エアリス・ゲインズブール。

 彼女が生き返ってからのことは、ここにいるものならば誰もが知っている。
 カインの罪を赦し、そして命を使い果たした聖女。
 まさにカインのためだけに生まれ変わってきた女性。
(彼の危機に現れないはずがない、ということかな)
 ブルーがその光景を見つめる。肌を黒く染めたカインの周りに輝くエメラルドグリーンの輝き。
 その輝きが、カインの体内に入り込む。
 そして──消えた。












PLUS.215

決着







the battle was finally settled






「目、覚めた?」
 強い風が吹く山の中でカインは目覚めた。
 太陽は既に西に低く、風はいつものように強く、そしてこの場所には誰もいない。
 それなのに、確かに声が聞こえる。
「誰だ?」
 辺りを見回しても、誰もいない。当然だ。
 ここは試練の山。
 自分を鍛えなおすために篭った山。こんなところ、よほどの物好きでなければ来ない。
 セシルにもローザにも自分の居場所は伝えていない。
 ここを訪れる人間は誰一人いないはずだ。
「ここだよ、ここ。も〜、寝ぼすけなんだから」
 ここ、と言われてもどこにも人の姿はない。
 あるのはただ一面の緑。崖の下の広大な沃野。
「ずっと、一人だったんだね」
 それは否定しない。父親が死んでから国王に拾われたとはいえ、それからはずっと一人。親友ができて、愛する女性ができても、ずっと一人だった。
「たった一人で見る夕陽は、寂しくないの?」
「それが、俺に課された──いや、俺が俺自身に課した罰だからな」
「でも、みんなはカインの帰りを願っているんだよ?」
「知っている」
 その、どこからともなく聞こえてくる声に答える。
「自分が逃げているだけだということは。俺はセシルからも、ローザからも逃げたんだ」
「じゃあさ、立ち向かう強さがほしい?」
「それが手に入れば、俺は二人のところに戻ることもできるだろう」
「それじゃあ、赦してあげる」
 ふわり、と。
 風が、エメラルドグリーンの色を帯びた。
「来て。そして、私を見つけて。私、必ずカインを助けてあげる」
「お前の名前は?」
 その光が、一人の女性の姿を取る。
「エアリス」
「エアリス。お前はずっと、俺の傍にいてくれるのか?」
「それはできないよ。私はカインを赦すためだけに、蘇るから」
「俺を赦すために?」
「そう。でも、私よりもっと可愛い子、いるから。私よりずっとカインのことが好きな子、いるから。だからカイン、寂しくないよ」
「なら、何故」
 カインはその手を伸ばす。
「お前は、そんなに寂しそうにする?」
「え?」
「孤独の寂しさは、俺もよく分かる。俺は、お前を一人にすることはできない」
 すると女性は苦笑した。
「優しいね、カイン」
「俺は、優しくなど」
「ありがとう。でも、いいの。私、それが自分の使命だって、分かってるから」
 そのエメラルドグリーンの光が彼を包む。
「来て。私のところに。次に会うときはお互い、忘れちゃってるけど、絶対に思い出すよ。そして私、カインの思い出になるから」
「寂しい思い出は欲しくないな」
「だいじょ〜ぶ」
 女性はにっこりと笑った。
「きっと、いい思い出になるから」

 そうして、彼は、この世界から旅立った。






「……そうか。俺をこの世界へ呼んだのはお前だったのか、エアリス」
 暗く、冷たい空間でカインは目覚める。
「俺の精神エネルギーが世界を救うために必要だったからなのか?」
『そんなひねくれたこと言うと、怒るよ?』
 目の前にエメラルドグリーンの光と共にエアリスの姿が現れる。
『そりゃあ、きっかけはそうかもしれないけど』
「お前が俺を好きになることは予定外だと」
『……目の前で言うのもどうかと思うけど』
 エアリスは少しむくれたようにカインを見る。
「俺もお前も、随分と世界に振り回されていたんだな」
『後悔してる?』
「いや。確かにお前のことはいい思い出になった。それに、お前のおかげで俺は少し前へ進めたと思う」
『良かった』
 エアリスの笑顔。だが、カインは追及せずにはいられなかった。
「死んでなお存在するお前は何者だ?」
『分からない。でも私、カインを救うために生き返った。なら、まだカインの魂は、完全に救われてないんだと思う』
「完全に?」
『だってカイン、セシルのところに戻りたい?』
 言葉に詰まる。確かに戻らなければならないとは考えている。だが、まだ彼らと向き合う勇気はない、と思う。
「いや。だがそれは、俺の心の問題だ」
『そう。そしてカインは、自分の心の問題を全部後回しにしちゃう。だから、私がいるの。カインがどうして罪を犯したのか。それは全て、マラコーダが仕組んだせい』
「ああ」
『だから、マラコーダと本当の意味で決着をつけないと』
「そうだな」
『まあカインのことだから、それくらいで自分の気持ち、整理できるとは思ってないけど。でも、マラコーダを倒して、ティナを迎えにいって、ハオラーンも倒すことができたら、じゅ〜ぶんセシルと向かい合って恥ずかしくないと思うよ?』
「──ああ」
 その言葉には素直に頷ける。確かにそれだけのことをすれば、きっと自分はセシルと並んで恥ずかしくないだろう。
「セシルとローザに、ティナを紹介しないとな」
『その意気その意気。さて、それじゃ、最終決戦といこうか』
 無論、その意味はよく分かっている。
 悪鬼の王、マラコーダ。最終決戦のときが来た。
「ああ。いつでもいい」
『うん。それじゃ、カイン、がんばってね』
「最後に、一つ聞きたい」
 薄れゆくエメラルドグリーンの光に向かって尋ねる。
「お前に、また会えるのか?」
『いつだって、会えるよ』
 かすれゆく声が、確かに耳に届く。
『私はカインの思い出。いつだって、カインの一番近くにいるんだから』






