「しかし、これはまた、随分と大きいものを作ったのう」
「目に見えるのはほんの一部分。本体はこの地下ですよ。まさに地下迷宮、ラビリンスです」
 幻獣の王リヴァイアサンの言葉にマディンが答える。
 目の前にあるのは巨大な館。それも城壁のような塀と巨大な門が侵入を拒んでいる。大きさは一つの城より大きいだろう。だが、本体はさらにその地下なのだというから始末に終えない。
「それほどにあの子の心は壊れてしまったということです」
「娘を持った親の気持ちとしてはどうかの」
「そうですね。まあ、義理の息子になる人間を百回殴るのはいいとして」
「こらこら」
「問題はあの子がここから出てこられるかどうかですね。まあ、強い子ですから大丈夫だとは思っています。まあ、しばらくはあの子につきあってみることにしますよ。それほど長い時間でもないでしょうから」
「娘のこととなると多弁だの、マディン」
「ええ」
 マディンは父親らしく笑った。
「何しろようやく、家族水入らずで過ごせるのですから。その意味では娘を振った義理の息子には感謝しないといけないですね」
 そうして、マディンの姿が消える。このラビリンスに入っていったのだろう。
「やれやれ。一難去って一難とはこのことか。どうしたものかのう」
 もっとも今回はただの痴話喧嘩のようなものだ。それがどんな惨事を招くことになるかはリヴァイアサンの知ったことではない。なるべく自分たちに迷惑がかからないようにしてもらえるとありがたい。












PLUS.216

ラビリンス







She can never sing a song for you






 もちろん今すぐに行きたいといっても、そう簡単にできるわけではない。幻獣界に行くことそのものは可能だが、この戦いの事後処理というものがある。
 事後処理で一番に働いたのは無論ラグナだが、ブルーもスコールも指導者としての立場から休みなく働いた。そして回復魔法を持っている者もあちこちに狩り出された。
 そんな中で、カインとリディアばかりが現場を離れるわけにはいかなかったのだ。
 もちろんカインとしてはすぐにでも幻獣界に行きたい。だが、今まで自分勝手な行動で周りに迷惑をかけてきた以上、簡単にいかないことは分かっている。心は既に幻獣界に飛んでいたが、それでも彼は彼なりにできることをしっかりと行った。
 だが、そんな彼に案外早く「行っていい」と許可を出したのは他ならぬブルーだった。
「だが、今は人手が一人でも多く欲しいときだろう」
 深夜になっても主要メンバーは誰も休んではいない。もっとも主要メンバーはエアリスの回復技で完全回復ができているので大きな問題はなかったが、それでも疲労や睡魔はすぐに襲い掛かってくるものだ。
 怪我人などの収容や手当てが終わった段階で主要メンバーが集まって軽食をとっていた。カインにスコールにブルー。そしてアセルスとリディアの五人だ。セルフィはその回復の技能をいかんなく発揮するためにエスタ中を飛び回っていて不在だ。
「大統領勅令R−十四が出ているからね。人手だけならあるし、君とリディアが抜けても大きな問題はないよ。そりゃ、いてくれるにこしたことはないけど」
「それなら」
「いいんだ。今のうちに君はもっとわがままを言っておくべきだ。何しろこの後、僕のわがままを聞いてもらわないといけないんだからね」
 ディオニュソスの件は戦いの前に既に交わしている。等価交換というわけではないが、そう言った方がカインの心境的に楽になれるということなのだろう。
「リディアも連れていくことになるが」
「ならスコールも連れていくといい。スコールも、君とリディアとの間には何もないことが分かっていても、傍にいないと気になって仕方がないみたいだから」
「俺は」
 スコールが何か反論したげだったが、結局は黙り込む。否定はしないあたりがこの青年の若さか。
「では、その言葉に甘えよう」
「うん。今は我慢をするときじゃないよ。思い込んで動けるうちに動かないと後悔することになるから」
「後は頼む。なるべく早くに帰ってくる」
「ああ。そのときはパーティメンバーが一人増えていないと駄目だよ」
「もちろんだ」
 カインとブルーがしっかりと握手をかわす。お互い、これほど頼りにできる仲間にめぐりあえたのは初めてかもしれない。
「ではリディア、頼む」
 そして三人は部屋を飛び出していく。それを見送ったブルーがアセルスに語りかけた。
「さて、僕らはできることを先にしてしまおう」
「できること?」
「ああ。二つの月の石とラグナロク。いよいよ月だ。最終決戦は近いよ」






