういうことです。ブルー。あなたが推察したとおり、私はカインをただ苦しめるために苦しめた。それは負の感情でこの器を満たし、私の精神がこの体に入り込めるようにするためです。それは完全に成功しました。罪のない者を殺す罪。大切な者を裏切る罪。世界を混乱に陥れる罪。そうした三つの罪を背負い、後悔で身動きを取れなくさせる。そして唯一の希望となった女性、ティナを殺害することによって完全な絶望へと追い込む。そこまでしてようやく、私はこの体を手に入れることができたのです」
「嘘!」
リディアが睨みつけて言う。
「カインが私のお母さんを殺したのも、あなたたちの企みだったっていうの!?」
「本当はあなたではなかったんですよ、リディア」
「え?」
「本当はミシディアという村を滅ぼさせるつもりだったのです。ただ、その戦いにカインは行かなかった。バロン王がミスをしてセシル一人で行かせてしまったのでね。だから“赤い翼”の指揮官の任を解いてミスト討伐に向かわせるときは、カインの目の前で行わせたのです。カインならば必ずセシルに同行するはずだと踏んで。もっともそうでない場合は同行者として後からカインを任命させるように考えていましたが」
「じゃあ、私のお母さんを殺そうとしていたのは……」
「別に召喚士がいようといまいと、バロンの国策に何か影響が出ると思いましたか? バロン王にミシディアやミストを攻撃させたのはゴルベーザです。ひいてはそのゴルベーザを間接的に操っていた我々です。全てはカインを追い詰めるために、私がルビカンテに命令して行わせたことです」
くくくくく、と笑いながら言う。ひどい、とリディアが睨んだ。
「それにしてもここまでうまくいくとは思いませんでした。記憶をなくしたときはどうしようかと思いましたが、それも杞憂でした。これほどいいタイミングで記憶を取り戻し、さらなる絶望に追い込めるとは思っていませんでしたから」
「何故カインだったんだ?」
ブルーの問にカインに乗り移ったマラコーダが不思議そうな表情を浮かべる。
「何故とは?」
「そもそも違う世界のカインをどう見つけたのか、それも自分の次の体にできるなどどうやって分かったのか。カインが選ばれた理由は何故だったんだ」
「なるほど。それは難しい問ですね。答えるとすれば、それが『分かってしまったから』としか言いようがありません」
「分かった?」
「ええ。この体よりもマレブランケとして相応しい体がある。世界が違ってもその存在が確認できたのです。そうとしか言いようがありません。ですが、力のある者、特に混沌に近い者にはそれが分かるのかもしれません。何故ゼロムスはカインを洗脳したのか。何故カオスはカインを取り込もうとしたのか。それは、カインの持つ『精神エネルギー』が桁外れに高いからです」
「精神エネルギー?」
「ええ。カインが負の感情に押しつぶされないのはそれが理由です。もともとこの体が持つ精神エネルギーが桁外れに高いのです。もしカインの苦しみの十分の一でも引き受けてみたらどうなるか。ブルー。あなたなら発狂してその場で死んでしまうほどです。それほどにこの器は悩み、苦しんでいる。ですがそれを押さえ込めるだけのエネルギーがあるのです。何しろあのカオスを上回る負の感情を負っても壊れることがないのですから」
「カオスを上回るエネルギー量……」
「私くらいになると、どの世界にあってもそうしたエネルギーは感じ取れるのです。今ならばリディア、あなたの魔法力も十分どの世界からも狙われる対象ですよ」
「私が」
「それでもカインには遠く及びませんけどね。この器のエネルギーは無尽蔵です。まあ、カオスを上回るのですから当然といえば当然ですが。さて」
くるくると手で天竜の牙を弄んでいたが、やがてマラコーダはそれを地面へ放り捨てる。
「あなた方には二つの選択肢があります。どちらを選ぶのも自由です」
「なに?」
「一つは私の部下としてマレブランケとなること。まあ、過去の経験から、こういうときに部下になった人間は誰もいませんでしたが。もう一つはこの体で私が戦う最初の相手になること。どちらを選ぶのも自由です」
「どういうつもりだ」
ブルーが尋ねるが、マラコーダは首をふるばかりだった。
「どちらでもいいのです。実践でこの体を『慣らす』ためには別に相手が誰であろうとかまわない。ただ、あなた方では既に役者不足であるのは分かりきっていることです。何しろ先ほどのボディですら、あなた方は私にかなわなかった。ましてこの体です。あなた方には万が一にも勝ち目はない。それでも戦うか、それとも戦わず軍門に下るか、好きな方を選んでください」
「随分と傲慢な選択肢だな」
スコールは地竜の爪を構える。もちろん戦うという意思表示だ。
「戦いますか、スコール」
「戦うというのとは少し違う」
ブルーもまたスコールに同調する。
「返してもらうよ、カインを」
「それはもうできません」
だがあっさりとマラコーダが言う。
「何故」
「カインの意識は『消滅』しましたから。回復することはありえないのです。この体のどこにも、以前のカインの意識と記憶はもう残っていない。私はカインの死体に乗り移っているようなもの、あなた方がやろうとしているのは死んだ人間を生き返らせるようなものです」
「それでも、返してもらう」
言ったのはリディアだった。
「カインは大切な仲間なんだもの。見捨てることなんてできない。絶対に返してもらう」
「徒労です。先ほどの体の持ち主にも仲間がいて同じようなことを言われました。ですが、結果はこの通りです」
その体は滅びた。そして魂はずっと前に消滅している。
「可能性がある限り、あきらめない!」