 そして、戦いが始まる。
 この暗闇の世界に現れた漆黒の肌の男。
 マラコーダ。
「やれやれ。とんだ邪魔が入ったものですね」
 かなり不機嫌な様子だった。
「あなたを守る意識体というところですか。それにしてもあなたは随分と色々な方に愛されているようですね」
「もう終わりにしよう、マラコーダ」
 カインは天竜の牙を生み出す。
「俺の体はお前の自由にはさせない」
「……復讐の感情すらなくなったようですね。いいでしょう。真剣勝負です。私は絶対に、あなたの体を手に入れてみせる」
「やれるものなら、やってみるがいい!」
 二人は同時に高く飛び上がった。
 空中戦。繰り出す槍を、マラコーダは空中で回避する。そして右腕剣を叩きつけてくる。
 無論、カインとてそれを簡単にくらうわけがない。風を読み、ぎりぎりのところで身をそらす。そしてマラコーダを空中で蹴り飛ばす。
 二人同時に着地。そして疾走。
「よくぞここまで強くなったものです」
 マラコーダが剣を繰り出しながら言う。
「あなたは確実に成長をしてきた。心も、体も」
「お前が育てたようなものだからな」
「ええ、その通り。その体が、私は欲しいのです!」
 マラコーダの姿が消える。
(右!)
 殺気だけで回避する。右から迫る剣を避けると、何もない空間に向かって槍を繰り出す。
「こっちですよ、カイン」
 だが、既にマラコーダはカインの背後に回っている。その右腕剣がカインの背に落ちる。
 カインは槍で地面を押して、背後のマラコーダを空中で一回転して飛び越える。
「なっ」
「くらえ!」
 着地と同時に槍を繰り出す。マラコーダはそれを横に飛んで回避した。
「この私をここまで追い詰めるとは……」
 正面から対峙する。
 槍を中段に構えたカインと、右腕剣を振りかぶったマラコーダ。
「実力者同士の戦いというのは、案外に早いものなのかもしれないですね」
 まだ数合しか打ち合っていない。それなのに、この疲労度はどうか。
 カインもマラコーダも、極限まで精神を張り詰めているために、これまでの比にならないほど体力を消耗させている。
「これが最後ですね、カイン。私はあなたの体を手に入れる」
「無理だな」
 カインはさらに気を練る。
「俺は強い」
「……その境地に達しましたか」
 だがマラコーダも強い。わずかな気の緩みが致命傷になる。
 お互いの意識がただ一点に集中する。
 目の前の敵を、倒す。
 相手の呼吸、鼓動、わずかな揺らぎさえ。
 この場の全てが、この一撃のために存在した。

 静寂。
























 刹那。

 マラコーダの右腕剣はカインの左腕を裂く。
 そして、カインの槍はマラコーダの左胸を貫いていた。

「……満足、ですか、カイン」
 マラコーダの言葉には力がない。
「そうだな。お前は俺を苦しめ、ティナをも奪った。その意味では不満はない。それよりも」
 カインは倒れていくマラコーダを見て、言う。
「俺は、俺よりも圧倒的に強かったお前を超えることができた。その意味で満足だ」
「そう、ですか」
 ふっ、と笑ってマラコーダの体が灰となっていく。
「これが、滅び。はるかに長いときを経て訪れる、終末……カイン。あなたもいつか滅びのときが来る。そうしたら、あなたはカオスに吸収される。そこでまた、もう一度やりましょう」
「こんなに疲れる戦いは二度と御免だ」
「そうですか、残念です」
 そして、悪鬼族の王は、その長い生涯を閉じた。






 目を覚ましたカインの目に映ったのは、たくさんの仲間たちだった。
 リディア。スコール。ブルー。アセルス。セルフィ。ファリス。レノ。アリキーノ。ユリアン。モニカ。
「無事、みたいだね」
 ブルーが尋ねてくる。
「ああ。心配をかけた」
 そして起き上がる。
「マラコーダはどうなった?」
「滅びた」
「そうか」
 それ以上のやり取りはない。何か尋ねるのがためらわれる雰囲気がどことなくあった。
「終わったな」
 スコールがぶっきらぼうに言う。長い一日が終わった。犠牲者も出したが、マレブランケは殲滅した。この日の戦いはこれで終わりのはずだった。
「いや、まだだ」
 カインは首を振る。
「リディア」
「なに?」
「今すぐ、俺を幻獣界へ連れていってくれ」

 もう、逃げない。
 自分にとって何より大切な人を、取り返しに行く。

「ティナを迎えに行く」






216.ラビリンス

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