 案外早い帰還だった。少なくともリディアとスコールにとっては。ディオニュソスの侵攻を受けたのがつい最近で、今度はティナの奪還作戦だ。
「相変わらず、妙なところだ」
 カインが奇妙な三次元空間を見ながら言う。初めは横に立つ家や逆さまの柱に戸惑うが、そこは三人とも経験者。リディアを先頭に幻獣王の家へと急ぐ。
 そうして向かう途中に出会ったのは幻獣界の頼れるメンバーたちであった。
「あら、リディアじゃない。また戻ってきたの」
 声をかけてきたのはお色気担当のセイレーンだ。面倒見のいい幻獣でリディアも頼りにしているのだが、この間からスコールに色仕掛けをしてくるので油断がならない。
「ええ。ちょっと、大事な用事があって」
「ああ、あの件ね」
 どうやらセイレーンは既に何の用事かが分かっているようだった。頷く彼女に「何かあったの」と尋ねる。
「ええ。だってあれでしょ、幻獣界のど真ん中にできた、巨大ラビリンス」
「ラビリンス?」
「あれ。その件じゃなかったの」
 話が食い違っている。だが、この幻獣界で最近起こった変化だというのなら、それはティナに関係することに違いない。
「詳しく教えてくれないか」
 カインが尋ねると、セイレーンは口笛を吹いた。
「あらあら。スコールもいい男だと思っていたけど、こっちのカレシも随分いい男だねえ」
 一度値踏みするように見てからセイレーンは答える。
「あんたがたがいなくなってから少ししてからかな。突然こっちの世界のど真ん中に建物ができたのさ。中に入ろうと思っても塀を乗り越えることも門を開くこともできない。誰が中に入っているのかも分からなかったんだけど、王とマディンがかまわなくていいって言うもんだから、みんな本当にかまいもしてないんだけど」
「マディンが!?」
 リディアは驚いた。無論、その名前は特別だ。何しろ、幻獣ティナの父親だ。
「ということは、そのラビリンスにいるのは」
「ティナ、ということだな」
 カインは、得たり、という表情になってセイレーンに近づく。
「その場所に案内してもらいたい」
「いいわよ。でも、あんたたち三人で行くのはちょっとまずいかもね」
「何故だ?」
「あそこにあるのが本物のラビリンスなら、中にいるのは幻獣界の外側の獣と同レベルの奴がゴマンといるだろうからさ。リディアが前に帰ってきたときみたいに、何体か護衛を連れてった方がいい」
 いらないと突っぱねるほどカインは強情ではない。すぐにリディアを振り返って尋ねる。
「頼りになる者はいるのか?」
「うん。ここに来るまでに時間がかかると思うけど」
 リディアは言うなり念じる。
 この場合、誰を連れていくべきだろうか。もともと幻獣界にいたメンバーでは力不足。ならば、外側で仲間にした者が相応しいということだろうか。
「来て。アフラマズダ。アルゴ。アルテミス」
 念じると、さほど時間をおかずに彼らはやってきた。
「ほほ、まさかこの老体を借り出されるとは思わなんだよ」
 ひとりは鳥の姿をしてやってきたが、すぐに人間体になる。その姿は初老の老人だが、背筋はしっかりしており、魔道のローブと杖を装備している。光の鳥、アフラマズダの人間タイプだ。
「マスター。何なりとご用命を」
 ひとりはフルアーマーの騎士だ。しかしよほど体に密着しているのか、それともその鎧そのものが体なのか。騎士アルゴは騎士の姿のまま現れた。
「私を呼んだな、リディア」
 そして最後のひとりは少年のような格好をした少女。光の弓を背に負っている。無論、スコールもカインもその姿は覚えている。リディアの友、アルテミス。
「皆さん、よろしくお願いします」
「マスターの指示であれば望むところです」
「そういうことだよ。リディアは遠慮なんかする必要ない」
 若手コンビがリディアを持ち上げ、そして今回の『本命』が頭を下げる。
「どうか、よろしくお願いします」
 これはすべて、カインのわがままなのだ。
 ティナを奪還するというただその一事のために、多くの者が協力を申し出てくれる。
「何。我等はあそこにいるお嬢ちゃんがどういう素性の者か詳しくは分からぬが、必死になっている若者を導くのが老体の務めじゃろうて」