そしてリディアは召喚魔法を唱える。
「アルテミス!」
『我が名を呼んだな、リディア』
すると彼女の隣に、少年の格好をした美少女が現れる。
「アルテミス! あの人の、魂だけを撃って!」
『承知──星天弓!』
アルテミスが矢をつがえる。そしてスコールが地竜の爪で攻撃をしかける。
「ラフディバイド!」
アルテミスが攻撃をする前に動かれては困る。そう思っての突撃だったが、マラコーダは右腕を剣に変えてその攻撃を受け止めた。
「なに」
「なるほど。大した強度ですね」
自分の体の具合を確かめるように言う。そして、
『アストラル・アロー!』
アルテミスの矢を正面から受ける。だが、その光の矢はぶつかって四散し、跡形もなく消える。
「これが対魔法力。さすがはカオスのエネルギーを上回るだけのことはある。これは簡単な魔法では少しもダメージを受けなくてすみそうですね」
冷静に自分の体を分析するマラコーダ。
(カインはそんなにも強いのか)
傍で見ていたブルーに冷や汗が出る。どうする、と隣に立っていたファリスに尋ねられる。
「最悪の場合は、カインごと倒すしかないのかもしれない」
「だが」
「分かってる。それは本当に最悪の場合だ。それに、今の段階だとカインを倒す手立てが見つからない」
剣も魔法も駄目。そうなると何を持って倒せばいいのか。先ほど使った自分の切り札レミニッセンスはもう放てない。
やはり鍵は、リディアになるのか。
「リディア!」
視線が交わされる。
「エクスティンクションを」
「でも、それだとカインが」
「大丈夫だ。頼む」
リディアは意を決して頷く。
この大技は最後の一回。そして、命中すればほぼ間違いなくカインを消滅させることはできる。
ためらいはある。だが、ブルーが言うのなら。
「スコール、避けて!」
その言葉と同時にスコールが飛び退く。
マラコーダは挑戦するように、薄ら笑いを浮かべた。
「エクスティンクション!」
光の奔流が襲う。だが、マラコーダは無防御でその直撃を受けた。
「カイン!」
閃光、そして爆発。
今までに戦ったマレブランケたちも、これで決着をつけてきた。これで倒せなければ自分に手はない。
だが、煙が収まったところに見たのは、鎧だけがぼろぼろになりながらも、傷一つついていないカインの体だった。
「……嘘」
マラコーダは改めて自分の黒い体を見る。
「ダメージ率ゼロ。さすがにここまでとは思いませんでした。この体の対魔法は最高ランクですね」
その言葉と同時に、リディアの体に衝撃が走った。
「それに、速い」
見えない、とかではない。
さっきまで爆心地にいたはずなのに、もう目の前にいて自分の体に当身をくわせた。
「あ……」
意識が途切れていく。と同時にアルテミスの召喚も消える。
「そして高い」
マラコーダは天高く飛び上がる。そして急降下。真上から襲いかかる相手はブルーとファリス。回避するより早く落ちてきたマラコーダが二人の意識を奪う。
「強い。なんという強さ。この男、自分の体の使い方を全く分かっていない。さあ、後はあなただけです、スコール」
全員が倒れた。まだ誰も死んではいない。殺戮はこの後だ。
おそらくドラグーンショットはきかない。天竜の牙の加護を受けたカインにはその攻撃が通用しない。ではどうする。
「グリーヴァ!」
GFを放ち、それに飛び乗る。
「出番か」
「ああ。お前の力を借りる」
だが奇妙にグリーヴァの反応が鈍い。しばらくして「やれるだけのことはやってみよう」と答えた。
「どうやらその獣は私との力量差を正確に掴んでいるようですね」
「正確ではない」
グリーヴァは素直に答えた。
「その無限のエネルギーを見極めるのは、私には不可能だ」
「無限?」
「さすがに召喚獣たちは話が分かりますね。カインのエネルギーを幻獣に直せばどのくらいの力を持つことができるか。それはもう、バハムートやディオニュソス、グリーヴァなどの比ではありません。たとえるならルナ。いや、それ以上。今の私ならばたやすくディオニュソスもハオラーンも倒せるでしょう。それだけの力を手に入れた」
「馬鹿な」
「それが現実です、スコール。では、行きますよ」
右腕の剣。もちろん人間の体のカインにそんなことができるはずがない。ということはあれはマラコーダの技か術なのか。
それが閃くとき。
「──!」
グリーヴァの体に裂傷が生まれ、スコールの体はその右腕に貫かれていた。
「これが、差、です。あなたは『私』に殺された最初の一人になるといい」
だが、スコールはそれでもなお諦めなかった。
(お前がいなくなるとリディアが悲しむんでな)
スコールは地竜の爪を放り投げてその右腕剣を掴む。
(帰ってこい)
こんなにも。
全く関係のない誰かのことを思うことはないかもしれない。
だが、自分とカインとの間に確かにあった絆。
それを自分が心地よく感じ始めていたのは、確かなのだ。
「帰ってこい、カイン……!」
そのとき、戦場が淡いエメラルドグリーンの光に包まれた。
「何事ですか」
スコールの体を突き飛ばし、マラコーダが周囲を確認する。
その光に触れた全員が意識を取り戻す。しかも体力や魔法力までが全て完全に回復している。
「これは」
ブルーには覚えがあった。ファリスやリディアもだ。
地獄で戦ったときに浴びた、優しい緑の光。
(大いなる福音)
それを放つことができるのは、星の加護を受けた女性。
彼らは見た。
黒く染まったカインの背に、茶色のツイストの髪をした女性の姿。
エアリス・ゲインズブール。
215.決着
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