 好々爺のアフラマズダが嬉しそうに言う。この老体は、若者たちと触れ合える機会に恵まれて喜んでいるようだった。
「それにしても」
 アルテミスがリディアの両脇にいる男たちを見比べる。この幻獣界にいる全ての存在と契約したリディア。その彼女を守る最強の騎士が二人。何と絵になることか。
「リディアの男を見る目は、本当に良い。私ですら羨ましく思えるほどだ」
「いやあの、アルテミス」
 本人達を前に言う台詞ではない。リディアは頭をおさえた。
「確かにアルテミスの言う通りよね。二人ともいい男だわ。お姉さん萌えちゃう」
「セイレーンは黙ってて」
 何故かセイレーンには厳しいリディア。セイレーンがぶすっとむくれる。
「ではマスター。参りましょう」
 騎士アルゴが先頭。そして両翼をカインとスコール。後衛は魔法使いのアフラマズダとリディア。そして後方からの援護射撃が可能な弓兵アルテミス。
 バランスの取れた理想的な布陣だ。
「じゃ、お姉さんは待ってるから、全員無事に戻ってくるのよ」
「ああ。多分一人、増えることになるが」
 カインの宣言に、リディアとスコールが頷く。
 そして彼らはその『ラビリンス』とやらにやってきた。
 ただ、地下迷宮とはいえどもその上には建物が君臨している。カインとリディアはバロン城を、スコールはバラムガーデンを咄嗟に思い浮かべたが、それらよりもはるかに大きい。
 そしてその周りを取り囲む壁。さて、どうやって侵入をしたものか。
「門があるということはそこから入るということだろう」
 幻獣界において、あらゆる物質は本来の機能を果たすために存在する。門があるのなら、それは開けることができるということだ。
「だが、押しても引いてもびくともしないな」
 カインが実際に触れてみるが、ぴくりとも動かない。
「開けることは不可能ではないでしょう。もっとも、門に通用するかは分かりませんが」
 アルゴがその門の前に立つ。
「どうするつもりだ?」
「ものは試しというものです。お下がりください」
 騎士がその門に触れ、隙間に手をかざす。
「我が体内に宿りし盗賊の英霊よ。この門の鍵を解き、我らが行く手を示したまえ」
 すると錠の開く音がして、その門が内側に開かれていく。
「大した力だの、相変わらず」
 アフラマズダが笑う。そんなパーティ最長老にアルゴは答礼した。
「行きましょう」
 実質、パーティの中核をなすリディアが言うと、スコールが先頭で入った。
 その城の中はまさに迷宮だった。通路の幅は五メートルから六メートルというところか。およそ城とは無関係なダンジョンがある。
「雰囲気がどことなく似ているな」
 カインの呟きにリディアが寄ってきて尋ねる。
「似ているって、何に?」
「マシンマスターの館だ。まあ、あれほど凶悪なものを用意しているわけではないのだろうが」
 そうして進んでいくと、やがて黒い扉が現れる。
「赤と青は不要か。まあ、そうだろうな。だとすると……」
 意味不明な言葉をカインが紡ぐが、それもマシンマスターの館に由来することなのかもしれない。リディアは何も聞かなかった。
 カインが扉を開くと、そこにいたのは一人の女性。
「嘘」
 リディアが目を疑った。
 そこにいたのは。
「やはり、そうなるか」

 ローザ・ファレル。






「どうやらやってきたみたいだな」
 マディンは魔術映像で迷宮内の様子を見物している。一方のティナは全く見ようともせず、ただ自分の殻に閉じこもっている。
「やれやれ、せっかく王子様の登場だっていうのに、見る気もなしかい、ティナ」
「カインは、私を選ばぬ」
『幻獣』ティナはカインが自分ではなくローザを選ぶと完全に決めてかかっている。全く、どうしてこうも意固地なのか。仮に相手に意中の人物がいたとしても、それから奪ってみせるくらいの心意気があってもいいと思う。
 だがまあ、結局は娘の気持ち一つだ。マディンがどれほど言っても仕方のないことでもある。
「ま、王子様が早く来てくれるのを待つとするか」






217.最後の授業

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